第十九章 奇策
ララルは焦っていた。7機のスキュラがネオモントに突撃したら、ひとたまりもない。
「ララル司令、一体どういうことです? ネオモントの周りにいる艦隊は全く動かないし、地球がネオモントに攻めて来たというのに、我々には何も知らされず……」
マレクが怒って通信して来た。しかしララルは苛立ったように拳で艦長席の肘掛けを叩き、
「そんなことはどうでもいい! 早くネオモントを脱出しろ! 死にたくなければな」
「しかし……」
ララルはなおも何か言い返そうとするマレクの通信を、一方的に切ってしまった。
「まさか……」
ララルは急に嫌な予感に襲われた。
(しかし……。そんなこと、考えられん)
彼は、ゲスがスキュラ作戦を陽動と判断してネオモントを捨てると言った時、自分の考えが受け入れられたのだと思った。しかし今、それが間違っていることに気づいたのだった。
( あの男、最初からネオモントなどどうでも良かったのだ。スキュラにネオモントが破壊されればどうなるのか考えてみれば )
ゲスの考えは、まさしくその通りだった。彼はスキュラを破壊させて、ネオモントがラグランジュの重力平衡点からずれるのを期待しているのだ。重力平衡点からずれるというのは、何を意味しているのか? それはネオモントの墜落を意味している。どこへ墜落するのか? 言うまでもない。重力のより大きい地球にである。いくらスキュラに破壊されるとは言え、直径20キロメートルの物体である。地球に落下を開始すれば、それだけで気象に変化をもたらし、地表に激突すれば、メガトン級の爆発を引き起こす。
「このままではいかん……」
ララルは呟いた。しかしもはや手遅れだった。スキュラはネオモントに到達し、自爆した。
「全艦全速退避!」
ララルはネオモントに走る閃光を見て叫んだ。ポルピュリオン以下の戦艦は、全速力でネオモントから離れた。
( マレク達は助かるまい )
ララルは爆発するネオモントをパネルスクリーンで見ながら思った。
「ネオモントの残骸はどうなっている?」
彼は観測官に尋ねた。
「はっ、地球に向かい始めています。大きいものでは、1キロメートルほどの固まりもあるようです」
観測官は答えた。ララルはムスッとして、
「人工衛星の雨作戦の比ではないな」
「はァ」
ララルは苦虫を噛み潰したような顔になった。
(ゲスめ!)
彼は心の中でゲスのやり口を罵った。
その当のゲスは、ネオモントの残骸が地球に降下しているとの報告を受け、上機嫌だった。
「ディズムめ。慌てふためく様が目に浮かぶな」
彼は椅子に身を沈めてほくそ笑んだ。
「ネオモントのようなものを軍事に転用しようとすれば、必ず破壊しに来ると思っていたからな」
ゲスは面白くて仕方ない、というように笑った。
( 勝ったぞ。これで地球は大打撃を受ける。そうすればディズムは周囲の圧力に屈して失脚。あるいはその前に、今度こそカロンが殺してくれるだろう )
彼はカロンが暗殺に失敗したことは知っていたが、それがエンプーサのせいだということは知らなかった。しかしゲスの読みは甘かった。ディズムはそれほど愚かではなかったのである。
ディズムは太平洋の中央にある核融合砲建設現場にいた。そして、ネオモント落下の件も知っていた。
「ゲスめ、さぞかし得意の絶頂であろうな。しかし、お前は私の計画を読み切れていないぞ」
ディズムは核融合砲の試射にネオモントの殲滅を選んだ。
「こうなると予想していた通りに事が運ぶと、面白いものだな」
彼は砲塔の内部で発射準備をする軍の技術者達を見ていた。
「間に合うか?」
「はい、大丈夫です。地表到達十五分前で、ネオモントは消滅します」
技師の一人が答えた。ディズムはニヤリとして、
「月の連中に、正義の力がどんなものか見せてやれ」
「はい」
核融合砲のカウントダウンが始まった。
「ネオモントが大気圏に突入しました!」
別の技師が報告した。やがてカウントダウンが終わり、ついに核融合砲が吠えた。この砲は、原子力エネルギーを使って作り出された超強力なレーザー光を発射するもので、決して核兵器ではない。
「命中しました! 直撃です。ネオモント、消滅!」
「うむ」
ディズムは大きく頷いた。
ネオモントが謎の光に焼き尽くされていく様子を、ララルはスクリーンで見ていた。彼は観測官に、
「地球から放たれた、あの強力な光は何だ?」
「レーザーのようです」
観測官は答えた。ララルはギョッとした。
( まさか、あれが例の核融合砲か……?)
