第二十二章 叛旗
カシェリーナとマーンは、議長官邸を出た。
「カシェリーナ」
マーンが声をかけた。カシェリーナはハンカチで涙を拭いながらマーンを見た。
「私はもう一度あの男に会う。そして、今までの決着をつける。母のことも含めてね」
「はい……」
カシェリーナは頷いた。マーンも頷き返すと、官邸へ入って行った。カシェリーナはそれを見届けてから、官邸の庭の外に向かった。すると彼女に気づいた軍用車の軍人達がカシェリーナに駆け寄って来た。
「どうでした、カシェリーナさん?」
と一人が尋ねた。カシェリーナは頭を振って、
「だめでした。でもまた、マーン先生が総帥のところに行きました」
「マーン教授が?」
「話によると、マーン教授はディズムの息子だとか……」
「大丈夫なんですか?」
カシェリーナはその言葉にキッとして言った軍人を睨みつけた。
「大丈夫です! 先生は必ず何とかしてくれます。私はそう信じているんです」
「はァ……」
カシェリーナの勢いに気圧されて、軍人達は顔を見合わせた。そこへ別の軍人が走って来た。
「カシェリーナさん、特別回線で軍の通信網に貴女宛の交信が繋がっています。こちらへ来て下さい」
彼は先導して歩き始める。カシェリーナは導かれるままに歩いて行った。
レージンは暗がりの中でじっと身を屈めていた。
「外が妙に静かだ。何か起こったのかな」
彼は何も見えない監禁室を見回した。その時、近づいて来る足音が聞こえた。
「誰だ?」
一瞬彼の脳裡に、処刑場に引きずり出されて銃殺される自分の姿がよぎった。
( 殺されるのか、俺は…… )
レージンの額に汗が噴き出した。ドアに鍵が差し込まれた音がして、ガチャッと開けられる音が聞こえた。
「レージン・ストラススキーさんですね?」
「えっ?」
あまりに意外な呼びかけに、レージンは戸惑った。声の主はさらに、
「私は、貴方がカシェリーナ・ダムンさんのお知り合いと知って、助けに来た者です」
「ど、どういうことです?」
レージンは立ち上がって尋ねた。声の主は、
「今や軍の大半はディズムに従うことを拒否し、叛旗を翻したのです。戦争は終わりますよ」
「そうですか……」
レージンはよろけながら歩き出した。
「大丈夫ですか?」
二人の若い男がレージンの身体を支えた。
「今、カシェリーナさんは軍本部のロビーにおられます。さ、ご一緒に」
「はァ……」
レージンには何もかもが夢のようであった。
マーンは再びディズムのいる議長室に入った。ディズムは窓の外を眺めたままで、振り返らなかった。
「何をしに戻って来た?」
彼は尋ねた。マーンはディズムに近づきながら、
「お前はさっきカシェリーナの言葉で動揺したな」
「何のことだ?」
ディズムはチラッとマーンを見た。マーンはムッとして、
「私の母のことだ。お前の本心が知りたい。本当に母と私は、お前にとっては大事の前の小事でしかなかったのか?」
と大声で尋ねた。ディズムは完全に身体をマーンの方に向けて、
「そうだ。さっき言ったことが理解できなかったようだな」
「何故自分を偽るんだ?」
マーンはさらに尋ねた。ディズムはフッと笑って、
「自分を偽る? 何のことだ?」
「強がりを言うな。お前は本当は母のことを愛していたのだろう?」
マーンがそう言った時、ほんの一瞬だが、ディズムの顔色が変わった。マーンはニヤリとして、
「やはりな。いくら強がりを言っても、図星を突かれれば動揺するものだ。今のお前がそうだ」
「くどいぞ、ダウ」
ディズムは拳銃を取り出し、マーンに向けた。マーンは唖然とした。
「これ以上下らん話を続けるのなら、殺す。それが嫌なら出て行け。私にはまだやらねばならぬことがある」
「……」
マーンは言葉を失っていた。
( この男、本当にこれが本心なのか? それとも…… )
「早く出て行け」
ディズムはそういうや否や、トリガーを引いた。弾丸が飛び出し、マーンの右頬を掠めて切り裂いた。
「貴様!」
マーンは頬から流れ出した血を拭って、ディズムを睨んだ。
「次ははずさんぞ、ダウ」
再び拳銃が撃たれた。弾丸はマーンの左肩に当たった。
「うわァッ!」
マーンはその衝撃でドアのところまで飛ばされて倒れた。
