恋のキッカケは突然降ってくる
あなたの好きなタイプはどんな人ですか?
みんな好みは違うだろうし、私はそれをあまり深く考えたことはありませんでした。
でもなんとなく、年上で背の高い人がいいなぁ、とか考えていたわけです。
でも、感情とは不思議なもので私は、その理想に当てはまらない人に恋をしてしまいました。
これはそんな私と、彼との物語です。
春の陽気というものが終わって、昼間にはギラギラと太陽が照り付けてきて、紫外線が気になってくる季節。
そんな中、私は学校の運動場にいた。
私の名前は橋本美鈴。
中学2年生の13歳です。
部活には、何か入ろうと思っていたんだけど、特にやりたいこともないし急ぐこともないだろうと思って保留にしていたらそのまま1年が経ってしまいました。
たぶんこのままその部活にも入らないんじゃないかな?
そんな私がなんで運動場にいるのかというと、ある人が部活をしている姿を見に来るためだった。
「へぇ、ちゃんとやってるんだ。……球拾い」
私が後ろから急に声をかけると、私に背中を向けていた彼は飛び上がる。
「げぇ、姉ちゃんホントに見に来たのかよ」
彼の名前は蓮。
私の弟です。
「何よその反応。せっかく姉が弟の練習風景を見に来てあげたのに」
「暇か!? 恥ずかしいからやめろよな。俺球拾っているだけだぜ?」
「暇なの。それにアンタが野球部に入るなんて思っても見なかったから、どんなふうにしているのか興味があったし。アンタも見られていたほうが緊張感があっていいでしょ」
「球拾いに緊張感も何も――」
「あ! ボール来た来た!」
ちょうどいいタイミングでボールが転がってきたので、私は蓮の言葉をさえぎってボールのほうを指さす。
「――ッ。さっさと帰れよ」
連はご機嫌斜めの様子で球拾いに戻っていった。
「あれ? 美鈴じゃん。どうしたの?」
ここで後ろから女子生徒に声をかけられた。
「玲奈。私はちょっと弟の様子の見に来たの。そっちは?」
彼女は野村玲奈。
玲奈とは1年生の時からクラスが一緒で席も近い。
私の中学での最初の友達だ。
「まぁ、ちょっと暇を持て余したというか。有名なうちの野球部を見に来てみたんだ。なんか、スポーツに打ち込む男の子って格好いいでしょ?」
「まぁね」
実はこの学校の野球部は結構強豪らしい。
部員数が圧倒的に多い。
それに結構ギャラリーもいる。
これだけ部員数が多いと、人気のある部員がいるみたいで、それ目当てに女の子たちが見に来ているのだ。
「うちの弟もあんなふうにファンがつけばいいけど、無理だよねぇ」
「弟君ってそこにいる子だよね? もう少し背が伸びて、顔も子供っぽさがなくなってきたら結構格好いいんじゃない?」
「そうかなぁ?」
ここでカァーンと気持ちのいい金属音がする。
バッティング練習でいい当たりが出たようだ。
「美鈴はどの人が好みなの?」
「ええ~、そんなの考えたことないよ」
二人で談笑していると、なんだか部員たちが騒がしい。
おしゃべりをしている途中だから内容までは分からないけど。
玲奈はどうなの?
そう聞こうとしたとき、聞きなれた声が突然耳に飛び込んできた。
「姉ちゃん!!」
声のしたほうを見ると、蓮が青ざめた顔でこちらを見ている。
なんでそんな顔をしているんだろう、そう考えていたときだった。
前から強い衝撃を受けた。
「え……」
その勢いで私は後ろに飛ばされる。
何が起こったのかわからなくて、頭が真っ白になった。
我に返ったとき、私は地面に横たわっていた。
玲奈や蓮、他の野球部員たちが私と、もうひとりをのぞき込んでいる。
それでわかった。
私はそのもうひとりに突進されたのだ。
そんな私に対して真っ先に声をかけたのは蓮だった。
「姉ちゃん! なにしてんだよ!」
怒られた。
なんで?
怒るなら、わたしと一緒に倒れている、この部員じゃないの?