「どういうことだ?」
ゲスは机を両手で叩いて立ち上がった。
( すでに核融合砲が完成していたというのか。バカな……。早過ぎる )
ゲスはその時、ディズムの企みに気づいた。
「そうか、核融合砲の情報を我々が入手したのは、奴の策略だったのか。奴が本当に隠したかったのは、作戦ではなく、完成時期だったということか……」
ゲスはガックリとして椅子に座った。
( 私が甘かった。ディズムめ、やはり恐るべき男だ )
ゲスは歯ぎしりして悔しがった。そして、空を見上げ、
「もし、あれが月に……」
と呟き、汗まみれになってうなだれてしまった。
カロンとヒュプシピュレは、議長官邸の近くに来ていた。今ディズムがいないので、あたりに警備兵の姿はなかった。二人は付近のビルの屋上に出て、ディズムが帰って来るのを待っていた。
「さっき空を大きな光が走ったのを見たか?」
カロンが尋ねた。ヒュプシピュレは頷いて、
「ええ、見たわ。何だったのかしら?」
「あの光がもしかすると、カシェリーナが言っていた、核融合砲かも知れないな」
「……」
ヒュプシピュレは何も言わなかった。
( ディズムを殺しても、世の中は変わらないかも知れないわね、カロン )
しかし決して口には出さないヒュプシピュレであった。
核融合砲の試射が100%成功し、しかもネオモントまで消滅させたので、ディズムは非常に満足していた。
「ニュートウキョウに帰還し、月の連中に最後通告をする。降伏か、死か、どちらかを選べ、とな」
と彼は呟き、ニヤリとした。
カシェリーナは、アタマスから再び連絡を受けていた。内容はスキュラの自爆と、ネオモントが地球に落下したが、巨大なレーザーで焼失したことだった。カシェリーナは蒼くなった。
「スキュラは全部自爆したんですか?」
カシェリーナの問いに、アタマスはまともに彼女の顔を見られず、
「ええ、そのようです。でも、カシェリーナさん、貴女の恋人が乗っていたかどうかわからないのですから……」
「そうですね」
カシェリーナは弱々しく答えた。
「希望を捨てないで下さい」
アタマスは言い、通信を切った。マーンは悲痛そうな顔で、
「スキュラ作戦が終わったのか?」
「そうです。もしかすると……」
カシェリーナはレージンが死んでしまったかも知れないという恐怖に押し潰されそうだった。マーンもやり切れない思いでいっぱいだった。
「私が訴えたことで、戦いを加速させてしまったのでしょうか?」
カシェリーナは涙ぐんでマーンに問いかけた。マーンはゆっくりと首を横に振り、
「そんなことはないよ。君がテレビに出なくても、作戦は実行されていたはずだから、そんなふうに考えない方がいい」
と答えた。カシェリーナは涙を拭って頷いた。マーンはカシェリーナから離れて窓の外に目をやり、
「これで地球が完全に優位に立ってしまった。この先あの男がどうするのか、しばらく様子を見るしかないな」
と言った。カシェリーナは、マーンが決してディズムのことを名前で呼ばないことに気づいた。
レージンは監禁室の中で、食事を摂っていた。パンが一切れ、牛乳がコップにほんの二口ほどである。
「もう、スキュラ作戦は決行されたんだろうか? 一体誰が犠牲になったんだろう」
彼はパンを口の中に放り込み、牛乳で流し込むようにして食べた。
「カシェリーナ……。もう一度会えるかな、君と」