一方カロン達は、カシェリーナ達が官邸から離れると、建物の陰を伝って、中に侵入していた。
「今銃声がした」
カロンが言った。ヒュプシピュレが、
「誰が撃ったのかしら?」
「さァね。案外ディズムが撃ち殺されたのかも知れないな」
「まさか」
二人は足音を忍ばせて、ゆっくりと議長室に近づいて行った。
カシェリーナは軍のロビーのソファに座っていた。彼女の向かいにはテセウスとパイアが座っていた。
「貴女がカシェリーナさんですね。映像で見るより、ずっときれいな方ですね」
テセウスが言うと、カシェリーナは赤くなって、
「そんな……」
と言ってから、
「貴方がテセウス・アスさんですね。こちらの方は?」
とパイアを見た。パイアは軽く会釈して、
「月の裏社会を仕切らせてもらっています、パイア・ギノです。今回テセウス坊やに依頼されまして、地球に坊やをお連れした者です」
「はァ……」
カシェリーナはパイアの自己紹介に圧倒されたが、
「それでテセウスさん、私にお話があるってどんなことですか?」
「今のままでは、月は滅ぼされてしまいます。それで貴女のお力をお借りしたく、こうして参ったのです」
「私の力?」
カシェリーナはキョトンとした。テセウスは頷き、
「貴女の放送、見させていただきました。すごく心を打たれました。現に地球共和国でも、軍が次々に内部崩壊して、反ディズムの勢力が結集されつつあると聞いています。つまり、貴女の力が、国の行く末を変えようとしているのです」
「はい……」
カシェリーナは、本当にこの子、私より年下なのかな、と思ったほどだった。
「今、月政府も、真剣に和睦の道を検討しているようです。今もしディズム総帥が、核融合砲で月を攻撃することになれば、再び地球と月は戦火に焼かれることになります。何としても、ディズム総帥の行動を阻止したいのです」
「ええ……」
カシェリーナはただ返事をするだけだった。テセウスの話にすっかり呑まれてしまったのだ。
「今こそ、私やカシェリーナさんのような立場の人間が立ち上がり、地球と月がまた以前のように一つになって暮らしていけるようにすべきではないかと思うのです。国家という枠組みを超えて」
テセウスがそう言うと、カシェリーナは、
「わかりました。私達若い世代が動かなければ、本当の意味での戦争の終結はあり得ませんものね。次世代の人達に、こんな愚かなことを繰り返してほしくないというのが、私の本音です」
「それは私も同じです」
カシェリーナは大きく頷いてから、
「ディズム総帥のことは、マーン先生に任せてあります。先生が必ず何とかしてくれます」
「マーン先生と言うと、ガイア大学の政治学の教授ですね」
「そうです」
テセウスはニッコリして、
「わかりました」
と言って右手を差し出し、
「お会いできて、本当に良かったです、カシェリーナさん」
「私もです、テセウスさん」
二人は握手を交わした。パイアはそれをジッと見ていて、クスッと笑った。
( これからの世の中、どう変わっていくのか、見ものね。どうやら私やカロンやヒュプシピュレには、住みにくい世の中になりそうだけどね )
「パイアさん、行きましょう」
テセウスがパイアを見て言った。するとパイアは、
「先に宇宙船に戻っててくれない? 私、彼女と話がしたいの」
「はい」
テセウスは別に何も異を唱えずにロビーを出て行った。パイアは周囲の人間がこちらを見ていないことを確認してから、
「貴女に一つ訊いておきたいことがあるのよ」
「えっ?」
カシェリーナはビクッとしてパイアを見た。パイアは脚を組み替えると、
「貴女、一体何のためにあんな無謀なことをしたの?」
「えっ?」
「あの放送のことよ。あんなことをしたら、命を狙われるかも知れないと思わなかったのかしら?」
パイアは呆れ気味に言った。カシェリーナはニッコリして、
「ああ、あれですか」
と頷いてから、
「実は私の愛する人が、スキュラ作戦に参加させられそうになっていたんです。ですから……。でも、最初はそういう思いからでしたが、実際にカメラの前に立って喋った時は、そんな気持ちじゃありませんでした。もっと別の何かが、私の中で訴えていたんです」
「なるほどね」
