巨星、去る
「うぉうりゃぁっ!!」
W杯アジア最終予選。グループ首位のサウジアラビアをホームに迎え撃っての、今年最後の大一番。DFをかわして剣崎が、裂帛の気合いとともに左足を振り抜いたシュートが、クロスバーに直撃。高く舞い上がったボールを拾わんと、誰もが落下点に群がる。
このボールにも、剣崎が真っ先に触れ、頭ではたき落とす。それを竹内が詰める。しかし、竹内のシュートはポストに嫌われてゴールキックに。スタジアムがため息に包まれ、剣崎は頭を抱え、竹内は突っ伏して拳を芝生にぶつけた。
本大会出場を狙う上でホームで確実に勝ち点を奪いたい日本と、より有利な心情でホームで戦いがために、何がなんでも勝ち点を持ち帰りたいサウジアラビア。試合は日本が攻め、サウジが守るという展開で推移し、後半もその流れは変わらなかった。そのなかで剣崎と竹内の奮闘ぶりは目を引いた。1トップで起用された剣崎が敵陣で獅子ならぬ『龍』奮迅ぶりでゴールを再三脅かし、竹内も忍者のような神出鬼没のポジショニングでサウジの守備陣をかき乱した。
二人の奮闘は鬼気迫るものがあったが、日本代表を勝たせること以上に奮起させる出来事があったからだ。
時系列を代表戦の前日に戻す。
場所は和歌山市のホテル。そこに設けられた会見場にて、クラブの歴史がまたひとつ閉じられた。
「私、チョン・スンファンは、今シーズンをもって、アガーラ和歌山及びサッカー選手を辞めさせていただくことを、ここに表明させていただきます」
元韓国代表の肩書きを引っ提げて、Jリーグに昇格したばかりのアガーラ和歌山に加入し、以後9年に渡ってリーダーとしてクラブを引っ張り、剣崎らが加入してからも古株たちとのパイプ役として多くの栄光を勝ち取った。今シーズンはベンチ入り自体も少なくなったものの、10試合に出場するなど若手たちとしのぎを削ってきた。
特にサッカー選手としての能力は、スタミナとフィジカルはJ1でも十分戦力として計算できるレベルを保っている。ミニゲームでは息を切らさずにプレーし、ボールを奪い合う攻防、いわゆる「デュエル」も時に若手を弾き飛ばすぐらいの力強さがある。それほどの能力がありながら引退を決断したのか。理由にチョンは「日本代表の主力になれる選手が出てきてくれたこと」をあげた。
「言葉は悪いですけど・・・僕が来たときの和歌山は力のある選手をあてにしすぎで、甘えん坊なところがあった。でもここ数年、プロの世界で一旗あげてやるという、血の気というか色気というか、芯を持った選手が出てきてくれた。そしてそういう選手たちが、クラブだけでなく日本をも引っ張ろうとしてくれている。そんな姿をチームメートとして誇りに思ったし、それに満足している自分がいた。他人に満足を覚えたようでは、引き際かなと」
ならば他クラブでプレーする選択肢はなかったのか。こう質問してきた記者に、チョンはこう答えた。
「いくら動けるとはいっても、僕の経歴と年齢を考えたときに、もう長くプレーすることはできないし、やったとしても首を切られやすい立場にある。それに代表の有望株の実力を肌で感じているだけに、そのレベルの選手にはもう敵わない。ならば今辞めて、若い才能に席を空けておくほうが後々いろんなクラブのためになりますから」
最後にチョンはチームメートへのメッセージを求められると、照れくさそうに言った。
「まあ、カッコつけたかもしれないけど、『自分のやりたいプレーを自分から訴えていけ』と。以心伝心なんてのはそう見えているだけであって、そのプレーが生まれるまでに目だったり言葉だったり行動だったり、いろんな意見を伝えているはず。その積み重ねなんですよね。だからまず自分から発信すること。そして周りは必ず一度耳を傾けること。これがチームとして上手く成長できるコツです」
剣崎にとって、チョンはプロの世界で、ピッチ上の恩師だった。時代遅れとも言えるプレーを貫く上で、ベテランや他の選手とのパイプ役を担ってくれたのがチョンだった。引退会見の翌日に開催されたこの試合で、ゴールという明確な結果を残すことが、その決断が間違いでないことを伝えるメッセージとなるのだ。竹内にとっても、一年目から主力としてプレーできたのは、若手がプレーに集中できる雰囲気を作り出してくれたチョンのお陰という思いがあり、恩返しのゴールを狙っていた。
だが、入れ込みすぎた気迫は、この日ばかりは足を引っ張った。力みがイメージしていたプレーと現実にズレを生み出し、チャンスをフイにし続けた。
「やはりそう都合よくはいかんか。固めてくるサウジにはこの二人が驚異を与えると読んで使ってみたが・・・」
ベンチで戦況を見つめながら、四郷監督は顎をさする。
「しかし、実際に驚異は与えておりますわ?二人を下げることは得策じゃなくってよ、監督」
「それぐらいわかっておる。気負いすぎている以上にサウジが固かった。それに尽きる」
叶宮コーチの挑発めいた進言を、四郷監督は突っぱねる。実際、この試合でシュートを複数本放てているのは二人だけだったし、他の選手はその援護に回るのが手一杯だった。
このまま引き分けも見えた展開で、日本代表は最悪の結末を迎える。
「あっ!」
中盤のパス回しで、途中からピッチに入った原田のパスが、サウジのボランチにカットされてロングボール一閃。一気のカウンターでこの日ゴールを守った浦和の守護神・西山が一対一を迎える。西山は素早く前に飛び出したが、嘲笑うようにサウジのFWが横パス。並走していた味方ががら空きのゴールに流し込んだ。
アディショナルタイム直前に、まさかの先制点献上。スタジアム中が沈黙に包まれた。
残り数分での反撃も実らず、まさかの敗北。終了のホイッスルとともに竹内はがっくりとうなだれ、剣崎は仰向けに大の字になって倒れて顔を覆った。




