118 とある安寧の日々
流水の如く滑らかなひと太刀が放たれた。
音も無く、抜刀の瞬間さえも目で追えないほどの鮮やかな一刀。
芸術的なまでに高められた一振りではあったが、その一刀は相手に当たる寸前であえなく空を切った。
そして、薙いだ刀を素早く引き戻して早々に鞘へと収めると、ミズシゲは顎に手を当てふむ、と唸り声をあげた。
凛とした佇まい。刀に手を添え背筋を真っ直ぐ伸ばす姿は、小柄な体躯とは反して威圧感がある。
後ろで一つに纏められた薄い灰色の髪が風に揺れて、端正な顔立ちを顰めてみせる様子は愛らしい少女のようでもあるが、袴の上に纏った東国独特の軽鎧の所為でどちらかといえば、凛々しいと言った言葉がよく似合う。
そんなミズシゲが放った一刀を、柔らかい動作で躱してみせたのは、カインであった。
黒い髪が汗を吸って乱れ、荒くなった呼吸を整えながらも真剣な表情をミズシゲへと向けている。
腰の刀に手を添えて構える姿は隙が無い。数ヶ月前までのカインを知る者であれば、その成長ぶりには目を見張るものがあるだろう。
それでも、対峙した二人の力量差は歴然だった。
汗だくになり刀を構えるカインに対して、ミズシゲは普段と変わらず瞳を閉じたまま涼しい顔をしているのだ。
隙を見せない立ち居振る舞いに加えて、何処か余裕のようなものも伺えた。
「今の動きは合格点です。【曲水流転】、ものにしましたね」
ミズシゲに言われてカインは肩の力を抜いた。
「そこそこ強くなってきてわかったが、お前の底がまるで見えん……」
「底を見せないのは、殿方を飽きさせない為に必要な魅力の一つだと、そう教育を受けています」
「腕前の話をしてんだよ!」
「腕前も同じことでしょう。相手に力量を測られないようにする事は、寧ろ剣士としての嗜みとも言えます。ですが、私は別に、今のカインにでしたら余すところなくお見せしても構わないと思っているのですよ」
「なら見せてみろ……と言いたいところだが、やめておこう。どうせ、条件として婿になれとでも言い出すんだろう?」
「そのような事は言いませんよ。カインには、【曲水流転】を伝授しています。基礎とはいえ、こちらも門外不出の技ですので、あなたが婿になってくれないとなると事は既に大問題です」
「知らぬ間に問題を引き起こしてんじゃねえ!」
カインの言葉にミズシゲはくすりと笑みをこぼした。
「真面目な話、婿云々は置いておくとしても、エリシュナを引き入れる事に成功した時点で、カインにはその資格があると私は考えています」
「家の連中が煩いんじゃ無いのか?」
「とても煩いでしょうね。ですが、我が家の当主は私です。その私が声を上げて特例を認められるだけの理由を、カインは成し遂げています」
「技を教えてくれるのはありがたいが、その当主様がこんなところでフラフラしていて大丈夫なのか?」
「ご心配には及びません。我がお家の家臣は皆優秀なのです。家に居ても私は飾りの様に座っているだけで、何もする事は無いのです。ならば、婿の一人でも連れて帰った方が皆喜ぶというもの」
「実際は、お前が居なくなって大騒ぎしてそうだがな」
カインがそう言うと、ミズシゲはスッと顔を逸らした。
実際はカインが懸念している通り、ミズシゲの家出によって彼女のお家は大騒ぎとなった。
彼女は生まれた頃より刀と共にあり、恵まれた剣才を認められ、齢十五で家督を継ぐに至った。そして、家督を継いで六年もの月日をお家と剣に捧げた彼女であったが、どういうわけか突然、婿探しの旅に出ると残してお家を離れることとなったのだ。
ゲンゴウがミズシゲについて回り、都度ミズシゲの行動を本家に報告していなければ、彼女を連れ戻す為にひと騒動あったかもしれない。
何も言わないが、ミズシゲはその事をしっかりと把握している。
だが、座して淡々とその生涯を閉じるより、胸の高鳴る様な事柄に触れたいと考えていた彼女は、己の感情を優先し多くの人々に迷惑をかけている事を知らんぷりしていたのだった。
つまるところ、彼女は人並みの恋をしてみたかったのだ。
