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退院して帰宅した後は最悪だったとしか覚えていない。
家に居るときはほとんど一人だったし、学校は微妙な変化があった。
多少の運動の許可が下りクラスメイトの輪に馴染もうとサッカーに入れてもらえるように頼んだら、みんな罰が悪そうな顔をしていた。
「倒れたら困るから、身体を動かす遊びに遼は誘うなって先生に言われてさ。ゴメンな」
クラスメイトはみんな苦笑しながらゴメンと口々にして去っていった。
何だよその理由。
自分の身体なんだから、俺が一番解っている。ずっとこの病気と付き合ってきたんだ。今更そんな無茶なんてしない。
こんなくだらない理由でまた居場所を無くしていくのか。
そもそも居場所なんて初めからなかったんだ。ずっと一人ぼっちだった。
俺は本当に一人だ。
『シキには私がいる』
だったらあの場所に帰ろう。
俺の場所に。あいつの隣に。
二人の居場所に帰ろう。
授業が終わり下校時間になると俺は走った。今日は金曜日。明日は第三土曜日だから読み聞かせがある。
またあいつと一緒に読もう。
二人でみんなに読んであげよう。
そんなことを考えるだけで嬉しくなってしまう。心が早く早くと急かす。
走っていることによって上がっていく息も、息苦しさも今は不思議と感じられなかった。
あいつに逢いたい。
それだけだった。
同じ市内にある病院にはバスを乗り継ぎ二十分と掛からなかった。
夕飯前のこの時間なら、部屋で休んでる筈だ。
病院に入った直後に歩調が速くなる。エレベーターで五階に運ばれた俺は、看護師への挨拶も疎かに部屋へと直行した。
俺の姿を目にした濱野が、後ろから大声で叫び必死に追いかけてきているようだったが、そんなものは全く気にならなかった。
その勢いのまま部屋の扉を開けた。
病室は真っ白な部屋を夕陽が鮮やかに染めあげていた。西陽がよく差し込むこの部屋は今は茜色よりも朱色に近いかもしれない。
二つあるベッドにはマットレスだけが置かれているだけで他にはなかった。
何も無い、誰も居ない、無機質な部屋。
何であいつが居ないの?
部屋を移ったのか?
それとも転院?
様々な憶測が飛び交う。
そこへ濱野が息を荒げながら走ってきて、俺の肩を掴んだ。
「遼くん走っちゃダメだよ! 苦しくない⁈」
「はま、ちゃん? ねぇ…あい、つ、は? サク…どこ、行った?」
「まず落ち着いて‼︎ 息を整えて?」
「はぁ……はぁっ、ねぇ、サクは?」
「息吸って‼︎ きちんと吐いて!」
「はぁ…っ。だから、サクは⁉︎」
自分でも驚くほどの大声を出していた。だってこんなの嫌な予感しかしない。
その予測を打ち払いたかった。
どうかこの予感が嘘であってほしい。
どうか。
どうか。お願いだから。
「サクちゃんは…もう此処にはいないわ」
「此処って、何処、別のへ、やとか…移った?」
「…………」
あぁ、イヤだイヤだよ。
こんなの嘘だ。
「他の病院に、転、いんした…?」
「遼くん、まず息をきちんとして?」
こんなの信じない。
そう、夢だ。
だから醒めてよ。
お願いだから。
「それとも…」
「遼くん、やめて! まずは自分のこと考えて!」
ダレカ嘘ダト言ッテ…?
「サク、…………死んだの?」
「………」
ダメだね。そんな顔じゃバレバレ。だから濱野は師長や主任に怒られるんだ。
そうか。此処にも俺の居場所はないんだ。
「はぁ……疲れた」
言葉と同時に意識が遠退いて行くのが分かる。
もう目覚めたくないくらい満身創痍だった。
瞼を開くとベッドの上だった。
気を失っていた間に夜になっていたようだ。カーテンから垣間見える空は夜の帳が降りていた。
モニターのピッピッと言う音。酸素マスクを付けられた自分の忙しない呼吸音と。僅かに響く時計の秒針の音以外に何の音もない。
いつもと同じ部屋のはずなのに、隣にあいつが居ない。
あいつだけが居ない。
何で俺を置いて行ったの?
