140 与えられた関係
蝋燭の火がゆらゆらと揺れて周囲を照らす室内。
階下にある食堂のテーブルで向かい合ったルクスとアリシアは、互いに険しい表情を向けて沈黙していた。
「俺とは来てくれねえって言うのか?」
沈黙に焦れたルクスが徐に言葉を発する。しかし、アリシアは眉間に皺を寄せ、瞳を閉じたまま口を閉ざしていた。
「アリシア、勝手に決めたのは俺だが、もう何もかもが遅いんだ。間も無くカインたちはラントックスの街に到着する。そこでの襲撃に失敗したら、俺の裏切りはマルセイにバレる筈だ」
「ここは王都です。襲撃が失敗することも含めて、今すぐに宰相閣下へご報告をすれば事無きを得るかもしれません」
「だから、あの男はそんなに甘くねえ!」
「闇雲に報告するだけならばそうなのかもしれませんね。ですから、あなたが独断で王都へ戻り、報告を怠った理由を作らなくてはいけませんね」
「それはあいつらを裏切る前提の話じゃねえか!」
「私は最初から国の味方をするべきだと言っています。ルクス、冷静になってちゃんと考えてください!」
アリシアに気圧されて、ルクスは開きかけた口をつぐんだ。
「ルクス、あなたは何が気に入らないというのですか? 正しく任務をこなせば、褒賞も与えられてこの国での地位も確立出来ます。それを捨ててどうするというのですか?」
「……俺は」
―――どうしたいのだろう?
アリシアの利己的な発言を受けて、ルクスは己がわからなくなった。
―――俺は何故、アリシアたちを連れ出すことにしたのだろうか……。
間諜である事がバレたのであれば、そのまま自身の命を断てば良かった。そうすれば、この失敗は俺だけの責任で終わる事が出来たはずだ。だというのに、俺は何故、アリシアとマルコを国から連れ出そうと思った?
思い起こされるやり取り。
マリアンに間諜である事を見抜かれ、どうしたいのかと問いかけられた。その言葉にルクスは答えることが出来なかった。
今のアリシアと同じで、利己的に物事を考えていた筈だった。けれど、ルクスが国を裏切りカインたちにつくと決めたのは……。
―――そうか、魔法か……。
その事に思い至った。
個人で戦況を変えることが出来るほどの技術。その技術を与えて貰う代わりに、ルクスはカインたちについたのだ。
国に楯突けるだけの技術が手に入るのかとルクスは問いかけた。それに、カインは努力次第で出来ると答えたのだ。
事実、ルクスはその力の一端を得て強くなった。今なら英雄や闘千が相手だとしても、それなりにやり合う事が出来る自信がある。
そして、その真髄にまで至るファライヤは、余程の戦力をもってしてもどうにかなるとも思えない。
それだけの力が、魔法にはあるのだ。
だからルクスは、カインたちに妻子を守って貰おうなどと考えていなかった。
力をつけて、己の力で妻と子を守れると思ったのだ。日の目を見ることの無い己の境遇を、変える事が出来ると感じたのだ。
「アリシア、俺たちはこの国で何も選べねえ」
唐突なルクスの言葉に、アリシアは眉を顰めた。
「今の仲間たちと出会って思い知らされた。俺は自分のことを何一つ自分自身で選んでねえなって。俺が持ってるもんは、全部誰かに……国に与えられたもんだ」
その言葉に、アリシアの瞳が僅かに陰った。だが、ルクスはそのことに気が付くことなく言葉を続ける。
「それに比べてあいつらは凄え。やりたい事がある。目指しているものがある。それをやり切ろうとする決意がある」
「……何を今更。私たちは、そういう家系に生まれ育ったんです。他の人たちとは違います」
「それをっ! マルコにも強いるのか? 俺たちのように、親から仕事を受け継いで、自分の意思で何一つ選ぶことなく生きていけって言うのか?」
「爵位が与えられれば、その環境は変わります」
「本当に爵位が与えられると思ってるのか? 俺たちのような日陰者に、爵位が与えられた事が過去に一度としてあったか?」
「そうだとしても、多額の褒賞は出るでしょう。そのお金があれば、マルコに自由な道を選ばせてあげることも出来るかもしれません」
「それはただの憶測だろ!」
「あなたのやろうとしている事は、それ以上に現実味がありません!」
声を荒げる言い合いは平行線を辿った。
どちらも引かずに視線をぶつけ合う二人。眉間には皺が寄り、互いに意見を曲げようとしない。
「国を出るというのなら、あなた一人で出て行けばいいでしょう」
「そんなことをしたら、お前たち二人が無事でいられる保証は無くなるぞ!」
「そんな事は知りません! 国を出るあなたには関係のない事じゃないですか!」
「関係無いわけがあるか! お前は俺の妻で、マルコは俺の息子だ!」
「あなたが選んだ妻と子では無いでしょう? 私たちは情報を漏らさぬよう、国の決定で引き合わされた夫婦です。あなたが自分で選んだ道を進みたいというのならば、与えられた物は全て捨てて行けばいい」
「アリシア!」
「安心してください。私が現役に復帰すれば、あなたの穴は埋められますから、なんとかなりますので」
「ふざけんじゃねえ! 今更、お前にそんな事をさせられるか!」
「あなたが仕事を続けないというならば、私が代わりに続ければ済む話です」
そう言うと、アリシアはもう話す事は無いとばかりに、席を立った。
それを引き止めようとしたルクスであったが、感情的になり過ぎたと反省しアリシアを引き止めずに口をつぐむ。
互いの意見を擦り合わせる事が出来ず、その日の会話はそこで終わったのだった。
