その五 すれ違い
一方ロイは、法学部棟のロビーにある掲示板の前で呆然としていた。
『カシェリーナ・ダムン 行政法 休講』
ロイはカシェリーナの講義する憲法、行政法、刑法の三つを受講する事にしていたのだが、カシェリーナが月のコペルニクスクレータの復興式典に出席するため、一週間大学を休むことになったのを知って、半分死んでしまったかのように固まっていた。
「残念だったわね、ロイ」
エリザベスに声をかけられて、ロイはハッと我に返り、彼女を見た。
「何がだよ?」
図星を突かれると強がりを言うのが、ロイの悪い癖である。エリザベスはニヤッとして、
「カシェリーナ先生、休暇なんでしょ? しかも、一週間も」
「か、関係ないよ」
ロイは歩き出した。そして、あれっと思って立ち止まり、改めてエリザベスを見た。彼女は昨日とは全く違う服装だった。身体の線がクッキリと浮き出た真っ赤なワンピース。しかも、スカートの丈は、カシェリーナのものより凄い膝上二十五センチメートルはあった。ちょっとかがめば、中が丸見えになりそうだ。しかも胸元も、完全に谷間が見えており、テレビやインターネットのアイドルの格好よりきわどい服だ。その上、化粧もいつもの彼女とは違い、妙にケバケバしい。口紅はパープルで、アイシャドーはピンク。髪型は、まるで嵐の中を駆け抜けて来たように逆立ったもので、それでいて何かまとまりがあった。
「どうしたんだ、お前、その格好は?」
ロイばかりでなく、周囲を歩いている誰もが( 特に男共が )、エリザベスを見つめていた。
「あら、貴方、こういうの好きなんじゃないの?」
「あのな……」
ロイはエリザベスの変わりように呆れてしまった。
( こいつ、何考えてるんだ? 俺はこいつの、大人しくて、派手好きじゃないところが好きだったのに。これじゃ、そこいらのガサツな女と一緒じゃねえかよ…… )
ロイは口に出して言いかけたが、それを何とか呑み込み、再び歩き出した。
「待ってよ、ロイ」
エリザベスが追おうとすると、ロイはうるさそうにエリザベスを見て、
「ついて来るな。俺はそういうケバい女は大嫌いなんだ」
立ち去ろうとした。するとエリザベスは、
「何よ! じゃ、今まではどうなの? あの日以来、貴方はカシェリーナ先生のことばかり考えて……。すぐそばに私がいるのに、私の事なんか、少しも考えてくれなかったじゃないの!」
癇癪を起こした。ロイはギョッとしてエリザベスを見て、
「お、おい、大声を出すなよ。皆が見てる」
周囲に集まり始めた学生達を見た。しかし、逆効果だった。
「だから何よ!」
ますますエリザベスは、声を荒げて捲し立てた。
「今までだって振り向いてくれなかったのに、この格好が気に入らないなんて、よく言えたものね!」
エリザベスの目に涙が光っていた。ロイは仕方なく、エリザベスの右手を掴んで、走り出した。
「何するのよ!」
ロイは嫌がるエリザベスを無理矢理学部棟裏の人気のないところに連れ出した。
「痛いわよ、放してよ!」
ロイはエリザベスの右手から自分の手を放した。するとエリザベスはその場にベタンとしゃがみ込み、泣き出してしまった。
「私の事なんて少しも考えてくれないで、何よ……。部屋で一人で先生のこと考えて、変な事してたんでしょ」
エリザベスが言ったので、ロイはギクッとしたが、
「バ、バカ言うな。あの先生の事は、そんな対象じゃないよ。ただ憧れているだけだ」
「どうだか……」
エリザベスは泣くのをやめて、キッとロイを睨んだ。ロイもさすがにあまりにも支離滅裂なエリザベスの言動にムッとして、
「じゃあ、俺は何て言えばいいんだ? どうすればいいんだ?」
「……」
エリザベスはビクンとした。ロイはエリザベスの前で片膝を着いて彼女の両肩を掴み、
「お前の事は、ガキの頃からずっと好きだったんだ。だから、素のままでいてほしい。そんな格好するなよ。いつものお前の方が、ずっとチャーミングなんだからさ」
するとエリザベスの大きな瞳から、ポロポロと涙が溢れ出た、
「ごめんなさい、ロイ……。ごめんなさい」
彼女は泣きじゃくりながら、ロイに抱きついた。ロイも優しく彼女を抱きしめた。
「もういいよ、エリー。俺も悪かったよ」
二人は長い間何となく付き合っていた自分達に気づき、やっと素直に相手を見る事ができるようになった。
ニューホンコン。昔は雑多な街であったが、今では共和国政府の都市計画という名の強制収用で、すっかりその様相を変えていた。あれだけゴミゴミしていた街並が、碁盤の目のように整えられ、ニューペキンに次ぐ、アジア第三の都市となっていた。( 一位は言うまでもなく、共和国首都、ニュートウキョウである )
そのニューホンコンの一角の林の中にリノス・リマウは潜んでいた。そこは惨めな掘っ建て小屋だった。
彼は報酬の半分を前金でもらい、正体不明の出資者の指示で部下にクロノスの設計図とマニュアルを盗ませようとした。しかしそれは失敗に終わり、部下は捕まった。彼は当然出資者から残りの報酬は貰えず、殺されると思った。しかし、そうはならなかった。彼の口座に、残金が振り込まれた上、刺客が襲って来る事もなかった。リノスには理由がわからなかった。
「失敗したのに報酬を払うとは……。余程のバカか、それとも……」
謀略には長けているつもりのリノスだったが、彼に出資した者の底知れぬ構想を感じ、背筋が凍る思いだった。
「一体、何者なんだ?」
リノスは手に持っていた骨つきのフライドチキンを食いちぎった。
「ニューホンコンにいるらしいということ以外、何も知らされないのも気に食わんな」
リノスは眉をひそめて呟いた。
ニューホンコンには、カロン・ギギネイに殺されたケパロス・ピュトンが所有していた巨大な軍需工場があった。そこは共和国軍に接収され、軍の管理下にあったが、一年前にある投資家が軍から払い下げを受けて、民間企業に戻った。
その大きさは想像を絶する。大型戦艦クラスが五隻、楽々入るのだ。そしてここは、軍の兵器全てを一手に引き受け、製造していた。
その工場を共和国軍司令長官であるダス・ガールスが視察に来ていた。彼はディズムによって追放されていたが、ディズムが死んで復権し、再び司令長官となったのである。
「月の連中が、ニューホンコンを過敏なまでに意識している。あまり派手な動きはするなよ」
たくさんの襟章と勲章が着けられた軍服に身を包んだガールスは、ディズムの下で使われていた時と違い、溌剌としていた。
「わかっております。コペルニクスクレータでの式典も迫っておりますので、月の過激な連中を刺激したくはありません」
ガールスの横に並んで立って話している男は、工場を買い取った者の代理人であり、工場の経営者でもある、アバス・アドである。ずんぐりしていて、頭の半分が禿げ上がっているこの男は、長身のガールスと並ぶと、よりその不格好さが際立った。しかし目つきは鋭く、頭は切れそうである。
「結構。取り敢えず、夜のパーティーを楽しみにしているぞ」
「はい」
歩いて行くガールスとそのSP達の後ろで、アバスはニヤリとした。
( この好き者が……)
アバスは心の中でガールスを嘲笑した。