第二十三章 独裁者と暗殺者
テセウスは、パイアがロビーから出て来るのを外で待っていた。
「先に行ってなさいと言ったでしょ?」
パイアがたしなめるように言うと、テセウスは、
「ごめんなさい。でも、貴女が来るのを待っていたかったんです」
「生意気言ってるんじゃないわよ。私は坊やは好きじゃないって言ったでしょ」
パイアはテセウスを追い越して歩いた。テセウスはパイアの後ろ姿に向かって、
「坊やじゃなくなったら、好きになってくれるんですか?」
「ええっ?」
パイアは仰天してテセウスを見た。彼の顔は大真面目だった。パイアはクスクス笑い出して、
「別に坊やでも貴方のことは好きよ、テス」
「本当ですか?」
テセウスは実に嬉しそうに言った。パイアは少しホッとした。
( あんなに大人びたことを言っていても、やっぱりまだまだ子供よね、この子は )
「それより、これからどうするつもりなの?」
「月に戻ったら、同級生を集めて親を説得するように話すつもりです。僕の同級生には、上院議員の子供が多いですから」
「へえ」
パイアはまた不安になった。
( やっぱり末恐ろしいガキだわ )
マーンは廊下にあるソファに座らされた。ヒュプシピュレは彼の前に立ち、
「貴方が覚えていないのも無理ないわね。もう十年以上も前のことだから」
「十年以上前?」
「ええ、そうよ。もう十年経ったのよ、あの時から」
ヒュプシピュレは話を始めた。
約十年前。ヒュプシピュレはまだカロンと出会ったばかりで、これから名を売って大きくなろうとして意気がっている不良の一人だった。
ある日、彼女は五人の男を相手に大喧嘩をやらかし、勝つには勝ったが、自分もひどい怪我をし、やっと歩いているような状態だった。
「あと、あと少し……」
長い髪を血に染め、あちこち穴の開いた黒皮のジャンパーを着て、彼女は必死になってカロンと暮らしているアパートに向かっていた。しかし、とうとう彼女は力尽き、倒れてしまった。
次に彼女が目を覚ましたのは、温かくてフカフカのベッドの中だった。破れたジャンパーは壁にハンガーでかけられ、血だらけだった顔や髪は、きれいに拭われていた。彼女はその時、椅子に腰掛けて彼女の顔を覗き込んでいる男に気づいた。
「ここはどこ?」
「私のアパートだよ。君は私のアパートの前で倒れていたんだ。ひどい怪我をしていたので、ここまで運んで手当をしたんだよ」
「……」
ヒュプシピュレは男が立ち上がった時、顔をはっきりと見た。見覚えのある顔だった。
( 確か、ガイア大学で政治学の論文を書いて講演した、ダウ・バフ・マーンだ。まだ助手なのに、地球中の大学から講演の依頼が殺到しているとか…… )
「あんた、大学の先生だろ? 知ってるよ。何で私なんか助けたの? 私のようなゴミみたいな奴と関わると、先生の名が汚れるよ」
ヒュプシピュレが言うと、マーンはムッとして、
「自分で自分のことを蔑むのはやめなさい。そんなことをすると、本当にそうなってしまうよ。それにね、私が君を助けたからって、私の行く末に何の影響もないと思うよ」
「どうして?」
「政治学という物は、人々の生活がどうすれば豊かで満ち足りた状態にできるのか、そのためには政治はどうあるべきなのかを考える学問だと思うんだ。もし目の前に倒れている人がいて、その人がどんな人なのかを見極めてから助けるか助けないか決めるようなことをする人間が政治学を教えるのだとしたら、そんな講義は聴かない方がいい」
「……」
ヒュプシピュレは自分が恥ずかしくなった。世間の連中は全て自分を見下している。だからいつか必ず復讐してやる。そう考えていたのだ。そんな自分が嫌になってしまったのである。
「ごめんなさい」
ヒュプシピュレはとても素直にそう言った。するとマーンはニッコリして、
「ほら、そんな素敵な言葉を言えるんだから、君は決してゴミなんかじゃないよ」
と言った。ヒュプシピュレはとても嬉しくなった。
「私はこれから大学に行かなければならない。君はもう少し横になっていた方がいいだろう。もし家に帰るなら、いつでも帰っていいよ。ただし、机の上に鍵を置いていくから、ドアのロックだけはして行ってくれ。鍵は玄関の脇のプランターの下にでも入れといてくれればいいよ」
