エピローグ それぞれの未来へ
カシェリーナ達はデイリー・アースの支局に戻った。後からニューホンコンに到着したシノンとエリザベスとテミスが出迎えた。
「マーン君はどうした?」
シノンが尋ねた。カシェリーナは車の後部座席で眠っているマーンを見て、
「疲れているみたいで、眠っているわ。相当精神的に負担になっていたのね。意に反することを言わされていたのだから」
「そうか」
シノンは座席のマーンを覗き込んで言った。エリザベスとテミスは、チャイナドレスを着た恐ろしく綺麗なヒュプシピュレが二人にニッコリ微笑んでさっさと建物の中に入って行ったのを見て、顔を見合わせ、溜息を吐いた。
「何であんなに綺麗な人がいるんだろうね」
テミスが呟いた。エリザベスも、
「ホントね」
そう応えるのが精一杯だった。
「先に行っていて下さい。私はマーン先生が起きるのを待ちます」
「わかった」
シノンはアタマスと先に立って歩き出した。エリザベスとテミスは、カシェリーナの方をしばらく見たままで建物に入って行った。カシェリーナはマーンをもう一度見て、
「先生……」
と呟いた。
「あんたは何のためにディズムのところにいたんだ?」
レージンが尋ねると、カロンはレージンを見て、
「奴を殺すためだ。俺はターゲットは必ず仕留める主義でね」
「でも何故今まで生かしていた? もっと早く殺していれば、ニュートウキョウは破壊されずにすんだはずだ」
ロイが非難めいた口調で言うと、カロンはキッとロイを睨みつけ、
「青臭い事を言うなよ、坊や。俺は正義のためとか、世のためとかでディズムを殺そうとしていたわけじゃないぞ」
ロイはその言葉に反論できなかった。カロンは、
「ディズムが本物かどうかは結局わからなかったが、これで全員この世からいなくなった。俺は完全にこの世界から足を洗えるよ」
と言うと、ニヤリとし、車に飛び乗って去ってしまった。レージン達は、廃墟の中で、走り去るカロンの車を見ていた。
アタマスが呼んだ近くの病院の医師がマーンの診察を医務室で行っている間、カシェリーナ達は会議室で休んでいた。
「マーン君はどんな状態だったんだ?」
シノンがようやく切り出した。カシェリーナはアタマスをチラッと見てから、
「強い暗示をかけられていたみたいで、私達の事が全くわからなかったの。何度も呼びかけているうちにその暗示が弱まって、段々私やヒュプシピュレさんのことがわかるようになったのだけれど、酷く衰弱しているようで、心配なの」
「そう言えば、あの綺麗な女の人はどうしたんですか? 先にこの建物に入って行ったはずですけど」
テミスが言った。カシェリーナもハッとして、
「そう言えば……。私達の命の恩人なのに、きちんとしたお礼も言っていないわ」
「何か、不思議な人でしたね」
テミスが呟くように言った。そこへ診察を終えた医師が入って来た。
「どうなんですか、マーン先生は?」
カシェリーナが医師に詰めよるように尋ねた。医師はカシェリーナを見て、
「随分と強い暗示と、その効果を高める薬を飲まされたようで、記憶が混乱しているようです。後遺症はないとは思いますが、ここ何日かの記憶がないかも知れませんね」
「そうですか」
カシェリーナはホッとしたような、残念なような、複雑な心境だった。
「もう会えますか?」
「大丈夫ですよ。但し、長時間の話は無理です。長くて二十分にして下さい」
カシェリーナ達は医師について、マーンの休んでいる医務室に向かった。
「カシェリーナ」
彼らが会議室を出た時、後ろからヒュプシピュレが呼びかけた。カシェリーナは彼女の話の内容を悟り、
「先に行っていて。私、ヒュプシピュレさんと話があるから」
シノン達を行かせ、ヒュプシピュレと共に廊下の隅に行った。
「どうするつもり?」
ヒュプシピュレが唐突に尋ねた。カシェリーナは顔を紅潮させて、
「何の事ですか?」
「マーンとの事よ。貴女、彼の事を愛しているんでしょう?」
「そ、それは……」
カシェリーナは口籠っていたが、
「それは、もう五年前にすんでいることです。あの時の私の行動を見て、そうおっしゃるんでしょうけど、私は先生を男として愛してはいますが、それは所謂男女の愛とは違います」
ヒュプシピュレはプッと吹き出すように笑って、
「さすが大学の先生ね。言い訳が実に理屈っぽいわ。要するに恋愛の対象とは違うと言いたいのね?」
「はい」
カシェリーナはヒュプシピュレにすっかり自分の心の中を読まれている気がして、ますます顔が赤くなった。
「貴女の考えを否定も肯定もしないけど、私にはできないことだわ」
ヒュプシピュレは言い、カシェリーナに背を向けた。
「また会いましょう、カシェリーナ。今度は戦場ではないところでね」
彼女は歩き出した。カシェリーナはその後ろ姿に向かって、
