029たおやかな聖女の仮面
翌日。
三の鐘が鳴る頃にファライヤとミーアを従えたマリアンが、階下の個室へとやってきた。
「ねえ、カイン。どう?」
マリアンはそう言ってクルリと回ってみせる。
エラー教の純白の神官服がふわりと舞って、鼻に付かない爽やかな香りが微かに鼻腔をくすぐった。
長い銀髪を結ってまとめ上げ、首筋から覗くうなじが色っぽい。
薄く塗ったグロスが、ふっくらとした唇を瑞々しく引き立て、普段と違った雰囲気に見慣れていたカインですらゴクリと息を飲んだ。
アーマードは直立不動のまま、岩のように固まり、ジェドは乙女のように頰を紅く染める。
「マリアン。どうやら殿方の反応は百点満点のようね」
当然よ! と鼻を鳴らして、自信ありげに仁王立ちするマリアン。
その様子に、一時とはいえ目を奪われていたカインであったが、直ぐに忌々しそうに顔を顰めた。
「マリアン。見た目は良いにしても、その態度は大丈夫か? 面会では聖女らしくお淑やかに頼むぞ」
「大丈夫だよ。わたしそういうのも結構得意だし」
本当に大丈夫か? と思いつつも、本人に任せる他ない以上、言っても仕方がないことではある。
カインは呆れ顔をしつつも、話を切り替えた。
「面会の場に行くのは、俺とマリアンとファライヤだ。ジェド、ミーア、アーマードはここで待機。何もないとは思うが、いざという時直ぐに街を出れる準備だけはしておいてくれ」
カインの指示に全員がコクリと頷いた。
「交渉はマリアンにやってもらう。おかしなことを口にしなければ、俺は黙ってるつもりだ。多少の嘘は交えても良いが、金はないから見返りは恩を売らせる感じにして欲しい。エラー教をダシにし過ぎるなよ」
わかってるよ。と頷くマリアン。
カインは一抹の不安を抱きつつも、神子との交渉を行うため、ミリアム教会へと向かうのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゲネードの街にあるミリアム教会はそれほど大きな建物ではなかった。
三十メートル四方の敷地に館が建ち、その傍らにこじんまりとした、教会が建ち並ぶ。
一般市民に開放された範囲も少なく、教会の聖堂には三十人前後が入ると一杯になってしまうだろう。
到着したカインたちが通されたのは、教会ではなく館の方であった。
大きめな樫造りの扉を潜り、神や天使を模した調度品が並ぶ廊下を通り、外装よりも贅沢な造りとなる応接室へと通される。
ミリアム教の神官服を着た男に促され、腰低いテーブルの周りに備え付けられたソファーへと向かうと、マリアンはフードの付いた神官服のマントを脱いで素顔を晒した。
エラー教の神官服が証明となっていた為か、ここに来るまでの間一度も身元の確認が行われなかった。
その所為かミリアム教の神官はマリアンの素顔を目にすることなく、ここまで案内をしていたのだ。
だが、それはある意味で僥倖とも言えた。
入り口付近で、マリアンの姿を目の当たりにしていたら、初対面で今男がしているような間抜け面を晒してしまうことになったであろう。
人目のある入り口付近でこのようにあほ面で固まっていては、市井の人間になんと噂されるかわかったものではない。
カインは、マリアンのマントを受け取ると、いつまでも惚けている神官の前に突き出した。
そして、ようやく我に返った神官が、謝罪を述べながらマントを受け取り服掛けにマントを掛ける。
マリアンがソファーに腰掛け、その後ろにカインとファライヤは従者の如く控えた。
紅茶を出しにやって来た幼げなメイドも、マリアンの姿にギョッとしてかたまり、僅かながらの粗相を働いてしまうが仕方ない。
ミリアム教の神官が深々と頭を下げ謝罪するが、マリアンは馴れた手つきでそれを制し和かに微笑んだ。
神官の顔が赤らみ、熱のこもった瞳をマリアンへ向ける。
カインは正に人が恋に落ちる瞬間を目の当たりにして呆れ顔をした。
そして、いよいよ心配になってくる。
本当にマリアンに任せて大丈夫かと。
しかし、今更ながらそれを考えたとしても、もう遅い。ことは成り行きに任せるしかないところまで進行しているだから。
暫く待つと扉が開き、背の低い老齢の男が室内に入って来た。
一際、質の高い刺繍が施された衣装をまとっていることから、年老いたその男が、この教会の神官長であることが伺えた。
そして、男に付き従うように入室して来た少女。
腰まで伸びた栗色の髪。
翡翠のような緑色の瞳が薄っすらと細められ、きつめな印象を受ける。
