転
扉は激しく倒れ装置のある空間に轟音を響かせる。
「おいこらっ!バカでかい音を立てんじゃねぇよ!!」
「ムントいったいどういうつもりだ!!」
「いや、意味なくやったわけじゃないんだよ?……けど結局意味なく終わったみたいだね」
ムントが堂々と入っていく。その後に続いて装置の間に入っていこうとした。
「うおっ、なんだこれ!?」
急ブレーキを掛ける。まるで切り立った崖に立っているかのようだ。おおよそ床らしきものが見えない。
「大丈夫。無いようで在るから臆せず付いてきて」
ムントが空に浮いているようにみえる。
勇気をもって一歩踏み出すと確かに硬い感触が足に届いた。
「こりゃあ、すげぇな」
「ええ。下までどれくらいの高さがあるのかしら」
続いてハルカとミルクも入ってきた。
大きな卵型の空間だった。ムントのいた青い球体の広間と同じように腰の高さに帯状の紋様があった。加えてだ円の頂点と頂点を結んで上下に帯状の紋様がはしっている。丁度今いる場所から一番奥をみると十字が綺麗に目に映った。
「なあ、どうしてここにも誰もいないんだ」
「僕らが来る前にみんな落ちたんじゃないかな?」
「……落ちた?」
「うむ。ほら底を見てごらん。この明るい空間に似合わない真っ暗な穴が見えるだろう?あそこに落ちて帰ってきたものはいない。まぁこの高さから落ちたらその時点でおしまいだけど」
言われるまま真下を眺める。すると確かに底に黒子のような穴があった。ここから見ると小さいが近づけば相当の大きさだろう。
「ここはね、他のどの場所よりも異質なのさ」
「例えば?」
「ここに居ればおのずとわかるさ。嫌でもね」
「何か一つでもいいから何が起きるのか教えてもらえねぇか」
「この透明な床に穴が開いたり消えたり……」
駆け足で入口に戻る。ハルカとミルクもついてきた。
「それを早く言えアホ!」
「いやあ、なかなかそうなるものじゃないから平気だよ?事実ここに一番長いこといた僕がピンピンしてるだろ」
「それは運がよかっただけだろ」
「そう、いやまったくその通りだね。実際僕らが来る前に大きな事件があったようだ。おそらくこの透明な床が突然に丸ごと消えたんだろう。そうでなければ他に彼らがいない理由が見つからない」
「そりゃきついぜ。奴らの作戦の一つだって方がまだ幾分マシだ」
「彼らはめんどうな作戦を考えられる戦闘のプロではないからそれはないだろうさ」
はるか遠い卵の底面を眺める。ここから落ちればその時点で……。
「な、なあやっぱり戻らないか?」
「ああ?だから戻ろうとしてんじゃねぇか」
「ちがう。ここから戻って猫のところへ行こうってことだ」
「はあ!?あんたなに言ってんの」
「こ、ここから落ちたら全部おしまいだぞ!ムントが言っていたように突然床が無くなることもあるんだ。それならここで生きながらえた方が……」
「なら勝手にすれば?わたしは帰るわよ、元の世界に」
そう言ってハルカがミルクを押しのけて装置の間へ進んていった。
「俺も行くぞ。お前は戻って永遠の命とやらを楽しむがいい。短い間だったがまあ楽しかったぜ」
ミルクも前に進んでいく。
独り、顔を末広がりの廊下の奥に向ける。
そこで思い出した。そうだ、教団は装置を使えばこの世界が消えると信じていた。もしそれが真実だとしたら……
「っ……ああちくしょう、覚悟決めるか」
「よし、みんな戻ってきたね。エディくん、君に渡したものまだ持ってるかい」
「これか?」
ポケットから赤い糸を丸めた物を取り出す。
「その糸の先を持って胸の前に出して……よし、そうだ。それをピンっと伸ばしてくれるかい」
言われるまま伸ばす。すると糸がピンと張り詰めたまま空間に固定された。ミルクが試しに力任せに動かそうとするが山のようにびくともしなかった。
「この通りだ。これを手すり代わりに使おう。床が消えても大丈夫なように」
「……で装置とやらはどこにある?」
360度、何かあるかと言えば底の黒点くらいだった。
