【魔女】マルタ
初めて投稿します。よろしくお願いします。
ここは深い森の中。
進んでも進んでも終わりが見えないような薄暗い森。しかし木々の隙間から射す陽光は暖かく、なんとも穏やかな空気が漂っている。
この森はシンドリア公爵家の敷地内―――言ってしまえばただの庭の一部である。
庭の一角を森と勘違いしてしまうほどに木々は高く育ち、鮮やかに茂っている。
この森は、庭全体のほんの一部に過ぎない。一般的な庭とはかけ離れた大きさだ。
そこから少し西の方で煙が上がっているのが見える。一瞬山火事かと思ったが、煙の色が黒くないので火事ではないことは容易に考えがつく。
煙が出ている真下にあるのは小さな家。
1人がやっと暮らせるような小さな家が、そこに佇んでいた。
中には誰もおらず、鍋の中で葉がくるくる踊っている。
「もう、あの娘また買い出しに行ったの?」
そう言ってシンドリア家長女であり当主であるレイラは、呆れたようにため息をついた。
城が城としての機能を果たしていた時代。
人々は毎日に希望を持って生きていた。見るもの全てが光り輝き、活気に満ちた笑い声が溢れていた。
ここ、ウェリスタ通りの市場では、空にいくつか火薬が弾ける音が響いている。その音に反応して空を見上げると、白い煙がうっすらと東に流れているのが見えた。
今日はお祭りか何かかな、と黒いローブを纏った少女は思った。
なんだか町の人たちもたのしそうだし、みんなにこにこしてる。
少女は目の前のキラキラした光景を眺め、再び空を見上げた。
目に痛いくらいの青と眩しい白が目に映り、頭がくらくらして、思わずその場にしゃがみこむ。
ここはとても人通りが多いのでぶつかりそうになるのだが、みんな慣れたことのように通り過ぎていく。こんなに人通りが多いのに、決してぶつかることはない。
なにも気にされないからだ、と言えば嘘になる。なぜなら聞こえてくるからだ。
「ほら、あの子が……」
「……気味悪い」
「なんでこんなとこにいやがんだ……」
通行人の声が、黒いローブを纏う少女に届く。
彼女は人から忌み嫌われる黒髪、不幸を呼ぶとされる紅い瞳を持っている。
それを隠すために春でも夏でも、真っ黒なローブで全身を覆っている。
ついたあだ名は【魔女】。
こんな暑いのにローブを纏っているせいもあって、隠しているけれど煙たがられる存在になってしまっていた。
そんなことを噂されて、気分がいいはずがない。見ず知らずの通行人の言葉が棘のように刺さって、たまらず逃げ出したくなる。しかしこの少女はそれを良しとする性格ではなかった。
目的。目的のために、ここに来ただけ。うん、あとすこし、がんばろう。
彼女は嫌な気持ちを振り落とすように頭を振り、しっかりとした足取りで歩き始めた。
年季の入った木の扉を引くと、カランカラン、と鈴が揺れた。
その音に反応した人たちが一斉にこちらに向き、一様に顔をしかめ、視線を逸らした。
いつものこと。もう慣れた。
少女は気にしないように小さな歩幅を精一杯大きくして歩いた。
その店の店長に近づいて行き、少女は小さな声で言う。
「クラヴァの実と、タロの種、フィリカの苗をください」
ここは植物の専門店。他では買えないような品が多く並んでいる。
店内を見渡すと、棘だらけの木や、光る花など、珍しい植物がたくさん置いてある。
これだけ珍しい植物があると、手入れも非常に難しいはずである。
これを維持できているということは、店主はよほど植物に精通しているのだろう。
店長は無表情で商品を袋に詰め、手を出した。
少女は銅貨数枚を店長の切り傷だらけの手にそっと置いた。
小さくお辞儀をしてその場を後にした。
「……ふぅ、行ったか」
「あぁ、気味悪くて仕方がねぇ」
「なぁ店長。あの魔女、店に入れないようにしねぇか? 商売上がったりだろう」
「魔女はすべてにおいて災いの元だからなぁ。追い出すのが一番だ」
