143 あの男のように
夜も更けた頃、ルクスはアリシアと会う為に屋敷へとやって来て居た。
屋敷を監視するような気配を周囲に感じるが、探知によって相手の位置を探っていたルクスは、網の目を縫うように監視の目を掻い潜り屋敷へと辿り着く。
今までと変わらず、正面からは入らずに勝手口へと回り込み、滑るように屋敷の中へと潜り込んだ。
そして、屋敷の中へと入るとルクスは息を吐く。
これからが本番である。
日のある内にアンジェたちと段取りを組み、王都の外へと出る為の準備は整えた。
眠らされていたリーガルたちにもある程度の事情を説明し、アンジェたちとの間を取り持つ事で両者を和解させている。
一時的に旧市街を牛耳る事になってしまったが、アンジェたちは仕事が終われば旧市街を出て行く。その事を丁寧に説明したところ、リーガルたちは渋々ながらも納得をみせたのであった。
結局のところ、武力では敵わないアンジェたちを無理に追い出すよりも、協力的な姿勢を見せて穏便に旧市街から出て行ってもらう方が良いと考えたのだろう。
ともあれ、ルクスにとっては、残すところアリシアの説得が出来るかどうか、それに全てがかかっているのである。
ルクスが気持ちを落ち着けて足を踏み出すと、食堂から明かりが漏れ出ているのが目に留まる。
それに気が付いたルクスは、二階へは上がらず食堂の扉を静かに開く。すると、中では行儀よく椅子に腰掛けたアリシアが、入り口に視線を向けたまま待ち構えていた。
アリシアはルクスがやってくると椅子から立ち上がり、ゆっくりとルクスの前までやって来て言った。
「……ルクス。監視の目が厳しくなって来ました。そろそろ王都を出ないと抜け出す事が出来なくなりますよ」
淡々と言い放つアリシアに対して、ルクスは気持ちが昂ぶり反射的に声を荒げてしまいそうになったが、それをグッと堪えて出かかった言葉を飲み込んだ。
「その通りだが、お前たちを置いて一人で王都から出るわけにはいかねえ」
「わからない人ですね。ここ数日で何度も話し合った筈です。私とマルコは王都に残ります。国を捨てるのであればお一人でなさってください」
相変わらずアリシアは頑なであった。
今までならその様子に、何故わからないのかと言い合いになってしまっただろうが、今日のルクスはそうはならない。
何故なら、もう決めているからだ。
アリシアと一緒でなければ、国を出ないと。
「アリシア、お前たちが国を出ないというなら、俺も国を出るつもりはねえ」
「……ルクス。外の監視には気付いているでしょう? あなたの裏切りは露見しています。この国では既にあなたの居場所はないのですよ?」
「そうかもな。ここに居座り続けたら、何れは捕らえられちまうだろうな」
「わかっているなら、私たちのことは放っておいて早く国を出てください」
「それは出来ねえ」
「ルクス!」
落ち着いた様子のルクスと反して、アリシアが声を荒げた。その様子を見て、ルクスは更に言葉を続ける。
「俺が国を出たあと、お前たちがどういう扱いをされるかわからねえ以上、俺だけが国を出るわけにはいかねえ。どうしても国に残るってんなら、俺を売れアリシア!」
ルクスがそう言うと、アリシアは眉間に皺を寄せて押し黙ってしまった。
「俺はいつでもここへやって来る。この国に残るっていうなら、俺を国に売ってお前たちが国に従順であることを証明しろ。でなけりゃ安心も出来ねえ」
「……どうして、どうしてそこまでするのですか!?」
「どうしてもこうしてもじゃねえ、国を捨てると決めたのは俺の勝手な判断だ。その所為でお前たちに迷惑はかけられねえ」
「そんなこと! 何故そんな考えになるのですか。あなたは言ったじゃないですか。私たちは与えられた関係だと! そんな者の為に何を意固地になっているのですか!」
感情の込められたその言葉を聞いて、ルクスはアリシアが何に対して頑なになってるのかようやく気が付いた。
ルクスと同じだ。アリシアにも絶対に譲れない想いがある。
―――意固地になってるのは自分も同じじゃねえか……だが、そうさせちまう言葉を口にしたのは俺だったな。
二人の関係は国に与えられたものだった。
ただ子を成す為だけに、国の諜報活動を担っていた二つの家系が示し合わせただけの関係だった。
そこには、恋愛感情も情愛も何も無い。
能動的ではなく機械的に消化される関係。
その関係は十年もの間続いた。
夫婦としての互いを気遣う会話もなく、儀礼的なやり取りを繰り返すばかりだった。
感情を揺さぶるような出来事もなく、二人はただ見せかけの夫婦を演じ続けていた。
それでも、アリシアは献身的な妻であろうと、ルクスによく尽くしてくれた。
ルクスが続けるだろうと考えていた諜報の仕事は辞め、家事と子育てに専念するようになった。
見せかけで作り物である筈だった。
しかし、十年という月日もの間、偽り続けた関係も、気が付けばかけがえのないものへ変わっていく。
ルクスがそのことに気が付いたのは、ほんの数年前の事だ。
長らく家を開けるルクスであったが、仕事がひと段落して家に帰ると妻と子が出迎えてくれる。温かい食事を出され、陽の匂いがするベッドで眠ることが、ルクスにとって気の休まるひと時となっていた。
妻や息子に自然な笑みを浮かべるようになったのはいつからだろうか。
そんなことは思い出せない。
思い出せないぐらい無関心で、自分の感情にすら気付けないほど鈍い男だったからこそ、今の今まで気が付かなかったのだ。
十年の月日で変わったのは自分だけで、己の妻は何一つ変わっていなかったということに。