そんなミズシゲが見つけた婿候補。
様々な事情が絡み合いながらも、彼女のお眼鏡に適った人物は真っ直ぐな瞳をした黒髪の冒険者だった。英雄を目指し、無謀な夢物語を当然の如く語ったその男。だが、男が欲したその夢は着実に形になりつつあった。
英雄としての称号を得るに至り、大英雄と同じくして魔族をも仲間とする偉業を成し遂げた。
そして、目の前に立つその男は、日々腕を上げて高みへと登っている。
恋心とは違うのかもしれない。
だが、その男を見ているのは楽しい。
そう思う心が、ミズシゲの胸を高鳴らせた。
ファライヤが構いたくなる理由もよくわかる。
気が付けば、己の剣技を伝授したいと思っていたのだから。
だから、やはりその感情は恋とは別物なのだろう。
結局のところ、ミズシゲはカインを自分では釣り合わない程の男にしたい。そう思う感情の方が強かったのだ。
ミズシゲは薄っすらと瞳を開け、カインを見つめてふむと唸る。
中々どうして、先行きの見えないこの男はどうにも興味深い。
顎に手を当て、ミズシゲは密やかにそう思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……何故、私がこんなことを」
デバイスレインの本部となる建物の台所で、エリシュナはそう呟きを漏らした。
ぶかぶかのパーカーの袖を捲り上げ、包丁を手にして人参の皮を雑に剥く魔族の姿は、容易く見かけることのできる光景ではない。
実際、興味を引かれたデバイスレインのメンバーは、入り口から恐る恐る台所を覗き込んでいた。
奇異の目で見られる事に慣れているエリシュナであったが、流石にそのような注目の浴びかたをすると落ち着かない。
その所為か、紫がかった長い髪がウネウネと動きまわり、時折、尻と腰の間から生えた尾がバンッと床に打ち付けられる。その度に覗き込んでいる面々はビクリと体を震わせている。
それでも、その場を立ち去ろうとしないのだから中々に肝は座っているのだろう。
「エリシュナ、皮はもう少し薄く剥いてください」
エリシュナの隣で器用に野菜を刻み続けている、栗色の髪をした翡翠のような色の瞳を持つ少女はそう言った。
短い丈のズボンを履いて、緩い大きさの上着を羽織り、その上からエプロンをかけている姿は、食堂の看板娘とも見えなくはないが、彼女―――ヴィレイナはミリアム教の正式な聖女である。
そんな彼女が何故、料理などをしているのかというと、エリシュナにスキルを覚えさせるという目的があった。
膨大な魔力を有し、その扱いに長けたエリシュナは既に人智を超えた強さをもっている。
しかし、その力には未だ伸び代が残されていたのである。
人間と魔族との間には、今後も様々な問題が生じるだろう。それらにどのような対応を見せるのかは別として、己の力を底上げしておくに越したことはない。
そうカインに説得され、渋々ながらも作業に従事しているのだが……。
ポロンッとエリシュナの手から人参が滑り落ちた。
その人参を追って、エリシュナの尾が高速で動き出す。
そして。
エリシュナの尾は追い付いた人参に向けて叩きつけられた。
無残にも粉々になる人参。
「チッ、たかが人参の分際で」
「エリシュナ! 食べ物を粗末にしてはいけません!」
と、ヴィレイナに怒られてエリシュナが肩を竦める。
このように、割と気の短いエリシュナを注意出来る者は、マリアンズではカインを除き、ヴィレイナしかいなかったのである。
ファライヤやマリアンも色々と口出しをするのだが、あの二人は直ぐに悪ノリをする為、信用ならない。
その為、周囲に馴染むまでは、エリシュナの傍には必ずカインかヴィレイナがいる構図が出来上がっていた。
ヴィレイナは無残にも砕かれた人参をザルに拾い集め、水に浸けて洗い直す。
「どうするつもりだ?」
「もっと細かくして、お肉のすり身に混ぜます」
「ふーん。色々と出来るのだな」
「故郷にいた頃は料理とかしなかったのですか?」