「観戦するなら絶対に打球は確認してくれ!」
蓮は後ろのほうを指さす。
そこには野球ボールが転がっていた。
それで理解した。
たぶん、私に向かってフライが降ってきたのを、ここにいる彼が私を突き飛ばして助けてくれたのだ。
「ありがとな、西畑。助かったよ」
蓮に西畑と呼ばれた部員、私を突き飛ばしてくれた彼は立ち上がって自分についた土をはらう。
「へーきへーき。ごめんなさい、けがはなかったですか?」
彼は蓮に笑いかけたあと、まだ座り込んでいた私に手を伸ばしてくれる。
本当は私が先に謝るべきなのに……
「うん、大丈夫」
私は彼の手を借りて立ち上がる。
そしてびっくりした。
彼は私より小さいのだ。
私が身長153センチだから、彼は150センチに足りないくらいだ。
そして、顔もまだあどけなさが残る少年の顔をしていた。
蓮に呼び捨てにされていたということは、蓮と同じ1年生か。
「ごめんなさい、私がよそ見していたから……」
私が頭を下げると、彼は慌てたように手を前に出して小さく降る。
「いやいや、俺もとっさの行動だったので、乱暴になっちゃいました。だからお互い様ですよ」
「甘いんだよ。西畑。もっとガツンと言ってやれ」
蓮がそう横から言う。
「でも俺、あんまり怒ったりするの得意じゃないから……その……次からは気を付けてくださいね」
彼は困ったように笑みを浮かべて私にそう言ってくる。
その表情は私はドキッとした。
なんだろうこの感じ。
とりあえず、この話はそこで終わり、部員たちは練習に戻っていった。
「ほんと良かったね、助けてくれて。そろそろ帰ろっか。……美鈴?」
私からの返事がないので玲奈が私の顔を覗き込んでくる。
不思議そうな表情をしている玲奈を尻目に、私はずっと西畑君の姿を自然と追っていた。
その次の日の放課後、すぐに教室を飛び出して階段を眺めていた。
別に階段を観察するのが趣味というわけではない。
昨日、西畑君に私からお礼を言っていなかったことを思い出して、彼を待っているのだ。
私たち2年生は校舎の3階、1年生は4階に教室がある。
階段は一つしかないから、絶対にこの階段を降りてくるはずなのだ。
彼は野球部だから早く降りてくるかなと思ってホームルームが終わってすぐに来たんだけど、なかなか降りてこない。
ほかの1年生たちは結構降りてきているが、西畑君の姿は見当たらない。
見逃したということははない。
昨日の出来事のせいで彼の顔ははっきりと頭に焼き付いている。
しばらく経って、階段を往来する人と少し目が合うのが恥ずかしくなってきた。
もしかして、西畑君のクラスのホームルームは私よりも早く終わっていて、とっくに降りているんじゃないだろうか。
一回、下に降りてみようかな。
そんなことを考えていたとき、突然声をかけられた。
「なにやってんだ、姉ちゃん」
それは目的の西畑君ではなく、蓮だった。
「なんだ、蓮か」
私はがっくり肩を落とす。
「なんで俺が話しかけたら、あからさまに残念そうにされなきゃいけないんだよ。それで、なにやってるって?」
私は会話を続けようとするが、蓮の後ろの階段のほうが気になって仕方がない。
今この瞬間に西畑君がおりてきたらどうするんだ。
すぐにあしらおうかとも思ったけど、もしかしたら蓮は西畑君の行方を知っているかもしれない。
でも、そんなことを聞いたら蓮は不審に思わないだろうか?
いやいや、別にやましいことがあるわけじゃないし。
連は昨日の出来事を知っているんだ。
ちゃんと説明すれば、普通に教えてくれるはず。
そうやって少し悩んだ結果、私は結局白状することにした。
「西畑君を探しているの。ほら、昨日私助けてもらったのに、お礼言えなかったから」
「お礼? まぁ、その辺の筋は通しておくべきだと思うけど、それくらいなら俺から伝えておくけど?」
「それじゃダメなの!」
思いのほか、語気が強くなってしまう。
「そ、そうなのか? アイツとはクラス一緒だけど、俺が出るときにはまだいたと思うぞ……」
蓮は私の勢いに少し引いていた。
失敗した。
つい焦ってしまった。
「そ、そう。ならもう少しここで待ってみる」
やりすぎたと思った私はまた平静を装う。
なんで今日こんなに感情をコントロールできないんだろう。
「姉ちゃんどうしたんだ? なんか変だぞ?」
いけない。
蓮がやっぱり不審に思い始めた。
どうにか取り繕わないと。
「そ、そんなことないってば」
「なんか怪しいよな。もしかして西畑に惚れたとか? 確かに漫画みたいなシチュエーションだったから分からなくもないが、でもまぁそんなことない……ん?」
惚れた?
私が?
自分より年下で、背も低い西畑君に?
まさか、と思ったけど、じゃあこの胸が締め付けられる感じは何だろう?
どんなに考えても心当たりはひとつしかない。
気が付くと蓮がじっとこっちを見ていた。
いけない、考えていたら聞いてなかった。
「ああ、ごめん何の話だっけ?」
「いや、もういいよ。…………こりゃ面白くなってきたな」
後半何かボソッとつぶやいたけど、うまく聞き取れなかった。
「そうだ、どうせなら西畑の連絡先教えておくよ。姉ちゃんもゆっくり話したいだろ? 西畑には俺から言っておくから」
「そこまでしなくていいって! そこまでしたら迷惑だよ」
「そうか? 西畑も姉ちゃんのこと心配してたし、西畑から連絡させようか?」
西畑君が私のことを?