アリシアは献身的で良い妻を演じ続けた。
―――違う。
それは、俺がそう思っていただけだ。無関心だった俺が勝手に解釈した想像図だ。それが、間違っていたとしたら? 偽りだと思っていた彼女の態度が、最初から本物だったとするならば、アリシアはずっと俺のことを…………。
ルクスは渋面を作り唇を噛んだ。
アリシアの想いがようやくわかった。
彼女は最初から取り繕ってなどいなかったのだ。
ルクスの妻となることを望み、尽くす事を望んでいた。彼女にとって二人の関係は与えられたものではなく、望んだ関係だったのだ。
しかし、おそらくアリシアもわかっていた。この関係を望んでいるのは、己だけだということを。
だから、献身的に尽くした。その想いがいつかルクスに伝わると信じて。
十年。
彼女は自身の想いを口にせず、ただひたすらに良き妻であろうとし続けた。だからこそ、ルクスの言った『与えられた関係』という言葉が、彼女の心を深く傷付けたのだ。
その言葉で、アリシアは自分の想いが届かないこと悲観した。それでも、彼女はルクスのことを考えていたのだろう。だから、ルクスが一人で自由を手にする事が出来るようにと、頑なに共に行くことを拒んだのであった。
何気ない一言がアリシアの心をどれだけ傷付けたのか、ルクスにはそれがわかっていなかったのだ。
だが、己の気持ちを素直に受け入れ、真っ直ぐにぶつかると決めてようやく気が付いた。
アリシアの気持ちにも、己の過ちにも。
「……アリシア、俺は本当に馬鹿で、自分のことしか考えられねえ間抜けな男だ。だから、すまねえ、心無い言葉でお前を傷付けちまった」
ルクスがそう言うとアリシアは俯くように視線を床の上に伏せた。
「俺たちの関係は与えられたものだった。俺はお前のことが好きで結婚したわけじゃねえ。だから、お前も俺と同じなんだとずっと思ってた……」
その言葉に、アリシアは耐えるように唇を噛んで目を閉じる。
「けどよ。月日ってのは不思議なもんで、そんなことすらよくわからなくなっちまう。俺が覚えてるのは、家に帰った時に見せてくれたお前やマルコの笑顔と、温ったけえ食事と、ふかふかのベッドのことだけだ。作り物だなんて思えねえ、何処にでもある家庭の一場面しか思い付かねえ」
「そのように振る舞ったんです。あなたの言う、作り物を私は演じていただけです」
「そうなんだろうなってずっと思ってたさ。だが、お前は俺の事を最後まで国に売ろうとしねえ! 利己的だと思ってたお前がだ!」
「……それは」
何かを言いかけたアリシアの言葉を制して、ルクスは続けた。
「俺は、情けねえ事に自分の気持ちに見て見ぬ振りをしてきた! 本来なら、お前が態度で示すよりも先に、俺が言葉にしなきゃいけなかったってのに! かっこ悪りいし、男らしくもねえ。こんな恥ずかしい男が、今更何を言えた義理でもねえけどよ! それでも俺は、ちゃんと言わなきゃいけねえって思った」
ルクスはアリシアの瞳を真っ直ぐ見つめて言葉を告げた。
「愛してるんだ、アリシア!」
その一言にアリシアは目を見開いて固まった。
「きっかけなんて関係ねえ。俺はずっと前からお前の事もマルコの事も愛してる。だから、お前たちを放っておいて国を離れることなんて出来ねえ!」
ルクスがそう言い切ると、気が付けばアリシアの瞳から大粒の涙が溢れていた。
アリシアが十年もの間、胸に秘めた感情。
そのたった一言が欲しくて、アリシアはルクスの傍に寄り添って来たのだ。
そう、アリシアにとってルクスとの関係は、ただ与えられたものではなかったのであった。
キッカケは今でも覚えている。
訓練の最中、怪我をしたアリシアを介抱してくれたのがルクスだった。
己の失敗に酷く落ち込んでいたアリシアに対して、ルクスはただ励ますつもりで言っただけだったのだろう。
『訓練で上手くやり過ぎる奴は、危険な場所へ送り込まれる。ほどほどに失敗しておくのが、長生きのコツだぜ。なんなら、失敗し続けたって良い』
『そうしたら、首になって仕事が貰えなくなってしまいます』
『それでも大丈夫だ。そうなったら俺が嫁に貰ってやるからよ』
その時の言葉がただの冗談だったことは、アリシアもわかっている。
けれど、アリシアにとっては、優しい眼差しで言われたその言葉がいつまでも胸の内に残っていた。
だから、縁談の話をアリシア自らが、両親を通して打診したのである。
幸いな事にその申し出は国によって認められ、アリシアは晴れてルクスの妻となった。
しかし、機械的に受理されただけの関係で、愛情を育むことは難しかった。
それでも、いつか振り向いてくれると信じ、アリシアは己の想いをルクスへと向け続けた。
いつかルクスが、その想いに応えてくれると信じて。
十年かかった。
けれど、その想いは、気付かぬうちにルクスへ届いていた。
「アリシア、俺は我儘で駄目な男だ。だが、国を裏切ったとしても、お前たち二人だけは裏切れねえ。馬鹿な俺がしでかしちまったことだけどよ。それでも、最後まで俺に責任をとらせて欲しい。国に残るなら俺を売れ。出来ねえなら、最後まで俺に着いてこい!」
ルクスが言い切ると、アリシアは涙を拭う事も忘れてルクスの胸へと飛び込んだ。
「言ってくれるのが、遅過ぎます……」
「すまねえ。俺の憧れた男が気持ちのぶつけ方を教えてくれたんだ」
胸元で泣きじゃくるアリシアの頭を撫でて、ルクスは想いを馳せる。
―――カイン、俺はおめえのように出来たかよ。
読んでくださりありがとうございます。




