マルでカンチガイ (短編11)
飲み屋街の一画。
その晩いつものように、オレはその四つ角のひと隅に立っていた。
零時をまわったころ。
初老の男がフラフラした足取りで、オレのそばに歩み寄ってきた。かなり酔っぱらっているようだ。
「ちょっと話を聞かせてもらおうじゃねえか」
男は横柄な口ぶりで、コートのポケットから黒い小型の手帳を取り出すと、いきなりそれをオレの鼻先に突きつけてきた。
見るに警察手帳だった。
「刑事さんですか?」
「ああ、見りゃあわかるだろう」
たしかに刑事そのものだ。
靴の底はすり減り、髪には白髪が混じっている。
ヨレヨレのコートにしたってそうだ。テレビの推理ドラマに登場するベテラン刑事そのものである。
オレは刑事に声をかけられる筋合いはない。とはいえ相手は警察の者、ここはいちおうていねいに応対することにした。
「それで、わたしになんの用でしょうか?」
「なんの用だと! キサマ、オカメクラブのホストだろう。なあ、店はどこなんだ?」
刑事がかみつくようにしゃべる。
「オカメクラブですって?」
実際、オカメクラブってものを知らない。そのうえオレが、そこのホストとは?
「ボッタクリのホストクラブさ。そこまで言えば、オマエも察しがつくだろ」
「ええ、タチの悪い飲み屋だってことは、なんとなくわかります。でも、そんな店は知りませんが」
「知らんだと? テメエ、しらばっくれるんじゃねえぞ。なっ、正直にしゃべれよ」
この刑事、酔っているとはいえ、なんとも態度がでかい。はなから決めつけたような、相手に有無を言わせぬ失礼な物言いである。
これには、オレもさすがにカチンときた。
「知らないものは知らないんです」
ここらあたりで看板を出している店なら、オレは仕事上たいがい名前を知っている。しかるに、まったく覚えがないのだ。
「こっちにはネタが入ってんだよ。その店でボラレタ客がな、うちの署に泣きついてきたのさ」
「だからって、どうしてわたしが?」
「この四つ角に立ってた者、つまり呼びこみをしてたヤツだがな。ソイツは全身、真っ赤な服を着ていたそうだ。帽子までもな」
たしかにオレは、頭の先から足元まで全身真っ赤である。この刑事、それでオレにメボシを?
「知らないって言ってるでしょうが」
「被害者はな。ソイツに腕を引かれ、むりやり連れていかれたって、そう話してんだよ。なあ、ソイツがオマエだったんだろう。えー、そうじゃねえのか」
刑事はなおもまくしたて、しまいにはオレの肩をつかんでゆすった。
たとえ酔っているとはいえ、暴力が許されようはずがない。しかも、住民を守る立場の刑事なのだ。
「刑事さん、なんならその店に行って、自分で調べてみたらどうです?」
オレは体をひねって刑事の手を振りほどいた。
「それができねえから、こうしてオマエに聞いてんだろうが」
「できないって?」
「モグリなんだよ。そう、届けもしないで店をかまえてるのさ。なっ、オマエ、そこの店のもんだろ」
モグリの店だったのか。
どうりで耳にしたことがないはずだ。しかし被害届を出した客なら、オカメクラブという店の場所を覚えているはずだ。
「本人に聞けばいいじゃないですか。ボラレタって客が、当然その店を」
「そいつがな、まるで覚えてねえんだよ」
刑事はヘラヘラと笑うと、あろうことか背後の闇にまぎれ立ちションを始めた。
「覚えてないって、どうしてなんです?」
はねてくるシブキを気にしながら、オレは振り向いてたずねた。
「ビールに薬をもられてな。眠ってたところを、財布から全財産抜かれちまって、おっぽり出されたってわけさ」
「それで場所を……」
「だからオマエに聞いてんだろ。いいかげん吐いたらどうだ」
「知らないものを、どうしてしゃべれるんです。それに、なんの証拠もないのに」
「カンさ。オマエがホストだってことぐらい、そのツラを見ただけでわかるんだよ」
「やめてくださいよ。そんな決めつけるような言い方は」
たしかに、オレは端正な顔に自信がある。しかしそれだけでホストと決めつけられ、かってに犯人あつかいされてはたまらない。