どうしよう、考えただけで体温が上がった気がする。
「わかった! やっぱり私から連絡する」
思わず興奮して声が大きくなってしまった。
落ち着け私。
蓮にはばれたくない。
「うん、それがいいと思う」
蓮はニヤリとして頷いた。
「それにしても、ボールが落ちて、恋にも落ちたってか。キッカケっていうのは降ってくるもんなんだな」
また、蓮が何かをつぶやいた。
「え、なんて?」
「何でもないよ」
蓮はまた答えてくれなかったので私は首をかしげるのだった。
そのあと私は連絡先を教えてもらった。
なんだか今日の蓮はやけに協力的だったな。
気味が悪いというか。
でもいいことだし、持つべきものは弟ということかも。
それにしてもどうしよう。
話の流れとは言え西畑君の連絡先を手に入れてしまった。
早く帰って、なんて言うかシミュレートしないと。
「ど、どうしよう……」
その日の夜、私はスマホを握りしめて硬直していた。
画面には、登録したばかりの西畑君の番号が表示されている。
このまま通話ボタンを押せば、西畑君につながる。
でも私はそのボタンをかれこれ1時間くらい押せないでいた。
いきなり電話するのは失礼かと思って、最初はメールにしようかとも思ったけど、謝罪とお礼をするのにそっちの方が失礼だなと思って電話をすることにした。
それで、なんて話そうかと考えていたら、いつの間にかこんなに時間が経っていたのだ。
「『この前はありがとう』? いや、もっと丁寧に言った方がいいかな? でもそれだと向こうに気を遣わせるかもしれないし……でもこういうときはやっぱり……ああ、どうしよう!」
こうしている間にも時間は経っていく。
さっさと電話しないと夜遅くなってしまう。
「よし、とりあえず電話してみよう」
それで、そのときの雰囲気で会話を進めてみよう。
当たって砕けろ、だ。
ホントに砕けたら困るんだけど。
私は少し震える手で通話ボタンに指を伸ばす。
「姉ちゃん、西畑と連絡とれたのか?」
「う、ひゃあ!」
突然声をかけられて、変な声が出てしまった。
後ろを振り返ると、蓮が扉の間から顔をのぞかせていた。
「蓮! ちゃんとノックしてよ!」
「いや、扉の向こうから何回か呼んだけど返事がないからさ。でも声はするから何しているんだろうと思って。その様子だとまだ電話出来てないな?」
「今からするところだったの! 向こう行って!」
「はいはい。そんなに急いで連絡することないぞ。どうせ明日来るんだし」
そう言って蓮は扉を閉めた。
ふう、やっとこれで電話できる。
胸をなでおろしてまたスマホの画面に集中しようとする。
あれ?
さっき蓮のやつ変なこと言わなかった?
私は急いで立ち上がって部屋の扉を開ける。
蓮はちょうど自分の部屋に入ろうとしていた。
「蓮! さっきなんて?」
蓮はニヤニヤしながらもう一度言葉を繰り返す。
「だから、明日来るんだよ、西畑が。遊びに。その時にでもちょっと顔出して言えばいいじゃん」
そう言って蓮は自分の部屋に入っていった。
「どうしよう……」
私は明日のことを考えてしばらくそこに立ち尽くしていた。
次の日、私は自分の部屋で全く落ち着きを保てないでいた。
そろそろ西畑君が来る時間だ。
一応、お菓子とジュースは用意した。
西畑君が蓮の部屋に入ったら、そのタイミングで持っていくつもりだ。
そして謝罪を済ませてさっさと出ていく。
完璧な作戦だ。
たったそれだけのことなのに、ここまで緊張してしまうのはなんでだろう。
いや、その答えは分かっている。
昨日気づいてしまったのだから。
私は彼のことが少なからず……好き……になってしまった。
なんか改めて自覚するとまた恥ずかしくなってきた。
私は勝手に一人で顔を赤くしてしまう。
こんなんでホントに大丈夫かな?
でも、やらなきゃ!
ピンポーン。
インターホンの音が家に響き渡る。
来た!