マーンはそう言うと部屋を出て行った。
「そうか。あの時の女の子が、君か……」
マーンは懐かしそうにヒュプシピュレを見上げた。ヒュプシピュレは自嘲気味に笑って、
「結局私はゴミのような人間のままなの。でもね、プライドだけは持って生きているのよ」
「なるほど」
マーンはニッコリした。そして、
「それより何故、私とディズムが親子だと知っている? この事実を知っているのは、ごく少数だぞ」
「私の情報網は軍の情報部より上よ。わからないことなんて、何一つないわ」
「……」
マーンは呆れたようにソファに沈み込んだ。
「カロンはディズムを殺す依頼を受けた。だからそれを成し遂げるためにここに来た。これは貴方にとってもいいことのはずよ。ディズムは私達共通の敵ですもの」
ヒュプシピュレがマーンの隣に座って言うと、マーンは、
「私はあの男の考えを変えたいだけだ。あの男を殺したい訳じゃない」
「やっぱり自分の父親の命は助けたいの?」
「違う。私は殺人を否定したいだけだ。殺人は何の解決にもならない」
とマーンが言うと、ヒュプシピュレは不満そうに顔を背けた。
カシェリーナとレージンは、軍の四駆車を借りて、議長官邸に向かっていた。
「ところで何故マーン先生はディズムのところへ戻ったんだ? 先生には何か策があったのか?」
「何もないわよ。でも先生ならできるはずよ」
「どうして?」
レージンはカーブを曲がりながら尋ねた。カシェリーナは振り落とされないようにシートにしがみつきながら、
「だって先生と総帥は、実の親子なんですもの」
「な、何だって?」
レージンは思わず急ブレーキを踏んでしまった。カシェリーナは危うくダッシュボードに額を打ちつけるところだった。
「ほ、本当か?」
「本当よ! こんなこと、嘘ついてどうするのよ?」
「まァ、それはそうだが……」
レージンは再び四駆車をスタートさせた。
ディズムはゆっくりと机の前に歩いて行き、椅子に座った。カロンはそれを目で追いながら、
「お前は俺が命を狙っていることを知っていながら、南極に向かった。いや、と言うより、俺に狙わせるために南極に向かったと言った方が正確か?」
「……」
ディズムはカロンを見たまま何も言わない。カロンはディズムに近づき、
「そこまで舐められては俺も黙っていられない。それなりの礼も兼ねて、殺してやる。さァ、リクエストしろ」
と言った。するとディズムはニヤリとして、
「私を殺してお前はどんな得をするのだ? 確かお前は依頼料を全額前金でもらう男だったな? だとすれば、私を殺さなくても、何の損もしないのではないか?」
「俺には、金以上にプライドというものがある。撃ち損じたままでターゲットを放っておくことはできない」
カロンの目がギラギラした。ディズムは目を伏せて、
「そんなプライドを持っていると、長生きできんぞ」
「どういう意味だ?」
「こういう意味だ」
ディズムは足下のボタンを踏んだ。すると彼は椅子ごと消えてしまった。
「何?」
カロンは慌てて机の向こう側に回り込んだ。しかし、そこには床があるだけで、ディズムの姿はなかった。
「こんなところに抜け道があったのか」
カロンは持っていた弾丸のいくつかを解体して火薬を取り出し、床にばら撒いた。そして少し離れると、そこを銃で撃った。火薬に引火し、ドンと小さな爆発が起こって、床が吹き飛んだ。その下には縦に空いた穴があり、梯子が着いていた。カロンは銃を肩に背負い直し、梯子を降りて行った。
マーンとヒュプシピュレは、議長室の中から聞こえた爆発音に気づき、ハッとしてそちらを見た。
「今のは銃声じゃないな。爆発の音だった。何だろう?」
マーンが言うと、ヒュプシピュレは、
「わからないわ。カロンは爆弾を持っていないし、使わない主義だし。ディズムが持っていたとは思えないし……」
と答えた。
「とにかく行ってみよう」
マーンは立ち上がりかけたが、フラフラしてソファに戻ってしまった。
「危ないわよ、先生」
ヒュプシピュレがマーンを支えた。マーンはヒュプシピュレを見て、
「すまない」
「いいのよ。さ、行きましょ」