「はい。カロンさんとお幸せに!」
ヒュプシピュレは振り返ってニヤリとし、
「余計なお世話よ」
言い返して背を向け、手を振って立ち去った。
一方レージン達はシノンからの連絡でマーンが無事救出されたことを知った。
「これで万事解決ですね」
ロベルトが言うと、レージンは、
「バカを言うな。これからが大変なんだよ。ニュートウキョウはしばらく首都機能を回復できないから、遷都するか、ニュートウキョウを復興させてそのまま首都とするか、議論しなけりゃならないぞ」
「はァ、そうですね……」
「被害が甚大過ぎるから、遷都だろうけどな」
レージンは悲しそうな目で廃墟を見渡しながらそう続けた。
ロイとロベルトはこの戦闘で命を落とした幾百万の人々のことを思い、目を伏せた。そんな雰囲気を全く察していないのか、
「私、失業しちゃったからさ、ロベルトのところに居候させてよ」
シェリーがニコニコしながら爆弾発言した。ロベルトはギョッとして、
「な、何だって?」
「どうしてそんなに驚くのさ? さては、他に女がいるんだね?」
シェリーの目が吊り上がる。ロベルトは、
「ご、誤解だよ。俺がいるのは憲兵隊の宿舎だぞ。一緒に住むなんてできないって!」
「あ、そっか」
シェリーは残念そうに言った。するとレージンが、
「俺が許可するよ、ロベルト。一緒に住んでいいぞ」
「ええっ?」
仰天するロベルト。シェリーは満面の笑みをたたえて、
「ありがとうございます、隊長」
ロイはそれを見て大笑いをしていた。
カシェリーナはシノン達が会議室に戻ってから、一人でマーンの休んでいる医務室に入って行った。
「先生……」
マーンはまた眠っているようだ。カシェリーナは静かにベッドに近づき、
「先生、早く元気になって下さい……」
と囁き、マーンの顔を触った。そして何故か涙を流してしまった。
「先生……」
もう一度カシェリーナは呟いた。
翌朝、地球と月の人々は、五年前のあの日を思い出す光景に出会っていた。全てのテレビとインターネットサイトに、カシェリーナの映像が映っていたのである。
「皆さん、デイアネイラによる月と地球の破壊計画は、何とか中途で止める事ができました」
そのカシェリーナを、アイトゥナでパイアとテセウスが見ていた。
「相変わらず、綺麗な子だね、カシェリーナは」
パイアが言うと、テセウスが、
「パイアもね」
「ありがと」
二人はキスを交わし、ベッドに横になった。
カシェリーナは続けた。
「しかし、ディズム総帥のような人物が現れるのは何も稀な事ではありません。いつでもどこでも、起こりうる事なのです。ですから忘れてはいけません。五年前に私が言った事を思い出して下さい」
ロイとエリザベス、そしてロベルトとシェリーは、ニューホンコンのホテルのロビーでその放送を見ていた。
「国の行く末を決める最終的な決定権を持っているのは、私達国民だということを。そして、その権利の行使を誤り、義務を怠ると、再びディズム総帥のような人物が現れるのだということを」
カロンとヒュプシピュレはどことも知れぬ邸の中で、その放送を見ていた。
「もう、このような悲劇を繰り返してはいけません。私は二度とこのようなことが起こらない事を祈っています」
カシェリーナは画面から消えた。
「よくやった、カシェリーナ。上出来だったよ」
スタジオの隅で見ていたレージンが彼女を労った。カシェリーナはニッコリして、
「そう。ありがとう」
二人はアタマス達に会釈して、抱き合うようにしてスタジオから出て行った。アタマスは、
「あれは幻だったのかな?」
とカシェリーナの後ろ姿を見ながら呟いた。
「私、大学やめようかな?」
カシェリーナが突然言い出したので、レージンはビックリして、
「何でだよ? どういうことだ?」
カシェリーナは立ち止まって、
「私、大学の講義を通じて、政治のあるべき姿、法律の理念を人に伝えようと思っていたのだけれど、それだけじゃダメな気がするの。もっと多くの人に伝えるようにしないと」
「そうか」
レージンはカシェリーナの言おうとする事がわかった気がした。
「マーン先生のしていたことを引き継ぐのか?」
「ええ。本を書き、講演をし、私が体験した事をたくさんの人に直接伝えたいの。マーン先生のように。そして、マーン先生の分まで」
カシェリーナは涙ぐんで言った。レージンはカシェリーナの頬を伝わる涙を指で拭い、
「マーン先生はきっと良くなる。いつか二人で講演をすることもできるさ」
「うん」
カシェリーナはレージンを見上げて、もう一度ニッコリした。
その翌日、地球共和国臨時政府は軍事力の増強を発表した。月連邦も、大統領の談話として軍事力の増強を発表した。
歴史は繰り返すのか。それは誰にもわからない。