第十三話
巡回騎士と警備騎士では服装のそれからして変わる。
見回り兼確認隊と言う事で守りの戦いはそれほどない。よって、自然と特攻的な剣術となり、盾を絶対必要としなくなる。つまり、俊敏に重きを置くことで身軽い軽装になる。
鋼鉄等重い素材を使った重装甲冑と真逆の装備、青い上着を椅子に無造作に放り投げて、ヘヨンは仏頂面に口を尖らせた。
「不服なのか、ヘヨン」
その隣の椅子に腰掛け、お世辞にも綺麗とは言えない机に頬杖を付いて、ウィグットが言う。何時の間に持ってきたのか、カップに飲み物を入れてある。
ヘヨンは、怪訝な顔なままでぐるりと男を見て、更に眉間に皺を寄せた。
「それこそ愚問だろ。ウィグットだって不満そうな顔してるし」
「まあな」
見回りに行かせている御蔭で、人気のなくなった駐在所だからこそ、偽ることなくすんなり頷くウィグット。上着の留め具を外し、首を楽に回す。だらしがないだろうが、この町で進んでここに入ろうとする者はいない。
気兼ねなく淹れたどことも知らぬお茶を啜り、カップを置く。
「五年くらい前から騎士長の話は出てたが、本当に女を長に置くだなんて、騎士の頂上は何をしているんだか」
今までに前例が無い訳では無いが、快く頷けるものは少ないはずだ。隊の中にも不満を持っているものが居ないといえば嘘になる。
ヘヨンも同意見だとばかりに頷き、
「しかも、俺達みたいな若輩者をお供にしてるなー」
「・・・それは、自分で言ってて虚しくないか」
「・・・・・・」
虚しいが事実である。が、認めるのもなかなかなので、ヘヨンは黙った。実際、ウィグットはともかく、ヘヨンなんてついこの間騎士として認められた新人だ。
所内に沈黙がおり、ウィグットが音もなく飲み物を飲み込む。
しばらくして、話題が途切れたのでウィグットが一度立ち上がり、鉄製の戸棚から紐で束ねられた冊子を取り出し、行儀悪く座るヘヨンに渡す。
唐突に渡されたヘヨンはなんだとウィグットに聞くが、中を見ろと促され、ぺらりと一枚めくった。
その瞬間、一気に表情が曇った。
「これは・・・」
「所謂、奴隷となった住民の詳細だ。国として認めているわけでもないから、一応の記録だと」
こんなものを記録したところで、何になるわけでもないが。
ウィグットが座り、ヘヨンがペラペラとめくる。
その様子を見て、残りの茶を飲み干すウィグット。
「今では殆ど廃止扱いだが、実際は法でも禁止していない」
「知ってる。研修で言われた」
その研修自体、一年ほども前のことなのだが。
軽く二十はある書類に全て見終わり、ウィグットに渡す。見ていて少なくとも気持ちのいいものではない。
顰めっ面が不機嫌な顔に変わったヘヨンがそっぽを向くと、流れで思い出したのか、
「けど、五十年前の反対騒動で、あまりの暴動に国が人徳に反すって言って蔑まれる行為になったとも聞いたぞ」
反対運動で根源にあった【奴隷族】もなくなり、それによって意識され始めた認識のおかげで、殆どの地域でこのような行為は廃絶された。それは今でも変わらないはず。
「そう思ってなかった人もいた、と言うことだ」
「そこが納得できない」
スパッ 一言で断言した。
自分にあわないことがなかなか飲み込めない。若い故に反発的な態度を取るヘヨンに半ば同意しながら、ウィグットは硝子越しに見える通りに目をやった。
「それにしても、騎士長遅いな。そろそろ一時間経つぞ」
通りを通るのは、くたびれた表情をして歩く町人だけ。青い制服を着た騎士は通らない。
先に戻れと言われた二人は、他の隊員全員が待機するわけにもいかないという判断で、二人一組になって見回りを実行する指示を出した。騎士長が戻ってきた時、直ぐに伝えられるよう、二人だけは待機していたのだが。
多重任務であれやこれやとやっているうちにそこそこの時間が経ってしまっていたので、話し込んでいたとしてもそろそろ帰ってこないのはおかしい。
