第二十四章 影
シノン・ダムンはアタマスの別荘でソファに座って思索に耽っていた。ナターシャは心配そうに窓の外を見ていた。
「軍用車に取り囲まれた時は、人生が終わったと思ったが、そうでなくて良かったな」
シノンが不意にそう言うと、ナターシャはハッとしてシノンを見て、
「え、ええ、そうですね」
シノンは立ち上がってナターシャと並んで窓の外を見た。
「まだ戦火が見えるかね?」
「ええ。共和国軍同士が市街戦をしているらしいんです。街のあちこちで火の手が上がっているようです」
「そうか……。ディズム打倒のためには、やはり無血無傷という訳にはいかんのかな」
「……」
ナターシャは悲しそうに頷いた。シノンはナターシャから離れて、
「しかし確実に世の中は変わろうとしている。ディズムやゲスのような独裁者を許さない世の中にな」
「ええ」
ナターシャはシノンを見た。シノンもナターシャを見て、
「そしてその中心となるのが、君達の世代だよ、ナターシャ。マーン君やカシェリーナ達と力を合わせて、この流れをもっと大きなものにして、単なる運動で終わらせないようにしてくれ」
「はい、教授」
ナターシャは大きく頷いた。シノンはニッコリして頷き返した。
ヒュプシピュレとマーンは格納庫に辿り着いていた。
「何で、何でこんなものが地下にあるのよ……」
ヒュプシピュレは仰天して言った。マーンもそのミサイルの数に息を呑んだ。
「また来たか」
ディズムがマーンを見た。カロンはヒュプシピュレを見て、
「ヒュピー、何故来た?」
「心配だったからよ」
ヒュプシピュレはムッとして答えた。カロンは再びディズムを見た。
「さてと。観客があまり増えないうちに幕を引こうか」
「……」
ディズムは無言のままカロンを見据えた。そこへレージン達が降りて来た。
「先生!」
「カシェリーナ! レージン!」
マーンは驚いて叫んだ。その時、カロンの銃が吠えた。弾丸はディズムの眉間を撃ち抜き、ディズムは後ろに吹き飛んで倒れた。あまりにも一瞬の出来事だったので、マーンもカシェリーナもレージンも、声を出すことすらできなかった。
「依頼は完了した。ヒュピー、帰るぞ」
「え、ええ」
カロンはチラッとカシェリーナを見てから、梯子に向かって歩き出し、昇り始めた。ヒュプシピュレはマーンに何か言いたそうだったが、すぐにカロンを追って梯子を昇って行った。
「死んだのか……」
マーンは呆然とした状態からやっと正気を取り戻し、ディズムの遺体に近づいた。ディズムは目を見開いたまま、死んでいた。それは確実な死だった。眉間から血はほとんど出ていなかったが、弾丸は後頭部を貫いたらしく、頭の下に血が広がっていた。
「呆気ない最期だったな」
マーンはぼそりと言い、ディズムから離れた。カシェリーナはレージンと顔を見合わせた。
「先生!」
カシェリーナが声をかけると、マーンは弱々しく微笑んで、
「せめてもの肉親の情として、奴を晒し者にするのだけは防ぎたい。ここで起こったことは秘密にして、取り敢えずディズムが死んだことをアタマスさんに連絡しよう。各地で起こっている共和国軍同士の戦いを止めるためにも」
「はい……」
マーンは悲しそうな顔をして、梯子に近づいて行った。カシェリーナとレージンは再び顔を見合わせた。
ララルは大統領官邸を離れようとしていた時に、情報局からディズム死亡の連絡を受けた。
「そうか、カロン・ギギネイがやったのか」
彼はホッとして大統領の椅子に座った。そして、
「これでようやくコペルニクスクレータに市民を戻らせることができるな。そして、月の歴史が変わる時が来る」
と呟いた。
パイアとテセウスの乗る宇宙船は、地球から五万キロメートルのところまで来ていた。パイアも月の部下からの連絡で、ディズム暗殺の話を聞いていた。
「とうとうカロンがやったのね。どうやら月は割られずにすんだみたい」
