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朔月と望月  作者: 陽向
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 あいつと連むようになってから、一年が過ぎようとしていた。

 闘病中は一日が長いと思っていたが、あいつが来てからの毎日は時間が過ぎるのが早く感じた。

 もっと早くに出逢っていたらと悔まれて、それをあいつに話したら告白されているようだと笑われた。

 そのことを思い返して顔が上気してしまう。


「こんなとこに居た」


 聴き習った声に思わず、ビクリと肩が跳ねてしまった。


「やっぱり見つかった…サクから逃げることなんて無理か」

「シキが私に敵う筈がないだろう」


 あいつのことをサクと呼び、俺のことをシキと呼ぶ。

 名前で呼んでとお願いしたら、リョウは弟と重なるから嫌だと言い、シキと名付けてくれた。こいつだけが呼んでくれる名だ。それが嬉しい。

 そして女だとカミングアウトして以来、『私』と急に言うようになった。

 どういう心境の変化だ?

 女子が考えることはイマイチ解らない。


 俺が今あいつから逃げていたのは読み聞かせの催し物から逃げる為。

 月に一度、第三土曜日に開かれる読み聞かせは学年が上の子が下の子に読んであげるのが慣わしだ。

 俺も今年で小学校六年生。ずっと逃げてきたが今年は逃げられそうにない。

 小さい頃は楽しみにしていた時間がこんなにも憂鬱で億劫なものになるなんて夢にも思わなかった。

 あいつが困った顔で逃げ道を塞いでいることに観念して、あいつと一緒に教室へ向かった。





 読み聞かせの結果は散々だった。

 ストーリーをあいつが、会話文を俺が担当したが噛むは躓くは飛ばすはで小さい子に下手と言う烙印を押され、心は今にも砕けそうだ。

 項垂れていた頭に、冷たい感覚と重みが加わる。

 落ちないようにそれを手で押さえて、上を見上げると笑顔のあいつが見下ろしていた。


「お疲れさま。喉乾いたでしょ? プレゼント」


 頭の上で押さえていペットボトルを受け取り苦笑した。


「散々だ…もうやりたくない」

「シキはいい声だよ。ここでやめたらもったいない。一緒に練習しよう?」


 それから毎夜、俺たちは病室で読み聞かせの練習をした。

 リベンジは来月の読み聞かせのとき。

 毎日、違う物語を二人で役割を変えながら読んだ。

 あいつの尊敬するところは、相手をバカにしないところだ。下手でもそれを責めない。咎めたり罵倒もしない。

 最初に良いところを褒めて、次はここをと言う形でアドバイスをくれる。決して悪い、ダメとは言わなかった。

 直すところも一気にというのではなく、一つ一つ丁寧に教えてくれた。ひとつが直ったら次にいく。徐々にレベルを上げていく。


 読み聞かせの練習を始めたときは、酷い顔をしていたと思う。やる気のない怠けきった顔。

 そんな顔を見ても、見放すことなく俺に付き合ってくれるこいつはすごいと思う。

 やはり敵わない。それでもいいと思った。今はまだそれでいい。

 でもいつかあいつに敵うものが出来て、あいつが認めてくれたらその時は…

 その時は、何だ?

 何を考えていたのか思い出せない。

 と言うか忘れたことにした。





 リベンジのとき。

 読み聞かせが終わった直後の教室は一瞬静寂に満ちた。

 その刹那、わっと湧き上がる拍手に思わず笑みが浮かんだ。

 隣を見たら、周りの子どもたち以上に嬉しさを滲ませて微笑むあいつがいた。

 下手と言う烙印は見事にキレイに無くなったようだ。

 本当に嬉しかった。

 一緒に練習してよかった。

 それから二人で読み聞かせをするようにお願いされたが、それが出来たのはニ回だけだった。



 俺の退院の日が決まった。

 ずっと一緒にいたあいつと離れる日がくることを考えたことなんてなかった。

 全く頭が働かない俺に向かってあいつ抱き付き、自分のことのように喜んでいた。

 嬉しい嬉しいって泣いて笑うから、言えなかったんだ。

 本当の言葉なんて言えなかった。




 

・・・





 退院の前に、身体の様子を見るために外泊の許可が下りた。

 長い間、闘病生活をしていたので退院する前に少しでも日常生活に慣れさせ感覚を掴ませるためするものだ。

 家に帰ってきてからの俺は、自宅と学校を行き来する毎日だった。

 あいつが居なかったときのような反芻する毎日。何の刺激もない楽しみもない日々。

 そんな中で考えるのは、いつもあいつのことだ。

 今何をしてるのか、元気でいるのか。みんなと笑っているのか、院内学級には行っているのか、読み聞かせはどうなったのか。

 それと、俺のベッドには誰か入った…?