あの三人組の、特に男がアズィラと親しげに話していたが、どうにも信用ならない。女の方も、子供はごく普通の女の子だったが、片方が無表情で不気味だった印象がある。
「騎士長が何かされる心配はないだろうけど、あの三人怪しいよな」
そもそも、この町自体大陸の隅にあって、港から荒野を超えたとしても、ここを通ることはない。ここに用事でもあったのかと考えるのが自然だが、組み合わせ的にもいろいろ妙な点が多すぎる。
その、見るからに怪しい相手に、アズィラは何をさせようというのだろうか。
「何か考えがあるんだろ」
考えなしに、知り合いというだけで油断する器量ではない。ウィグットは口にしつつ、けれど硝子から目を離せずにいると、
「ウィグット、ヘヨンッ!」
突然、背後から声が飛んできた。
「は、はいッ!?」
「―ぁい?!」
凛と響く声に、人は跳ね上がって慌てて立ち上がった。
身なりを確かめる余裕もすっ飛び、焦って振り返ると、奥の扉から出てきたアズィラが急ぎ足で近づいてきていた。
二人は指示した時もずっとここにいて、駐在所から出ていない。常に出入り口に居たと言うのに、一体どこから。
驚きを抑えられない二人に、アズィラは早口に「裏口の方が近かった」といい流した。
「それより、装備を整えろ。直ぐに出る」
「で、出るとは、何か揉め事が起こったのですか?」
「これから起こる」
キョトンとなる二人の前を通り、騎士長は壁に掛けられた腕章を二つ取った。
それを二人に渡し、アズィラは己の直剣を一度引き抜いた。
「巡回の形は」
「に、二人一組、配置形態です」
「装備は」
「片刃剣一つ」
分かった。言うと同時に刀身をしまい、踵を返す。
「ウィグットは、グロバード氏の住居周囲を巡回する人員に住民避難指示を回せ。ヘヨンは私に着いて来い」
「ま、待って下さい!!」
扉を開け、直ぐにでも出ていこうとするアズィラに、渡された腕章を腕に通しながらウィグットが戸惑いつつ制止を投げかけた。
アズィラは半身を外に出した所で立ち止まり、険しい顔で振り返る。
「異議があるのは承知だが、今は議論している暇はない。急げ」
有無を言わせない無言の威圧に、二人は疑問を飲み下した。女と言えど、指揮を任される騎士長。文句を飛び出させる方が無理というものだ。
アズィラは、沈黙する二人を承諾と取り、黒髪を翻し外に出
「もっかい止まって貰おうかい、巡回長」
二回目の、しかし二人の知らぬ声の静止に、ヘヨンとウィグットはバッと振り返り、アズィラは珍しく露骨に急いでいると言いたそうに怪訝顔で目をやった。
アズィラが出てきた扉と同じ部屋から、青い上着を脱いだ楽な格好の女性が笑顔で歩いてきた。
長は、再び二人の前を通り、女性の前に立つ。
「許可は先ほど取ったが。モルダ駐在」
「やや強引だったがな」
肩を竦める、モルダと呼ばれた女性。アズィラの後ろで、駐在が居たという事に驚きを隠しきれない―しかしながら敬礼は忘れない―二人に気づきながら、明からさまに不機嫌になる長に一枚の紙を突きつけた。
「こちらでは責任は取らない、と言いつけてな。これはその見上だ」
「・・・了解した」
忘れないでくれよ。笑う駐在にアズィラは紙をちらりと見やるだけで受け取り、開けっ放しだった扉から出る。途中で、状況が頭に入っていない部下二名を引きずり気味に連れて行った。
外に出ると同時に、行き交う数人の人に何だと見られたが、アズィラは気にせず引っ張っていた手を離してさっさと進む。
引っ張り出されたまま事の経緯が未だに不明瞭だが、駐在に許可を求めるということは、これから起こるという大体の事は掴めた。ヘヨンはアズィラの後に続き、ウィグットは服装を直しながら彼女の前に出た。
「自分は先に隊員に伝えてまいります」
「頼んだ」
「はっ」
目立たないよう敬礼を返すと、ウィグットは足早に走り去った。