「はいはい」
隣の部屋から返事をしながら蓮が出ていくのがわかった。
階段を下りる音がして、そのあと玄関の扉を開ける音もする。
そしてまだ声変わりをしていない少し高い少年の声が2人分聞こえる。
1人は蓮。
もう1人は西畑君だ。
そして階段を2人は話しながら階段を上がってきて、そのまま蓮の部屋に入っていった。
とうとう私の出番だ。
私は深呼吸してからお菓子とジュースのペットボトル、グラスが乗ったお盆を持って自分の部屋を出る。
そして隣の蓮の部屋の前でもう一度深呼吸。
いつものことなのでノックはせず、そのまま部屋の扉を開ける。
しかし私の計画は早速狂った。
ゴツン、と開けた扉が何かにあたる。
「あ痛っ!」
西畑君の背中だった。
どうやら扉の近くで座っていたらしい。
「きゃ! ご、ごめんなさい」
落ち着こうと思っていたのに、私は最初からうろたえてしまう。
「いやいや、大丈夫ですよ」
西畑君は自分の背中をさすりながらこちらを振り返る。
「あれ? 西畑のお姉さんですよね?」
「う、うん。ホントにごめんね。前回に引き続いて今回も……」
「いや、良いんですよ。気にしないでください。前回の件もあんな乱暴になってしまったので怪我とかしていないか心配だったんです。どうでした?」
「それは大丈夫だよ。前も私はお礼が言えなかったからここで言わせてください。ごめんなさい、そして……ありがとう」
私はゆっくりと深く頭を下げた。
「……そ、そんなやめてください! 俺の方こそ、急に突き飛ばしてすみませんでした」
「いや、あれは私が悪いし、西畑君は私を助けてくれたんだから、謝らなくていいよ!」
「いや、俺ももっとちゃんとした方法があったはずなのに――」
「ハイハイ、わかったから」
私達が責任の被りあいをしていると、その間に蓮が入ってきた。
「二人とも仲がいいなぁ。お互いに謝ったんだから、この件に関してはもういいだろ? それよりさっさと遊ぼうぜ」
「そ、そうだな。それでいいですか、先輩?」
この会話が永遠に終わらないと思ったのか、蓮は無理やり終わらせに来たみたいだ。
私としては不本意だけど、西畑君が同意を求めてきたので私は頷くしかない。
今日は2人で遊びに来たんだし、これ以上は邪魔になってしまう。
「分かった。じゃあ、私はこれで」
「あ、姉ちゃんちょっと待った」
私が部屋から出ていこうとすると蓮に呼び止められた。
「俺たちこれからゲームするんだけど、姉ちゃんもやろうぜ。こういうのは人数が多いほど楽しいもんだからな。西畑もそう思うだろ?」
「まぁ、そうだな」
普通なら断るんだけど、西畑君が乗り気みたいなので私はやっぱり首を縦に振るしかなかった。
3人でやるゲームはなかなかに白熱した。
ゲームをしていく中で西畑君とのわだかまりも完全になくなったような気がする。
「なぁ、橋本」
「え?」
「ん?」
ゲームの途中、西畑君の呼びかけに二人とも返事をしてしまった。
「あ、いや、先輩ではなくてですね、蓮君を呼んだんですけど」
少し申し訳なさそうに西畑君が弁明する。
「いや、私もごめんね」
さっきのは反応してしまった私が悪いんだけど、私も蓮も苗字は橋本なわけだから、仕方ないと言えば仕方ない。
「それややこしいよな。お互いに下の名前で呼ぶか?」
蓮がまたそんなことを提案してくる。
「俺が西畑のことを大地って呼ぶから、お前も俺のことを蓮って呼んでくれ。姉ちゃんのことも美鈴でいいから」
「ええ!?」
「ええ!?」
私と西畑君の声が完全にシンクロする。
ちょっとうれしい。
「ちょっとそれは抵抗があるって言うか、下の名前で呼ぶって結構恥ずかしくないか?」
「そうか? あだ名みたいなもんだと思えばそこまでだろ? 実際クラスにも何人か下の名前で呼ばれている奴いるだろ?」
確かにそれは確かにある。
特に同じ苗字の人が何人かいるときにはそういう状況になりやすい。
今回も同じと言えば同じ状態だ。
「まぁ、そりゃ確かに」
西畑君も同じことを思ったのか、少し納得した様子だ。
「で、もういっそのことお互いに下の名前で呼ぼうってことだよ、大地」
「わ、わかった。じゃあ俺はお前のこと、蓮って呼べばいいんだな?」
「おう。姉ちゃんもいいだろ?」
別に蓮のことを名前で呼ぶんだから私までそれに参加しなくてもいいんじゃ。
でも……これって、西畑君に名前で呼んでもらえるってこと?
どうしよう……すごく呼ばれたい。
こんなチャンス2度とないかもしれない。
乗るなら今だ。
「ま、まぁ……良いんじゃない?」
でもあくまで仕方なく、そうこれは仕方なくだから。
そう自分に言い聞かせる。
「よ、よろしくね、大地くん」
私はしどろもどろに彼の名前を呼ぶ。
「よ、よろしくお願いします、美鈴先輩」
大地くんに名前を呼ばれた瞬間、クラっとめまいがした。
か、可愛い!
それに……恥ずかしい!
好きな人に名前で呼ばれるってこんなに恥ずかしいものなの?
