第十七章 白日の下
カロンはビルの屋上に着いていた。真正面に空港が見える。確かに狙撃にはこれ以上ないほどの位置にある。彼はバッグから銃を取り出た。
「一撃しかチャンスはない。撃った直後、このビルに奴らの警備兵が駆けつけるからな」
彼はディズムのリムジンが空港の前に現れるのを待った。
「……」
カロンは落ち着いていたが、エンプーサを信用し切れていないので、何となく不安だった。
( 土壇場であの女に裏切られたら、俺もヒュピーもおしまいだ。エンプーサのSSも、完全に信用することはできない )
カロンは後ろに人の気配を感じ、ハッとして振り返った。
「撃たないでよ! 私よ」
ヒュプシピュレがいつの間にか屋上に来ていたのだった。カロンはムッとして、
「何故上がって来た? 二人だと逃げるのが厄介になるぞ」
「大丈夫よ。このビルの裏のビルにワイヤーを渡して来たわ。滑車を使って移れるようにね」
「ほォ」
カロンは感心して頷いた。ヒュプシピュレは得意そうに、
「どう? 私も少しは役に立つでしょ」
「そうだな。エンプーサのSSが裏切ることも想定しておかないとな」
カロンはそう言いながら、ディズムの乗るリムジンが到着したのを見逃さなかった。彼は身を屈めて様子を見た。ヒュプシピュレも腰を落として、
「来たわね」
「ああ」
カロンは屋上の縁に銃を載せて、スコープを覗いた。十字線の向こうにリムジンが見え、停止した。そして中からディズムとエンプーサが降り立った。カロンはフッと笑った。
その当のディズムは全くカロンの動きに気づいていなかった。彼の隣にいるエンプーサは、
( 今よ、カロン。絶好のチャンスだわ )
とチラッとカロンがいるビルの屋上に目をやった。彼女はその時、カロンの隣にいる女に気づいた。
( あの女!)
距離的に、ヒュプシピュレの顔がわかるはずがないのであるが、エンプーサにははっきりとヒュプシピュレの顔が見えた。嫉妬心の為せる業であろうか?
( カロンは私のものよ、誰にも渡しはしないわ!)
エンプーサの心を憎しみと嫉妬の炎が埋め尽くした。
「あんたには個人的に何の怨みもないが、これも仕事でね。バイバイ、ベン・ドム・ディズム」
カロンはトリガーに指を掛け、絞った。サイレンサーが発射音を吸収し、鈍いプシュッという音だけがした。カロンはディズムの死を100%確信していた。しかし次の瞬間、彼は信じられない光景を見た。弾丸とディズムの間に、エンプーサが割り込んで来たのだ。その間は、わずかコンマ何秒かの出来事だったのだろうが、カロンにはまるでスローモーションのように感じられた。
( 何? )
弾丸はエンプーサの眉間に当たり、頭蓋骨の中を滑るようにして進んで方向を変え、空港のロビーのガラスを砕いた。
「奥様!」
周囲のSPが仰天してエンプーサに駆けつけ、倒れる彼女を支えた。別のSPの一団は、肉の壁となり、ディズムを取り囲んだ。
「銃撃地点を探せ!」
SPのリーダーが叫んだ。他のSP達はすぐさま付近のビルに走った。
「失敗したの?」
ヒュプシピュレが声をかけた。その声にやっとカロンは我に返り、
「ああ。エンプーサが飛び出して来てな。一体どういうことだ?」
「とにかく、ここを離れましょう」
「そうだな」
二人は滑車を使って裏のビルに移り、エレベーターを使わずに非常階段を飛び降りるようにして駆け下りると、付近のマンホールに飛び込み、車のそばのマンホールまで下水道の中をGPSを頼りにして走った。その素早い対応に、ディズムのSPは着いて行けず、結局二人を見失ってしまい、カロンとヒュプシピュレはナリタ空港から離れることに成功した。
「しかし妙だな」
カロンは皮の手袋をはずしながら言った。ヒュプシピュレはアクセルを踏み込んで、
「エンプーサのこと?」
「ああ。あの女、何故急にディズムの前に出たのかわからない。まさか突然助けようと思い立ったわけでもないだろうし」
「そうね」
ヒュプシピュレにもエンプーサの心理は測りかねた。いや、死んだエンプーサ自身、何故自分があんなことをしたのかわからなかったかも知れない。
ディズムは運ばれて行くエンプーサの遺体を黙ったまま見ていた。
( 何故だ? どういうことだ? カロン・ギギネイが狙っているのは薄々わかっていた。今日の南極行きも奴をおびき寄せる罠だった。奴はかかった。しかし何故あそこでエンプーサが飛び出したのだ?)
