その十五 二つのモンスター
シェリーは工場に着くと、クロノスが工場端の滑走路に移されている事に気づいた。
「テスト飛行でもするのかな?」
彼女はいつものようにクロノスの整備を進めようと思っていたので、少し面食らっていた。
( 妙な話だ。使いもしないのに、何で改造なんかするんだ? )
クロノスの改造を命じられた日のことをシェリーは思い出していた。今になっても大いに疑問なのだ。
「クロノスが動かされたようだな」
シェリーに後ろに、軍服姿のガールスが不意に立った。シェリーはビクッとして振り返り、
「あっ、おはようございます、長官」
敬礼した。ガールスはそれには答えず、クロノスを見たままで、
「クロノスの改造の件、軍のどこからも指令は出ていない。何故お前はクロノスを改造している?」
シェリーは手を戻して、
「それはわかりません。しかし、軍の指令ではないことは知っていました」
「ほォ。では、どこの指令を受けて改造していたのだ?」
ガールスはシェリーを見た。シェリーは首を横に振り、
「それはわかりません。軍ではない、ということを知っているだけです」
「妙な話だな」
ガールスは再びクロノスを見た。シェリーもクロノスを見て、
「はい」
と応じた。
テセウスは中央の入り江の邸の自分の部屋でコンピュータを操作していたが、テレビ電話のアクセスを知らせるメッセージが出たので、切り替えた。モニターに、映ったのはパイアだった。
「パイア」
テセウスはニッコリ笑って言った。
「今、大丈夫?」
パイアは警戒するような声で尋ねた。テセウスは頷いて、
「大丈夫。母は出かけているよ。どうしたの?」
「実はね、今、月に正体不明の飛行物体が接近しているのよ」
「正体不明の? どういうこと?」
テセウスは眉をひそめた。パイアは真顔で、
「貴方なら、軍や政府のコンピュータにもアクセスできるでしょ? 何か掴めない?」
「うーん。できるけど……。どうするのさ?」
「これは私の勘なんだけど、とても恐ろしい事が起こる気がするのよ。五年前みたいな……」
パイアが言うと、テセウスはギクリとした。彼はパイアと地球から月に戻る途中で、宇宙船の横をかすめた、核融合砲の事を思い出した。
「わかった。調べてみるよ。パイアもその飛行物体のこと、もっと詳しく調べてみてよ」
「了解。愛してるわ」
「僕もだよ」
パイアは投げキスをして、消えた。テセウスは満足そうに微笑んで、すぐにキーボードを叩き始めた。
ナターシャは、あの日以来ずっと、シノンの家にいる。テミスとはすっかり打ち解けて、少しは明るさを取り戻していた。シノンもそんなナターシャを見て安心していたが、一方で彼を不安にする情報を入手していた。
( 夕べ、あのバカ議長の秘書官のコンピュータから探り出したクロノス計画というファイル。暗号化されていたので、中身はわからなかったが、あれは一体……)
シノンにも議長がクロノスを使って月を地球の属州にしようとしているなど、想像することができなかった。
「まさかあの議長、ディズムのやり残した事を続けるつもりじゃないだろうな」
シノンはコンピュータのキーボードに手をかけたまま考え込んだ。
「クロノスが動き出したそうだな?」
広間で、車椅子の男がサングラスの男に尋ねた。サングラスの男は頷いて、
「そのようで。議長の命令で、極秘に進められている計画のようです。我々には筒抜けですが」
「……」
車椅子の男はそれには応えなかった。サングラスの男は、車椅子を押しながら、
「しかし、クロノス計画は全く無駄になりましょう。我々のデイアネイラによって」
「うむ」
車椅子の男は、キーキーと音をさせながら、頷いた。
レージン達は会場で最終点検をすませ、会場に入る招待客のチェックを始めていた。
「今のところ、不審な人物は見かけられていません」
ロベルトが報告すると、レージンは、
「そのようだな。そろそろ、議長のリムジンが到着する頃だ」
腕時計に目をやった。ロベルトも腕時計を見た。
「来たぞ」
レージンは会場の正門にリムジンが現れたのを見た。道の両脇には地球共和国と月連邦の小旗を持ったたくさんの人達が並んで、リムジンを見ていた。
「まさか、この中にカロン・ギギネイのような殺し屋が潜んでいるなんてことはないですよね」
ロベルトが言うと、レージンはニヤリとして、
「まさかな。言っちゃ悪いが、あの議長も月の大統領も、殺すほどの人物ではないよ」
ロベルトは思わず噴き出してしまった。
ガールスはクロノスが発進したので、すぐにアバスのいる工場に向かった。シェリーも彼に続いた。
「アバス!」
アバスは工場の一角で、従業員に指示しているところをガールスに見つけられ、大声で呼ばれた。
「何でしょうか?」
アバスは一体何事だ、という顔をしてガールスに近づいた。
「クロノスが発進した。一体どこへ行ったのだ?」
「クロノスが? さァ、知りません」
アバスは明らかに何か知っているのに、トボケた。ガールスはムッとして、
「ふざけるな。工場の経営者であり、軍と政府を裏で牛耳っている貴様に知らない事などないだろう?」
アバスの襟首をねじ上げた。アバスは少し慌てた様子で、