やばい、これ以上呼ばれたら興奮して鼻血が出てしまいそうだ。
私たちが名前を呼び合って丁寧にお辞儀しているのを見て、蓮が一言。
「お見合いかよ」
「お見合い!?」
私はその単語に過剰に反応してしまい、悲鳴にも似た声をあげてしまう。
大地くんはお見合いという単語がツボにはまったのか、ハハッと声をあげて笑っていた。
「それにしても姉ちゃん、今日はどこかに出かける用事でもあったんじゃないのか?」
「え、特に何もないけど?」
何を言い出すんだこの弟は。
今日は大地くんにお茶を出すために家にいるっていうのは伝えてあったはずだけど。
「だって、やけにめかしこんでいるから」
「ぐっ」
今度はうめくような声を上げてしまった。
言えない。
大地くんが来るからと思って気合入れてコーデしたなんて。
「たまには家の中でもおしゃれしたっていいでしょ。気分よ気分」
とっさに思い付いた苦しい言い訳をする。
「ふうん、気分ね」
蓮は私の顔をニヤニヤとのぞき込むように見てくる。
最近、蓮がこんな意味深な表情をしてくるけどなんなんだろう。
幸い、蓮がこれ以上の追及をしてくることはなかった。
それにしてもなんで今日に限ってそんな話をしてくるんだろう。
いつもは私がどんな格好をしていようが何も言ってこないくせに。
「そろそろ帰ります」
それからしばらくまたゲームで遊んで、大地くんが立ち上がった。
「おう。姉ちゃん、俺が玄関まで送ってくるから、悪いけど片付けしておいてくれないか?」
「分かった」
2人が部屋から出て行って私がお菓子のごみやら、ゲームを片付けていると階段を下りながら2人が話している声が聞こえてきた。
『どうだ? 弟の俺からしても姉ちゃんは結構美人だと思うんだけど』
な!?
なんて話題を振ってんのよアイツ!
私はサッと扉の前に移動して扉に耳を当てる。
『ああ、綺麗だよな。今日最初にみたときちょっとドキッとした』
き、綺麗!?
そう言った?
聞き間違いじゃないよね?
『姉ちゃん、男友達とかいないからさ、仲良くしてやってよ』
なんで弟にそんなこと言われないといけないのか。
そう怒るところなんだけど、相手が大地くんだからオッケーということにしておく。
『わかった。それじゃ、お邪魔しました』
『おう』
バタン、と扉を閉める音がした。
ふう、と私は大きなため息をつく。
今日は楽しかったな。
どうにか前回のお礼は言えたし、大地くんと仲良くなれた。
もっと大地くんと話していたかった。
そんなことを思って、少しだけ寂しい気持ちになった。
季節は巡って、夏。
私達は夏休みに入っていた。
蓮と大地くんは結構仲良くなったみたいで、二人でよく遊んだりしているみたいだ。
でも残念なことに、あれ以来大地くんはうちに来ていない。
友達を家に誘えばいいのに、と何回か蓮に言っているが、またいつかと返事をされる。
不自然になるから私もそれ以上は何も言えない。
だから、大地くんと直接話す機会はなかなかやってこない。
何回か野球部の見学に行っているけど、邪魔はしたくないし、私の気持ちがばれたくないから自分からは声をかけられない。
ごくたまに大地くんがこっちに気付いて話してくれるけど、それも世間話程度だ。
やっぱり、私は大地くんの中では、蓮の姉でしかないのだろうか。
本当はもっと長く、できれば二人きりでおしゃべりしてみたいな。
夏休みの平日。
今日は珍しく野球部の練習が休みみたいで、家には蓮と私の二人。
とは言っても、二人とも自分の部屋にこもってしまうから、1人みたいなものなんだけど。
夏休みは部活をやっていないと何かと暇を持て余してしまう。
今の私がその状態だった。
録りためているドラマを2周目を見ようかとリビングに行こうと部屋を出たとき、ちょうど蓮が部屋から出てきた。
「姉ちゃん、ちょっと出かけてくる」
「うん、行ってらっしゃい」
私は階段を下りながら返事をする。
その後ろを蓮がついてくる。
「すぐに帰ってくるんだけどさ、もしも、もしも! 俺に来客があったら、俺の部屋に通しておいてくれないか? たぶんないと思うけど」
「? う、うんわかった」
なんか、変な感じだな。
ちょっとしか出かけないのにそんなこと言うかな。
それも蓮に来客なんてほとんど来たことないのに。
変なことを言う弟だ。
「たぶんない。たぶん。もしかしたら俺が遊ぶ約束をしていて、それを忘れているかもしれないけど、まぁないと思う」
どんな仮定の話よ、と心の中でツッコミをいれる。
「分かった、分かった。行ってらっしゃい」
「20分くらいで帰ると思うから。もしかしたらもっと遅くなるかも! 行ってきまーす」
そう言って蓮は玄関を出て行った。
なんか今日は不審だったな。
あんなに『もしかしたら』とか『たぶん』を連発することはないと思うけど。
さーて、ドラマを見よう。
私はリビングに入ってテレビをつけてリモコンを操作する。
そしてどのドラマにしようかと考えていたとき、
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
ああ、面倒だな。
もう完全にテレビを見るモードになってしまって、動くのが億劫だ。
いっそのこと居留守をしようか。
でも宅配便とかだったら、親から文句を言われそうだし。
仕方がない。
私はインターホンの前に立つ。
その画面には、ひとりの少年が映っていた。
「え!?」
その姿は見間違うはずもない。
私は彼の姿を見るために野球部の見学に行っていたのだ。
それは、家に来てくれないかと待ち望んでいた少年、大地くんだった。
どうしたんだろう、いきなり。
そんなことを思ったとき、蓮の言葉が頭をよぎる。
まさかね。
私はインターホンのボタンを押して応答する。
「はい」
「あの、西畑と言いますけど、蓮君いますか? 遊ぶ約束をしていたんですが」
まさか、本当に遊ぶ約束をしていたの!?