「全くと言っていい程にな。種族にもよるのだろうが、私たちメドゥーサの一族は細かいことが得意ではない。どちらかといえば、食材を狩る方が専門だ」
「なら、丁度良かったですね。お料理ができた方が男性は喜びますよ」
そう言われてエリシュナは、新たに手で持った人参を深々と包丁で抉った。
「ほら、ちゃんと集中してください。慣れるまでは、気を張らないと怪我をしますよ」
「安心しろ、この刃物で私の体は傷付かない。それよりもだ。人間の男は料理が出来る女が好きなのか?」
「ええっと、まあ一般的にはそうだというだけですけど。出来ないよりは出来た方が良いと思いますよ」
「ふん、そうか」
エリシュナはそう言うと、先ほどよりも集中して皮むきに励んだ。
その表情は先ほどまでの嫌々やっている様子とは違い、どこか楽しそうな気持ちが見え隠れしていた。
そんなエリシュナの姿を見て、ヴィレイナはニコリと微笑みを浮かべるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宿の一室にて、テーブルを挟んで向かい合うように腰掛けた二人の女性。
一人は黒く長い髪を後ろで一つに編み、袖の無い和装に身を包んだスラリとした妖艶な女性。
そしてもう一人は、銀色の髪を輝かせ、サイファイアの様な碧い瞳を持つ絶世の美少女。
言わずもがな、マリアンズの問題児、マリアンとファライヤの二人であったが、その表情は真剣そのものであった。
マリアンには普段のおちゃらけた雰囲気はなく、その碧い瞳で一点を見つめている。
ファライヤも、人を小馬鹿にした様なニマニマした表情は見せず、顎に手を当てて考えを巡らせていた。
二人が見つめるテーブルの上には、将棋盤が置かれていた。
東国で嗜まれる将棋と言う遊びであるが、これが中々に奥が深い。
ミズシゲの話を元にして、最近やたらと彫刻の腕前を上げたアーマードに盤面と駒を彫らせて作ったのだが、遊んでみると二人はどハマりしたのだ。
物事全体を見つめて考えるマリアンに対して、前に出てから考えるファライヤ。
一見するとマリアンの方が得意そうにも思えるが、ファライヤの容赦なく手駒を犠牲にして王を取りに来る、実戦さながらの動きには苦戦を強いられていた。
「ルクスがせっつかれてそろそろ限界だって言ってたね」
そう言ってマリアンが駒を一つ動かした。
「呪いの一件が解決して、ふた月になるものね。基礎の鍛錬はそろそろ終わりだし、いい加減テンペストへ向かっても良さそうね」
ファライヤが答えて駒を動かす。
「セト王国と争う事になったら、流石に厳しくない?」
「厳しいでしょうね。けれど、カインはルクスの件をそのままにはしておかないでしょうし、テンペストへ向かわなければ資金繰りも怪しくなって来るわ」
「ファライヤがルクスのお嫁さんと息子を拐ってくれば解決じゃない?」
「また、突拍子もないことを言って。そんなことをしたら、相手がこちらに攻めて来る理由を与えてしまうでしょう?」
「結局争うなら、それでもいいんじゃないかな?」
「国同士の戦争にならなければ良いわね」
「うーん。相手が何もしてない状況だと、何をするかわかっていても動き辛いね」
「動き出されてからでは、手遅れという状況も含めてね」
ファライヤがそう言った直後に、マリアンが駒を動かし王手をかけた。
ファライヤは眉間に皺を寄せて唸る。
「まあ、カインも色々考えてるだろうから、私はお手並み拝見スタイルで眺めてようかな」
呑気に告げるマリアンであったが、ファライヤは打たれた一手に感嘆の声を上げた。
「降参ね。やはり強いわ。あなたが駒を動かしたのなら、全ては上手く行きそうな気がするけれど……」
「けれど?」
「……たぶん、それでは面白くないわ」
そう言ってファライヤはいつものニマニマを浮かべた。
「うん。わたしもそんな気がする」
笑い合う二人の顔は、悪戯をする子供の様にあくどい表情が浮かんでいた。
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