少女が出て行くや否や、口々に男たちは吐き出し始めた。
最初は穏やかだった口調もだんだん激しくなり、醜い言葉で少女を責める。
まるで悪いできごとすべての元凶が少女であるかのように。それが、この町の決まりごとのように。
目の前で汚く盛り上がる男たちを眺めながら、店長は浅く息を吐いた。
「……そうでもねぇと、思うんだがなぁ」
店長は銅貨と傷薬が入った小瓶の乗った手をぐっと握りしめる。微かに温かみを帯びたその声は、目の前で繰り広げられる罵詈雑言に掻き消えた。
ここはウィリア王国。
人口も国土の大きさも、他国と比べて群を抜いている大国だ。
そびえ立つ城の大きさはまさに国の大きさを表しているようである。
城下町はたくさんので店で賑わい、活気で溢れていた。
そこから南に行けば砦が、東に行けば協会が、そして、西に行けば――――
魔女の住む森が、ある。
鬱蒼と生えている木々はどこか不安を駆り立て、動物の物音がしただけで恐れ、道を失う。
それが、国民のこの森に対する認識だった。
本当は森などではなく、シンドリア家が一般開放している庭の一部なのだが。
だが、驚くべきところはそこではない。
本当にいるのだ、魔女が。
忌み嫌われるおぞましい黒髪。
呪われた赤目。
なんでも魔法を使うとか。
そんな噂が流れて、周囲の人間はもうその場所には近づかなくなった。
果たしてそれは真実なのだろうか。
そこに住んでいるのは一人の少女。
忌まわしい長い黒髪、呪われた赤い目、そして―――
とても優しい女の子。
「あ! もう、やーっと帰ってきた。心配したじゃない、どこに行ってたの?」
声をかけられたのは、すぐそこに帰るべき家が見えているほど近くだった。
その声は明らかに正面から聞こえている。
少女は俯いていた顔を上げると、前から歩いてくる人影を見た。
月光に髪を煌めかせながらずんずんと力強く歩いてくる。
華奢なようでいて、猫のように伸びやかな体躯、晴れた空をそのまま映し出したような澄んだ青い目、そして天性の美しい金の髪。
月の光に照らされたその容姿は、誰もが魅了されるような輝きを放っていた。
勝気な瞳がつり、独特の迫力が備わっている。
「こんな時間まで出歩くなんて、何考えてるの? また街に行ったんでしょう。街に行くときはあたしもついてくって 言ったじゃない」
彼女は呆れたように、怒ったように、少女に言及した。
もちろん怒っているというより、心配していた、という方が正しいだろう。
「ごめんなさい……忙しいと思って………」
少女が反省したようにそう言うと、バツが悪そうに彼女は口を尖らせた。
「も、もういいのよ、別に。………それより! あたしが忙しくても、気なんて使わないでよね! マルタが遠慮することなんて何もないんだから」
彼女は顔を赤らめてマルタと呼ばれた少女に詰め寄った。
「あ、ありがとう、レイラ。でも、レイラのお父さまの一回忌、もうすぐじゃない。忙しいはずだよ。わたしにできることがあったら言ってね」
少女の名前は、マルタ・シンデレラ。周りから魔女と呼ばれ、忌み嫌われる存在。そんなマルタには昔からの、ただ一人の友人がいた。その名はレイラ・シンドリア。
レイラは一年前に父を亡くし、母はとっくにおらず、残っているのは彼女と、義母と2人の姉のみだった。
もうすぐそこに、一回忌が迫ってきていた。
苦笑いしながらレイラは言う。
「まぁ、忙しいと言えば忙しいわねぇ。……あの金に飢えたメスどももいるし」
低い声で言ったレイラの眼光は鋭く、思わず背筋が粟立つほどだ。いつも元気な彼女だが、うっすらと疲れているように見えた。
実のところ、レイラと継母、2人の姉はうまくいっていない。一年前に亡くなったレイラの父曰く、「レイラが寂しくないように」と結婚をしたらしいが、継母と姉の性格を随分見誤ったようである。
