130 引き寄せる香り
「ね? 良い匂いでしょう?」
「……確かに、干したての布団に柔らかい柑橘系を混ぜたような香りね」
「ふむ、なるほど。気の静まる優しい香りがします」
山の中腹から少し下ったところで野営をしていたマリアンたちは、焚火を囲んでアレノンの雫から漏れ出す香りを楽しんでいた。
夜も更けて、深夜を少し回った時間帯。山の中ということもあってか、周囲を凍えるぐらいの寒さが包み込んでいる。
交代で火の番を行なっている為、現在はウルスナとミズシゲが番をしており、アーマードたち男性陣は設営したテントの中で休息をとっていた。
そして、知識と見た目は超人の域に達しているマリアンではあるが、体力は普通の少女と変わらない。その為、火の番が回ってくることもない筈なのだが、何故かウルスナとミズシゲと一緒になって夜遅くに焚火を囲んでいたのであった。
というのも、刺すような寒さの中、女性用のテントの中に一人でいると凍えるように寒い。テント内を温める魔道具は用意してあるのだが、神秘の力を無力化するマリアンの側に置くと、魔道具自体があまり効力を発揮しないのである。
その為、ここ数日はミズシゲかウルスナに抱きついて眠るのがマリアンの習慣となっていた。その二人が丁度火の番となってしまい、マリアンは寒さに震えて眠るぐらいなら、共に火の番をしていようと思い立ったのであった。
それでも、あまり騒がしくは出来ない為、マリアンは陽のある内にミズシゲと収穫したアレノンの雫を取り出し、その香りを楽しんでいたのである。
「マリアンちゃん、これをどうやって使うの?」
「すり潰したものをそのまま使うことも出来るけど、芳香油を作った方が色々出来るかも。今使ってるリンスと混ぜて使うと香りが引き立つとおもうよ」
「へー、そうなのね」
ウルスナは感心したように言うと、腰袋から鍋とすり鉢などを取り出した。
「どうせ暇だし、今やってみようと思って。実のままじゃかさばるでしょ?」
「えー、じゃあミズシゲ、持ってるやつ全部出して」
マリアンに言われてミズシゲは、アレノンの雫を全て取り出した。
山のように積まれた丸みを帯びた実を見て、ウルスナは呆れ顔をした。
「ちょっと予想外なんだけど。どんだけ採って来たわけ? さすがにこの量を処理するのは無理でしょ」
「出来る分だけで良いよ。実を潰すのに力を使うだけだから、今のウルスナだったら意外と出来ちゃいそうだけど」
「まあ、マリアンちゃんがそう言うなら別に良いけど……とりあえず潰して蒸留すれば良いの?」
そう言うと、ウルスナはすり鉢で実を潰し始めた。ステータスが上昇して力が強くなった為か、それとも『調合』や『精製』のスキルレベルが上がった為か。ウルスナはあっという間に三つの実をペースト状にすり潰してしまった。
それを鍋へ移して水を加えて煮立たせる。
鍋には透明な管のついた蓋をして、管の先には口の窄まった瓶を取り付けた。
液体が蒸発して、管を通っている間に外の寒さで冷やされる。そして、少しずつではあるが水に戻った液体が瓶の中へと溜まっていった。
暫くして、ウルスナは瓶の中に僅かに溜まった液体をマリアンへと差し出す。
「上に浮いてる分が芳香油で、下のが芳香水ね。雑なやり方だから、下に戻ったらヴィレイナに浄化をしてもらわないとね」
マリアンが受け取った瓶に鼻を近付けると、アレノンの雫の香りが漂う。周囲も既にアレノンの雫の香りが充満している為、それ程強く匂いは分からなかったが、それでも確かな香りが鼻腔をくすぐった。
「うん、いい感じね。じゃあ、これを私たちで別々に分けるね」
ウルスナが取り出した別の瓶に、芳香油と芳香水に分ける作業をマリアンとミズシゲは行なっていった。
「ま、マリアンたん! 何をされているのですか!」
マリアンたちが芳香油を作り始めて暫くすると、テントの中で休んでいたリンドーが起き出し、慌てたように声を上げた。
「えー、芳香油を抽出してるんだけど?」
