139 予定外の反発
王都カルドブルグ。
その王城の一室でマルセイは走らせていた筆を止めた。
目を向ければ、光沢のある広い机の上で宝石のように艶やかな球体が青白く発光している。
離れた場所からでも音声を届けることのできる魔道具、伝話機である。
マルセイが伝話機にそっと手を触れると、青白い光が緑色へと変化する。それを確認してから、マルセイは低く声を発した。
「誰だ?」
「ガルシアナ聖騎士団団長、リグルト・ガルシアナだ。例の件についての報告がある」
「……リグルトか。お前がわざわざ連絡を入れて来たということは、上手くいかなかったのだな?」
「その通りだ。送り込んだ獣人たちは全滅。俺たちが街へ辿り着いた頃には姿さえなかった」
リグルトは、ラントックスの街で起きた出来事を詳細に報告した。報告を受けてマルセイは眉間に皺を寄せて暫しの間沈黙すると、徐に言葉を発した。
「ふむ、随分と察しの良い連中だな」
「馬鹿を言うな。元々こんな作戦が上手くいくとは思ってないだろう。相手には魔族がいるんだぞ? 察しが良い以前に、そもそも襲撃の戦力が足りてない」
「戦力など必要ないだろう? 難易度の低い相手ならば、君たちが到着した頃には神の恩恵はこちらの手の内にあったと思うがね」
「あんたが何を言っているのかわからないな」
「私の仕掛けた策に対応する手段は幾らもない。警戒心が強く、事前にある程度の内容を知っていなくてはそれほど上手くは防げないということだ」
「飼い犬が裏切っただけだと思うが?」
「……ルクスか。あの男はあれで中々優秀でな」
「あんたが人を褒めるなんて珍しいな。だが、その優秀な男が手の平を返したのだろう?」
「そういった話ではない。口を割らせる手段など幾らでもあるのだ。問題なのは、優秀なあの男から情報を引き出せるだけの手腕を相手が持っているということだよ」
伝話機の向こう側から、リグルトの唸る声が聞こえてくる。
「情報を引き出した上で、ルクスの行おうとしていた策に敢えて乗ってくるほどの自信。それは即ち、我々の送り込む暗部など、容易く返り討ちに出来るほどの戦力があるという裏付けでもある。
更に、それだけの自信を持ちながら、馬車を街へ停めずに外へ待機させる慎重な行動」
「あんたの考えが読まれてるってことか?」
「読まれているわけではないだろう。だが、対応力の高い相手である事は間違いない。雑な手を打っていては、のらりくらりとかわされてしまいそうではあるがね」
「それなら、俺たちはどう行動すれば良い?」
「ふむ、そうだな。獣人たちは皆ひと太刀で絶命していたのだったな?」
「ああ、それも太刀筋はバラバラだった。つまりは、それだけのことが出来る奴が複数人居るってことだ」
「なるほど、であれば予定通りにするとしよう」
「予定通り? 何も聞いてないぞ」
「お前が知る必要はないことだ。お前たち騎士団は西のサイオン砦へ向かえ、到着したら次の指示を出す」
「……チッ、了解した」
そう言うとリグルトは通話を切った。
―――さてさて、どうなるものか。
胸の内でマルセイは呟いた。
リグルトたちを西へと向かわせはしたが、マリアンズは北西へ向かっている。その事をマルセイは予測出来ていた。
効率のよい選択をするのであれば、北西の山間を回り込み、その先の国境を越えるのが最適だろう。
もしかすると、途中で馬車を捨てて直接岩山を越えてくるかもしれない。
それがわかっていながらも、マルセイは自分の兵で追い立てるような真似はしなかった。
―――予想以上の戦力。リグルトをぶつける前に、いくらか削いでおく必要があるな。
そう考えるマルセイの表情は、どこか楽しげに見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カインたちと別れて約二週間、ルクスは王都付近にあるモルグ村へと到着していた。
