その三 デイアネイラ
カシェリーナは、自分の研究室でコンピュータのキーボードを叩いていた。
( あのエリザベスという子の言っていた事、気になるわ。確かにあれから五年も経つというのに、未だに四人の影武者の行方はわかっていない。と言うより、探す事すらしていないのかしら? )
彼女はブラウスの袖をまくり上げてキーボードを叩き、大学のデータベースにアクセスし、ディズム爆死当時のニュースデータや新聞記事、雑誌や論文を呼び出して調べた。
( どれほど探しても、あの日から一ヶ月くらいしか、影武者の行方不明の話は出て来ない。何故なのかしら? )
その時、ドアがノックされた。カシェリーナは手を休めてドアの方を向き、
「どうぞ。開いているわ」
と答えた。
「失礼します」
入って来たのは、ロイとエリザベスだった。カシェリーナはニッコリして、
「よく来たわね。さ、かけて」
ソファを手で示し、部屋の隅にあるテーブルに近づいて、コーヒーメーカーの電源を入れた。
「へェ」
ロイは周囲を見回しながら、ソファに腰を下ろした。研究室だから当然なのだが、中は本棚だらけで、窓以外の全てを覆い尽くさんばかりに並んでいた。
「凄いなァ。本屋みたいだ」
「私なんかまだ少ない方よ。ベテランの教授方は研究室の他に書庫に何千冊も本を保管しておられるわ」
カシェリーナはロイの前に腰を下ろしながら言った。奇麗な膝が二つ、ロイの目の前に並んだ。ロイは思わず生唾を呑み込んでしまった。エリザベスはロイの隣に座っていたが、そんなロイの行動を見て、
「嫌らしいわね」
ロイはその言葉にギクッとしてエリザベスを見ると、
「な、何だよ?」
彼は自分が考えている事を見抜かれたような気がして、ドキドキしていた。カシェリーナもその時初めて、自分のスカートの丈が短過ぎて、ソファに座るのには( ましてや目の前に若い男がいるのに )適さないのだ、という事に気づいた。
「あ、あっ」
彼女は頬を赤らめて、膝を斜めにした。エリザベスはカシェリーナのことをキッと睨みつけて、
「先生、詳しい話をしましょうと言われたので、参りました。どんなお話ですか?」
まるでこれから喧嘩でも始めるのではないかという調子で尋ねた。カシェリーナは苦笑いして、
「そ、そうね。貴女がさっき言っていた、ディズム総帥の影武者の話なんだけど……。どうして貴女は、爆死したディズム総帥が本物ではないと考えるようになったの?」
するとエリザベスはギクッとしたような顔つきになり、黙り込んだ。カシェリーナは変に思って、
「あら、どうしたの?」
エリザベスの顔を覗き込んだ。大学生にしては、落ち着いた服装だけど、顔はやっぱり若々しくて学生らしいわね、とカシェリーナは思った。
エリザベスがディズムの影武者の話を持ち出したのは、カシェリーナへの嫉妬からだったのだ。別に何か思うところがあってした発言ではない。とにかくあの時は、カシェリーナとロイの会話を遮りたかっただけなのである。だから何故と問われると、答えられない。もちろん正直に、自分の考えている事を話すわけにもいかない。エリザベスはすっかり困ってしまった。
「こいつ、推理小説やサスペンススリラーが大好きなんですよ。だからじゃないですか?」
思ってもみなかったロイの助け舟に、エリザベスはホッとした。と同時に、ロイに悪い事をしたと自己嫌悪に陥ってしまった。
カシェリーナはコーヒーメーカーのところに行き、カップにコーヒーを注いで、トレイに載せ、戻って来た。彼女はテーブルの上にトレイを置いて、
「なるほどね。私も好きよ」
「そうですか。じゃ、俺も好きになっちゃおうかなァ」
「フフフ……」
カシェリーナとロイの会話が弾んでいるのをエリザベスはぼんやりと見ていた。
( 私、何やってるんだろう? )
彼女の頭の中を、そんな疑問が駆け抜けた。
「それでね、今ディズム総帥の影武者の話が出て来る記事や論文なんかを探していたんだけど、いくら探しても、事件後一ヶ月足らずで、全くどこにも出ていなくなっているのよ。当時はそんなこと、気にも留めなかったんだけど、今になって考えてみると、とても不思議よね」
カシェリーナが言ったので、エリザベスはハッと我に返った。
「先生はご存じかどうか知りませんけど、俺達、あのクロノス事件の当事者なんです」
