その十九 脱出
カシェリーナは議長からいろいろと聞き出そうとしたが、議長はカシェリーナから逃れるように会場の外へ向かった。
「待って!」
カシェリーナはすぐに議長を追おうとしたが、会場を逃げ惑う多くの人々に阻まれて、議長を見失ってしまった。
「キャッ!」
カシェリーナは誰かに突き飛ばされて、転びそうになった。すんでのところで、彼女はロベルトに助けられた。
「大丈夫ですか、先生?」
「あ、君……。ありがとう」
ロベルトはカシェリーナを助け起こす時、彼女の奇麗な顔が間近になり、腕に柔らかいものが当たったので、ドキッとして真っ赤になった。
「どうしたの?」
カシェリーナはロベルトが熱でもあるのかと思ったらしく、心配そうに尋ねた。ロベルトはハッと我に返り、
「い、いえ、何でもありません」
何とか誤摩化した。そして、
「とにかく、ここは危険です。こちらへ」
カシェリーナの手を取って先導し、会場の外へ向かった。
コペルニクスクレータ内のパニックは次第に収拾の方向に向かっていたが、まだ何も解決したわけではなかった。
エウロス・パレ率いる連邦軍艦隊は、月から千キロメートルほどのところまで飛び立ち、クロノスを迎え撃つ準備を進めていた。
「敵の機影はまだレーダーで確認できんのか?」
エウロスはキャプテンシートに座りながら尋ねた。レーダー係が、
「まだです。恐らく、対レーダーコートを施していると思われます」
「ならば他の索敵方法で探せ。どこにいるのかわからんのでは、勝負にならん」
エウロスは髭を撫でながら命令した。するとコンピュータ係が、
「高エネルギー反応が接近して来ます!」
エウロスは立ち上がって、
「敵の攻撃か?」
「我々にではありません。この方位ですと、基地にです」
「何!?」
エウロスの艦隊の左舷の彼方を、巨大な光の束が通過した。
「何だ、あれは? あれはまるで……」
エウロスは言って息を呑んだ。
( まるで核融合砲じゃないか……)
まもなく、光の束はコペルニクスクレータの外周にある軍事基地に突き刺さり、基地を一瞬にして壊滅させた。
「何てことだ……」
エウロスは虚脱感に襲われ、シートに崩れるように座った。コンピュータ係の報告が入る。
「基地は全滅です。生存者、なし」
「……」
エウロスは歯ぎしりした。
「何てことを……。何てことをしやがる!」
エウロスは見えない敵を見ようと、外を睨んだ。
コペルニクスクレータも外周の基地の壊滅の振動が伝わり、大揺れした。
「何、この揺れは?」
カシェリーナは立ち止まって揺れに耐えながら言った。ロベルトはカシェリーナを支えながら、
「何か爆発したのかも知れませんね。デイアネイラとかの攻撃が始まったのでしょうか?」
「かも知れないわね。急ぎましょう」
「はい」
二人は再び走り出した。周囲の人々も揺れが納まると、走り出した。
レージンは、軍本部の尋問室で連邦軍の士官に尋問されている最中に、この揺れを感じた。
「何だ?」
レージンは、月には地震はないと知っていたので、すぐにデイアネイラの攻撃であると考えた。
「何だ、この震動は?」
士官が叫んだ。レージンは士官を見て、
「俺が言った事が正しかった事がもうすぐ証明されるよ。これはデイアネイラの攻撃だ。クロノスにしては、早いだろう?」
「……」
士官はキッとしてレージンを睨んだ。その時別の士官が尋問室に入って来た。
「何だ?」
レージンを尋問していた士官が尋ねた。入って来た士官は、
「はい。コペルニクスクレータに、デイアネイラと呼ばれる飛行物体らしきものが接近しているのは事実のようです。外周基地の一つが、その攻撃で壊滅しました」
尋ねた方の士官は仰天して、
「何だと?」
レージンもびっくりしていた。
( 震動は一回のものだった。それで基地一つが壊滅しただと? )
パイアも、デイアネイラが外周基地を壊滅させた事を知らされた。
「何てことだ……」
彼女はソファから立ち上がり、
「月を荒らさせやしないよ」
と呟いて、