馬を単独で走らせると目立つ為、馬をこの村で行商をしている男に安く売り払う。代わりに村と王都を行き来している行商人の馬車へと同行させてもらう事にした。
ルクスの顔は広く知られてはいないが、人目に付かないようにとフードを深く被り顔を隠した。
それから二日をかけて王都までゆっくりと進み、程なくしてルクスは王都へと到着したのであった。
行商人が門兵と顔見知りだった為、村から手伝いに来たと言う理由で王都へは疑われる事なくすんなりと入り込めた。
王都へ到着すると、ルクスはその日の内に国を脱出する為のルートと移動手段を確保し、身を潜ませて夜が更けるのを待った。
そして夜。
見慣れた路地を足早に通り過ぎ、王城の巨大な門から南西に暫し下った場所にある我が家へと向かう。
陽は落ちたとはいえ、この辺りは巡回の兵士も多い。それに顔見知りの人間も多く住まう場所だけに、気取られないようにと気配を殺し慎重に進む。そうして辿り着いた場所。
煉瓦造りの建物が建ち並ぶその場所で、景色に同調するかのよう他の建物と同じような造りをした一軒屋敷。広過ぎず、狭過ぎず、特に目立った箇所が何一つないその屋敷がルクスが両親から受け継いだ我が家である。
ルクスは周囲を見渡して誰も居ない事を確認すると、正門を開けずに跳躍して門を越える。
そして、そのまま玄関口ではなく、裏の勝手口へと回り込む。
素早く懐から鍵を取り出し、勝手口の扉を開けると、滑り込むように家の中へと入り込んで行った。
家の中は静かだった。
それはそうだろう。既に時刻は人々が寝入る時間帯である。それでも、ルクスの妻アリシアは、この時間帯はまだ起きている筈であった。
規則正しい生活を繰り返す彼女は、家事を終えて息子のマルコを寝かしつけたあと、眠気がやって来るまでの間、静かに読書を嗜むのだ。
暫く顔を合わせていなかったが、その習慣は今でも変わらないだろう。
そう考えるルクスは、足音を立てずに階段を登り寝室の扉に手をかけた。
微かに木造りの扉が軋む音を響かせる。
それと同時に、風を切る音が鳴った。
ルクスは慌てて身を屈めると扉のすぐ横の壁にナイフが突き立てられていた。
「ま、待てアリシア! 俺だ!」
ルクスが慌てて声を上げると、蝋燭の揺らめく部屋の中で手には短剣を握り締めて警戒するアリシアの姿があった。
美しい女性だった。
赤みのかかった長い髪。子を成したとは思えないほどに細く引き締まった体。
寝巻きではあるが、刃のように鋭い瞳を向けて構える立ち姿は、一分の隙も見当たらない。
元々、ルクスと同じく諜報員として仕事をしていたアリシアは、特別戦闘技術の高い部隊に所属していた。
才能もあり、成果もあげていた彼女は国の暗部にまで推薦されていた。しかし、何故か彼女はその話を辞退し、なし崩し的にルクスの妻となると直ぐに仕事を引退してしまったのだ。
それでも、冴え渡るその才能は、未だ陰りを見せない。
構え一つとっても、現役で働くルクスよりも洗練された技量の高さを感じさせた。
「鼠が入り込んだと思ったら……あなたですか」
そう口にしたものの、アリシアは警戒を解かなかった。
「そうだ俺だ。わかったなら、武器を下ろせ」
「……おかしいですね。ルクスは今、大事な任務に就いている筈ですが? それに、部屋の扉を開けるまで私に気配を悟らせないなど、ルクスには出来ません。つまり、あなたはルクスの皮を被った偽物です」
「そう思ってんなら、問答無用で仕掛けて来んのがお前だろうが。いいから武器を下ろせ」
相変わらずのアリシアに、ルクスはやれやれと肩を竦めてみせる。
訝しんだように見るアリシアであったが、その振る舞いがルクスであると内心では確信していたのか、暫くすると武器を下ろす。
「どういうことですか?」
「どうもこうもねえ。お前とマルコを王都から連れ出しに来たんだ」
