その十八 悪魔接近
会場の主賓席に座った地球共和国評議会議長は不服そうな顔をしていた。
( 妙だ。急に月の連中、物々しい警備をし始めた。情報が漏れたのか? )
議長の顔は汗ばんでいた。秘書官は兵士に連行され、軍本部に軟禁されているらしい。
( 予定変更だ。何とかしなければ、生きて帰れんかも知れん )
議長は周囲を見渡した。彼は同じく主賓席に座っているカシェリーナに気づき、立ち上がって彼女に近づいた。
「ダムン先生ですな?」
カシェリーナは不意に後ろから声をかけられたので、ギクッとして振り返った。
「は、はい。そうですけれど。閣下、何か?」
カシェリーナは立ち上がった。議長はカシェリーナのいい匂いのする耳元に顔を近づけて、
「コペルニクスクレータにクロノスが向かっている。あと半日でここは壊滅する。できるだけ早く発つ事です」
カシェリーナはハッとして議長の顔を見た。
「クロノスが? デイアネイラではないのですか?」
「デ、デイアネイラ?」
今度は議長が驚く番だった。カシェリーナは、
「そうです。私、デイアネイラらしき飛行物体が、あと一時間半ほどで月に到達するという情報を入手したんです」
「一時間半? 六時間半の間違いではないのか?」
「いいえ。あと、一時間半です」
カシェリーナのキッパリとした物言いに、議長はカシェリーナが言っているのがクロノスの事ではないのをはっきりと悟った。
「では、クロノスより先に、この月に向かっているものがあると……?」
議長は蒼くなった。彼もディズムの側近だった男だ。デイアネイラプランのことは、少しは知っていた。その破壊力はまさしくメガトン級なのである。コペルニクスクレータのドームが破壊されるどころか、クレータそのものが消滅してしまうかも知れないのだ。
「もしその情報が正しいのなら、一刻も早く逃げるべきだ。クレータそのものが、なくなってしまうかも知れない」
議長はカシェリーナに言った。その時ファンファーレが鳴り響き、会場の中央に敷かれた赤い絨毯の上を、警備兵に囲まれて大統領が現れた。ただ人の好いだけの老人といった感じのする男である。
「大統領が現れたという事は、月の連中、事態の深刻さに気づいていないのか」
議長は仕方なく席に戻った。カシェリーナも椅子に座り直した。
「どうしよう……」
彼女は呟いた。
大統領は歓迎の拍手に応じながら演壇に上がり、マイクに向かった。その様子は月ばかりでなく、地球のテレビ局も中継していた。
「この良き日を迎えられた事を、大変嬉しく思っています」
大統領の演説はその後ろにある巨大なマルチビジョンに映し出されていた。
「五年前の出来事により、コペルニクスクレータは壊滅的な打撃を受けました。しかし、連邦国民が一丸となって努力した結果、五年前以上にすばらしい都市として復興したのです」
大統領は議長を見て、
「そしてその記念の日に、かつて戦火を交えた相手国である地球共和国の評議会議長閣下をお迎えできる今のこの平和な時に、深く感謝するものであります」
と続けた。
「……」
議長は仕方なく作り笑いをして大統領に応じた。大統領は頷き、再び正面を向き、喋り出そうとした。その時である。
「皆さん、今、このコペルニクスクレータに謎の飛行物体が接近しています」
テセウスの声が流れた。カシェリーナは顔をあげて、
「テセウスの声? 一体……?」
議長もギョッとして上を見た。
「何だ?」
大統領はどうすればいいのかわからず、オロオロしていた。その後ろのマルチビジョンに、デイアネイラの写真が映った。
「これがその謎の飛行物体です。恐らく、地球を支配していたディズムが計画していた最後のプランである、デイアネイラという戦闘機だと思われます」
再びテセウスの声がした。議長はその写真を見て、仰天した。
「あ、あれは……」
