その七 謎
シノンはやっと落ち着いたナターシャをソファに座らせて、自分もその向かいに腰を下ろした。テミスはナターシャの横に座り、彼女を気遣うように見ていた。
「もう少し詳しく話してくれないか、ナターシャ。警察に話したが、取り合ってもらえなかったということだが、マーン君がいなくなった時の状況を教えてくれ」
シノンが促すと、ナターシャはまだ赤い目を彼に向けて、
「今日、教授のところに伺う事になっていたので、何がプレゼントを買おうと思って、ダウを誘って出かけようとしたのですが、ダウは仕事があるからと出かけるのを嫌がったんです。私は仕方なく一人で買い物に出かけました」
シノンはテミスに目配せした。テミスは頷いてキッチンに行った。ナターシャが再び口を開いた。
「それで、買い物をすませて家に戻ると、中が荒らされていて、ダウの姿がありませんでした。私は家中を探しましたが、彼はいなかったんです。それで……」
ナターシャは泣き崩れた。シノンはナターシャの肩に優しく手をかけて、
「マーン君が誘拐されたのか、自分の意志で姿をくらましたのか、実際のところははっきりしていないんだね?」
「はい」
ナターシャは顔を上げて答えた。シノンはフーッと溜息を吐いて、
「何にしても今日はもう遅い。今テミスに寝酒の用意をさせているから、それを飲んで眠りなさい」
「でも、ダウが……」
ナターシャが駄々をこねる子供のようなことを言いかけたので、シノンはムッとして、
「君がいくら心配したところで、事態は何も進展しないんだ。いいから、言う通りにしなさい」
「はい……」
ナターシャは応え、目を伏せた。
翌朝、ロイはエリザベスを誘ってレンタカーでドライブに出かけた。エリザベスはいつもの服装に戻って、化粧もほとんど目立たない。ロイは満足そうにエリザベスを見てから、車をスタートさせた。
「大学の講義はどうするの?」
エリザベスが尋ねると、ロイはフフンと笑って、
「クストスに頼んどいたよ。奴のノートを後で見せてもらえば、実際に講義に出るよりずっとよくわかるぜ」
「まァ」
エリザベスは呆れながらも、嬉しく思っていた。ロイの気持ちははっきりわかったし、こうして自分を誘ってドライブに出かけてくれている。エリザベスはついニコニコしてしまった。
「何だよ、ニヤニヤして」
ロイが言ったので、エリザベスはハッとして、
「や、やだ……」
赤くなって俯いた。そんなエリザベスを見るロイの目は、優しさに満ち溢れていた。
「あれ?」
ロイは前を見て言った。エリザベスもそちらに目をやり、
「何?」
ロイはスピードを落として、車を歩道に寄せ、停止させた。
「先生!」
ロイは大声を出した。彼はバスターミナルでバスを待っているカシェリーナの姿を見かけたのだった。
「あら、ロイにエリーじゃない?」
声をかけられたカシェリーナは、ニッコリして二人に近づいて来た。
「こんなところで何してるの?」
ロイとカシェリーナの口から、絶妙なタイミングで全く同じ言葉が出た。二人は顔を見合わせてクスッと笑った。
「先生は月に行ったんじゃなかったんですか?」
エリザベスが口を挟んだ。カシェリーナはエリザベスを見て、
「そうなんだけど。急な用事ができて、今朝早く、こちらに戻ったのよ」
「一体何があったんですか?」
ロイが尋ねた。カシェリーナはロイを見て、
「私の恩師が行方不明なの。その奥さんが今私の父の家に来ているので、今からそこへ行くところなのよ」
「先生の恩師って、ダウ・バフ・マーン教授ですよね?」
ロイは言った。カシェリーナは頷いて、
「そうよ」
ロイはチラッとエリザベスを見た。するとエリザベスはすぐにロイの言いたい事を察して、コクンと頷いた。ロイはニッとして再びカシェリーナを見て、
「じゃ、俺が乗せてってあげますよ」
「でも……」
カシェリーナはエリザベスを見た。また睨まれると思ったのだ。しかしエリザベスはニッコリとして、
「大丈夫ですよ。私達、別に行く当てがあって走ってたわけじゃありませんから」
カシェリーナはエリザベスが妙に機嫌がいいので、逆に驚いてしまった。
レージンは部下と合流して、コペルニクスクレータにある式典会場の視察をしていた。いや、視察というよりは、検査と言った方が正しいかも知れない。彼らは会場の裏、カーテンの陰、廊下の窓、壁、床、会場の天井にあるライトと、様々な箇所を調べて回った。
「これといって、異常な箇所は発見されませんでした」
ロベルトが報告した。レージンは、
「そうか。ご苦労。また明日、同じように点検する。今日はこのまま解散だ」
「はっ!」
隊員の多くは大喜びで、それぞれの目的地に向かって走って行った。レージンはそんな様子を見ながら、別の事で不安になっていた。
( マーン先生がこの時期になって行方不明とはな。偶然なのか? それに、リノス・リマウらしき人物が、ニューホンコンにいるという情報もある。何かが起ころうとしているのか? )
「隊長、どうしたんですか?」
残っていたロベルトが声をかけた。レージンはハッと我に返って、
「いや、何でもない。それより、お前はどこにも行かないのか?」
ロベルトは苦笑いをして、
「遊びたいのは山々なんですが、後でばれると、命が危ないもんで」
「彼女、怖いのか?」
レージンがニヤリとして言うと、ロベルトは照れ笑いをしながら、
「はァ……。独占欲が強いというか……」
「ハハハ、お互い女運が悪かったな」
レージンは大笑いをした。ロベルトはキョトンとして、
「では隊長、カシェリーナ・ダムン先生も、怖いのですか?」
「多分、お前の彼女より怖いだろうな」
レージンは肩を竦めて言った。ロベルトはただ引きつって笑うだけだった。