「そ、それはアレノンの雫ですよね!? ダメですぞ、こんな場所で実を割るなんて!」
慌てるリンドーの様子に、マリアンのみならずウルスナとミズシゲも首を傾げた。
そんな三名の様子を見て、リンドーはガクッと項垂れる。
「皆様、知らないのですか? アレノンの雫は高山に実を付けます。その香りに引き寄せられて、アレノンの雫が生る場所には、必ずと言って良いほど飛竜が巣を張るのです」
「えー、そうなんだ。って事は飛竜はこの実が好物ってこと?」
「実を食べるとは聞きませんが、飛竜はその香りが大好きなのです」
「……つまり、こんなに匂いを充満させたら、飛竜が襲ってくるとでも言いたいわけ?」
「その通りです!」
リンドーにそう言われて、マリアンとウルスナは周囲を警戒した。声を顰め、耳を澄ましてみるが、特に生き物が騒めく音は聞こえて来ない。
「……なるほど、それで先程から飛竜が騒ぎ出していたのですね」
ミズシゲがしれっとそんなことを言った。
「うっそ、全然聞こえないんだけど! ていうかあんたね、気が付いてたんならなんで言わないのよ!」
「いえ、大分距離もありますし、この辺りまでは滅多に下りて来ないと聞いていましたので、仲間内で争ってでもいるのかと……」
「実から発する香りだけでも引き寄せるのです。これだけの量を煮たりなんてしたら……直ぐに下山の準備をしましょう!」
そう言ってリンドーは慌しく駆けると、アーマードたちを起こして撤収の準備を開始した。
マリアンたちも片付けを始め、すり潰した実は全て地中に埋めて処理をする。
「充満した匂いはどうする? 風の魔術で吹き飛ばす?」
「それで良いんじゃない?」
マリアンが適当に答えると、ウルスナは術式を編んで『風乱』の魔術を使用した。
周囲に焚火の跡を蹴散らすように強烈な風が巻き起こり、旋風となって立ち込めた匂いを霧散させる。
その事に驚き、リンドーが再び大きな声を上げる。
「なな、何をしているのですか!」
「何って、匂いを消そうと思って?」
「アレノンの雫はそんな簡単に匂いは消えません。寧ろ風で巻き上げてしまっては、匂いの元が直ぐにわかってしまいます!」
リンドーがそう言うと悪びれる様子もなく、ウルスナとマリアンは顔を見合わせて舌を出した。
そんな二人を見て、リンドーは溜め息を吐く。
そして、カインの苦労を身に染みて感じたのだった。
「ふむ、近付いて来ますね」
程なくして、ミズシゲがそう呟いた。
撤収の作業はまだ完了していない。
「数はどの程度だ?」
アーマードが上空を見上げながら聞くと、ミズシゲは顎に手を当てて唸る。
「三、四……十四頭ですね。横に広がっていますので、取り囲む気でしょうか?」
「獲物を狙うような動きだな?」
「卵を奪った時に残った、我々の匂いも記憶していたのかもしれませんね」
「……逃げるよりも倒した方が良さそうだな」
「そうですね。どの道ここへは訓練を兼ねてやって来たので、丁度良かったですね。マリアンの護衛は私がやります! 皆さんは飛竜を倒す事だけに集中してください!」
ミズシゲの言葉に一同は頷くと、撤収作業を中断して飛竜の襲撃に備えた。
遠方から小さな羽ばたきが聞こえてくる。バサバサと音を鳴らすそれは、次第に数を増やしていった。
そして、飛竜たちはマリアンたちの周囲に到着すると、隊列を組むように上空を旋回し始めた。
「飛竜が集団で襲って来た場合、何段かに分かれて攻撃を仕掛けて来ます! 一回目の突撃を全員で対応しないように! バッカー、ゲンゴウは一段目を! アーマード、リンドー、ウルスナは二段目を交互に受け持ってください。三段目以降は、再び入れ替えて受け持つ。処理に時間をかけないように! 手の回らない箇所は私が対応します!」
ミズシゲの号令に一同が声を上げて答えると、それを待っていたかのように飛竜たちが動き出した。
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