ディズムにもすぐにはそのわけがわからなかった。
( まさか……。まさかあの女、カロン・ギギネイと通じていたのか? だとすると全て説明がつく。時々姿を消していたこと、狙撃がここで、あのビルから行われることを知っていたこと)
ディズムはカロンがいたビルの屋上に目を向けた。
( しかし一つわからんことがある。知っていたのなら、何故間に割り込んだのだ? まるで私の代わりに撃たれるように……)
ディズムはしばらく考えていたが、やがてロビーの中に入って行った。
「エンプーサが死んだのは確かに事件だ。しかし、計画は進めねばならん。私はこのまま南極に向かう」
彼は周りのSPに言った。
カシェリーナとシノンは、マーンとナターシャの二人とデイリーアースで合流し、アタマス・エスコの運転でEBCに向かっていた。
「十時から五分間だけ、地球中のテレビ局とインターネットの報道サイトが、一斉に貴女の話を流します。生放送でやり直しはききませんから、落ち着いて話して下さい」
アタマスは助手席のカシェリーナに言った。カシェリーナは少し顔が引きつっていたが、
「はい」
と作り笑いをして応えた。マーンが後ろから、
「もっと力を抜いて、カシェリーナ。そんなにカチカチになっていたら、言いたいことも言えなくなってしまうよ。人に話そうとするのではなく、自分の伝えたいことを話す。その考えで行けば、落ち着いて話せるし、テレビに映っている意識が薄れて、リラックスできるはずだ」
「はい、先生」
カシェリーナはニッコリしてマーンを見た。シノンは頷きながら、
「まァ、そう難しく考える必要はないよ、カシェリーナ。要は、ディズムとゲスが独裁者で、放っておいては危険な存在なんだということを訴えれば、あとはもうどうでもいいんだからな」
「ええ」
カシェリーナは大きく息を吸って吐き、落ち着こうと努力した。
ニューペキンの一角にある、家電量販店の街には、巨大なパネルスクリーンがあった。
そこには映画の宣伝、テレビのCMが流されることがあったが、今日は違っていた。十時になると始まるはずの連続ドラマのタイトルの代わりに、若い美女が大写しになったので、通行人達、特に若い男共は、ハッとして立ち止まった。言うまでもなく、そこに映っているのは、カシェリーナである。
「皆さん、楽しみになさっていた番組を変更して、私のような者が話をするのをどうかお許し下さい」
通行人達は一斉にざわついた。ムッとしている者、嬉しそうな者、キョトンとしている者。様々だった。
「私はカシェリーナ・ダムンと言います。ガイア大学法学部の四年生です。私はある事情から、共和国政府、いえ、ディズム総帥が進行している恐るべき計画を知りました。それが昨日テレビ、ラジオ、インターネットを通じて報道され、新聞の号外に載っていた、核融合砲計画です」
通行人達はさらにざわつき、口々に何か話していた。カシェリーナは続けた。
「その計画の内容については、新聞等に詳しく出ているので、ここでは触れません。でも、報道を介してではどうしても全てを皆さんに伝えることができないと考えたので、私は今こうしてお話しているのです」
そのカシェリーナの放送を、カロンとヒュプシピュレは、ヒュプシピュレの邸で見ていた。
「カシェリーナ・ダムンか。確か、シノン・ダムンの娘だな」
カロンが言うと、ヒュプシピュレは呆れ顔で、
「美人のことは皆知っているのね?」
「そうじゃない。シノンの娘は以前、シノンの本の出版記念パーティーで見たことがある。まだその時は、十八歳くらいだったと思うがな」
「へえ」
ヒュプシピュレは信用していないようだ。カロンはそんな彼女の反応を無視して、
「しかしこの娘、大した度胸だ。ディズムに命を狙われるかも知れないのにな」
「そうね」
ヒュプシピュレは無関心そうに応じた。
「皆さん、忘れないで下さい。国の行く末を決める最終的な決定権を持っているのは、私達国民なのです。一人の権力者が持っている訳ではないのです。その権力者が地球と月を破滅に導くようなことを考えている時は、追放する権利も持っているのです」