とパイアが隣に座っているテセウスに言った。テセウスはホッとした表情で、
「人が殺されたのは悲しいことですが、とにかく、これで月に核融合砲が発射されることはなくなったわけですよね。良かったです」
と答えた。パイアはフッと笑って前を見た。
カロンはヒュプシピュレの車で別荘に向かっていた。彼は携帯電話をスーツの内ポケットにしまうと、
「何か変だ」
「えっ?」
ヒュプシピュレはピクンとしてカロンを見た。カロンは前を見たままで、
「あまりにも簡単過ぎた。ディズムがあまりにもあっさり死んだ」
「考え過ぎよ。所詮あの手の男は、悲惨な末路を辿るものなのよ」
ヒュプシピュレが言うと、カロンはフッと笑って、
「だといいんだがな」
と応えた。
マーンは傷口の痛みが戻り始めたため、レージンに肩を借りて歩いていた。三人は官邸を出たところだった。
「大丈夫ですか、先生?」
カシェリーナが尋ねた。マーンは作り笑いをして、
「大丈夫だよ。それより急ごう。早くしないと、戦死者が増えるばかりだ」
「ええ」
三人は四駆車に乗り、軍本部へと向かった。
「結局、こんな結果になってしまったな」
マーンが独り言のように言った。カシェリーナは、
「総帥の説得に失敗したのは確かに残念でした。でも、核融合砲が使われずにすんで、良かったじゃないですか」
「そうですよ。そう考えましょうよ」
レージンが口をはさんだ。マーンは二人を見て、
「そうだな。前向きに考えることにしよう」
と笑って言った。まさにその時だった。
「何?」
カシェリーナは南の空に一筋の光が昇って行くのを見つけた。レージンも気づき、驚いて車を停止させた。
「あ、あれは……」
マーンは唖然とした。
カロンとヒュプシピュレもその光に気づいていた。
「まさか、あの光は……」
「そんな……」
二人も呆然としてその光を見ていた。
「何、あの光は?」
パイアが、宇宙船のはるか左を通過した光の束を見て叫んだ。テセウスは息を呑んで、
「ま、まさか、あれは……」
そのまさかだった。その光は、核融合砲の光だったのだ。光の束は、コペルニクスクレータに向かっていた。
「な、何だと?」
ララルは信じられないという顔で、自分に向かって舞い降りて来る巨大な光の渦を見ていた。
「まさか、ディズムめェッ!」
それがララルの最期の言葉だった。大統領官邸は一瞬にして蒸発し、コペルニクスクレータは轟音で揺らぎ、街の全てが消滅した。
「コ、コペルニクスクレータが……」
パイアはやっとそれだけ口にした。テセウスは驚きのあまり、声を失っていた。
「奴は生きているんだ。俺が殺したのは、六人いる影武者の一人だったんだ」
カロンは歯ぎしりして悔しがった。ヒュプシピュレは、
「どうするの?」
と尋ねた。カロンは前を見据えたままで、
「戻ってくれ。もう一度奴を殺しに行く」
「わかったわ」
ヒュプシピュレは車をUターンさせ、議長官邸に向かった。
「先生……」
カシェリーナは呆然としたまま、マーンを見た。マーンはレージンを見て、
「レージン、戻ってくれ。あの男は死んではいない。あそこで死んだのは、あの男の替え玉だ。本人じゃなかったんだ」
「……」
レージンはしばらく呆然としていたが、やがて車をUターンさせた。
「何てことだ……」
とマーンは呟いた。
カロンとヒュプシピュレの方が、カシェリーナ達より早く議長官邸に到着した。カロンは車から飛び降りるようにして出ると、官邸の中へ駆け込んだ。ヒュプシピュレは周囲を見渡してから、その後に続いた。
「ディズムに影武者がいるのを知りながら……。醜態だな」
カロンは自嘲気味に言った。しかしヒュプシピュレは何も言わなかった。
カシェリーナ達が乗る車もやがて官邸に到着した。
「あの車は……」
カシェリーナがヒュプシピュレの車を指差すと、マーンが、
