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108 揺るがぬ悪意

 禍々しい鎧を装備して歩を進めるファライヤ。


 その姿を目にして、エドの背筋に冷たい汗が流れた。


 勝てると確信していた。これ以上の力などあるわけがないと思っていた。


 だから自分は、この悪魔の様な女を打ち負かす為にやって来たのだ。植え付けられた恐怖心を払い退け、復讐を遂げる為にやって来たのだ。


 震える為じゃない。


 危険な目に遭う為でもない。


 目の前の女にこれ程の力があると知っていれば、この場にやって来るなんて事はしなかった。


 魔法なんてものに踊らされなければ、こんな状況には陥らなかったのだ。


 そう、魔法の技術さえ得なければ……。


 ふと、タイミングよく送られて来たボスの手紙を思い出した。


 秘密主義者であるあの男……。


 あの男が、己の技をわざわざ人に教えるだろうか?


 そんな疑問が過る。


 いや、そもそもがおかしい。


 情け無くも敗北したとはいえ、エドは報告していたのだ。『神滅』のギフトを持つ少女のことを。己を容易く打ち負かしたファライヤという女のことを。


 『バン・ドルイド』は悪意と暴力が支配する犯罪組織だ。相手に舐められるということは、組織の存続にも関わってくる。故に、幹部である己が敗北したと知れれば、動き出さないわけがないのだ。


 なのに、送られて来た一通の手紙。


 乗せられた? 利用された?


 ボスはこいつらを確実に仕留める為に、相手の力量を測る物差しとして自分を使ったのではないか?


 そんな疑問がエドの中で渦巻いた。


 疑問に思ってしまえば、確信するのは容易い。


 あの男はそういう男なのだから。


 エドは苦虫を噛み潰した様に顔を歪めた。


 文句を言おうにも、あの男はこの場にはいない。


 それに、小細工を弄したところで、この女の底を測ることは不可能だ。あの男はそれを理解していない。


 有り得ないほどに多いスキルの数々。『神槍』を躱せるだけの技術。極限まで高めた筈のステータスを易々と超えてみせる秘術。殺しても死なない不死のギフト。そして、その力を何倍にも引き上げる、禍々しいほどの魔力を放つ鎧。


 この世界に、目の前の女ほど強いやつが存在しているのだろうか?


 もっと早く出会っていれば、自分の力を過信することもなかった。傲慢になることもなかった。


 エドは己の浅はかさに酷く後悔した。


 ……だめだ。勝てない。


 勝つ為の手段が思い浮かばない。


 このまま戦えば、自分は確実に殺される。


 傲る事は許されない。油断も、隙も見せてはいけない。


 ならば―――。


 エドは震える足を押さえつけ。即決した。


 ―――逃げる!


 負傷する前に逃げる。それが今できる最高の選択であった。


 エドは即座に魔力を動かし術式を編む。


 筆跡など必要ない。


 エドは思い浮かべた術式を即座に起動できる、『無詠唱』のスキルを持っているのだ。


 詠唱の時間を省略し、即座に完成する魔術。


 『転移』


 この場にいてはいけないと考えたエドは、全力で逃げる事を選択した。


 『転移』を発動すると、直後にエドの体が空間に引き込まれて、間を置かずに吐き出された。


 見渡す景色は黄土色の大地が広がる岩場であった。


 ここはダンジョンの真上に位置する岩場である。


 危なかった。


 『転移』を行う前に攻撃を受けていたら、冷静に術式を編む事など出来なかったかも知れない。


 だが、それも杞憂に終わった。瞬間的にここまでやってくれば、『転移』を持たないあの女では追ってくることは出来ない。


 覚えていろ! 次こそは勝つ!


 悔しそうに奥歯を噛み締めながらも、エドはホッと胸を撫で下ろした。


 ―――その時。


 エドの立つ大地が地響きと共に割れた。


 慌ててその場を飛び退くと、噴火のように弾けた大地が上空に巻き上がったのだ。


 そして、土煙と共に現れた赤黒く脈打つ影。


 頑丈な尾を大地に打ち立てる悪魔の姿。


 ば、馬鹿な! あそこはダンジョンの三階層だぞ!


 どれだけの力を込めれば、三層にも渡る壁を破ることが出来るのだ!