「ちょっと待って下さい。何の事ですか?」
ガールスは手を放して、
「いつまでトボケるつもりだ? 今の議長はお前の金のおかげで当選したのだろう? 対立候補も、お前が立てた。あの選挙は最初から茶番だった」
アバスを睨みつけた。アバスは襟を直しながら、
「確かに力は貸しましたよ。しかし、そのこととクロノスの事と、どう繋がるんです?」
ガールスはカチンと来たらしく、
「あの議長は五年前、ディズムの側近の一人だった。ディズムが死んだのを知り、逃げ出そうとして反乱軍に捕えられ、政府から追放された男だ。そいつが議長になって何をするかと言えば、ディズムのやり残したことを継承する事しか考えられんだろう!」
アバスはさすがにビクッとしたようだ。シェリーもガールスの「ディズムのやり残した事を継承する」という言葉にピクンとした。
「ではそれは一体何です?」
アバスはあくまでもシラを切った。ガールスは、
「月を滅ぼす事だ。クロノスは月に向かったのだろう?」
「……」
アバスはそれには何も答えなかった。代わりにシェリーが、
「月へ向かったんですか? じゃあ、五年前にクロノスが行うはずだった、月の爆撃を……」
蒼ざめて言った。ガールスはシェリーを見て、
「そうだ。この男、何を企んでいるのか知らんが、どこかでディズムとつながっているのだ。だから奴の影武者らしき人物が、ニューホンコンで何度となく目撃されているのだ」
シェリーは目を見開いた。
( じゃあ私は、この一年、月を滅ぼそうとしている奴らの手助けをしていたの……)
「しかし、本当の黒幕は貴様ではない」
ガールスのその一言に、アバスは今度こそ本当に驚いたようだった。
「誰だ? まさか、本当のディズムではないだろうな?」
ガールスはアバスに詰め寄った。アバスの額から汗が噴き出した。そのアバスの額に十字線が重なった。
「そ、それは……」
アバスがそう言いかけた時、銃声がし、アバスの眉間が銃弾に撃ち抜かれた。
「キャアアア!」
シェリーの金切り声が響いた。アバスは頭から血を噴き出して仰向けに倒れた。ガールスが、
「伏せろ!」
シェリーを地面に倒した。しばらく静寂の時が流れた。どうやら狙撃者はアバスの口を封じるのが仕事だったらしく、その後銃声はしなかった。やがて作業員達が驚きの表情でアバスの遺体に近づいて来た。ガールスは立ち上がって、
「憲兵隊に連絡しろ!」
近くにいた作業員に怒鳴った。そして、周囲を見渡した。
( やはり、誰かがアバスを操っていたのか。一体何者だ? )
カシェリーナは紺のスリーピースを着て、胸に白いバラを着けた。ブラウスの襟は広く深く、胸の谷間が見えている。スカートの丈も短く、エリザベスがロイを仰天させたものと同じくらいだった。髪はカチューシャで留められ、前髪が少し垂れた状態。これはレージンの好みらしい。彼女は鏡を覗き込み、口紅を薄く塗って、ニッコリした。その時、バッグの中の携帯が鳴った。
「はい」
カシェリーナは見た事のない番号からの着信だったので、一瞬出るのをためらったが、何か重要な連絡の気がして、出た。その相手は意外な人物であった。
「テセウス? まァ、久しぶりね。どうしたの? よく私の携帯の番号がわかったわね」
カシェリーナが言うと、テセウスの声は、
「僕も貴女のお父上と同じで、コンピュータをいじるのが大好きなんですよ。それで、貴女の携帯の番号を調べて、連絡したんです」
「そうなの。それで、御用は何?」
カシェリーナはシノンとテセウスが並んでコンピュータを操作しているところを想像して、クスッと笑って尋ねた。時計は「9時30分」を指していた。
「実は今、月に謎の飛行物体が接近しているんです」
「謎の飛行物体?」
カシェリーナはギクッとした。テセウスの声は落ち着いた感じで、
「軍や政府のコンピュータにアクセスしてみたのですが、どこもその飛行物体に気づいた様子はありません」
「貴方は何故知っているの?」
カシェリーナはベッドに腰を下ろして尋ねた。
「パイア・ギノが教えてくれたんです。彼女のところには、軍のレーダーを上回る索敵システムがありますから」
「パイアさんが?」
カシェリーナは、ニュートウキョウの軍本部のロビーで会ったパイアを思い出した。派手なイメージの強い、でもとても奇麗な女性、という印象が強かった。
「何故私にそんなことを教えてくれるの?」
「パイアはその飛行物体に危険を感じたらしいんです。僕も彼女の意見に賛成です。ですから、貴女が危険に巻き込まれるのを阻止しようと思って、こうして連絡をとったんです」
カシェリーナは声を低くし、
「もしかして貴方、サードモンスタープランのことを知っているの?」
「ええ、知っています。確か、デイアネイラですよね」
「そう。知っているの。だから危険だと考えたのね?」
「はい」
カシェリーナは少し考え込んでいたが、
「どうしたらいいと思う?」
「貴方のフィアンセに知らせて、対処してもらうのが一番いいでしょう」
「ええ、そうね。それがいいわね」
カシェリーナはテセウスに礼を言うと、また連絡することを約束し合って携帯を切った。そして、立ち上がった。
( 間に合うのかしら? )
カシェリーナは不安になった。