「恐らくカロン・ギギネイとあの女の車だろう。二人もあの男が死んでいないことに気づいたんだよ」
と答えた。三人は車を降り、官邸の中へ走り込んだ。
カロンとヒュプシピュレが議長室に入ると、ディズムが不敵な笑みを口元に浮かべ、机の反対側の椅子に腰を下ろしていた。
「やはり戻って来たか。どうだ、騙された感想は?」
ディズムが言うと、カロンは、
「貴様、本物か?」
と尋ね返した。ディズムはニヤリとして、
「さァ、どうかな。私は六人の影武者を作った。六人共顔を整形手術で直し、声も体格も矯正した。記憶も強制的に書き換えて、私と全く同じものにしたのだ。唯一違うのは、オリジナルの私に対して、他の六人は絶対服従だということ」
「なるほどな」
カロンは銃を構えた。
「お前のような男があと五人もいるかと思うと、虫酸が走る」
「そうか」
ディズムは立ち上がった。
「私を殺しても無駄かも知れんぞ。私が本物かどうか、お前には見分けがつかんはずだからな」
「お前が本物かどうかなど関係ない。俺はディズム暗殺の依頼を受けた。お前が例え百人いようと、俺は依頼を完遂する。だからお前も死ね」
カロンはディズムを撃った。またディズムはあっさりと眉間を撃ち抜かれ、椅子ごと後ろに倒れた。
「こいつも替え玉だ。本物はもうここにはいないようだな」
カロンは言った。そこへカシェリーナ達がやって来た。ヒュプシピュレはマーンを見て、
「ディズムの本物はここにはいないようね」
と言った。カロンはカシェリーナを見た。カシェリーナはカロンの視線にビクッとした。レージンが彼女を庇うようにして立った。カロンはフッと笑って、
「何もそうビクつくことはない。俺はお前達を殺しはしない。今の俺のターゲットはディズムだけだ」
と言い、議長室を出て行った。ヒュプシピュレはマーンにウィンクして出て行った。レージンが、
「先生、あの女知っているんですか?」
「ああ。昔、道に倒れているのを助けたことがあってね」
「へェ……」
レージンは驚いたが、カシェリーナは心配そうに、
「まさか先生、あの人と何かあったなんてことは……?」
「バカなことを言うなよ。助けただけで、その後ずっと会っていなかったんだ。彼女の方から話してくれなければ、私は忘れたままだったくらい古い話だよ」
とマーンは言った。そして、
「とにかくここを出よう。ディズムがどこへ行ったのか、考えるんだ」
「考えてみるまでもないでしょう?」
カシェリーナが言った。マーンとレージンはハッとしてカシェリーナを見た。
「総帥は核融合砲がある、中央太平洋の孤島にいるはずです。父に連絡を取れば、島の正確な位置がわかるはずです。そうしたら軍の高速ヘリで島に向かいましょう」
「そうだな」
とマーンは頷いて言った。
三人が外に出ると、辺りは西日で赤く染まり始めていた。
「夜になるな。急がないと、発見が難しくなるぞ」
マーンは言った。三人は四駆車に乗り込み、軍本部へと向かった。カシェリーナの服の襟に、白いボタンのようなものが着いていた。それはカロンがすれ違い様に取り付けた、小型発信機であった。
太平洋の中央にある、核融合砲が建設された孤島に、一機の戦闘機が着陸していた。それは垂直離着陸可能なタイプで、最高速度がマッハ3を超える最新鋭機であった。ディズムが搭乗して来たのである。
「コペルニクスクレータは直径が90キロメートル以上あるというのに、たった一撃で廃墟にしてしまうとはな。思った以上の破壊力だ」
ディズムは自分で砲塔を操作し、発射したのだった。この島には、彼の他、誰もいなかった。
( 私がここにいることに、カロン・ギギネイが気づく頃だな。急がねばならん )
ディズムは次の発射の準備を始めた。
カシェリーナ達は、軍本部で調達した高速ヘリに乗り、ヘリに搭載しているコンピュータに、シノンが入手した孤島の地図を送信してもらい、それをヘリのナビにダウンロードして、自動操縦で飛行していた。日はすっかり西に傾き、水平線に沈もうとしていた。