「出撃する。アイトゥナ発進準備しろ」
と命令した。
シノンは考え込んでいたが、
「シェリー、本物のクロノスがある格納庫は、電子ロックか?」
「はい。工場のホストコンピュータが管理しています」
シェリーが答えると、シノンはニヤリとして、
「よし、大丈夫だ。今から私がホストコンピュータにハッキングして、ロックを解除する。君はクロノスを出して、ニューペキンに向かってくれ」
「ええっ? そんなことができるんですか?」
シェリーばかりかロイやエリザベス、テミスまでもが驚いてシノンを見た。シノンは得意そうな顔で、
「できるさ。この私を誰だと思っているのかね」
ロイ達は顔を見合わせた。シノンはシェリーに、
「事は一刻を争う。早くしないといかんぞ」
「はい。クロノスを使うのですね。デイアネイラを撃墜するために」
「そうだ。これは私の勘だが、デイアネイラは地球も攻撃すると思う。そうなる前に叩きたい」
シノンは力強く言った。ロイが、
「シェリー、うまくやれよ。俺が一緒にいられないのが残念だけどな」
「うん。大丈夫だよ、ロイ」
シェリーはウィンクした。
「本当に申し訳なかった。君の情報提供を信用しないで、私は君をスパイ呼ばわりしてしまった」
レージンを連行させた将軍が、本部のロビーでレージンに謝った。レージンは苦笑いをして、
「まァ、仕方ないですよ。それより、早くここを離れましょう。危険です」
「うむ。ありがとう」
レージンは将軍の敬礼に応じながら、
( カシェリーナ、今どうしているんだ? )
「まどろっこしいな」
リノスはコペルニクスクレータをパネルスクリーンで見ながら呟いた。
「何を考えてやがるんだ、あの車椅子の機械男は……」
彼は腕組みして、シートにもたれかかった。
( 奴がディズムなら、こんなやり方はしないはずだ。すぐにでもコペルニクスクレータを壊滅させたはず。何か裏でもあるのか? )
リノスはない知恵を絞って、いろいろと考えてみた。しかし、わからなかった。
車椅子の男は、広間で眠るようにしていた。サングラスの男が近づいて来たので、彼は顔を上げた。
「準備が整いました」
「うむ。ではリノスにコペルニクスクレータを攻撃させろ。その後で、全ての放送局とインターネットサイトを電波ジャックし、例の件を実行に移す」
「はい」
車椅子の男はサングラスの男に車椅子を押させて、移動した。
シェリーは、工場の中でとりわけ奥まったところにある、特別格納庫の前にいた。彼女は腕時計を見た。10時55分である。
「あと五分か」
十一時に、シノンが工場のホストコンピュータにハッキングして、格納庫の電子ロックを開く事になっているのだ。
「誰も来ませんように」
シェリーは周囲を見回して祈った。
「シェリー・キモトは、どこだ?」
憲兵隊支部から戻ったガールスが、近くにいた作業員に尋ねた。作業員はガールスを見て、
「奥の方へ行ったみたいですよ」
ガールスは礼も言わずに歩き出した。作業員はケッとガールスに唾を吐き、再び作業を開始した。
「この工場、異常だ。経営者が射殺されたのに、何一つ動じるところがない」
ガールスは周りで働く作業員を見ながら、そう呟いた。
「レージン!」
カシェリーナは連邦軍本部から出て来たレージンを見つけ、駆け寄った。レージンもカシェリーナを見て、
「カシェリーナ。無事だったか」
「ええ。彼に助けてもらったのよ」
カシェリーナはロベルトを見て言った。ロベルトはレージンに近づいて敬礼し、
「隊長もご無事で何よりであります」
レージンはロベルトを見て、
「ありがとう、ロベルト。それで、さっきの揺れはデイアネイラなのか?」
「恐らく。しかしまだ確認できたわけではありません」
ロベルトは敬礼をやめて答えた。レージンはロベルトに近づき、
「他の連中はどうした?」
「シャトルに向かいました。我々も早く向かった方がいいかと……」
「そうだな」
レージンはカシェリーナに目配せして、ロベルトを伴い、シャトルに向かった。