写真
遅れてしまって申し訳ありません。
温かいメッセージとても嬉しかったです。
ありがとうございます。
「わたし、ほんとは…」
言うんだ。ちゃんと。
拳を強く握る。血が出そうなほどに、強く。
「わたし……っ」
二の句を告げる前に、クラノは静かに口を開いた。
「……言わなくても知っている。お前は俺のーーー」
婚約者、なのだから。
「うんそうなの………て、え?」
婚約者?
……いや違う、わたしが言いたかったのはそんな謎の言葉ではなくて。
わたしが言いたかったのはーーー。
「マルタ・シンデレラ・ド・フランシール」
クラノが羅列したその言葉に、わたしはびくりと肩を揺らした。
なぜ、なぜクラノがわたしの本名を……!?
問い質すようにクラノを見つめると、バツが悪そうに顔を赤らめ目を逸らした。
「……こほん。この国でドがつくのは公爵家の血筋に連なる者のみ。それがどういうことを表すのか、お前ならわかるだろう」
わたしが打ち明けるまでもなく、クラノはすべてを知っていた。
クラノが向ける優しい眼差しに泣きそうになる。
「………っじゃあ……じゃあ、これも知ってる? 『その子』は色んな理由で何度も何度も殺されかけて……母様と父様にも………ッ」
頬に温い涙が伝っていく。
目の前が霞んで潤んで、何も見えない。
何も、見えない。
喉が詰まって、頬がどんどん冷えていく。
嗚咽を堪えるのに必死で、涙は止めどなく流れていく。
嫌でも思い出してしまうあの光景。
帰宅した父の狂気を孕んだ顔。
艶かしく輝く短刀。
覚悟をしたかのように目を瞑る母。
思い出す、短刀をわたしの首筋に当てたときの、父と母の嬉しそうなーーー辛そうな表情。
あのとき、もういいかな、なんて思った。
こんな顔させるために生きていたんじゃない。
「もう……つかれたの………」
目の前が真っ暗になる。
真っ暗は冷たくて、こわい。
でも今は、温かかった。
温かい、布に包まれる感覚。
いつもの落ち着く香り。
クラノのマントであることに気づいた。
飛びのこうとするが、体に力が入らない。
「いい。気にせずに寄りかかってろ」
わたしはクラノに抱きしめられたまま体を預けている。
なんだか申し訳なくて居心地が悪い。
「……俺も、よく殺されかけたなぁ」
クラノは気にも留めないようにくすくすと笑った。
「それって笑い事なの?」
クラノもわたしと同じように怖い思いをしてきたはずなのだ。
なぜ笑っていられるのか。
「笑えないなぁ、ははっ」
クラノはまたも楽しそうに笑っている。
「もう、なにがおもしろいのか全然わかんないっ」
呆れた視線をクラノに向けると、さらに輝く笑顔で答えた。
「マルタと一緒、だからな」
………うん?
わたしが首を傾げると、クラノは楽しげに口を開いた。
「だから、マルタと一緒だろう? 殺されかけまくってるのが。こんな共通点滅多にないぞ」
にこにこと、本当に嬉しそうに笑っている。
呆れるのも通り越して馬鹿らしくなってきた。
笑うクラノにつられてわたしも笑う。
涙が出るほど笑う。
「…………もう……いじょ……かな」
小さくクラノが言う。
何て言ったのか聞こえなかったのが気になるけど、それ以上に聞きたいことがあったのを思い出した。
「…….ねぇ、婚約者ってどういうこと?」
やはり一番気になるのはそれだった。
婚約者。
意味はわかる、もちろんわかる。
でも。
「わたし、婚約者なんていないよ?」
そんな話、親にも聞いたことがない。
クラノとわたしが婚約者だなんてありえない話、信じろという方が無理だろう。
わたしが問い質すようにクラノを見つめると、照れたように目を合わせようともしない。
それでもわたしが見つめ続けると、クラノはため息をついて白旗を挙げた。
「………わかった、降参だ」
ひらひらと手を振ると、クラノは胸元から一枚の写真を取り出した。
かなり色あせ、セピア色に変わってしまっている。
映っているのは二人の子供。
男の子と女の子、仲が良さそうに寄り添いっている。
少女は幸せそうに笑い、少年は顔を赤くしてはにかんでいる。
幸せだと一目でわかるその写真。
まぎれもなくその少女はーーーわたしだった。
しかし。
呪われ嫌われる黒髪赤目ーーーーではない。
色褪せていてもわかる、真白の髪。
幸せそうに細められたアメシストの瞳。
隣の少年はクラノ。整った顔立ちに、今とは違って少しあどけなさが残っている。
どういうことかわからないが、黒髪赤目ではない。
それでもこれは私であると、そう確信していた。
でも、なぜだろう。
「なに、これ? わたし……覚えてない」
クラノは眉を下げて笑う。悲しげに。
「そ、うか……まぁそうだろうな。それは仕方のないことだ」
泣きそうな顔で笑う。
ぎゅっと喉が詰まる。
なんでわたしは覚えてないんだろう?
