149 勝敗の行方
魔術には二つの大きな欠点がある。
一つに詠唱する為の時間がかかる事があげられる。
刹那の攻防の中、筆跡を用いて術式を描く事は出来ない。
それ故に、実戦で魔術を行使する場合は、必ずと言っていいほど壁役の存在が必要となる。
そしてもう一つ、威力の加減が出来ないことだ。
術式によって一定の効果が定められてしまう魔術は、例え魔力を多く込めたとしても、効果量は変わらない。
出来る事と言えば、永続型の魔術を持続させるぐらいのものだろう。
効果量の高い魔術を扱おうとすれば、術式を幾重にも重ね相応の時間を要してしまう。
これは、闘千や英雄の領域で戦闘を行うにあたって、とてつもない足枷となる。
その為、ファライヤは実戦で魔術は役に立たないと言ったのである。
だが、ミーアの生み出した【無詠唱術式】は、その欠点を補うことに成功した。
精密な魔力操作により、水を撒くように魔力を放ち術式を作り上げる。そして、術式に込める魔力量によって威力を変化させる事が出来るのである。
威力を変質させる為の術式は、通常の魔術にも存在する。
しかし、効果を一定にした術式と比べると術式の大きさが三倍もの大きさとなってしまうのである。
いかに早く術式を編むことが出来るか。実戦では、そこが重要視される為、わざわざ効果量を変える為の術式を選んで使用する者はいない。
だが、魔力を撒くだけで術式を完成させるミーアの魔術は、本来であれば余計な筈の術式を組み込む事が出来るのである。
その為、ミーアの【無詠唱術式】は魔術の欠点である、発動までの速度と威力の調整を自在に操ることが出来るのであった。
ただし、やはりと言うべきか、【無詠唱術式】にも欠点はある。
術式を己自身に記憶させる為に、相応の時間を要するのだ。
水を撒くだけで、精密な絵を描くことがどれだけ難しいのか。想像するまでもなくわかるだろう。
しかし、それを可能にしたのが、魔法の領域に至る程の魔力操作。スキル取得による魔力総量の増加。【絵画】などの技巧を上昇させるスキル。
それら全てが相まって、ようやく完成に至るこの技術。
その為、ミーアはまだ氷の刃を出現させるこの魔術しか使用する事が出来ない。
様々な術式を扱えることこそが魔術士の本領とも言える中、ミーアが無詠唱で扱えるのはただ一つなのである。
実戦で通用する形にはなったが、手数の少なさからこの術式は未だ完成には至っていないのであった。
それでも、十分に実戦で通用することはわかった。
近距離では【操術】を扱い、遠距離では【魔術】を扱う。現在のミーアは前衛も後衛もこなせる万能型。敵にすると非常に厄介な相手となっていた。
ミーアの放った氷の刃が、ソレインへと襲いかかった。
その攻撃を、ソレインは【影想剣】を抜いて対処する。分裂させた【影想剣】が氷の刃を打ち砕いて行くが、手に伝わる重い衝撃が込められた威力の程を教えてくれる。
相応の魔力で守りを固めなくては、この攻撃がソレインの守りを突破する。そう感じる程の威力。
それを無詠唱で、しかも出どころも分からず放って来る。
ソレインは歯噛みした。
優位だった筈の自分が、気が付けば追い詰められている。闘千として数多の戦場を駆け抜けて来て初めての苦戦。
それも、たった三名相手にである。
相手の力量は一人一人では、己に劣っているだろう。しかし、巧みな連携と厄介な術式のお陰で、今やその力は己と拮抗している。
暗部の連中も劣勢に陥っているようで、ソレインへの援護は未だに無い。
―――それでも、魔法さえ当ててしまえば問題無い。
そう考えて、ソレインの瞳が怪しい光を宿した。
しかし。
「……忠告しますが、もう勝ち目はありませんよ」
唐突に言われた言葉に、ソレインの眉間に皺が寄った。
勝敗は決していない。
追い詰められたとはいえ、力は拮抗している。
加えて己には魔法がある。それは相手も同じだろうが、魔法の勝負においてはどちらが先に魔法を当てるのかが重要となって来る。
勝ち目が無いなどということは決して無いのである。
だが、目の前の少女は、自分の発した言葉に何一つ疑う様子も見せない。まるでその事実を確信しているかのような言動。
何故そこまで言い切れるのかが、ソレインにはわからなかった。