「ど真ん中にあるよ。定番だね。近づかなければ姿を現すことがないんだ」
「武器いらなかったな」
4人の先頭に立ち、手すりを作りながらゆっくりと空間の中心をめざす。赤い糸はどういう理屈かは分からないが減ることがなかった。
「……そうだな、持ってても邪魔になるだけだ。エディ、ハルカも捨てちまえ」
片手で野球バットを遠くに放り投げた。バットはそのまま音を立てて床に転がったかと思うと、滑るように卵の底へ落ちて行った。
「……」
「床のない所が分かってよかったわね」
「そうだな……より注意を払うことにしよう」
言っている間に前方に何かがゆらゆらと蠢いているのに気付いた。球に尾ひれがついたような形をしている。ぼんやりと光っておりまるでポルターガイストだった。
「あれはなんだ?」
「……あれだな」
「その通り。……あれに触れることで元の世界に帰ることが出来るそうだ。さあもっと近づこう」
蠢く球体に手が届く位置に全員がたどり着いた。青白く光るそれをじっと見つめていると、目の奥が焼けるような感覚があった。
「さあ、帰ろう。君たちから行くといい」
「じゃあ私からいくわ」
「まて」
ミルクがハルカの肩を掴み力任せに自分の方に寄せた。
「いたっ。何すんのよ!」
「ムント、お前から行け」
「……うーん、僕は一応仲間を待ってから行きたいんだけど」
「いいからお前から行けっ!」
「なっ!?」
ミルクはムントを蹴飛ばし球体にぶつけた。すると霧のようにムントの姿が消え去り、球体は小さな平たい板状に変化した。
「……まじだったとはな。どうにも合わない奴だったが嫌いじゃなかった。許してくれよ」
ミルクはゆっくりと板に近づき拾い上げる。そのままそれを口に含みガムのように噛み始めた。
「……――と違ってうまいな」
「い、いったいムントに何をした!?」
「いやあ、俺がいなけりゃ3人の誰か知ってか知らずかムントに殺されてたかもな。ムントは触れることで帰れると言ってたし、果てさて俺たちをだましていたのか……さてすまねぇがお先に元の世界へ帰らせてもらうぜ」
「……どういうことよ?」
「俺はここを知ってる。この場所について聞いたことがある」
そういえばミルクはそんなことを言っていたのを思い出す。
「伝説がどうたらってやつか?」
「おう、その通りよ。小さい頃聞かされるおとぎ話みたいなやつだがな。世界を作った男の話さ」
世界を作った?
「俺もここに来るまではただの作り話だと思ってたんだがな。何でもその男はここと同じような空間に、同じように目覚めた異世界の住人たちと暮らしていたらしい。暮らしている間の唯一の楽しみは異世界の住人たちからそれぞれの世界の話を聞くことだった。そして自分の世界もそうであったらいいなという妄想をよくしていたらしい」
ミルクは手に持っているくの字型の武器の引き金を引いた。丸い球がくの字の片側から勢いよく射出され、この卵型の空間を十字にはしっている紋様の重なっている部分にめり込んだ。
めり込んだ場所からガラガラと音を立てて壁が崩れ、向こうに真っ暗な闇が現れた。小さなブラックホールが壁にポッカリと大口を開け浮かんでいるように見える。
「しかし、こことはちょっと事情が違うがそのうち同じように喧嘩になったらしくてなあ。偶然この空間でムントと同じようにガムみたいになったやつがいたんだと」
「それを食ったと?さっきまで人だったのに?」
「おう。男は完全に干されててな、食糧を与えられないまま喧嘩を起こしたこの空間に監視付きで閉じ込められていた。腹が減れば見境なしに食べるわな。そしたら視えたんだと、帰る道筋が。俺にも確かに視えたぜ」
ミルクは暗闇に向かって歩きだした。
「あそこにこのガムを食べつつ入っていくと、自分の妄想通りの世界が広がっていたらしい。そしてそこでの彼は神だった。つまり俺の世界の創世の話ってわけだな」
「つまり、彼の妄想通りの世界が作られたってことか」