「刑事を長くやってりゃな、顔を見ただけで、ソイツの職業までわかってくるもんさ」
刑事は指先でオレのほおをなでた。
なんともアホらしい。
腹が立ってきたので遠慮なく言ってやった。
「刑事さん、ひどく酔ってるでしょ。酔ってれば、カンだって狂いますよ」
「酔ってたって、オレのカンはたしかなんだよ。それに、酔ってなぜ悪い」
刑事は酒臭い息を吐きながら、肩をぶつけるようにつっかかってきた。
「ところで、よく探したんですか。そのオカメクラブって店を?」
オレは刑事を押し返して聞いた。
「あたりめえよ。あちこちの店で、イヤというほど聴きこみもしたさ。だから、こんなに酔ってんじゃねえか、えー」
刑事はふらつく足でふんばりながら、アゴの先をオレの顔の前に突き出した。
「それでは聴きこみをするたびに、それらの店で飲んだんですか?」
「ネタを仕入れるのに、タダってわけにはいかねえのさ。まったくセチガライ世の中だぜ」
「飲みたくもない酒を自腹で飲んだ、そういうことなんですね。刑事というのも大変なんですね」
オレはちょっとばかり同情した。
テレビのドラマで、金持ちらしき刑事を見たことがない。たいていの者が貧乏で、この刑事もそうなのかと思ったのだ。
「なあに、気にすることはねえ。飲み代は必要経費になる。みんな税金だ」
刑事はそう言いおいてから、あざわらうかのような高笑いをした。
この刑事、国民の血税をいったいなんだと思ってるんだ。不覚にも同情したことを、このときばかりは大いに後悔した。
「あのねえー、刑事さん」
「うん、なんだ? やっと吐く気になったか」
顔を近づけてきたところを、
「えいっ!」
オレはおもいきり頭突きをくらわせてやった。
「げっ!」
刑事が悲鳴をあげて路上に尻もちをつく。
オレの頭は硬い。与えたダメージはそうとうなものだったようだ。
だがそこは刑事。
すぐさま起き上がって叫んだ。
「キサマー、公務執行妨害の現行犯で逮捕する。オカメクラブのホスト、逮捕だー」
刑事はヨロヨロしながらも、コートのポケットから手錠を取り出した。
そのとき刑事のカンチガイに気がついた。だとすると、これ以上まともに取り合うのは、なんともバカらしいことではないか。
オレは平然として聞いた。
「それで刑事さん。わたしを逮捕して、どこに連れていくつもりなんですか?」
「本署に決まっとるだろうが。こってりしめあげ、いやでも吐かせてやる。覚悟するんだな」
刑事はオレに手錠をかけようとした。
抵抗する気にもなれず、そのまま刑事のなすがままにさせた。どうせすぐ、自分のカンチガイに気づくだろうから……。
刑事はあんのじょう首をひねった。それからまばたきをして、あらためてオレの顔をじっとのぞき見た。
「オマエ、なんで手がねえんだ?」
「だから言ってるじゃないですか。わたし、ホストなんかじゃないって」
「ワシの目に狂いはねえはずなんだが」
刑事は納得できないのか、まだしきりに首をひねっている。
「よく見てくださいよ。ほら、ここんとこ」
オレは自分の左肩の上に視線を送った。刑事から見ると、向かって右斜め上だ。
「おお、いつのまに?」
「これって小さいでしょ。それにここは暗いし、刑事さんも酔っていらっしゃるから」
「たしかに……」
刑事は背伸びをするようにして、それに顔を近づけた。
「じゃあ、ワシのカンチガイだったのか。しかし、よく似た者がおるもんだ」
「ええ、そうなんですよ。これにもっと早く気づいてたら、こんなことには……。だから、マルでカンチガイだったんですよ。マルでネ」
オレは念を押すように、マルでネと、声高に言ってやった。
「いや、これは失礼いたしました」
刑事は人が変わったように謙虚になると、オレに向かって何度もペコペコと頭を下げた。
この光景に――。
通りがかりの者たちが、もの珍しそうに立ち止まり声を出して笑っている。
なんたって、オレはポスト。
どこの街角にも立っている、あの丸くて赤いポストなんだからね。