「あなたには、私の魔術の出どころが見えていませんね。反応出来ているのは、魔方陣が魔術を発動した瞬間からです。つまり、あなたには魔力の流れが見えていない」
―――魔力の流れが見えていない? そんなことはない。相手の動きも魔力量も探知によって感じる事が出来ている。物質的な形を持たない魔力を見るにはこの方法しかない筈だ。
そう考えたソレイン。
しかし、事実は違う。
魔力は目視する事が出来るのである。
瞳に魔力を這わせ、脳内のイメージを直結させる事により、その色合いを各々が視覚的に作り出す事が出来るのである。
独学で魔法の域にまで到達したソレインではあったが、探知によって魔力を感じる事が出来た事によりこの工程には気が付かなかった。
いや、そもそも独学でこの技術に至れる者こそ少ない。
だが、ソレインと違い正式な師が居るミーアたちは、この技術を即座に叩き込まれていた。
異界からの来訪者と対峙したあと、魔力を目視し、魔法を回避する術を教え込まれたのだ。
ミーアたちにとっては、魔力を目視出来て当たり前。それが出来なければ、魔法を放つ相手と渡り合う事など出来ないのだから。
故にミーアは確信していた。
例え魔法を放たれたとしても、自分たちであればそれを躱す事が出来ると。
概念をも捻じ曲げる魔法ではあるが、躱せるのであればそれほどの脅威では無い。起死回生の一手とは成り得ないのである。
それでも、それを説明したところでソレインが素直に納得するとも思えないのだが。何より、わざわざ細かな理由を教えてやる必要も無い。
その為、ミーアの言葉は忠告に留まる。
そして、ミーアの予想通り、ソレインは引く事なく右手を突き出して構えた。
「ならば受けてみろ!」
ソレインの体から魔力が膨れ上がる。
先程と同様に手に魔力が収束していく。
ミーアは、直ぐに杖を振り上げ氷の刃を放った。躱せるとは言っても、素直に魔法を放たせる必要はないのである。
しかし、ミーアの放った氷の刃はソレインに当たる直前で霧散してしまった。
魔法に使用する魔力とは別に、ソレインは守りに対しても膨大な魔力を使用したのである。
氷の刃を防がれると、魔法の発動を防ぐ術は残されていない。
ソレインの右手に魔力が集まり、遂にそれは放たれた。
「【グランドクロス】!」
大地に突き立てられた右手を中心に、地面が蜘蛛の巣のようにひび割れた。
次第に大きくなって大地を駆けるように広がるひび割れは、気付けば巨大な亀裂となってミーアたちを襲った。
地中を網の目のように伝う魔法が、地面を割りながら広がって行く。
濃密な魔力が周囲に漂い、魔法の根幹となる部分を探知だけで感じる事は不可能。ひと度概念と化すその部分に触れたが最後、抗う術などなくその身は大地と同様に割かれるだろう。
目に見えるのは、魔法が通過し切り裂かれて行く大地のみ。空中にまで達して広範囲に広がるそれを、防ぐことは勿論、回避する方法などありはしない。
そう。
並の戦士であれば。
幾重にも張り巡らされた、魔法の一撃。
触れたが最後となるその一撃を、ミーア、ルクス、ガナックの三名は躱してみせたのだ。
とはいえ、ミーアたちにも余裕があるわけでは無い。僅かにでも触れれば死に至る可能性のあるその攻撃を躱す為に、予測、探知、視覚を全て最大限に用いて集中する。
探知に頼り切ってもいけない。
探知の魔力は己と繋がっている。
己から発する探知の糸を、魔法が触れた瞬間に切り捨てなければ、魔力を伝って自身の概念が捻じ曲げられる恐れがある。
万能の極みとされる魔法は、どのような現象が引き起こされるかわからないのである。
そんなソレインの切札を、ミーアたちは危なげながらも遂に躱し切ってみせた。
その事実に、ソレインは驚愕する。
「ばか……な」
切り裂かれる地中に意識を向けさせ、空中からも攻め立てるソレインの魔法。
それを躱す事が出来るということは、魔力そのものが見えているという事に他ならない。
目の前の敵は、己の知り得ぬ技術を持っている。
そして、その技術は魔法を回避できる、脅威的な技術であった。
「てめえの負けだな」
不意に背後から首元へ短剣が突き付けられた。
魔法を躱し切られて驚愕していた隙に、ルクスに背後を取られてしまったのだ。片膝立ちのこの姿勢では、即座に動き出すのは難しい。
ソレインは、完全に動きを封じられてしまっていた。