「それがここから唯一出る方法なの?それなら……」
ハルカが手に持った拳銃をミルクに向ける。
「あんたを殺して私が帰るわ」
「おいおいまてまて、方法が一つだけとは一言も言ってないぞ」
ミルクはこちらに振り返ると後ろ向きで歩いていく。
「じゃあ他に方法があるっていうの?」
「さあ?っおい打つなまてまて!別の方法を探しゃあいいだろ」
「……ミルクが帰ってしまえばこの世界は終わるんじゃ?」
たしか教団がそう信じていたはずだ。
「俺のきいた話にはそんなのは無かったぜ。きっと大丈夫だろ」
「……ここであんたを殺すのが手っ取り早いわ!死ね!」
「おわっ!?」
ハルカが発砲した。ミルクは身をかがめて避けながら一心不乱に暗闇に走っていく。
暗闇もこちらに近づいてきていたのだろうか。ミルクはもう暗闇の目の前にまでたどり着いていた。
「……ミルク!お前はその男と同じように神になりたいのか!?」
すでにミルクの身体は半分暗闇に呑み込まれてしまっている。
「そいつあ違うぜ!!言ったろ!?俺にも大事な奴がいるのさ!世界を変える気なんざまっぴらさ。じゃあな、お前らの事は忘れないぜ」
そうしてミルクの姿は完全に呑まれ消え去った。
「……わたしも早く帰らないと、やっと、もうすぐ、帰れると思ったのに」
そう言ってハルカがふらふらと暗闇へ歩いていく。ブラックホールは未だ目の前に漂っていた。
「ちょっとまて、ハルカ落ち着け。訳も分からずこんなものに特攻するべきじゃない」
言葉での制止は聞かずハルカはそのまま歩き続けている。
仕方なく取り押さえるためにハルカのいる暗闇に向かって走る。
「なーん」
猫の声がした。声のした方へ振り返る。
それは赤い猫だった。見たこともないような真っ赤な色をした猫だった。尻尾の先から爪の先まで赤一色の血だらけの猫。
途端に体中の血の気が引いた。走っていた足がもつれて前に大きく転がってしまう。
転んだ拍子に透明な床のむこう、卵の底を見てしまった。大きな黒点が視える。一瞬まるでパラシュートなしのスカイダイビングをしている気分を味わった。
「なーん」
猫はこちらにやって来ている。早く、ハルカを連れてここから逃げなくては。転んだ状態からどうにか立ちあがろうとする。
そのとき卵が大きく揺らいだ。床が動きに合わせて揺れ、景色が斜めになった。恐らく蓋がズレ落ちるように床もズレたのだろう。今度は横に転がり落ちてしまう。全身を使ってどうにかその場にとどまった。
見れば紋様が薄く消えかかっている。背筋に寒気を感じた。
「このままじゃ本当に裸でスカイダイビングすることになっちまう!!」
先ほどまでおぼつかない足取りで暗闇に向かっていたハルカがいない。よく探すと自分よりもさらに下の方に滑り落ちていた。
勢いよく倒れてしまったのだろうか。ぐったりとしたまま動かない。
勢いを殺しながらゆっくりとハルカの元へ滑り降りていく。
「あと少し……っ」
「なん」
赤い猫がすぐそばまで来ていた。
ギラギラと鋭い眼でこちらを刺してくる。このままだと殺られる。
「くそっ」
斜めになった床に立ち上がりハルカの元へ飛ぶように駆ける。途中に床が無い所があってもその時はその時だ。
勢いそのままにハルカに抱き着いておんぶをするように抱え込んだ。
「ハルカっおい!」
やはり気絶しているようだ。
抱えたまま卵の底へひた走る。床を上っているような時間はない。
だんだんと底の暗闇が近づいてくる。上で見たときは果たしてこんなに大きかっただろうか。小さな黒点だったような気がするが。
「ちくしょうどうすりゃいいんだ!」
「なーん」
すぐうしろから鳴き声が聞こえる。ああ、まずい。
「ああもう決めた」
覚悟を決め、半身を切って猫に振り返る。飛んできていた。
飛びかかる猫の首根っこを口で挟む。口内に鉄の臭いが充満し思わず顔をしかめた。
「なーん!?」
「しなばもろとも!」
そしてそのまま底の暗闇へ沈んでいった。