それから一週間が過ぎた。
相変わらず二人の意見は平行線を辿り、ルクスもそうだが、アリシアも己の意見を曲げようとはしなかった。
家にいることが出来れば、もう少しじっくりと話し合いも出来たのかもしれない。しかし、十歳となったばかりのマルコに姿を見られると、ルクスが王都に戻って来ている事を誰かに漏らしてしまう事も考えられた。その為、多少のリスクはあるものの、ルクスは王城から離れた貧民街へ身を潜め、夜も更けた頃に家に戻りアリシアと話をするという事を繰り返していた。
一週間もの時間を費やした成果は、未だ得られてはいないのだが……。
そして、少々問題も発生していた。
ルクスの屋敷を中心に、監視するような人の動きがあるのだ。
今頃はカインたちがラントックスの街で襲撃に合い、それを上手く退けた頃だろう。つまり、ルクスの裏切りは既に露見しているものだと考えられる。最早一刻の猶予もない状態ではあるが、荒くれ者の集まる酒場で、ルクスは真昼間から酒を呷っていた。
酒に浸り、ままならない現実に逃避している場合ではないのだが、それでも飲まずにはやってられない心境であった。
アリシアは気の強い女ではあったが、ルクスの妻となってからは夫を立てる従順な姿勢を見せていた。
だから、ルクスは彼女を説得する事にこれほどの時間を要するとは思ってもいなかったのだ。
時間をかけ過ぎた所為で、カインたちの作ってくれた時間はもう残っていない。今から説得が出来たとしても、警戒の強まったこの状況では、王都を抜け出すのも一苦労しそうである。
なによりも時間は無限にあるわけではない。
身を潜めているルクスはまだ良いが、アリシアやマルコはいつ拘束されてもおかしくない。
八方塞がりのこの状況で、ルクスはどうしたら良いのかと頭を抱えていた。
溜め息と共にグラスの氷がカランッと音を立てて傾く。
ルクスの後方からは怒鳴るような話し声が響き、ルクスの思考を中断させていた。
―――チッ、うるせえな。場所を変えるか。
そう思い、ルクスが銀貨を置いて席を立った時だ。
「おおーっと、あぶねえ!」
ルクスの後ろで騒ぎ立てていた男の一人が、わざとらしくルクスへとぶつかろうとして来たのだ。
酒を飲んでいるとはいえ、ルクスはファライヤに教わった探知を疎かにはしていない。
その為、まるで後ろに目でも付いているかのように、男を躱してすれ違った。
ルクスが見せた予想外の動きに意表を突かれた男は、そのままカウンターへと倒れ込みルクスの飲んでいたグラスを叩き割る。
「痛ってぇ! てめぇ、何しやがる!」
男を無視して店を出ようとすると、他の仲間たちがルクスの進路に立ち塞がった。
「おいおい、無視してんじゃねえよ」
「悪りいんだが、考え事をしてんだ。絡むなら別の奴にしてくれ」
「馬鹿かてめぇは、そう言われてハイそうですかって納得するとでも思ってんのか! 大人しく殴られて、有り金置いていきゃあ許してやる!」
「そりゃ俺がなんも得しねぇじゃねぇか」
「あったりまえだ!」
男の一人が問答無用でルクスへと拳を振るう。ただの荒くれ者にしては鋭いその一撃ではあるが、魔力も何も込められていないただの拳を躱すまでもない。
男の拳がルクスの顔面に当たり、ミシリと音を鳴らしたあと、男の悲鳴が店内に響き渡った。
ルクスを殴りつけた手を押さえて蹲る男。その男の姿を見て仲間たちは警戒の色を強めた。
「なにをしやがった!」
「は? 大人しく殴られりゃ許してくれるっつうから、突っ立ってただけだが? まあ、有り金は置いてけねえが、気が済んだかよ?」
「ざっけんな!」
そう言って、男たちは刃物を抜いた。
「それを抜いちまったら、ただの喧嘩じゃ済まなくなるぜ?」
「うるせぇ!」
問答無用で、男たちが抜き放ったナイフを向けて襲いかかる。だが、ルクスは素手のままで男たちを迎え打った。
切り付けられるナイフの刃がルクスの手刀によって弾かれ、高い音を響かせた。
男たちが驚愕に目を剥いている中、続けてルクスの手刀は男たちのナイフを叩き切る。
研ぎ澄ませた刃のような切れ味。
その有り得ない技の前に、襲いかかって来た男たちは尻餅を着いて怯えた。
テンペストでカインたちが学んだ魔力操作、硬刃化と鋭刃化。それは、手に持つ武器にだけ施せるわけではない。魔力そのものを変質させ、刃のような硬さと鋭さを生み出すこの技術は、当然体を覆う魔力にも適応させる事が出来るのだ。
ルクスはその技術の訓練を、王都へ向かうまでに習得しろとファライヤに命令されていたのである。
そう、命令である。事前にある程度の基礎を叩き込まれ、馬を走らせながら必至になって操作を覚えた。
なにせファライヤの命令なのだから、あとでなにを言われるかわかったものではない。
そんな状態で必至に覚えた技術は、なんとか形になった。しかし、未だ慣れないのか、ルクスにとっては武器に魔力を這わす事よりも手に纏うことの方が扱い易かったのである。
「あ、あんた何者だ!」
「……別に、悩み事で忙しい、ただのおっさんだ」
そう言って店を立ち去ろうとすると、ルクスの背後から声がかけられた。
「ま、待ってくれ! あんたに相談したい事がある!」
―――うるせえな。こっちは、人の相談なんて受けてる余裕はねえんだよ。
嫌そうに顔を歪めたルクスは、懇願する男たちへと視線を向けると言った。
「てめぇでなんとかしろ!」
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