ロイが誇らしそうに言うと、カシェリーナはクスクス笑って、
「ええ。さっき名前を聞いてから少しして、思い出したの。レージンから聞いたことがあるから」
「レージン?」
ロイはキョトンとした。カシェリーナはロイを見て、
「私のフィアンセよ。彼は今、憲兵隊の第一分隊の分隊長を任されているわ」
「フィ、フィアンセ?」
ロイの目が虚ろになった。相当ショックだったらしく、彼は俯いてしまった。エリザベスはそんなロイを見て、急に上機嫌になり、
「そうなんですか。先生ほどの美人なら、恋人がいないわけないですよね」
「ありがとう、イトーさん」
カシェリーナはエリザベスの豹変に驚きながらも、礼を言った。エリザベスは照れ笑いをして、
「エリーでいいです、先生。それに、この人もロイで十分です」
「わかったわ」
カシェリーナはニコッとして応じた。そして、
「話を元に戻すけど、ロイ」
「は、はい」
ロイはカシェリーナに呼びかけられて、死の国から舞い戻ったような顔でカシェリーナを見た。エリザベスはそんなロイの動きがおかしかったのか、クスクス笑った。ロイはムッとしてエリザベスを一瞥してから、
「何でしょうか?」
カシェリーナを見た。カシェリーナは真剣な表情で、
「あなた達、クロノスがその後どうなったか知ってる?」
「いいえ。反ディズム軍に引き渡した後のことは知りません。それが何か?」
ロイはカシェリーナの目を見た。カシェリーナは二人を見て、
「ディズム総帥のことと関係があるかどうかわからないんだけど、クロノスはあの事件の後、ニューペキンの軍支部で保管していたらしいの。でも、半年ほど前、クロノスの保管されている倉庫に、侵入した者がいたらしいわ」
「クロノスの倉庫にですか?」
ロイは身を乗り出した。エリザベスもカシェリーナの話に聞き入っている。カシェリーナは大きく頷いて、
「そうなの。サードモンスタープランって聞いた事ある?」
「サードモンスタープラン、ですか? 聞いた事あるか?」
ロイはエリザベスを見た。エリザベスは首を横に振って、
「知らないわ。何ですか、それ?」
カシェリーナを見た。カシェリーナは声を低くして、
「スキュラ、クロノスの次の戦闘機の計画よ。確か、『デイアネイラ』とかいう名前だったと思うわ」
「デイアネイラ?」
ロイとエリザベスは口を揃えて言った。カシェリーナは立ち上がって窓に近づき、
「デイアネイラは、スキュラやクロノスを上回る破壊力を持つ、まさにモンスターと呼ぶにふさわしいものだったらしいの。あなた達が、クロノスを奪ったおかげで、その計画は挫折したらしいわ」
振り返って言った。外からの日差しが、カシェリーナの黒髪をキラキラと輝かせていた。ロイはカシェリーナを見上げて、
「そのデイアネイラと、クロノスの倉庫に侵入した奴と、どういう繋がりがあるんですか?」
「クロノスのプロトタイプをさらに発展させたものが、デイアネイラらしいの。侵入者はクロノスの倉庫から、クロノスのマニュアルと設計図を盗み出そうとして捕まったのよ」
カシェリーナはコンピュータデスクの椅子に腰をかけて、脚を組んだ。ロイはギョッとして、
「じゃあ何者かが、デイアネイラを造ろうとしているってことですか?」
「かも知れないわね。その捕まった侵入者というのが、リノス・リマウという男の部下だったらしいわ」
「リノスの?」
ロイはリノスの姿を思い浮かべた。狡猾そのものの顔が、ヒグマのような身体に着いている男。
「リノスが、デイアネイラを造ろうとしているんですか?」
「そうじゃないらしいの。リノス・リマウという男には、そんな力も資金もないようだから」
「じゃあ、リノスの後ろに誰かがいる?」
ロイはその時改めてエリザベスの言った言葉を思い出した。
『私が言いたいのは、核融合砲基地で爆死したのは、本物のディズム総帥かどうかわからない、ということです』
「そう考えるのが、正しいわね。でもこの話、他言無用よ。レージンから聞いた、トップシークレットなんだから」
カシェリーナは、唇に人差し指を押し当てて言った。ロイはニヤリとして、
「先生のフィアンセ、そんなこと先生に話しちゃって立場大丈夫なんですか?」
「大丈夫なんじゃない?」
カシェリーナもクスッと笑って答えた。