レージンは自分がとてもこのまま無事でいられるとは思っていなかった。
夜になった。またアタマスから連絡があった。
「私が説明するより、とにかくこれを見て下さい」
とアタマスは言うと、画面を切り替えた。そこには、ディズムが映っていた。
「あっ!」
カシェリーナの声に、マーン達が居間に入って来た。シノンが、
「ディズムか。何を言っているんだ?」
と尋ねた。ディズムはどうやら、月に向かって降伏を呼びかけているようだった。
「月の諸君よ。君達は賢明なはずだ。私の言うことが、理解できよう。降伏せよ。私は月を滅ぼすつもりはない。そして、降伏の証として、何が一番の土産か、わかっていよう」
そこまで言うと、ディズムは消え、放送は元に戻った。アタマスが画面を切り替えて映り、
「軍が放送局に強制的に放映させたものですよ。セカンドムーンを失った今、月の敗北は必至です」
「そうですね」
カシェリーナはアタマスを見て言った。
そのディズムの放送を、ゲスとララルは大統領執務室で見ていた。
「ディズムめ、我が国の放送網をピュトンの工場から盗み出した電波発信機で強制占拠したな。図に乗りおって!」
ゲスは悔しげに椅子の肘掛けを握りしめた。ララルはそれを冷ややかに見ていたが、
「あの男が月を滅ぼすつもりがないと言っていることを信じますか?」
と尋ねた。ゲスはララルを見上げて、
「いや。あいつのことだ。コペルニクスクレータは潰すつもりでいよう」
「なるほど」
ララルはゲスの正面に立った。ゲスは眉をひそめて、
「何だ、ララル?」
ララルはフッと笑い、
「一つだけディズムに月を攻撃させない方法があります」
「ほォ。それはどんな方法だ?」
ゲスは尋ねた。するとララルはサッと銃をゲスに向け、
「こういう方法です」
と言い、ゲスの眉間を撃ち抜いた。ゲスは椅子からずり落ちた。血が床に広がり、ゲスの服にしみ込んで行った。
「貴方はあまりにも了見の狭い人間だったのだ、ゲス。あのカシェリーナという娘が言っていたように、地球に住んでいるとか、月に住んでいるとかの次元の話ではないのだ。それがわからん貴方には、死んでもらうより他に仕方がない」
ララルはゲスの死体に向かって言った。
「力で人をねじ伏せてのし上がった者は、自分もそうされる運命なのだということを忘れていたな、貴方は」
ララルはゲスの死体を蹴って、仰向けにした。
「あんたの首を手土産にして、ディズムのところに行けば、停戦協定も締結しやすいというものだ」
とララルは呟いた。
ディズムは早速月連邦軍から連絡が入ったことを知らされ、ニヤリとした。
「なるほど、イリアンド・ララルと言う男がな」
ディズムはララルから送られて来たメールに書かれた文に目を通した。それには、
「停戦協定案
月は地球に降伏し、今後一切地球に対し軍事力を行使しない。
月は地球の両極にある中立領を地球領と認める。
月は今後ネオモントのごとき軍事用の衛星を製造しない。
月は地球軍の捕虜を全て地球に還す。
月は軍事力の増強はしない。」
とあった。ディズムは、傍らにいたジョリアスに、
「月に連絡だ。追加として一点。『月は軍事力を全て放棄し、今後これを保有しない』だ。これを呑まなければ、コペルニクスクレータは、文字通りクレータとなる」
と言った。ジョリアスはその言葉に、
「はっ!」
と敬礼し、議長室を出て行った。