「東に向かって飛びますから、日没が早まりますね」
と副操縦席でレージンが言うと、後部座席で横になっているマーンが、
「とにかく急ぐしかない。帰りのことは考えずに、最高速度で飛行するようにコンピュータに指示してくれ」
と言った。レージンは、
「はい」
と応え、キーボードを叩いた。カシェリーナは不安そうに眼下に広がる太平洋を見下ろしていた。
パイアの宇宙船はアイトゥナに到着した。
「これからどうするの、テセウス?」
とパイアが尋ねると、テセウスは、
「コペルニクスクレータが被害を受けたのは大打撃ですが、幸い市民は全員他のドームに避難していましたから、僕の計画は続けられそうです」
「そう。良かったわね。頑張りなさい」
「はい」
テセウスはパイアと握手を交わして、宇宙船を出た。しばらく歩いて行ったところで彼は振り返り、
「パイアさん」
「何?」
パイアも宇宙船から離れかけていたが、テセウスの声に立ち止まって彼を見た。
「事態が収拾に向かったら、またここに来てもいいですか?」
テセウスは少し顔を赤らめて尋ねた。パイアはクスッと笑って、
「いいわよ」
「ありがとう」
テセウスは嬉しそうに走り去って行った。パイアは溜息を吐いて、
「何であんな坊やに気に入られちゃったのかしらねェ」
と呟いた。
夜の闇の中を、高速ヘリは飛行していた。
「計算だとあとどれくらいで到着するの?」
マーンの様子を見ながらカシェリーナが尋ねた。レージンはコンピュータを見て、
「あと約五時間だ。風が強くなって来たので、もう少しかかるかも知れない」
「間に合うかしら?」
カシェリーナの問いにレージンは、
「絶対間に合わせるさ!」
と大声で言った。
太平洋の孤島では、核融合砲のカウントダウンが再び始まっていた。今度は一体どこを狙っているのだろうか?
「発射300分前か」
ディズムはパネルに表示されたデジタルの数字を見た。そしてニヤリとした。
「忌まわしい過去を消し去る。そしてその時から地球の新しい歴史が始まる」
シノンとナターシャは夕食中だった。
「核融合砲のメカニズムの詳細はわからんが、恐らくそう簡単に次を発射することはできないだろう。何としても第二撃を発射する前に、辿り着いてほしいものだな」
シノンはナイフとフォークを動かしながら言った。するとナターシャは手を休めて、
「ええ。コペルニクスクレータが壊滅したのは残念ですが、今度こそディズム総帥が何を考えているのか、月の住民も地球の住民も、認識できたはずですものね」
「そうだな。共和国軍同士の戦いも収拾に向かっているようだ。もはやディズムに味方する者は、地球にも月にも一人もいないだろう」
シノンも手を休めて言った。ナターシャは小さく頷き、マーンのことを思って目を閉じた。
( どうかあの人をお守り下さい、神様 )
高速ヘリは、孤島のすぐ近くまで来ていた。夜はすっかり更けて、真夜中になろうとしていた。気がついてみれば、カシェリーナ達は、何も口にしないで七時間近く飛行していた。しかし誰も空腹感はなかった。とにかく緊張が三人の食欲を奪っていたのである。
「あの光がそうかな?」
レージンが言うと、カシェリーナは身を乗り出して、
「そうみたいね。あれだわ」
とナビの位置と見比べて言った。マーンが半身を起こして、
「着いたのか?」
「ええ。もう少しです」
カシェリーナが振り向いて答えた。マーンは起き上がって、
「着陸はオートではまずい。私がやろう。あの男が気づいて、何か仕掛けて来るかも知れないからね」
と操縦席に移動した。レージンが、
「大丈夫なんですか、先生?」
と尋ねると、マーンはニヤリとして、
「君よりはね」
「ハハハ」
レージンは頭を掻いた。