何てこと。
蓮のやつ、あんな心配するくらいだったら、約束の一つや二つ覚えればいいのに。
ど、どうしよう。
完全に予想外だ。
「ご、ごめんね。いま蓮はうちにいないの」
「そうなんですか? じゃあまた連絡してから出直します」
「ま、待って!」
こちらに背を向けて帰ろうとした彼を、呼び止める。
蓮にあれだけ言われていたんだから、部屋に案内せざるを得ない。
あ、でもどうしよう。
今日はもう外に出ないつもりでいたから、地味な格好だ。
あまりこんな姿、大地くんに見られたくない。
でも、暑い中着替えるまで待ってもらうのも悪いし……仕方がない。
私は急いで玄関に行って、扉を開けた。
「あ、美鈴先輩じゃないですか。こんにちは」
私の顔を見た瞬間、緊張の顔が和らいで、優しい笑顔を向けてくれる。
いけない、暑さと恥ずかしさで、倒れてしまいそうだ。
「すぐに帰ってくると思うから、蓮の部屋で待ってて。蓮がそう言ってたから」
「そうなんですか? じゃあ、お邪魔します」
少し不思議そうな顔をして大地くんは玄関の扉をくぐる。
ああ、また大地くんが家に来てくれた。
これはさらに仲良くなるチャンスなのでは?
でも、そのためには蓮が帰ってこないといけない。
私はただの友達の姉というポジションにいるから、前回みたいに蓮を介さないと不自然になってしまうから。
私は大地くんを蓮の部屋に案内して、部屋を出ていこうとする。
「美鈴先輩」
それを大地くんに呼び止められた。
「どうしたの?」
「あの、蓮はあとどのくらいで帰ってくるんですかね?」
「たぶん、あと10分くらいかな」
「そうですか……あの、もしよかったら蓮が帰ってくるまで2人でゲームをしませんか?」
ま、まさかの大地くんからのお誘い!?
こ、これは千載一遇のチャンス!
これなら、蓮がいなくても仲良くなれるかも。
「いいよ!」
思わず興奮してしまって、声が大きくなってしまった。
私は恥ずかしさで顔を赤くしてしまう。
そんな私の様子をみて、大地くんは笑みを浮かべていた。
それから30分後。
私たちは二人並んでゲームをしていた。
しかし困ったことにあまり盛り上がらない。
会話がないのだ。
結構普通に会話できるようになったつもりでいたけど、こんなすぐ隣に大地くんが座っていると、やっぱり緊張してしまう。
蓮のやつはまだ帰ってこないのかと思ってスマホをみると、1件通知が来ていた。
蓮からだ。
『まだしばらく帰れそうにない』
そんな~。
確かにもっと遅くなるかもとは言っていたけど、こんなに遅くなることないじゃない。
「美鈴先輩、少し話いいですかね?」
ゲームのキリがいいところで、大地くんが切り出してきた。
「どうしたの?」
「ちょっと、相談事なんですけど」
私に相談?
もしかしたら、うまく解決したら大地くんの私への好感度が上がったりするかな?
俄然やる気が出てきた。
「いいよ、何でも言って」
「俺と蓮は今名前で呼び合っているじゃないですか。実は最近女子たちの間で、俺たちがそういう関係じゃないかという噂が立ち始めてまして……」
「ああ~」
確かにそういう話が好きな女の子は、結構いる。
確か玲奈もそうだったような。
「それは放っておくしかないかな。別に悪意があるわけでも、直接害があるわけでもないから、大丈夫だと思うよ」
「やっぱりそうですよね。俺に彼女でもできればそういう噂がなくなるんでしょうけど」
か、彼女!?