この若さでミリアム教の神官服を纏っていることから、恐らくは彼女がゲネードの神子なのだろう。
マリアンは席を立ち、男の方へと一歩あゆみ寄り柔らかい笑みを浮かべる。
「初めまして。マリアンと申します」
普段のおちゃらけた様子は一切見せず、マリアンがたおやかな所作でお辞儀をした。
「これはこれは。わたしがゲネードの教会を取り纏めておりますハルトーマです。それにしてもお美しい。事前に話を聞いていなければ、腰を抜かしてしまうところでした」
ハルトーマは愛想の良い笑顔で答えた。
「わたしの後ろに控えているのが神子のヴィレイナです」
「どうぞ、よろしくお願い致します」
ヴィレイナがお辞儀をすると、マリアンはそれに対しても柔らかい笑みを浮かべて挨拶を返した。
神官長に促され、再びソファーへと腰掛けると一同は、他愛もない歓談に花を咲かせる。
そして、前置きはこのくらいにと本題へと話が移って行く。
「さて、マリアン殿はヴィレイナの浄化の力をお求めだとか」
「はい。是非ともそのお力をお借りしたいと思っております」
「目的をお聞かせ頂けますかな?」
ハルトーマの言葉に頷くと、マリアンゆっくりとした口調で話し始めた。
「コルネリア領のキリエ村という場所で、呪いに苦しんでいる者たちが多くいます。死に至るその呪いを解くために、ヴィレイナ様のお力をお借りしたいのです」
「ふむ。何故そのキリエ村をマリアン殿が救おうとなされているのですかな?」
「困っている人々がいて、それに手を差し伸べたいと願うことがおかしなことでしょうか?」
「いやいや。疑いを向けているわけでは御座いません。ですが、コルネリア領からここまではそれなりの距離が御座います。聖女様ご本人がわざわざご足労くださる理由としては、些か弱いかと」
十分疑ってるじゃねーか。というカインの内心は他所に、マリアンは笑顔を崩さずに言葉を述べた。
「聖女と言ってもわたくしはまだ、洗礼式を受けておりません。ボイドの街でゼリオス神官長に見初められ、この神官服を頂戴したに過ぎません。わたくしが正式に聖女として就任するのは一月以上先の話となるのです」
「ふむ。であるならば、洗礼式を済ませたのち、エラー教会に助力を得るのが正しい手順だと思われますが?」
「ハルトーマ様。呪いは刻一刻と進行して行くのです。わたくしの就任を待っている間、どれだけの命が失われるかわかりません」
そう言われて、ハルトーマはなるほどと白い髭を撫でた。
「ハルトーマ様の懸念もわかります。何故、エラー教の聖女が、わざわざ他教の手を借りにやって来たのか。ハッキリとさせなければご納得は頂けないでしょう」
「お聞かせ願えますかな?」
そう言われてマリアンは笑顔を崩さず、真面目な様子で語り始めた。
自分は元々、後ろに控える冒険者たちと人助けをして街々を巡っていた。
そうしてある時キリエ村の呪いに付いて知り、その解除方法を模索していた。
その時初めて、呪いを解くためには、浄化の魔術が必要なことを知った。
浄化の魔術は通常の魔術と違い、術式を知るだけでは扱うことが出来ない。
何年もの間、神に祈りを捧げ、神に見初められ神気を得た人物でなければ不可能なのである。
そして、神気を扱える者はそれほど多くない。
自分たちは一度、ボルドの街にあるエラー教会へ赴き、浄化を扱える神官の助力を得ようとした。
しかし、エラー教では、そもそもがコルネリア領に浄化を行える神官が居ないのだということ知った。
その時エラー教に提案されたのが、聖女になる方法であった。
だが、その方法では、ハルトーマ言う通り聖女に就任してからでないと人を動かすことができない。
故に、一人でも多くの人を救うため、この街へとやってきた。
知り得る限りで浄化の魔術を扱える人物は、ヴィレイナを置いて他にいなかったのだ。
一息に話し、マリアンは懇願するように両手を組んで、瞳を潤ませた。
「どうか、ご助力頂けないでしょうか」
さすがハルトーマも、マリアンのこの表情には息を飲んだ。
恐らくは、自分が司祭などの役職であったならば、既に頷いてしまっていただろう。
だが、ここは板挟みとなる中間管理職の性である。守りは堅く、厄介ごとには手を出さない習慣が勝った。
「ご事情は把握出来ました。しかし、ですな。他教へ神子を貸し出すとなるとそれなりに面倒な手続きが御座いまして。教義にも掛かる内容となりますので」
「ハルトーマ様。ここは一つ腹を割ってお話を致しましょう」
「腹を割る……とは?」