パイアは肩を竦めた。そして彼女は立ち上がりざま、
「貴女とは友達になれるかもね。また会いましょう、カシェリーナ」
「ええ、パイアさん」
「パイアでいいわよ」
パイアはウィンクして立ち去った。カシェリーナも立ち上がってしばらく彼女を見送っていたが、パイアと入れ違いにロビーに現れた人物に気づいて、仰天した。
「う、嘘……」
カシェリーナの頬を涙がこぼれ落ちた。
「レ、レージン?」
半分探るように、彼女は尋ねた。
「そうだよ、カシェリーナ」
レージンはニッコリして応えた。カシェリーナは途端にレージンに向かって走り出し、彼の胸に飛び込んだ。
「無事だったのね……」
「ああ。スキュラの秘密に気づいたせいで、地下に監禁されていたんだ。おかげで作戦に参加させられずにすんだのさ」
「良かった……」
カシェリーナはレージンの首に両腕を巻きつけ、キスをした。レージンはカシェリーナを優しく押し戻して、
「おい、みんなが見てるよ」
「気にしてないわ!」
カシェリーナのキスがさらにレージンを襲った。
「待てよ。まだ全てが終わった訳じゃないだろう? ディズムはどうしたんだ? 核融合砲は?」
「今先生が総帥のところにいるのよ」
「マーン先生が? 一人でか?」
「ええ」
「やばいんじゃないのか?」
「とういうこと?」
カシェリーナはレージンから離れて尋ねた。レージンは窓の外に目をやって、
「ディズムに殺されやしないかってことさ」
「それはないと思うけど」
「とにかく心配だ。行ってみよう」
「ええ」
二人は軍本部を出て、議長官邸に向かった。
「くっ……」
マーンは左肩を押さえて立ち上がろうとしたが、よろけて膝をついた。
「この次は殺す。早く立ち去れ、ダウ!」
ディズムの目は本気だった。マーンは歯ぎしりして、
「貴様……」
と言った。その時ディズムの視線がマーンの後ろに向けられた。マーンも背後に人の気配を感じて振り向いた。そこにはカロン・ギギネイが立っていた。カロンはマーンを見知っていたが、マーンはカロンの顔を知らなかった。
「ベン・ドム・ディズム。依頼を遂行に来たぞ」
カロンは冷ややかに言った。ディズムは眉をひそめて、
「カロン・ギギネイか?」
と問いかけた。マーンはその名にギョッとした。
「カロン・ギギネイ?」
カロンはマーンをよけて議長室に入った。ディズムは構えていた銃を下ろし、
「依頼遂行か。私を殺しに来たのか?」
「そうだ」
カロンは無表情だった。マーンが何かを言おうとした時、
「弾が肩に残っているのね。取り出すから、動かないで」
とヒュプシピュレが声をかけた。マーンは彼女を見て、
「君は……?」
「覚えていないのね、やっぱり」
「えっ?」
マーンはヒュプシピュレの言葉にキョトンとした。ヒュプシピュレはフッと笑って、
「まァ、いいわ。ちょっと痛いけど、我慢してよね」
と言い、ジャックナイフを取り出すと、ライターの火であぶり、マーンの肩に押し当てた。
「うっ!」
「男でしょ? 我慢なさい!」
とヒュプシピュレは言い、ナイフを動かした。マーンは歯を食いしばって耐えた。カロンはその様子をチラリと見てからディズムに向き直り、
「さてと。どうやって殺してほしい? リクエストに答えてやる」
「私を殺す?」
ディズムはニヤリとした。
「私を殺してどうする? お前の依頼主は死んでしまったのだぞ」
「俺は引き受けた仕事は必ずやり遂げる。それにお前には俺のプライドをひどく傷つけられた」
カロンが言うと、ディズムは眉をひそめて、
「プライドを傷つけられた?」
と鸚鵡返しに尋ねた。
「……」
マーンはヒュプシピュレが弾丸を取り出し、傷口を火で炙ったナイフの刃で焼き固めるのを必死に堪えながら、カロンとディズムのやり取りを聞いていた。
「一応応急処置はすんだわ」
ヒュプシピュレはマーンに肩を貸して彼を立ち上がらせた。マーンはよろけながら、
「君、誰だっけ? 君は私を知っているようだが……」
「とにかくここを出ましょう」
「えっ?」
マーンはヒュプシピュレに引っ張られるようにして議長室を出た。
「何だ、どうしたんだ?」
「貴方、自分の父親が殺されるところを見たい訳?」
「……?」
マーンはハッとしてヒュプシピュレを見た。