人員の配備は、あの暴力沙汰が起こる前から決めていたもので頭には入っている。彼は直ぐさま近くの巡回騎士に事情を話す筈。
アズィラは視界の片隅でその背中を見送りながら、ウィグットとは反対の角を曲がった。すると、町の中央あたりで一際目立つ外装をした建物が見上げられた。
「グロバード氏の邸宅で何が起こるというのですか?」
ウィグットに周囲の住民の避難を言伝させるように言った事もあるが、傷害罪を働いた人間とたった一人で話そうとした事も気に掛かる。
もしや、あの怪しい三人組が関わっているのでは。僅かに眉を寄せるヘヨンに、アズィラはチラリと振り向き、苦笑った。
「賭けにけしかけた。始末書ものだな」
「け、けしかけ、とは……?」
「現状の捜索の停滞はよろしくない。私の独断で、逆に怪しいグロバード氏の身辺を調べるよう提案した」
ギョッ 一瞬止まりかけた足を強引に動かしながら、ヘヨンは目を剥いた。提案とは詰まり、今回の任務内容を教えたと言う事だ。
いくら騎士長の考えだとしても、到底納得できるものではない。
「何を考えているのですか?! 任務内容を、知人といえど話すなんて、騎士として在るまじき―――」
「解っている」
叫びかけたヘヨンの言葉を遮り、アズィラは自分に言い聞かせるようにもう一度「解っているのだがな」と突き当たった角を右に曲がった。
もう、煌びやかな邸宅は目の前。
アズィラはその建物を見上げながら、苦笑い、と言うよりも、寂しそうに唇を僅かに引いた。
「アイツはこうでもしないと、居なくなるからな」
意味深な言葉に、ヘヨンが怪訝がった時、
どごぉぉぉぉぉおおおおんっ!!!
地面が裂けたのではないかと思うほどの破壊音が突然に街中に広がった。
余りの大きさに、周辺を歩いていた人々が何だなんだと慌てふためき始める。ヘヨンも、何が起こったのか分からずに、反射的に塞いだ耳に残る耳鳴りに顔をしかめていると、続いて聞き覚えのある、地鳴りにも似た音が鼓膜を揺らした。
「あの馬鹿・・・っ」
困惑にざわめきだす複重声の中でアズィラが苦虫を潰したような声を漏らす。
耳を塞ぐと同時に瞑ってしまっていたまぶたを開けると、瓦解したグロバードの屋敷が目に入り、そして驚愕。
見間違うはずもない、あの巨体。
「き、騎士長っ! これは一体どう・・・っ?!」
「状況が変わった。先に住民を誘導するっ」
戸惑うヘヨンに、アズィラは足を反転させ、日を遮る影に動揺を広げる人々の中に入って行く。
何故あれが、アズィラ・カレットが使用する聖式の土塊が建造物の天井を突き破り、破壊行動を行っているのかいかんせん解っていはいるが、どうにもしかし、以上の混乱は避けるべきだ。
「了解しました」
疑問も然ることながら、ヘヨンはアズィラの誘導を手伝う。あれが騎士の式だといっても全ての人間が理解して飲み込んでくれるわけがない。
周辺からの退避を促し、住民を引かせる。背後では地鳴りと崩れる音が絶えず続く。これではウィグットが伝えるまでもなく、他での避難は行われているだろう。
一刻も早くどうにかしなければ、心中焦りながら警戒を怠らずに声かけをしていると、人数少なくなる路上に、ポツリと佇んでいる子供を一人見つけた。
親とはぐれたか状況が飲み込めないのか、どちらにせよ逃げてもらわなければ困る。
ヘヨンは子供のもとに駆け寄ると、あちらも気づいて顔を上げた。金髪金瞳が瞬き、じっと見てくる。
「ここは危ないから、早く逃げ―――」
「やっぱり、アレに任せるのはダメだった」
静かで冷たい声で遮られ、思わずしゃがみ込もうとした体が躊躇った。
子供は依然変わらない表情で、ヘヨンの顔を、基何処かを指差す。
「巫女様、助けた方がいいよ」
「な、何が・・・?」
「考えれば、おかしいと解る」
少し頬を緩め、僅かに笑う。
「・・・お姉ちゃんが目醒めたら、見つかる」