ヒュプシピュレはマーンの腕を掴んで持ち上げるようにすると、彼を伴って歩き出した。
カシェリーナとレージンは官邸の玄関前で車を降りると、中へ駆け込んだ。
「しかし驚いたな、先生がディズムの息子だったなんて……」
「だから先生はこの戦争をやめさせようと必死なのよ。誰よりも苦しんでいるのよ」
「うん……」
二人は廊下を走って行った。
カロンは梯子を降り切って唖然としていた。そこには巨大な格納庫が広がっていたのだ。彼の目の前には、何十基もの大型ミサイルがあった。どれもこれも、ランチャー付きの超大型トレーラーに搭載されている。カロンは辺りを見回したが、ディズムの姿はなかった。
「議長官邸の地下に、何故こんなものがあるんだ?」
とカロンは呟いた。
「教えてやろう」
ディズムがトレーラーの陰から現れた。カロンはキッとしてディズムを睨んだ。
「地球と月が二つの国家になってから、まだ歴史は浅い。しかし、月に人が住むようになってからは既に数百年が経っている。そして共和国の歴代議長が常に恐れていたのが、月の独立だ」
「月の独立?」
カロンは言った。ディズムはニヤリとして、
「そうだ。議長達は、月が力を蓄え、やがて独立しようとして軍事力を行使するのを恐れたのだ。そこで官邸を核の直撃にも耐えられる構造にし、その地下にこのような格納庫を造り、月の攻撃に対して反撃できるように、大型ミサイルを格納したのだ」
カロンは呆然としていた。ディズムはミサイルを見上げて、
「私がこの格納庫の秘密を知ったのは、クーデターの日だった。議長を捕え、監禁しようとした時、奴がさっきの仕掛けを使ってここに逃れたのだ。私はここの秘密を全て聞き出した後、議長には旅に出てもらった。永遠に帰って来ることのないな」
「やはりお前は議長を殺していたのか。無血革命が聞いて呆れるな」
カロンが吐き捨てるように言うと、ディズムはカロンを見て、
「政治には方便は必要だ。人心掌握のためにもな」
と答えた。
マーンとヒュプシピュレは議長室に戻っていた。
「二人共いないぞ」
マーンが言うと、ヒュプシピュレは鼻をヒクヒクさせて、
「でも火薬の臭いがするのはこの部屋よ」
「そうだな」
二人は臭いの元を探しながら机の反対側に来て、床の穴に気づいた。
「この中に……」
「恐らくね」
「行ってみよう」
「私が先に行くわ」
「しかし……」
マーンが渋ると、ヒュプシピュレはフフンと笑って、
「貴方に下からスカートの中を覗かれたくないからよ」
と言った。マーンは赤面して退き、ヒュプシピュレに順番を譲った。ヒュプシピュレは悪戯っぽく笑って梯子を降りて行った。マーンは少しふらつきながら何とか梯子を降りた。
ララルは情報局からのメールを大統領執務室で読んでいた。
「パイア・ギノと共にニュートウキョウの地球軍本部でカシェリーナ・ダムンと会ったのか……」
ララルはメールを机の上に投げ出し、
「ゲスの息子にしては平和的なやり方だな。ひとまず安心というところか」
と溜息を吐いた。そして、
「地球軍は内部崩壊したらしいが、ディズムはまだ拘束された訳でも殺された訳でもないらしいな。全てが終わった訳ではないな」
と呟いた。
カシェリーナとレージンも、議長室に来ていた。
「火薬の臭いがするな。何かあったのかな?」
「でも先生も総帥もいないわ。どうしたのかしら?」
カシェリーナが周囲を見渡していると、レージンが机の反対側の床の穴を見つけて、
「カシェリーナ、ここに抜け穴があるぞ。この下に二人がいるんじゃないのか」
「本当だ。そうね、きっとそうよ」
「よし、俺が先に降りる」
レージンが降りかけると、カシェリーナはハッとして、
「あーっ、ダメダメ、私が先!」
「何でだよ? 危ないだろ?」
レージンが苛立たしそうに言うと、カシェリーナはモジモジしながら、
「だって私、スカートなんですもの。貴方が下から覗くと困るから……」
「この非常時にそんなことするか? 俺のこと、何だと思ってるんだよ?」
レージンはムッとしてサッサと先に降りて行ってしまった。カシェリーナは、
「ごめん、そんなつもりじゃ……」
と言いながら、梯子を降り始めた。




