その二十四 パイアとテセウス
「地球国民はパニックであろう?」
車椅子の男がサングラスの男を見上げて言った。サングラスの男は車椅子の男を見ないで前を向いたまま、
「そのようで。しかも自分達に与えられた時間が、思っているよりずっと短いとも知らずに」
「そうだな。デイアネイラは、何も一機に限ったわけではないからな」
車椅子の男は、キーキーと音をさせながら笑ったようだった。二人はエレベーターで移動中である。
「ダウの方はどうだ? 良好か?」
「はい。かなりうまくいっているようです」
「そうか」
車椅子の男は、また笑ったようだった。
アイトゥナは再び、デイアネイラに攻撃を仕掛けようとしていた。
「さっきのは飽くまで手を抜いた攻撃だったってことをわからせてやろうか」
パイアは実に楽しそうに言った。そして、
「主砲発射用意。目標、デイアネイラ」
テセウスは固唾を呑んでパイアを見守っていたが、ヘルミオネは相変わらず不安そうで、パイアを見る目は疑いと警戒に満ちていた。
「準備完了。発射レバー、首領のシートに回します」
「了解」
パイアのシートの右の肘掛けに、レバーが現れた。
アイトゥナの主砲は、デイアネイラの全長ほどもある巨大なもので、口径は三メートルほどあった。その砲身が輝き出し、臨界点に達した。
「発射!」
パイアがレバーを引くと、主砲がグワォンと吠えた。巨大で強力な光束が、デイアネイラに向かった。
「何だと?」
リノスは後方から迫る高エネルギー反応に気づき、デイアネイラを回避させた。しかし思った以上に光束は大きく、そして速かった。デイアネイラは後部を直撃された。
「うわァッ!」
( バ、バカな……。デイアネイラは、この程度でやられはしないはず……。まさか! )
リノスがそこまで考えた時、操縦席が炎に包まれた。彼は死に直面して、自分が只の捨て駒だった事に気づいた。
「やったね!」
パイアは立ち上がった。ブリッジのスクリーンに、大爆発するデイアネイラが映っていた。
「やった、パイア!」
テセウスは大喜びし、シートから離れてパイアに近づいた。パイアはウィンクして、
「早くこの事を、カシェリーナ・ダムンに知らせて上げなさい、テス」
「うん」
テセウスは大きく頷いた。
サランドの大艦隊は、アルフォンスス上空で大爆発があったことを知った。
「何が起こった?」
プリッジでサランドが尋ねた。通信兵が、
「デイアネイラが爆発したようです。パイア・ギノの城アイトゥナが、デイアネイラを撃破したようです」
「何? パイア・ギノの?」
サランドは眉を吊り上げた。
( あの女狐め、何か企んでいるな )
サランドはギリッと歯ぎしりして、
「全艦退却する。デイアネイラが撃破されたのなら、艦隊を繰り出す必要はない」
「はっ」
サランドはパイア・ギノの今後の行動を気にしていた。
( あの女、このことを恩に着せるか、それとも……)
アイトゥナと戦って勝てるのか? サランドは不安になっていた。
「デイアネイラ1号機が爆発したようです。反応が消滅しました」
コンピュータルームのような部屋に、サングラスの男と車椅子の男はいた。車椅子の男は椅子に沈み込んで、
「そうか。予定より早く、パイア・ギノが本気になったな。あの女、アイトゥナを使って、月を征服するつもりだったようだな」
「そのようです。現に月の連邦軍は、パイア・ギノの動きを警戒して基地の守備固めに入ったようです」
サングラスの男は答えた。車椅子の男は椅子から少し起き上がり、
「地球国民にも、そろそろ恐怖を味わってもらおう。デイアネイラ二号機によってな」
「はい。二号機はすでにクロノスのコピーを射程に捉えております」
「月の連中、もう一度慌てふためいてもらおうか」
車椅子の男は、低い声で笑った。
カシェリーナ達はテセウスが送ったメールを見ていた。
「パイアさんがデイアネイラを撃破したの?」
レージンが読んでいるメールのプリントをカシェリーナが覗き込んで言った。レージンはカシェリーナを見て、
「らしいな。パイア・ギノって何者なんだ?」
「月の裏の世界の顔役みたいよ。詳しい事はわからないけど」
カシェリーナが答えると、レージンはプリントをロベルトに渡しながら、
「じゃあ何でテセウス・アスがその事を知っているんだ? 彼はゲスの息子だろう? パイア・ギノとどういう繋がりなんだ?」
「そこまで私にはわからないわよ。確か五年前、軍本部のロビーでテセウスにあった時も、彼、パイアさんと一緒だったわ」
レージンはニヤリとして、
「二人は出来てるってことか」
「まさか! テセウスは二十二歳で、パイアさんは私達より年上のはずよ。考えられないわ」
カシェリーナは目を見開いて反論した。するとロベルトが、
「でも先生、月の友人から聞いた話じゃ、テセウス・アスがパイア・ギノに逆上せてるっていうのは、結構公然の秘密みたいですよ」
「ええっ? ほ、本当なの?」
ロベルトの言葉に、カシェリーナはすっかり仰天してしまった。そんなカシェリーナを見て、レージンとロベルトは肩を竦めた。
クロノスのコピーは月まであと八万キロメートルのところまで来ていた。操縦しているのは、特命を受けた共和国軍のエースパイロットである。彼ら二人は、デイアネイラの出現も、クロノスがコピーであることも知らないという、全くの無情報状態にいた。
「あとしばらく進めば、コペルニクスクレータを射程に捉えられる。地球と月が一つの国家に戻るまで、もうしばらくの辛抱だな」
メインパイロットが言うと、コ・パイロットは、
「そうだな。共和国に栄光あれ」
ニヤリとした。ところが突然、警報がコクピット内に響き渡った。
「何だ? どうしたんだ?」
「レーダーに反応! エネルギーだ。それも巨大な……」
「何?」
しかし二人のパイロットは、何一つ出来なかった。次の瞬間、クロノスのコピーは、巨大な光束の直撃を受け、燃え尽きてしまった。二人のパイロットは自分が死んで行くのを認識する間もなかったかも知れない。
アイトゥナは神酒の海を目指していた。
「何か言いたそうですね、お母さん?」
パイアが愛想よくヘルミオネに尋ねた。ヘルミオネはギクッとしたが、気を取り直して、
「貴女はテスをどうするつもりです?」
テセウスはパイアに言われて、祝杯のワインをアイトゥナの奥の部屋に取りに行っていた。パイアはシートにもたれかかって、
「遊びです。気にしないで下さい」
「……!」
ヘルミオネはムッとして立ち上がった。パイアはそれを見てシートから身を起こし、
「少し前の私なら、そう言っていたでしょう。でも今は違います。テスのことは、本当に愛しています。ずっと一緒にいたいと思っています」
ヘルミオネは呆気にとられていた。周りのパイアの部下達も素知らぬフリをして、聞き耳を立てていた。パイアは自嘲するように、
「この五年、ずっと私はテスを試して来たんです。あの子が本気かどうか。あの子は本気でした。一時の気の迷いで、私のような女を好きになったのではないと、私も考えるようになったのです」
ヘルミオネは真剣な顔でパイアを見ていた。パイアは外に目をやり、
「そこまで本気になっている男に惚れられたのなら、私もそれに答えるべきだ。そう結論を出しました」
「……。ありがとう、パイアさん。テスをよろしくお願いします」
ヘルミオネが目を潤ませて言うと、パイアは再びニッコリして、
「いいえ。こちらこそ、よろしくお願いします」
と答えた。