彼はデイアネイラの設計図を見た事があった。それとそっくりだったのだ。カシェリーナもビジョンに見入っていた。
「あれが、デイアネイラ……」
まさしくその姿はモンスターに見えた。
テセウスは電波ジャックをして、コペルニクスクレータ中のテレビとコンピュータに、この映像と音声を送り込んでいたのだ。たちまちクレータのあちこちで、パニックが起こり始めた。「ディズムが計画していた」という言葉が、人々の恐怖心を煽り立てたのだ。
「この飛行物体はあと一時間ほどでコペルニクスクレータに到達すると思われます。皆さん、すぐにクレータから避難して下さい。一刻の猶予もありません」
ついに会場にいる人々も我先にと逃げ始めた。大統領も警備兵に抱きかかえられるようにして会場の外へと向かった。
「しかし、一体誰がデイアネイラを……」
議長が呟いたのを聞きつけて、
「閣下、何かご存じなのですね?」
カシェリーナは議長に詰め寄った。議長はビクッとして彼女を見上げた。
ロイとエリザベスはシノンの邸に到着すると、シェリーの事を話した。
「わかった。ニューホンコンに連絡を取ってみよう。シェリーと話ができれば何かわかるかも知れない」
シノンはキーボードを叩き始めた。
「マーン先生のことも何もわからないっていうのに、何でこんなことが起こるのよ」
テミスが独り言のように言った。ロイはテミスを見て、
「マーン先生のことと、デイアネイラやクロノスの事、何か関係があるんじゃないか?」
「何でよ?」
テミスはムッとして言った。ロイは、
「デイアネイラ計画の大本は、ディズムだぜ。マーン先生は奴の実の息子だ。何かありそうだろ?」
「何者かがディズムの計画を継承して、マーン先生を誘拐したって事?」
テミスは尋ねた。ロイは肩を竦めて、
「そこまではわからないけどさ。でも、偶然にしちゃ、でき過ぎだろ?」
テミスはエリザベスと顔を見合わせた。
ニューホンコンの軍需工場はアバスが殺されて一時騒然となったが、やがて危険がないことがわかると、作業員はそれぞれの持ち場に戻り、作業を再開した。しかしシェリーだけはクロノスが発進してしまったので、何もする事ができず、手持ち無沙汰でいた。
( 本物のクロノスがある倉庫は、ドアが電子ロックでとても開ける事ができない。あのパスワードを知っているのは、アバスだけだった )
シェリーがそんなことを思いながら、他の作業員の仕事をボンヤリと見ていた時、
「シェリー!」
別の作業員が声をかけた。シェリーはハッとしてそちらに顔を向け、
「何ですか?」
「お前に電話だ。調整室のコンピュータで出てくれ」
「はい」
シェリーは誰からだろうと思いながら、工場の端にある調整室に向かった。
彼女は調整室に入ると、コンピュータの主電源を入れ、起動させた。やがてコンピュータは映像を映し出した。
「ロイ、エリー! どうしたの?」
シェリーは懐かしいが、あまりにも意外な人物からの連絡に、不安がよぎった。するとエリザベスが、
「シェリー、元気そうね」
「ロベルトと会えなくて、しょげてると思ってたんだけどな」
ロイが言うと、シェリーは笑って、
「大丈夫だよ。私はそんなにロマンティストじゃないからさ」
「シェリー、久しぶりね。テミスよ」
テミスが割って入った。シェリーはビックリして、
「テミス! 十五年ぶりかしらね。元気そうね」
「うん。シェリーもね」
エリザベスとシェリーとテミスの、取り留めもない会話がしばらく続き、ロイはうんざりしてシノンと顔を見合わせた。
「もういいだろ。そんな話をするために、電話したんじゃないんだからさ」
ロイはようやく止めに入った。シェリーはロイを見て、
「一体何? 突然連絡をよこすなんて」
「クロノスが月に向かった事、知ってるか?」
「えっ?」
シェリーはギョッとした。
「何でそんなこと知ってるの?」