クラノに、こんな顔させてしまっている自分が情けない。
「ごめん……ね。なんでわたし覚えてないんだろ」
受け取った写真をまじまじと見つめると、あることに気がついた。
あれ? この後ろのお屋敷……見たことあるかも……?
ぽつりと呟くと、クラノはすごい勢いで食いついてきた。
「ほっ本当か!? そこ見たことあるって!覚えてるって!!」
「覚えてるとは言ってない……けど見たことはある、と、思う」
何度見ても揺るがない既視感。
うん、やはりわたしはここを知っている。
「ねぇクラノ、ここって……」
「よし、行こう、マルタ!」
「……はっ? えっ?」
クラノを見ると爛々と目を輝かせている。
「大丈夫だ、迷うなんてありえないからな!」
素早くフードをかぶるクラノ。
どこから取り出したのそのマント!?
「え、ク、クラノ? 今から行こうとしてない?」
「ああ、してるぞ? さあ! 行こうマルタ!」
「っま、待って、ちょっ……ま、待ってってばあああああああ!?」
わたしの叫びは虚しく青空に吸い込まれていった。
あれ!? 婚約者ってどういう意味か聞いたはずだったのに!!
クラノに手を引かれ、森を抜けると馬車が待っていた。少し古そうではあるがまぁ馬車にしては綺麗な方だろう。
騎手は明らかに嫌そうな顔をこちらに向ける。
クラノは爽やかな笑みを浮かべてその騎手に手を挙げる。
騎手は瞬時に目を見開き、わたしとクラノと見比べている。
これはクラノが王子ということに気づいているのだろう。
わたしが『魔女』ということも。
……まぁなんということでしょう、騎手は一瞬で蕩けたような表情に変わった。
まるで魔法のようだ。
「おーい、クラノ、こっちだぞ」
蕩けた笑みを浮かべる騎手ーーーーではなく、木の陰に隠れていたその後ろの馬車から、艶めく焦げ茶色の髪が覗いた。
クラノはああ、と返すとまたわたしの手を引いた。
止まっていたのはミルク色の馬車。
前の馬車の2倍はある。
所々にある金の装飾は、どこか高貴さを滲ませていた。
先ほどの馬車とは比べ物にならないほどに美しい。
呆然と見つめていると、馬が高く嘶いた。
クラノがわたしを馬車の中へ入れると、騎手の彼は満足げに頷き、手綱を取って馬を走らせ始めた。
「……なんだったんだあの騎手は」
クラノは馬車が走り出すと不機嫌そうに口を開いた。
あの騎手というと、あの蕩けた笑みを浮かべていた騎手のことだろうか。
「それだけクラノが人気者ってことだよ、いいことじゃない」
わたしがそう言うと、クラノは口を噤んだ。まだ何か言いたげだったけれど。
揺れる馬車の中で、わたしは写真のことを考えていた。
今とは姿が全然違うわたし。
それでもあれはわたし。
あの屋敷に行けば、なにかわかるかも……。
速くなってきた心臓の音を聞きたくなくて、わたしは目的地へ着くまでクラノと話し続けた。