大地くんのその単語に大きく反応してしまう。
そんなのダメ。
だって、それは私が……
突然のことに少しパニックに陥ってしまう。
「先輩?」
私が少し固まっていると、大地くんが至近距離で顔を覗き込んでくる。
暑さのせいか少し上気した大地くんの顔が近づいてきて、私はさらにパニックになりそうになるが……
『ただいま~』
ここで蓮がやっと帰ってきた。
私は逃げるようにして蓮を玄関に迎えに行き、蓮を部屋に引っ張った後、自分の部屋に飛び込んだ。
「あーあ」
その日の夜、私は自分の部屋でため息をついていた。
結局私はそのあと部屋を出て行けず、見送りもできなかった。
まさかあの程度でパニックになってしまうなんて。
でも、想像したくなかったのだ。
大地くんに彼女ができるなんて。
だってそれは私が……
「あ~」
自分の妄想に頭が痛くなる。
これが思春期ってやつなのか。
このどうしようもない、大地くんを好きという気持ちも。
そうやって頭を抱えていると、スマホの着信音が鳴った。
電話だ。
体育座りの状態からチラッと画面を見て、私は飛び上がった。
画面に表示されていたのは、少し前に通話ボタンを押そうとして押せなかった相手。
そして、今日うちを訪ねてきた人。
そして私の好きな人、大地くんだったのだ。
な、なんで。
いや、もしかしたら蓮が大地くんに連絡先を教えていたのかもしれない。
私だけ大地くんの連絡先を持っているのもフェアじゃないし。
どうしよう。
あんなことをしてしまってなんて言えばいいんだろう。
でも、やっぱり話したい。
大地くんと。
私は体育座りをやめて、正座をして通話ボタンを押す。
「もしもし」
『もしもし、あの西畑ですけど』
「うん、こんばんは」
『こんばんは。あの大丈夫でした? なんか蓮は体調が悪いんじゃないかって言っていたんですけど?』
ああ、部屋に引きこもっている言い訳として蓮にはそんなことを言ったけど、大地くんに余計な心配をさせてしまった。
「大丈夫だよ。それにしてもごめんね。ちゃんと見送りもせずに」
『いいんですよ、ゲームに付き合ってくれてありがとうございました。俺のほうこそすみませんでした。なんかいい話題を思いつかなくて』
ゲームをしている間あまり会話がなかったことを気にしているのか。
そんなのお互い様だから、気にしなくてもいいのに。
「それもいいよ。にしてもどうしたの、わざわざそれを言うために電話してきてくれたの?」
『いえ、ひとつ言えなかったことがあったんです。実は俺と蓮、次の試合に出してもらうことになったんです。だから見に来てくれませんか?』
「もちろん! 見に行くよ。頑張ってね」
『はい! 日程は蓮から聞いてください。…………」
「…………」
…………。
……どうしよう、会話が止まってしまった。
昼と同じ状況だ。
『ご、ごめんなさい。俺話下手で」
「そ、そんなことないよ」
また沈黙。
「あ、あのさ、せーので切ろうよ」
本当はもっと話していたい。
でも、恥ずかしさと緊張でこれ以上会話ができる気がしない。
大地くんに負担をかけないためにもこうするしかない。
『そ、そうですね』
「じゃあ、いくよ。せーの!…………切らないの?」
『美鈴先輩も……』
「ふふっ」
なんだかおかしくなってしまって吹き出してしまう。
電話の向こうでも大地くんが同じように笑っていた。
「じゃあ、こんどこそホントに切るね。おやすみ」
『おやすみなさい』
今度は私から通話終了ボタンを押した。
そして大きなため息をつく。
何とかちゃんと話ができた。
私の失態も特に気にしている様子はない。
本当にいい人だな。
ますます好きになってしまう。
そうだ。
私にある考えが浮かんだ。
もしかしたら後悔することになるかもしれない。
でも、やっぱり今のままじゃいけないと思うから。
この気持ちは。
そうだ、試合の日程、蓮から聞かないと。
私は急いで部屋から飛び出した。
そしてその試合の日。
天気は快晴。
真夏ということもあってギラギラと太陽が照り付けてくる。
グラウンドから少し離れたところに陰があるが、私は近くで見るために太陽の下にいた。
「出るって言ったって、代打だぜ?」
「出ることには変わりないでしょ。ほら頑張って」
試合前に蓮に水筒を渡す。
大地くんは一足先にアップをベンチで準備を始めていた。
ふと、大地くんと目が合って、お互いに手を振る。
その様子をみて蓮はニヤニヤして一言。
「知らぬ間に仲良くなったようで」
「ま、まぁね」
こうやってからかっては来るが、蓮の行動はなんやかんやで私と大地くんが接近するようになっていた。
蓮にその意図はなかったんだろうけど、ひそかに感謝している。
「そんじゃ行ってくるわ」
「頑張って」
私は蓮の背中を見送る。
そして大地くんと再び目が合ったので、ガッツポーズをして頑張ってと口を動かして伝える。
大地くんはそれにガッツポーズをして返事をしてくれた。
2人のチームは後攻。
試合は投手戦になって、お互いになかなか点が入らない状態だった。
8回になっても2人に出番はやってこなかった。
そして9回の裏。
点は2対3で劣勢。
1アウト1,2塁。
ここで蓮が代打で出場した。
長打がでれば同点だ。
1球目。
空振り。
2球目。
これも空振り。
「何やってんの! いいとこ見せろ!」
思わず大きな声で怒鳴る。
蓮はそれに反応して、すこし嫌そうな顔をしたが、こっちをみて頷く。
3球目。
蓮の振ったバットにボールが当たる。
カン。
金属音がして、ボールが地面にはねた。
とんだ方向はファースト方向。
抜けるか?