しかしロイはそれには答えずに、
「月は今パニックらしい。でもそれはクロノスのせいじゃないんだ。クロノスより先に、月に向かったものがある」
「クロノスより先に? 何?」
シェリーは興味深そうに尋ねた。ロイは真顔で、
「デイアネイラだ。五年前、ディズムによって計画された、月を滅ぼすためのサードモンスターだ」
「デイアネイラ……。サードモンスター……」
シェリーはしばらく唖然としていた。エリザベスが、
「シェリーは軍需工場にいるんでしょ? 何か知らない?」
「この会話、盗聴されていない?」
シェリーは唐突に尋ねた。するとシノンが顔を出して、
「大丈夫だ。盗聴はされていないよ。私はシノン・ダムン。カシェリーナの父親だ」
「わかりました。クロノスは、実は私が改造していました」
シェリーが言うと、ロイとエリザベスとテミスは、
「ええっ?」
異口同音に叫んだ。エリザベスが、
「ど、とういうこと?」
「私も理由も知らされずに、宇宙航行用に改造するように命じられたのよ。今思うと、あれは評議会議長の指示だったようね」
「議長の? 議長がクロノスを使って、月を攻撃するつもりだったのか? 自分が、コペルニクスクレータの復興記念式典に出席しているのに?」
ロイが尋ね返した。シェリーは首を横に振って、
「違うよ。クロノスが月に到達する頃には、議長達は専用のシャトルで地球に向かっているさ。クロノスが月に着くまで、あと六時間以上あるんだから」
「なるほど……」
ロイは腕組みした。シェリーは、
「それよりさっきのデイアネイラの話だけど、そいつが月に到達するのにあとどれくらいなの?」
「あと一時間ほどだ。月では、デイアネイラの情報を流した者がいるみたいで、住民の避難が始まっているらしい」
ロイは答えた。シェリーはロベルトの事を思い出した。
「ロベルトも月に行っているんだ。大丈夫かな?」
「大丈夫さ。あいつはこんなことくらいで、死ぬような奴じゃないよ」
ロイはウィンクしてみせた。シェリーもフッと笑って、
「そうだね。そうだよね」
「ニューホンコンでディズムの影武者らしい人物が目撃されているようだが、君は何か聞いていないかね?」
シノンが口を挟んだ。シェリーはシノンを見て、
「いいえ。ニューホンコンはスパイや殺し屋がたくさん集まっている犯罪都市ですけど、情報の交錯も多くて、まともなのがほとんどないんです」
「そうか」
シノンはがっかりしたようだった。シェリーはそんなシノンを見て少し気の毒になったのか、
「でも情報部にも親しい子がいるから、そっちで何かわかるかも知れません。聞いてみますよ」
シノンはニコッとして、
「そ、そうかね。頼むよ」
シェリーは、
「はい」
大きく頷いて応えた。そして、
「それから月に向かったクロノスは、私らが乗ったものとは違うんだ」
ロイを見て言った。ロイはキョトンとして、
「どういうことだ?」
エリザベスもシェリーを見た。シェリーは二人を見て、
「コピーなんだよ。本物じゃないんだ。アバスが、あっ、アバスっていうのは、工場のオーナーなんだけど、そいつが何か企んで、本物のクロノスを隠して、コピーのクロノスを改造させていたんだ」
「何でそんなことを?」
エリザベスが尋ねると、シェリーは彼女を見て、
「それはわからない。でもアバスは、ついさっき誰かに射殺されたんだ。騒ぎは納まったけど、犯人はまだ捕まっていないし……」
「ということは、アバスという男は何者かの指示でクロノスのコピーを造り、それを君に改造させ、議長を欺いた、というわけか」
シノンが言った。シェリーはシノンを見て頷き、
「そのようです。アバスの後ろに、アバスに金を出し、操っていた者がいる……。これはダス・ガールス長官も言っていましたが」
「ほォ。あのガールスがね」
シノンは感心したように言った。