「ハルトーマ様は、ミリアム教。ひいてはこちらの教会に利益があれば良いのではないでしょうか? ミリアム教をより富ませるものであれば、多少の教義はミリアム様もお目溢しをして下さるのでは?」
「む。しかしですな。そうなるとわたしの一存では決め切れない内容となってきてしまいます」
「ハルトーマ様。わたくしは腹を割ってお話をしようと言いました。わたくしとの面会を取り急ぎ計らってくれたのは、有益だというお考えがあってのことですよね? 門前払いをしては見聞が悪いと考えるのであれば、もう少し面会にお時間を要したはずです」
「見目麗しいだけではなく、中々に鋭いお考えをお持ちですな。ですが、わたしはマリアン殿が正式な聖女であるという前提でお話を考えておりました」
「正式ではないからこそ、できることもありますよ」
「……と言いますと?」
「洗礼式を受けていないわたくしは、本来、聖女はおろかエラー教徒を名乗ってはいけません。ですが、そこは神官服を頂くことで黙認されてはおりますが」
「………………」
「つまり、今のわたくしは、エラー教の神官服を着たただの少女に過ぎないということです」
「なるほど。今のあなたに神子を貸し与えたとしても、教義には掛からないということですか。であれば、わたしたちの利というものがなくなってしまいます」
「ハルトーマ様は、わたくしが聖女になれないとお考えでしょうか?」
「そ、そんなことは御座いません。マリアン殿を聖女として扱わない理由がない。エラー教がそのようなことをするのであれば、我々の方こそ歓迎したいほどです」
「であるならば、ハルトーマ様は、非常に恵まれた状況にあるとは思いませんか? 今現在はただの少女であり、エラー教の聖女になることが確約された人物が目の前にいるのですから」
そう言って笑ったマリアンの姿を見て、ハルトーマは息を飲んだ。
ミリアム教としてエラー教徒に助力をした場合、教義の上では、その見返りの殆どを上層部に上納しなければならない。
上納して得られるものは、評価となり、評価が高ければ、いずれは司祭や司教になれる取り決めはあるが、その基準は曖昧だ。
故に、他教に協力することを好む者は少ない。
ハルトーマも同様の考えではあったが、聖女の来訪と聞いて直ぐに面会を取り計らった。
その内容によっては、司祭、果ては司教に取りて立てられる程の功績を残すことが出来ると考えたからだ。
しかし、実際にやって来た聖女は、類稀な美しさをしてはいたものの、エラー教徒としてではなく、個人の目的の為にやって来たというではないか。
しかも、洗礼式を受けていない、正式な使者ではないという。
これでは流石に、協力することなどできない。
そう考えていたハルトーマであったが。
マリアンの提案には、一考の余地があった。
エラー教徒ではなく、個人に対して施しを行った場合。その見返りで得た利益を上層部に上納する義務はない。
今現在のマリアンに助力をした場合、聖女となった暁には、大きな恩恵を受けることができるだろう。
そして何より、目の前の少女が聖女にならないとは、とてもではないが思えない。
確かにこれは、絶好の好機とも言えた。
ハルトーマは熟考し険しい表情で顎髭を撫でた。
「具体的にマリアン殿が聖女になられた暁には、どのような施しが受けれますかな?」
「金銭のやり取りに関しては、就任してみなければなんとも言えませんが、一つ言えることは、この街に人を集めることが出来ます」
「……ほう。それは?」
「わたくし達が、この街の宣伝を各所で行います。優秀な神子が居る街。聖女が愛用する石鹸はこの街の特産物である。ただの少女の願いに手を差し伸べてくださる神官長の居る街。内容などは、後々話し合いを致しましょう」
うーむ。と感心するようにハルトーマは唸った。
「人が集まるということは、それだけで商売の機会が生まれます。優秀な商人と手を組んで、事前に投資を重ねれば、それだけで一財産築けるのではないでしょうか?」
「確かに……仰る通りかもしれませんな」
今一歩煮え切らないハルトーマ。
だが、その最期の一歩を後押しするように、マリアンは立ち上がると、花が咲くような笑顔を向けた。
「大丈夫です。過疎村が英雄を排出してから栄えるように、わたくしが聖女として表に立てば、この街はきっと今よりも栄えますよ」
そう告げられた言葉は、疑うことすら馬鹿馬鹿しいほどに自信に溢れており、そうだと思わせるだけの説得力があった。
僅かに残っていたハルトーマの疑念は霧散し、もはやマリアンの申し出に頷く他できることは残っていなかった。
お読み頂きまして、ありがとう御座います。