ずっと一緒だと思っていたのに。
ずっと隣にいてくれると思っていたのにどうして一人だけ逝ってしまったの。
占めるのは孤独感。疎外感。
置いてけぼりだ。
右側を向き窓の隙間から夜空が見えた。
今日は新月だ。
朔の日。全ての始まり。
いや、違う。
真っ暗な闇。光の無い世界。
晦の日。全て終わり。
『シキ』と呼ぶ声はどこにもない。
何処にも居ない。
居ない
居ない。
一人だ。
一人ぼっちだ。
もういいよ。疲れたよ。
失うのも失望するのも、もう沢山だ。
ねぇ、俺も連れて逝ってよ。
やっぱりあいつの隣がいいんだ。
俺も今そっちに行くから。
待っていて?
・・・
そうだ。
あの日に全ての色を失った。
全部がモノクロの世界に変わり果てたのは、俺が生きることを放棄したから。
こんなにもがいて抗って、生き恥を晒しても尚も生きろと言うことなのだろう。
神様はなんて残酷。
漆黒の闇の中を浮遊する俺の耳に声が響く。
暗闇の中で俺を呼ぶ声がする。
懐かしい呼び方をするのはあいつか。
でもどこか違う。
あいつはどこか少し冷たかった。
今俺を呼ぶ声は包み込む陽だまりのような優しい誰かの声音。
誰だ俺を呼ぶのは…?
「シキくん⁈」
「………サキ?」
「シキくん大丈夫⁈ 魘されていたみたいだけど…」
「………ねぇ」
「なに⁈ どこか痛い?」
「そんなに顔近づけるとキスするよ?」
「えっ……だ、ダメだって!」
「これでも十八歳の不健全な男子なんですが?」
目の前にあった彼女の顔は、今は窓際ギリギリの所まで移動していて顔を赤くさせていた。
ここは学校なのにとか、誰も見てないけど誰か来たら…なんてことをずっとボソボソを呟いていた。
そんなに逃げることないのに。地味に傷つく。
紅潮させていた顔はまた真っ直ぐに俺を見つめていた。
今はまたあの心配顔。戯けてみせたが彼女はとても心配しているようだった。
懐かしい夢をみた。
あまり見たいものではなかったけれど、忘れることができない大切な想い出。
夢から醒めたとき前みたいに暗い気持ちにならなかったのは彼女のおかげだろう。
いつもの音楽室。
彼女と二人だけの時間。
今はこの時間を大切にしたい。
「帰ろうか」
「うん!」
放課後の桜並木を彼女と二人で歩く。新緑の中を進んでいると少し後ろを歩いていた彼女の足が止まった。
「見てシキくん。月が出てる。今日は満月だね」
「本当だ。キレイに見える」
「月はシキくんみたい。凛としていて、キレイで」
振り返った彼女の顔は夕陽を背に浴びて眩しくて表情がよく見えない。
それでも笑顔なのはよくわかった。
あいつは朔月だった。
それなら彼女は自ら輝くことができる太陽だ。
だったら俺は望月になるよ。新月でも三日月でもなく、満月になる。
彼女の光を浴びて、この闇の世界で太陽と同じくらいの存在感を持つ望月になろう。
そして輝く世界にいる君がその闇夜で迷子にならないように、道を間違えることがないように君の道を照らすよ。
俺たちは対の存在。
彼女は太陽で、俺が月。
君の光があれば、俺はきっとー…
「サキ、帰ろう」
彼女に手を差し出し、その手を握った。今はまだ先が見えなくて不安だけど彼女と一緒に前を見て歩いて行こう。
俺の目の前に彼女は現れた。
真っ暗な闇から連れ出し、モノクロの世界に色を灯してくれた。
それがつかの間の灯火だとしても彼女がいれば大丈夫だと思える。
大袈裟だって笑うかもしれないけど、本当に生きて行こうと思えるんだ。
きっと大丈夫。安心して。
ここに居ていいんだよ。
そんな俺の居場所をくれたんだ。
もう未来を諦めたりしない。
きっと明日も鮮やかな一日が待ってるいる。
彼女が魅せるカラフルな未来へ。
彼女と一緒に。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
主人公の過去をどうしても描きたかった、と言うのが正直な感想です。
話の展開が読めてしまう方もいらしたかと思うのですが、どうしても描きたかったの‼︎
なので作者的には満足です 笑
ありがとうございました*