彼は。
雀がさえずる音が聞こえる。
白い光が小さな窓から差し込み、爽やかな一日が始まるーーーーかと思いきや。
「ああああああぁぁぁ………やっちゃったやっちゃったあああどうしよう………」
一人頭を抱え、布団の中で悶える。
「クラノも、絶対変だと思ったよねぇ……」
昨日の自分を思い返す。
明らかに挙動不審だった自分を振り返って考えてみる。
冷静な頭で何度も何度も考える。
いきなり逃げ出すように走ったわたしを。
クラノのことだろうから泣いていたのも気づいているだろう。
「はぁ……………消えたい」
爽やかな朝に不穏な言葉を口にする。
呟いてみたところで過去は変わらないのだが。
もうわたしに会ってくれないかもしれない。
もともと会えるような身分ではなかったのだし。
もうなにも考えたくない衝動に駆られる。
もう一度寝ちゃおうかな。
そんな願いは叶わないであろうことは気づいている。
もし今眠れたのなら、わたしは徹夜なんてしてなかった……!
眠いはずが冴えてしまった目をこすってベッドを降りる。
「はぁ………晴れてるなぁ」
窓から見える空はとても綺麗な藍だった。
クラノを思わせる、綺麗な瑠璃色。
まるで皮肉のようだと思った。
時計を見ると、9時ちょうどを指していた。
先ほど朝を感じたばかりというのに。
これは本当にそろそろ起きなければならない時間だ。
腕を挙げて伸びをする。
やはりまだ眠いが、それでもマシになったような気がした。
落ち着いて感情の整理をすることにしよう。
………よし! まずは紅茶をーーーーー…。
思考を遮るように、扉が叩かれた。
こんな時間に来るなんて、恐らくレイラだろう。
レイラなら話を聞いてくれるだろうけど、あまり話したいような内容ではない。
でもレイラはわたしがいつも通りでないことに気づくだろう。
ちらりと扉の方を向くが、まだ人の気配がする。
深く深呼吸をして、扉に手をかける。
服の裾を掴む力が強くなる。
いつも通り、いつも通り。
意識して口角を少し上げ、とひらを開いた。
「お、おはよう、レイ、ラ………って、え……」
美しい金の髪が見えると思っていたわたしの目に映ったのはーーーー艶やかな、瑠璃色の髪に、琥珀の瞳。
もう会えないかもと思っていたその相手が、目の前にいる。
だって、昨日あんな酷い態度をしてしまったのだ。
少なくともあと数日は来ることはないと思うではないか。
「おはよう、マルタ。今日もいい天気だな」
何事もなかったような、いつも通りの美しい微笑み。
違和感なんて全くない。
わたしがおかしいのだろうかと錯覚するほどに。
まだ家に入れてないことに気付き、わたしは慌ててクラノを招き入れた。
◆
クラノはなにも言わずに向かいの席に座っている。
わたしは少し冷めた紅茶を啜る。
どういう意図でクラノがここにいるのかわからない。
いつもならずっと眺めていたい顔から目を逸らす。
「そういえばマルタ、お前は本当に魔術が使えるのか?」
クラノは思い出したようにわたしに聞いた。
そういえば街でわたしは魔術が使えると思われているのだった。
「………わたしが使えるわけないよ。使える人は貴族や、王族だけだもの」
カップを持つ手が少し震える。
落としそうで、手に力を込めた。
「わたしが魔女と呼ばれるのは、姿と薬のせいだよ。わたしが作った薬はとてもよく効くんだって。いいことのはずなのに、おかしいよね」
落ち込むべきなのか喜ぶべきなのかわからない矛盾に、わたしは眉を下げて笑った。
身分の高い者しか使えない魔術が使えるなんて、わたしのことを知らない者たちがわたしを蔑む。
だからもうわたしにはどうすることもできないのだ。
少し暗い雰囲気になってしまったことに気づいた。
「く、クラノはもう魔術使えるんだよね? どんなのが使えるの?」
魔術を何種類、どんなタイプが使えるのかは、身分の位によって変わる。
王族ならば最高位だ。
きっともうなんでも使えるのだろう。
だが、クラノの反応は思っていたものと違った。
「………俺は、使えない」
小さな声でぼそりと言う。
「俺は確かに第一王子だ。だが、正妻の子ではない。妾の子だ」
クラノは続ける。
「母は、踊り子だった。宴に呼ばれた、ひとりの踊り子。王は、その踊り子を気に入り、妾にした。そして、俺が生まれた」
クラノは続ける。
「そのあと、俺に弟ができた。正妻が産んだ、弟ができた。でもその時はもう、俺の母親はいなかった」
泣きそうな顔で、クラノは続ける。
「きっと王位は弟が継ぐだろう。魔術も弟に受け継がれる。だから俺はもう用済みなんだよ」
その言葉に思い出す。
魔術は一族にその世代一人しか受け継ぐことができないということを。
気丈に振る舞いながらも、彼はずっと戦ってきたのだ。
泣きそうな顔。
でも泣かない顔。
とても、美しかった。
軽率に尋ねてしまったことに、罪悪感を感じた。
でもそれと共にーーー違う感情が湧いたのがわかった。
でもその感情の名前がわからない。
「ごめんね、クラノ。辛いことを思い出させてしまって」
こんな風に打ち明けてくれたのに、自分は言いたくないだなんて言えるはずがなかった。
「実は、わたしーーーーーーー」