「……言っている意味がわかりませんが」
直ぐに納得しないアリシアに対して、ルクスは頭を掻いた。そして、これまでの経緯を事細かに説明し始めた。
「……つまり、この国を裏切ると?」
「……そうだ」
言い切るルクスに対してアリシアは溜め息を吐いた。
「馬鹿だとは思ってましたが、まさかここまでとは。落ち着いて考えてください。国を裏切ってどうするというのですか? 追手に怯える日々など、あの子には送らせたくありませんよ」
「わかっている。だが、俺にはそれしか選択肢がなかった。申し訳ないとは思うが、間諜であることを見抜かれちまった以上、お前たちにも危害が及ぶ可能性が高い」
「それはあなたが国を裏切るからそうなるのでしょう。バレたのであれば、バレたなりのやり方は幾らでもあった筈ですよ」
「お前は何もわかってねえ。あいつらに小細工は通用しねえ。それにマルセイ・ランタラルについてもだ。あの男は、甘くねえ」
公にはされていないが、任務に失敗した諜報員は抹殺される。
着いた任務の重要性にもより、決してそう定められたわけではないのだが、マルセイ・ランタラルという男は今までそうして来た。
その矛先が家族にまで向くことは稀だが、今回の任務に関してはその可能性まであるとルクスは危惧したのである。
可能性がある以上、事はルクスが責任を取るだけでは収まらないことも考えられる。故に、ルクスは国を出ることを選択したのだが、当人にしかわからないその感覚は、アリシアには当然伝わらなかった。
「ルクス、お願いですから馬鹿な考えはやめて、国の為に行動してください。現にあなたは今、仲間からの信用を勝ち得ているのでしょう? であれば、今一度その方たちを騙せば、あなたの行動は問題なく評価されます」
「無理だ! あいつらは騙せねえ。目線や雰囲気だけで俺を間諜だと見破った連中だぞ!」
「そうだとしても、国を相手にするよりはましでしょう? 実際、国を裏切ったとして、二十名そこそこの集団が私たちを守ってくれるのですか? そんな事は考えるまでもなくわかることです」
アリシアの言葉に、ルクスは苦い表情を浮かべる。
現状を知らないアリシアからすれば、その発言は正しい。
だが、ルクスは知っているのである。
全てを見透かし深い知識をも持つマリアン。Sクラスの冒険者すらものともしない最強の戦士、ファライヤ。騎士団を壊滅にまで追い込むことの出来る魔族エリシュナ。そして、その者たちを導く柱となる男、カイン。
例え国を相手にしたとしても、彼らならなんとか出来る。そう思わせるものがあった。
現に数ヶ月の訓練を受けただけでも、ルクスはSクラスの冒険者に引けを取らないだけの実力を備えるに至った。
今後も彼らの元へは人が集まるだろう。
そして、それらは全て精鋭として磨きあげられる。
今はまだ早いかもしれない。
しかし、この先を見据えれば、彼らはきっと国に匹敵するほどの力をつける。それだけは確信が持てた。
だから、今この理不尽な国に居座るよりも、リスクを負ってでも逃げ出した方がアリシアたちの為にもなる。そう考えていたのだが……。
「ランタラル宰相は、今回の任務に成功した暁には、あなたに爵位を与えると仰ってくださいました。ルクス、あなたがしようとしている事は、国を裏切るだけではなく、ご両親の……この家の悲願をも裏切る事になるのですよ」
言い放たれて、ルクスは再び苦い表情を浮かべたあと沈黙した。
気は強いが従順だと思っていたアリシアに、予想以上に強い反発を受けたルクスは、どうしたものかと考える。
―――こんな時は、あの男ならなんつって納得させんだろうな。
頑なだった神子も、強情だった魔族をも口説き落とした男。その男の姿がルクスの脳裏に浮かんだ。
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