しかし、少し勢いが足りなかったみたいで、ファーストがこれをキャッチ。
そのままベースを踏んでアウト。
「あー、惜しい」
方向は良かったんだけどな。
でも、ランナーは塁を進んだ。
これで2アウト2、3塁。
ヒットなら同点。
大きな当たりなら逆転サヨナラだ。
蓮は活躍はできなかったけど、次に希望をつないだ。
アウトになってしまった蓮は悔しそうにしながらも、次の打者に話しかけていた。
その次の打者は、大地くんだ。
大地くんは緊張の面持ちでバッターボックスに立つ。
その緊張が私にまで伝わってきて、私は思わず声を上げる。
「頑張って!」
大地くんはそれに気づいて、こちらを向き、頷いた。
表情も少し柔らかくなった。
ちょっとは力になれたかな。
実は私は、この試合にある賭けをしている。
大地くんがもしもヒットを打ったら告白する。
そう決めているのだ。
もしも打てなければもう、大地くんのことはきっぱり諦める。
片思いのままじゃいやだ、でも告白するのが怖い。
だから、大地くんの結果にすべてを賭ける。
判断を大地くんに預ける形になってしまうのは、勝手だと思っているけれど、こうでもしないと私が納得できないのだ。
そしてとうとう、始まった。
1球目。
見逃しストライク。
2球目。
ボール。
3球目。
カン。
金属音が鳴り響いた。
バットにボールが当たったのだ。
しかし、ボールは大地くんの真横に飛んで行った。
ファール。
これで2ストライク。
追い込まれた。
「お願い……」
私は祈るように手を組んで大地くんをじっと見つめる。
そして4球目。
カーン。
また金属音。
さっきよりも大きな音が鳴り響いた。
全員がボールが飛んで行った方向、遠くのほうを見上げる。
いい当たりだ。
外野がボールを追いかける。
「いけー!」
私はボールに向かって叫ぶ。
そして…………
パシッ。
ボールは外野のグローブに収まった。
「アウト。ゲームセット」
だめ……だった。
そっか。
しょうがない。
そして、私の賭けも負け。
試合が終わると同時に、私の恋も終わったのだ。
ツー、と私の頬を涙が流れた。
試合の後、私と蓮と大地くんで話しながら帰る。
「まぁ、そんなに気を落とすなって。俺だってアウトだったんだぜ」
「蓮はランナー進めてくれたじゃないか。俺は何もできなかったよ」
大地くんは今日の試合が相当ショックだったようでずっとこんな感じだ。
「でもかっこよかったよ」
「そうそう。ほら、ジュースおごってやるから元気出せ。ちょっと自販機探してくる」
そういって蓮は走って行ってしまった。
二人きりになると、なんて話をしていいのかわからず、静かになってしまう。
どうしよう。
ホントはもっと慰めてあげたいんだけど、私もひそかな失恋で大地くんに話しかけるのがつらい。
このまま蓮が帰ってくるまで無言かも。
「あの、美鈴先輩。ちょっと話があるんですけど、聞いてくれますか?」
以外にも、落ち込んでいた大地くんのほうから、何かあるみたいだ。
「なに?」
「実は俺、今日の試合で活躍したら美鈴先輩に告白しようと思っていたんです」
「え……」
私は信じられたないことを聞いて、その場に立ち止まってしまう。
「でも先輩には年上で背の高い理想の人がいるんじゃないかと思って。だから活躍できなければ諦める。その覚悟で今回の試合に挑みました」
そんな、それじゃまるで私と同じ……
「でもダメだった。だから諦める。そのつもりでいました。でも今日、頑張ってと言われてすごく気合が入りましたし、次の試合でも言ってほしい、そう思ったんです」
私も思った。
大地くんのあの雄姿をもっと見たい。
諦めようとした。
いや、一回は諦めた。
でも一度燃え上がったこの恋心はそう簡単に消すことはできなかった。
だからこんなにつらかったのだ。
でも諦める必要なんてなかった。
なんでこの好きという気持ちを、自分でそんな簡単に捨てなければいけないのか。
「それで、やっぱり諦められない。そう思ったんです。だから……先輩。また、試合の応援に来てくれませんか。今度は、俺の彼女として」
ポタッ、ポタッ、と涙が流れ落ちる。
この涙はさっきの失恋の涙とは違う。
今自分はどんな顔をしているんだろう。
たぶんひどい顔なんだろうな。
でも、その顔を精一杯明るくし、彼の手を握り、震える声を絞り出す。
「はい、よろしくお願いします」
恋のキッカケはボール。
それが降ってきたことから始まった。
本当になにが起こるかわからないものだな、私たちはそのあとそんな話をした。