 エドが焦燥した表情で、後退った。


「今日は逃がさないわ」


 赤黒い鎧から、口元だけをのぞかせたファライヤが、ニマニマと笑みを浮かべて言った。


 その姿を見て、エドの背筋にゾワリと悪寒が走る。


 まずい! すぐに逃げ―――。


 そう結論を引き出す前に、眼前に迫ったファライヤの拳がエドの腹部に突き刺さった。


「がぁっ!」


 エドの纏う魔力の壁を易々と突破するその一撃。


 呼吸が止まり、エドの思考が一瞬止まる。


 続けざまに放たれた蹴りがエドの腕をへし折り、その体を吹き飛ばして大地を抉るように滑らせた。


「ぐっ、はや―――」


 起き上がろうとして、顔面を打ち抜かれ、地面に沈む。


 顔を上げようとして再び殴りつけられる。


 その一撃一撃がおそろしく重い。


 少しでも肉体を覆う魔力が薄くなれば、その瞬間に自分は死に至るだろう。


 その恐怖心で必死に飛びそうになる意識を繋ぎ止め、魔力を守りに当て続ける。


 ファライヤほどの瞬間的な回復には至らないが、エドが纏う『魔闘気』は肉体の治癒も行う。


 折られた腕は既に治っており、それだけでも驚異的な回復力だと言えるだろう。


 しかし、その回復が追いつかないほどに責め立てられ、エドの体は徐々に傷を増やしていった。


 エドは全力で己の魔力を解放する。


 解放された魔力がファライヤの一手を、一瞬だけ受け止める。


 その一瞬の隙をついて、エドは再び『転移』を行った。


 必死に行った転移は目標を定めていない。


 故に自身でもその身が何処へ飛ばされたのかもわからない。


 気が付けば、エドは青空の下。遥か上空にその身を投げ出していた。


 先程の位置から、おそらくは真上に飛んだのだろう。


 痛む顔を下に向けると、今まで自分の居た岩場が豆粒のように見えるほどの高さだった。


 このまま、再度『転移』を行い、逃げ切る。


 そう思っていたエドの視界に黒い点が映った。


 映ったと思った時、点だったそれは既にエドの眼前まで迫っていた。


 目の前でニヤリと口元を緩ませるファライヤ。


 この距離で、どうやって自分の位置を把握した! どれだけの脚力があれば、これほどの距離を一息に詰めることが出来るのだ!


 そう考えた時には、ファライヤの拳が胸元を殴りつけていた。


「ぐあっ!」


 そのまま吹き飛ばされると思ったが、ファライヤの鎧から生える尾がエドの首筋に巻き付く。


 キツく締め上げられて、エドが苦痛の声を漏らした。


 逃げようにも密着されていては『転移』を使う事が出来ない。使用する事自体は可能だが、相手も同時に転移させてしまうからだ。


 ファライヤの突進した勢いが止まり、徐々に落下し始める二人。


 エドは諦めなかった。


 確かに『転移』は使えない。だが、この密着状態で『神槍』の一撃が躱せるか?


 そう考え、エドはファライヤへと手を向けた。


 胸を穿ったとしても、ファライヤは死なないだろう。その身に宿す『輪廻』のギフトが彼女の肉体を巻き戻すのだから。


 しかし、受けた瞬間だけは無防備になるはずだ。


 その瞬間に体を離し、『転移』を行う。幾度となく『転移』を繰り返せば、自分を追い掛け続ける事は出来ないだろう。


 そう判断したエドがファライヤへ向けて『神槍』を放とうとした。


 ―――だが。


 何度目になるか。エドは驚きに身を固めた。


 『神槍』が出せない!


 エドのその様子を察してか、ファライヤは口元を歪めた。


「神秘はすべからく魔力によって現象を引き起こすものよ。スキルも同様に効果を得る為には魔力を必要とする。ステータスの補正ぐらいであれば、微々たる魔力で効果を発揮出来るでしょうけど、あなたのそれは魔法の領域に至っている。使用するには、相応の魔力が必要となるのよ」


 そんな事は分かっていた。


 しかし、エドには無尽蔵とも言えるほどの魔力量があったのだ。『神槍』を放つなんてわけないほどに、魔力残量には余裕がある。


 とそこで、エドは自分ステータス欄にある魔力量が半分に減っていることに気が付いた。


 何故? いつ間にこれ程の量を消費した?