「『お姉ちゃん』・・・?」
姉がいるのか、背後を振り返ってみたが、近くに誰かいるような人影はない。そもそも、いなくて当然だ。
発言は気にはなるが、とりあえずこの子供が先。
「とにかく、先に避難して・・・」
が、振り戻った先に女の子はいなかった。
「あ、あれ?」
辺りを見渡しても、子供はいない。走り去ったとしても、子供の足で短時間に姿が見えなくなるような場所もない。
何だったんだと疑問を浮かべる彼に、「ヘヨンっ」とアズィラが呼んだ。
「一通りは終えた。あとはウィグット達に任せる」
私達は中へ行くぞ。アズィラはそう言いながら、門の装飾を足場に軽々と敷居を超える。この状況に礼儀を払っている場合ではない。ヘヨンも、妙な気分のまま壁を超えた。
崩れる音は僅かながらに続いているが、初震ほどではない。建物にいくつかの罅が見られるが、入る分にはまだ間に合う。いつまで保つかは不明だが。
「私が馬鹿を止めてくる。お前はあと二人、子供を連れて外で待機だ」
アズィラは捲し立て上げ、ヘヨンが―そのつもりはないが―口を挟む間も無く内衣嚢から取り出した人型の紙切れを押し渡す。
「使って構わない。気をつけておけ」
言うだけいい、邸宅の裏側へと走り去った。
やや強引な指揮官を、遅らばせながら敬礼で見送り、ヘヨンは再三邸宅を見上げる。
あと二人の子供。とは、恐らくあの怪しい三人組の内の二人のことだろう。しかし、納得はできない。
「何故、土塊のもとに居るのが一人だけだと断定が出来るんだ・・・?」
彼らと騎士長が何を話していてあれほど時間がかかったのか不明だが、わざわざこんな所に来てまで別行動をするものか。そうと断言するには早計過ぎるとも言い得るが。
何やら一個人の私情に巻き込まれている様に思えて仕方がないヘヨンは、蟠りが残りながらも、正面玄関の扉に手をかける。当然鍵がかかっている。
蹴破りでもするのは如何なものか。一歩下がり、腕を組む。
ぱんっ
「・・・?」
空耳か、音が微かに聞こえた。
土塊が天井を壊した後だ。それなりに建物自体が軋む音が繰り返しに起こる最中、気にすることもない。
が、立て続けに異音が聞こえるとなれば別である。
「銃声・・・?!」
他の音に遮られるも僅少に聞き伺える音に、それ以上に思い当たる物はない。
バッと踵を返し、石道を外れ土草に足を走らせる。ほぼ全ての窓ガラスに窓掛で遮られる室内を伺えないかと目を凝らしていると、不意に偶然開いていたそこから一人の女が跳ねる姿を捉えた。
続けて、銃声が二、三発。赤い火が吹く。その後――再び死角へと消えた。
ヘヨンは軽く舌打った。良くは見えなかったが、見たことない顔だった所からここに使える使用人か何かか。だとしたら、銃器なんて持って襲う相手とは。
思いつくのはアズィラがけし掛けたと言う彼らくらい。
「どうしろって・・・っ」
合理的に考えれば、無作法を行った彼らにグロバードが抵抗したとするべきだが、どこか頷けない。しかも、市場に出回りが少ない武器をああも使っているというのは些か不自然。
元より、武器の携帯が禁止されている地区ではないにしても、両者共々仲裁に掛かるべきところだ。
引けていたが、やむなし、罅が全体に入り、少し力を加えただけで割れてしまいそうな硝子に飛び込もうと数歩下がった時、
「・・・な奴に・・・・・・じゃなかったのかよっ?!」
ガラス越しの上の高低差。聞こえたというのは相当に大声で言ったに違いない。
ここまではっきりと聞こえれば、誰がそこにいるのかは解る。
ヘヨンがちゃんとそこまで理解できていたのかは、自分ですらわかってはいないが、兎に角、手に持っていたものを中にぶん投げたことは紛れもない事実である。
弧を描く途中でそれは質量を変え、硝子を散漫させた。同時にはっきりとした銃声が重なる。
無抵抗な女の子相手に、なんて言うのは後付けに過ぎない。