 あいつの隣は俺の場所だったはずなのに。



 遼くんと呼ばれ、我に返った。

 クラスメイトがサッカーに誘ってくれていた。それを丁寧に断る。

 学校に通学するのは許されているが、さすが走るのはまだ許可が下りていない。

 校庭で楽しそうにサッカーをするクラスメイトが目に入った。

 此処は俺がいる場所じゃ無い気がして、少しずつ疎外感が膨らんでいった。





 そんなときに言われたのは、両親の離婚。

 しかも事後報告だった。

 もう離婚届は出していて、親権は母親が持つということだった。

 入院費も養育費の心配ないからと言っていた。

 親は俺が落ち着いてからと思っての今のタイミングだったのだろう。

 どちらかと言えば、今の心理状態は最悪だ。そんなことの心配していない。

 俺が今欲しいのは自分の居場所。

 ここに居ていいよ。安心して。

 そういう居場所が欲しかった。

 だからこれ以上、俺の場所を奪わないでよ。

 あぁ、違うか。

 両親の場所を奪ったのは病弱な俺の方だった。

 ゴメンね。

 ゴメンなさい。

 ゴメンナサイ。

 




 目が醒めると、いつもの病院のベッドだった。

 右を向いたらあいつが心配そうな顔で俺を覗いていた。


「シキ、大丈夫? 少し魘されていた」

「大丈夫だよ、サク」


 ちゃんと笑えていただろうか。

 あいつが苦しそうに笑っているから俺の方が心配になる。


「サクが居てくれるから大丈夫だよ」


 消えそうな声音で呟いたが、あいつは頷いてくれた。



 外泊から帰ってきた俺に、一週間後に退院することを医師は告げた。

 母親は初日に荷物と花束を持ってきて生けると、生活費の為に働くから退院の日まであまり来られないと残して帰った。

 やっと落ち着きを取り戻してきた三日目にあいつに話しをした。


「サク、俺の両親別れた…」

「うん、おばさんから聞いた」

「そっか。ねぇ、俺が居なかったら二人は幸せだったかな?」

「そんなことないよ。おばさんは自分を責めてた。こんな結果になって申し訳ないって、不安にさせてゴメンねって」

「こんな結果にさせたのは俺だよ。二人を不幸にした。二人の居場所を奪った。俺も居場所を失った。学校もどこか居心地が悪いんだ。此処がいい。此処は落ち着くから」

「シキ…」


 知らないうちに泪が出ていた。それをあいつに見られないように下を向く。

 それでも抑えきれない泪が布団を濡らしていた。


「こんな花なんて買ってこなくていいのに。治らないやつの見舞いなんか必要ないよ。要らない、全部要らない…」


 力なく降りかぶった手に花瓶があたり、ガシャンと音を立てて割れた。

 ベッドの下には霞んだ色をした花たちが散らばっている。

 力なくベッドに横たわり布団を頭まで被った。



 瞼を開くと、部屋は茜色に染まっていた。

 いつの間にか寝てしまっていたようだ。

 俺が割った花瓶はキレイに片付けられていて、花は別の花瓶に飾られていた。

 色が霞んで見えるのはこの夕陽のせいか。それとも俺の色彩感覚が悪いのか。


「シキ、起きた?」


 病室の入り口にあいつが立っていた。何処かに行っていたのだろうか。


「家族を見送ってきた。さっきまで見舞いにきてたから」


 俺が聞きたいことがわかったのか先にあいつが答えてくれた。

 そんなにわかりやすい表情だったのだろうかと恥ずかくなる。


「どっか行った?」

「どこも。先生と話して、ちょっとお茶して帰ったよ」

「そっか」


 細く長い指が俺の髪に触れる。そのまま手が伸びてきて俺の頭をポンポンと撫でた。


「大丈夫。シキには私がいる。私にはシキがいる」


 頭にあった手を掴んだ。指には絆創膏が貼ってある。きっと割った花瓶を片付けてくれたのはあいつだったのだろう。


「ありがとう」


 いろいろなことに感謝を込めて微笑む。やっぱりあいつには敵わないな。

 一緒に居られれば大丈夫。何も怖くない。

 あいつさえ居れば大丈夫だと思った。





 退院する日。

 玄関まであいつが送ってくれた。その顔はいつもの笑顔だ。


「戻ってきちゃダメだよ。手紙、書くよ」

「うん。俺も書く」

「今度はデートでもしよう」


 ニヤリと口角を上げてあいつが笑った。それにつられて俺も笑ってしまう。

 いつの間にかお互いに手を取り合って見つめ合っていた。


「楽しみにしてるよ」

「大丈夫。また逢えるよ」


 額と額が合わさる。息がかかりそうなほどの距離で瞼を伏せながらあいつが言った。


「うん。また逢える」


 まるで誓いのようだった。

 目を閉じながら、手を繋ぎ、互いの存在を確かめ合うようにしばらくそうしていた。


 だから言えなかった。

 離れたくないって。

 言いたかった。

 傍に居たいって。






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