カシェリーナは熱く語っていた。
「決して無関心にならないで下さい。権力者にとって一番都合のいいことは、有権者が無関心になることです。そして、権力者にとって一番都合の悪いことは、有権者全てが、政治に関心を持ち、自己の有する権利を行使することに気づくことなのです」
マーン、シノン、ナターシャは、スタジオの隅でカシェリーナを見守っていた。
「そしてもう一つ、権力者のプロパガンダに惑わされないで下さい。ディズム総帥は評議会議長を監禁したと言っていますが、実は議長以下評議会の人達二十名は全員、クーデターの当日、秘密裏に殺されていたのです。ディズム総帥の言う無血革命は、全くのでたらめです。これに関する資料は、明日の号外で出すつもりです」
ディズムはこの放送を南極に向かう特別機の中で見ていた。
「シノン・ダムンの娘か。あの男も私のことをさんざんこき下ろしていたが、その娘まで私に向かって来るとはな。確かこの娘、ダウと一緒に官邸に来たな」
ディズムはまだこの事態を冷静に見つめる余裕があった。
カシェリーナの話は続いた。
「そのディズム総帥は、スキュラ作戦という無謀な作戦で、月のネオモントを破壊する計画も進行させています。その作戦は核付きミサイルを搭載したスキュラという爆撃機をネオモントに突撃させるというものです。核兵器の製造と使用が禁止されたのは、もう数百年も昔の話です。それなのにディズム総帥は、それを全く無視して、核兵器を使おうとしているのです」
ゲスは、特別回線で受信したカシェリーナの放送を、ヘルミオネと共に見ていた。すなわち、月の一般国民はカシェリーナの放送を目にしていないのだ。
「この娘、さすがにあのシノン・ダムンの娘だけのことはあるな。ディズムめ、さぞかし慌てていよう」
彼はカシェリーナの行動が打倒ディズムだと考えていたので、彼女の支援をするつもりでいた。ところが、次のカシェリーナの言葉で、ゲスは色を失った。
「しかし皆さん、勘違いしないで下さい。私は決して月のスパイでも、月の手先でもありません。月連邦政府をテロという最低の方法で自分のものにした、ダン・ディーム・ゲス上院議員も、ディズム総帥と何ら変わらない独裁者なのです。問題は、自分達が地球に住んでいるとか、月に住んでいるとかのレベルではないのです。そんなことであってはいけないのです。地球に住む人々も、月に住む人々も、同じ赤い血が流れる人間なのです。区別も差別もしてはならないのです」
ゲスはカシェリーナの話に激怒していた。
「私をあの愚か者の軍人と一緒にしおって! 忌々しい小娘め!」
ゲスはテレビを消した。そして立ち上がると、部屋を出て行こうとした。
「あの、どちらへ?」
とヘルミオネも立ち上がった。ゲスはムスッとしたまま、
「大統領官邸だ」
と言い、部屋を出て行ってしまった。ヘルミオネは不安そうにテレビ画面を見た。
「皆さん、気づいて下さい。そして考えて下さい。今何をなすべきなのかを。私はこのような意味のない戦争が一刻も早く集結することを望んでいます」
テレビ画面は、まるで何事もなかったかのように、いつもの放送に戻った。
「ふう」
カシェリーナはテレビカメラの前から離れると、ふらつきながらマーン達のところに歩いて来た。
「疲れたろう、カシェリーナ?」
マーンが声をかけた。カシェリーナは弱々しく微笑んで、
「ええ。でも何だかスッとしました。ストレス解消には、人の悪口を言うのが一番ですからね」
「ハハハ、そうかも知れないね」
マーンは言った。カシェリーナはソファに腰を下ろして、
「少し休みます」
と言うと、すぐに寝息を立てて眠りに落ちた。ナターシャがテレビ局のスタッフに借りて来た毛布をカシェリーナにかけた。そして、
「カシェリーナさん、夕べは一睡もしてなかったみたいです」
「そうだったのか。やっぱり相当プレッシャーだったんだろうな」
シノンがカシェリーナの寝顔を覗き込んで言った。マーンは黙ったまま、カシェリーナを見守っていた。
(君は本当に強い娘だね、カシェリーナ)