 体に纏う『魔闘気』は、放出しきらなければ魔力量の減少にはならない。半分になるほどの行動は今までとっていなかった筈だ。


 そこで、ファライヤの鎧に表示された効力がチラリと視界に映った。


 『看破』によって呼び出された備考。



 備考

 素材:ドラゴンの鱗、ダークマター、魔核、真祖の血液。

 魔国の上位種による素材をふんだんに使用された鎧。高い魔力を宿し、装備者の能力を限界以上に引き出す。しかし、その高い性能を引き出す為には相応の魔力量を必要とする。その為、魔力を補う為に周囲の魔力を吸収する為の尾が取り付けられている。



 吸収だと! この尾が原因か! こいつが『神槍』を放とうとした時、僕から溢れ出た魔力を吸収しているのか!


 つまり、現時点でも体を覆っている筈の魔力も吸い出されている。


 みるみる減っていく己の魔力に驚き、エドは『魔闘気』を纏うことをやめた。


「あら、そんなことをしたら簡単に死んでしまうわよ」


 ファライヤの鎧から生える尾が、エド首を締め上げた。


「うっ!」


 息が止まりそうな締め付けに、エドの顔が青褪める。


 そして、勢いを増して落下していく二人。


 このまま地面に到達すれば無事では済まない。


 高いステータス補正は生きているが、この高さから落ちた衝撃に耐えられるだろうか。


 だが、それ以上に、ファライヤが少しでも尾を強く締め付ければ、それだけで意識が飛ぶ恐れがある。


 直ぐ間近にいるこの状態で拳を振り上げられただけでも、死に至る可能性がある。


 今まさに、エドの生殺与奪の権利はファライヤによって握られているのだ。


 全てを封じられ、エドに打てる手段は何も残されていなかった。


 エドは締め付けられる喉を震わせて必死に声を上げた。


「ま、待て……待ってくだ、さい。たすけて……」


 そこには、恥も外聞も無く許しを請うエドの姿があった。


 顔を歪めて必死に絞り出す声。


 その助けを請う言葉に、ファライヤは口元を歪める。


「そうやって助けを請う人間を、あなたは今までに助けたことがあるのかしら?」


 問い掛け、ファライヤはエドの首を締め上げた力を僅かに緩める。


「げほっ! あ、ある! あるよ! 僕にだって慈悲はある。これまでに何人も見逃して来た!」


 エドの言葉に嘘はなかった。


 何人もというのは誇張があるかもしれないが、それでも目の前に立ちはだかった相手を全て殺して来たわけではない。


 気まぐれではあったが、許しを請われて見逃してやった事実は確かにあったのだ。


 必死に取り繕うエドの言葉に、ファライヤはクスリと笑みを漏らす。


「……そう。偉いのね」


 そう言ってファライヤの雰囲気が僅かに柔らかくなり、それを見たエドは期待に目を輝かせて言葉を続けた。


「そうだ! 人は間違えるものなんだ! 僕が間違っていたよ。反省する! もう二度とファライヤさんたちに手を出さないって誓う。何だってする! だからお願い――――」


「私は無いわ」


「え?」


 一瞬何を言われているのかわからず、エドがキョトンとした瞳を向けた。


「だから、あなたと違って、私は許しを請われた相手を見逃したことが無いと言っているのよ」


 エドの表情が凍り付いた。


「優しいあなたと違って、私に慈悲なんてものはないの。しっかりと止めを刺してあげるから、安心して死になさい」


 そう言ったファライヤの口元は、悪魔の様に歪んでいた。


「ひっ! おね、お願いします! やだ! 死ぬのは嫌だ!」


 叫ぶエドの首筋をグッと締め上げ、ファライヤはエドの頭をガッシリと掴むと落下の勢いを緩めず、地面へと向かっていった。


「やめ、やめろおおおおお!」


 エド叫びが響き渡る。


 そして、ファライヤは掴んだエドの頭を地面に向けると、更に勢いを増してそのまま地面へと突進した。


 大地を震わせるほどの轟音が鳴り響き、竜巻の様な旋風が周囲に巻き起こった。

読んで頂きありがとう御座います。


ファライヤには全力を出して貰おうと思っていたのですが、エドが思ったより頑張れなくてこうなってしまった……。

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