第34話 CASE:アイシャ(1)
私が退職すると聞いて、ギルド長は激しく説得をしてきた。
この人がこんなに必死になっている姿はそうそう見る事がないので中々新鮮ではある。
でもまあ、その気持ちはよく分かる。
ギルドの受付嬢は確かに人気の職種である。
補充しようと思えばそれこそ1日あれば事足りる。
勿論、経験的な部分は時間を掛けて習得する必要があるのだが……。
ギルドの受付嬢は同性の私が見ても美人が揃っている。
かくいう私も自慢するわけではないが、それなりに見れる容姿だと自負している。
これは別にギルド長の趣味という訳ではない。
冒険者達のモチベーションアップやギルドからの離脱率の軽減を狙って意図的に行われているのだ。
美人揃いの受付嬢が一定以上の勤務を順当にこなしていけば、当然それなりに自分を贔屓にする冒険者達が付いてくる。
そうなれば、その冒険者達がギルドを辞めていくという事は極めて少なくなっていくし、受付嬢に良い所を見せようと素晴らしい成果を上げてきたりするのだ。
私もそれなりの期間、ギルドに勤めている訳なので結構沢山の冒険者の人達が贔屓にしてくれている。
あまり考えたくはないが、この前、問題を起こしたライルやヒヨルドもその中の一人である。
そんな沢山の冒険者と繋がっている受付嬢をギルドとしては簡単に「はいそうですか」と辞めさせる訳にはいかないのだ。
専属受付嬢にしてもギルドには在籍しているし、専属が居ない時には通常の受付をする事がある。
しかし、辞めてしまえばそこでお終いなのだから。
私が辞めればそれなりの数の冒険者のモチベーションや彼らの今後の行動に影響を与える事になるだろう。
申し訳無いとは思うが、私にも自分の人生がある。
自分で決めた事をやり遂げるにはどうしても必要な事なのだ、だから躊躇する事はない。
……そして、私には切り札がある、ギルド長がぐうの音も出ないだろう納得させる切り札を。
「アイシャ、考え直せ。お前を慕っているヤツらは多いんだ。そいつらの事を考えてやれ!!」
「慕って頂いているのは嬉しいのですが、どちらにせよ私はもう結婚するのですよ?
慣例からすると結婚した後の受付嬢の人気は急落しますよね?
……それに、クランの立ち上げの為に姫様が既に王都に向かっています。
もし、私がギルドに残れば必然的にクランに所属出来ませんから、恐らく姫様がクランの承認を得るのは難しくなるでしょう。
そんな事位は分かってますよね?ギルド長は姫様にどう説明をされるのですか?
私は姫様を裏切る事は出来ませんから、ギルド長が”王族”である姫様を説得して下さい」
そう私の切り札は、姫様だ。
王族の行動を分かっていて阻害する、その内容にもよるが今回の件では処罰にはならないだろう。
しかし、覚えは確実に悪くなる。
姫様からギルドに対しての風当たりは相当悪くなるのは間違いないだろう。
かつて、まだ私が冒険者であった頃、王族からの依頼を受けたように結構頻繁に依頼は来る。
それも結構な高額依頼が、だ。
姫様の覚えが悪くなると言う事は、こういった依頼に思い切り影響が出るという事になる。
それに私がギルドを退職する事についても別にギルドの就業規則に何かしら書いてある訳ではない。
当然、ギルド長の強権で私の退職を阻止したりする事も出来ないのだ。
まあ、ギルド長からの私への心証は今回の件でかなり悪くなるだろうけど……。
「む、むむむ……」
姫様の名前を出すと、ギルド長は流石にそれ以上の追求が出来ないようで渋面で押し黙る。
「申し訳無いとは思いますが、もう決めた事ですので」
ギルド長の説得が止まったタイミングで改めて私ははっきりと明言をした。
それが止めとなったのだろう、ガックリと肩を落とすギルド長だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「アイシャ先輩!ギルドを辞めるって本当なんですか!!!?」
私がフロアに姿を見せた途端、後輩の受付嬢ミルが大声を上げる。
いくら混雑する時間では無いとはいえ、この時間でも結構な冒険者がロビーにはいる。
そんな中で大声を出せば、その内容は多くの冒険者達の耳に届くのは当然の事である。
「……はぁ」
大声を出した当人も、自分が叫んだその直後にロビー内の喧噪が静まりかえり自分達に注目が集まっている事に気が付き、ようやくやらかした事を理解したようだ。
顔色が目に見えて悪くなっていくのが分かる。
今更、口を手で塞いでも遅いのである。
まさに覆水盆に返らずとはこの事だ。
こうなっては仕方ない……私が答えないとこの場は治まらないだろう。
「……ええ、明日いっぱいで退職する事になったわ。ついでに言えば寿退社というヤツね」
「「「「「「「「「「な、なんだってーーーーーっ!」」」」」」」」」」
「全く、アナタは何でそう落ち着きがないのっ!いつも言ってるでしょ、周りを見てから行動しなさいって!!」
あの後、ギルド内は予想以上に混乱を極めた。
ホール内にいた冒険者達だけでは無く、あの場にいなかった人達まで口コミでどんどんと集まってきてしまった。
私が単純に退職するというだけでは無く、結婚すると口走ったのがこの騒ぎをより大きな物としてしまったみたいだ。
そう言う意味ではミルだけでは無く、私にも責任があると言えるのだが、当然この子にそんな事は言わない。
言ってしまったら、反省をせず、また同じ事を繰り返してしまうからだ。
そして、予想以上の混乱劇にギルド長が胃の辺りを押さえて蹲ってしまったのもまた混乱に拍車を掛ける原因となった。
……結局、騒動が落ち着いたのは、それから三時間後の事だった。
明日は更に混乱するだろう。
今夜の間にこの事が広がって行く事が間違いないからだ。
私は受付業務に出ず、引き継ぎを行うだけなので、恐らく数時間でギルドを出る事になるとおもう。
同僚達に申し訳ない気持ちで一杯ではあるが、こればかりはどうしようもない事だ。
せめて、お菓子の一つでも差し入れようと決心し、私はギルドを後にするのだった。
あ、結局ギルド長は私が帰る時になっても椅子に座って呆けていたのよね。
ご愁傷様。
ギルドの勤務を終え、寮に戻ると管理人のおばさんに挨拶に向かった。
結婚し、ギルドを退社すると話すとそれは驚いていたが、最後には頑張るんだよ、と料理のレシピを書き出したメモを何枚か渡してくれた。
突然、……本当に突然決まった結婚だけれど、決まったからには頑張って良い妻になろう。
マイン君の心を支え続けていこう、その第一歩としてこのレシピを活用させて貰おう。
管理人のおばさんにお礼を言い、自分の部屋へと戻っていくのだった。
自室の荷物を収納袋に入れて、引っ越しをするために。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいま、マイン君!」
元々それ程、荷物は多く無かったそうでアイシャさんの引っ越しは実にあっさりと片づいた。
けど、流石に深夜に差し掛かろうかと言う時間だ。
今日の所は寝る準備だけ整えて、片づけは明日やる事になった。
寝床は結婚前という事なので、当然ながら別々である。
「へたれめ」と何処からか聞こえてきた気がするが、これはもう決まった事である。
こうして、怒濤の一日は何とか終了したのであった。
おやすみなさい。
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10/22 覚え書き的な一文が文末に残っていたため、削除致しました。