彼女たちはレイラを邪魔者として扱い、屋敷の奥へ追いやった。しかし素人同然の彼女たちには淑女としての作法ができこそすれ、公爵としての務めはまったくもってできなかった。
それに対し、亡き父に溺愛されていたレイラは当主としての務めを果たせるだけの能力と器があった。
わずかな時間で傾きかけた公爵家を建て直して見せたのだ。
名家であるシンドリア家の当主が亡くなってもなお、こうして名家たり得ているということは、レイラの活躍があってこそなのだ。
その件以来、継母と姉たちは大人しくしているようになった。
レイラはこの1年間、よほどがんばったのだろう。
それに加え、害悪しかもたらさないようなあの継母や姉たちの面倒も見なくてはならないというのはかなりの重労働。
レイラは父が大好きだったが、置き土産たる継母と姉に関しては今もなお憤っているようである。
「あっ!?」
マルタがレイラの努力に思いを馳せていると、レイラは急に驚いたように声をあげ、「言い忘れてた☆」と付け足した。そのときマルタは胸騒ぎと既視感を覚えた。
そう、あれはレイラがマルタに無断で台所を使って―――爆発させたときのような。
言い得ぬ不安が胸に押し寄せて来る。
あの笑顔は誰も幸せにしないやつだ………!
マルタは直感的にそう感じたが、もう遅かった。
「あのね、マルタ、そのー……明日は、父さんの一回忌じゃない? けっこう、偉い人がくるのね? その中に、昔からの知人がいるんだけど、えと、えへへぇ?」
思えば最初から悪い予感しかしなかったが、レイラが言いたいのは、もしや。
顔から血の気が引くのを感じる。
ロクなことじゃないロクなことじゃないロクなことじゃない。
「マルタ、王子と会って、くれるよね?」
まるで時間が止まったかのような感覚だった。痛いほどの静寂。
聞こえなかったふりをしたい。しかしレイラの口から出た言葉が想定していたものよりもさらに意外なもので、つい繰り返して口に出してしまう。
「お、おうじ…………?」
レイラの言葉を頭の中でさらに数回繰り返す。
王子。
その単語を聞いて、誰もが思い浮かべるその名は―――――。
「うん。クラノ・レトヴェス・ウィリア。その名の通り、ウィリア国の第一王子なんだけど……実は、マルタに会いたいって言ってるのよね」
けろりとした顔でレイラは面倒くさそうに現状報告を終えた。
レイラが王子と知り合いだったのも驚いたが、今は続く言葉を解釈することに必死だった。
ロクなことじゃないとは思ったけど、まさかそんな。
王子に、会う? 私が、あの??
クラノ・レトヴェス・ウィリア。
その名はこの国ならば誰でも知っている名だ。
ウィリア国の第一王子にして、すでに有能であることは国中の誰もが知っている。
そしてなんといっても顔がいい。実はこれが一番重要だったりする。
見目麗しいその姿から女性人気が高く、仕事もできることで男性からの人気も高い。
御年18、婚約者はまだおらず、城には毎日貴族たちが娘を勧める文が届くとか。
まさに完璧。
王子とレイラは昔馴染み、いわゆる幼馴染という関係で、レイラから人となりを聞かされることがしばしばあった。
レイラは申し訳なさそうに続ける。
「あっ、害があるやつだったら会わせるわけがないよ? まぁ、ちょっと癖はあるやつだけど……」
えへえへ、と申し訳なさげにくりくりと横髪を指でいじる。
マルタは死んだ魚のような目で星を見遣る。
わたしは知っている。
こういう風になったレイラはわたしが何と言おうと無駄であると。わたしには止められない。暴走している馬のようなものなのだ。止めようと手綱を握ろうとも一緒に引きずられていくのが関の山なのだ……。
「ねぇ、いま失礼なこと考えてない?」
不服そうにむっと片頬を膨らませるレイラが視界の端に入る。
諦めたマルタは、小さくため息をつく。
「……レイラも、いるなら」
と、渋々、渋々ーーー了承した。
読んでくださりありがとうございました。
(まだ続きます)