「少しでも、魔力を動かしたら首を斬る。これは脅しじゃねえ」
この声音に含む決意は偽りではなかった。
それをソレインは感じ取る。
「なんのつもりだ? 俺を倒さなければ、この戦いは終わらないぞ」
「もう倒しただろうが。俺の意思一つで、てめえの首は落ちる。死にたく無ければ、今すぐ敗北を認めて撤退しろ」
「……甘いな。敵に情けでもかけるつもりか?」
「いいや、てめえの配慮に対して借りを返してるだけだぜ」
ルクスがそう言うと、ソレインは苦い表情を見せた。
「アリシアとマルコを狙っていれば、てめえはもっと優位に戦えた」
「……いつ、気が付いた」
「てめえの技がアリシアとの直線上に重なった時だ。速度を落としてまで、アリシアたちを巻き込まねえように軌道を変えて来やがった」
「……そうか」
そう言うとソレインは沈黙した。
そして、程なくして暗部たちの方から、青い光が上空へと放たれた。
「撤退の合図だぜ。行けよ」
ルクスがソレインから短剣を離すと、ソレインは静かに立ち上がりルクスへ背を向けたまま歩き出した。
そして、少し歩くと不意に立ち止まりルクスへ背を向けたまま、声を上げた。
「ルクス! 俺は貴様が憎い!」
怒気を孕んだその声音。だが、敵意は向けられていない。
「アリシアを戦場から遠ざけるのは、俺がやる筈だったのだ。落ちこぼれの貴様ではなく、才能に恵まれたこの俺がだ!」
ソレインの独白に、ルクスは無言のまま耳を傾ける。
「一度は納得した。アリシアが貴様を選んだのだと知り、貴様もアリシアを戦場へと向かわせなかったからだ! だが、貴様は国を裏切った。貴様の我儘の所為で、アリシアは今後国に追われる事になるんだぞ!」
なんとなく察していたことだった。
ソレインがアリシアへ向ける優しげな視線。
戦闘の最中でも、気にかける動き。
そもそもが、ソレインがアリシアへ好意を向けていないのであれば、そこまで恨まれるような出来事は過去になかった筈なのだ。
ルクスはポリポリと頭を掻いて溜め息を吐いた。
「てめえがそんな、人情のある奴だとは思わなかったぜ。だがよ、アリシアを守るのは俺の役目だ。てめえじゃねえ」
「力の無い奴が何を言っても詭弁だ!」
「はあ? 俺たちはてめえに勝ってんだろうがよ!」
ルクスがそう言うと、ソレインは振り返り鋭い視線を向けた。
「俺一人に勝ったところで意味は無い! 貴様が相手にするのはセト王国そのものだ!」
「それも問題ねえ。俺たちはまだ強くなる。サシでやってもてめえに勝てる以上にな。それに、こっちには世界最強の美少女と大英雄になる男がついてる。セト王国には何もさせねえよ」
「世迷い事を!」
そう言って、ソレインが【影想剣】を抜き放とうとしたところで視線がぶつかった。
ルクスの遥か後方で、未だに祈るような瞳を向けるアリシア。
その眼が、激情に駆られたソレインを静かに落ち着かせた。
「……これ以上、不安にさせても仕方あるまい」
ソレインは腕を下ろして再び背を向けると、指を口に当てて高い音を鳴らした。
その音に反応するように、遠方で待機していた飛竜がソレインの元へとやって来る。
飛竜がソレインの前に降り立つと、ソレインはそれに飛び乗った。
そして、再度ルクスへ視線を向けて言った。
「今日は引く。だが、覚えておけ。何かあった時には、貴様を殺しに行くからな」
誰に、とは言わず、ソレインはそのまま飛竜と共に飛び去って行った。
ソレインの飛び去った方角を見つめて、ルクスの肩からようやく緊張が解ける。
力なくその場に座り込んでしまったルクスの元へ、ミーアたちや、アリシアたちが駆け寄る姿が見えた。
遠方での勝負も付いているようで、アンジェと共にカデナが談笑しながら歩く姿が目に映った。その後ろには、影のようにひっそりとジェドが続く。
コトリは疲れ切ってしまったのか、ルクスと同様その場にへたり込んで動こうとはしない。
ようやく終わった。
いや、まだ最初の追手を退けただけだ。
国を脱出するまでは気を引き締めて行かなくてはいけない。
だが、もう少しの間は息を吐いても良いだろう。
ルクスそう思い、大きく息を吐いて空を見上げた。
そこに広がるのは、闇夜に浮かぶ星が瞬く、静けさの漂う空であった。
読んでくださりありがとうございます。




