第八話
答えは即答だった。
「嫌です」
眉を潜め、ユメは怪訝から、肩を掴む少年の手を手痛く叩き払う。
それはそうだ。いきなり言う事にしては、思慮が無い。
「マミ、デリカシーないぞ」
とりあえずにナウジーが魔魅に言うも、彼は手を引くどころか諦めもせず宙に浮いたユメの手首を掴んだ。
ユメの肩が上下に揺れる。
「無くて結構! 即急に確認しねぇと」
「嫌です!!」
そのまま引っ張って部屋に連れて行こうとした魔魅に、ユメは叫んで手を振り回す。けれど、手は外れない。
「―――っ!!」
苛立ったのか、もう片手で少年の体を力任せに押した。殴ったにも近かったかも知れない。
「どわっ?!」
「ギャッ?!」
ついでに足も掬われた魔魅は、バランスを崩して転倒。ナウジーを巻き込んで床に体を打ち付けた。
身長差でのしかかられたナウジーは、床とに挟まれ圧迫される。
声も出せずにジタバタしていると、直ぐに重みが引いた。
「あのな! 言っとくがそのままじゃ」
「煩い!!」
ナウジーから退いた魔魅が何かを言おうとするも、怒鳴られて遮られる。
叫んだユメは、キッ と少年を睨んだ。
「何でもないと言ってるじゃない! 放っておいてよ!!」
関われたくない。そう思って言ったのだろうが、そんなので彼が引く筈もない。
「放っておいたら無事じゃ済まねえだろッ!」
「だったら何だって言うのっ?!」
引くどころかしつこく食い下がって来る魔魅に怒り任せの言葉を放つ。と同時に、ユメは衣服の襞に手を入れた。
魔魅は反射的に止めに入ろうとしたが、指をピクつかせただけに終わる。
どうして止めようとしないのか。ナウジーが疑問に思うよりも先にユメが腕を振り上げた。今から注意を促したところで間に合わない。
何をする気か。兎に角、
まずい。
「ユメッ!!」
「!」
一瞬。名を叫んだ一瞬間だけ、動きが躊躇われた。
それで止まるには至らない。その時そんな事を考えていたか確認できたかどうかは不明だが、ナウジーは魔魅の前に前のめりに飛び出した。
驚いたユメの顔が、はっきりと目に映る。
次には、丸く硬い何かが腕を殴っていた。
バシャアァァンッ
ガラスが割れた様な、水をぶちまけた様な、混ざった音が叩きつけた。
「ッ!」
冷たい。水らしい事から冷水なのは解るが、村から出てきた時のままの衣服だからか、染み込んでより肌を冷やしてくる。
そして、何故かビリッ と痺れが走った。
「あう」
突然の異変に、思わず飛び出した格好の状態でバタフッと魔魅の膝に倒れ込む。
「ナ、ナウジーッ?!」
飛び出してきた事にか、水を被ってしまった事にか、驚いた魔魅が慌ててナウジーの体を受け止めた。けれど、痺れは治まらない。
「な、何これ……し、痺れっ……」
動けないような激しい痺れではないが、正座し続けた後の嫌に残る痺れ。動いても動かなくてもじわじわとする感覚に顔を歪める。
魔魅は、ポタポタと滴る水の顔にかかった分だけ自分の着る服の袖で拭ってやった。
「雷湖の水だな」
確信と、仄かな安堵を持って発せられた言葉に、気まずく目をそらしたユメが頷いた。
「良くご存知で」
「グリミス大陸はよく行ってたかんな」
ナウジーと出会う前に行っていたのだろうか。何となくそんな事を思っていると、ナナシが駆け寄ってきた。
僅かに魔魅を伺う様子を見せ、ユメを見上げる。軽く片手を柄に当てているのがここからでも見える。
警戒心を顕にする少女を少年は抑える様、ローブの端を引きながらニヤリと笑った。
「あんな遠い大陸に行くとは、余計に話聞かせてもらいたいな」
「話すことなんて無いわ」
「とか言いつつ、場を去ろうとしねぇのは他意でもあんのかねぇ?」
「―――ッ!!」
皮肉染みた台詞に、ユメは顔色を変えて再び襞に手を入れたが、今度は何も取り出さなかった。
代わりというのか、俯き加減でナウジーを見てきた。申し訳ない様に。
「……?」
痺れに未だ抜け出せ無いナウジーは見返すしか無い。
すると、
「来る」
主語の抜けたナナシの言葉と同時に絨毯が敷かれた廊下に鈍い足音が響いた。
ハッとなって目だけユメの背後に伸びる廊下に向けると、角を曲がってやってくる影が二つ。
魔魅は分かりきってたように肩を竦めた。
「ま、こんだけ騒ぎゃ来るわな」
悠長に構える少年に、ちらりとユメが視線を投げる。それは、非難を帯びているにも取れる。
実際、騒ぎを起こしたとなれば追い出されても文句は言えない。最初から何もかも強引過ぎるのだ。
どうにもならないと思いつつも、ナウジーは父の香り感じる衣服を力無く引っ張った。
気付いた魔魅は、唯悪戯気に笑っただけ。
そうこうしている内に足音は目の前まで迫り、ユメと同じ服を着た女性が立ち止まった。
「随分と騒がれましたね」
凛としたきつい口調で、一人が呆れ声を一つ。
対して、普段と変わらない調子で魔魅は、
「お陰様だな」
「それはどうも」
ナナシの様な、もしかしたらそれ以上に感情のない言葉で関心なく返すと、今度はユメを見た。
何を言われてしまうのだろうか。半ばナウジー達の無理矢理でなったことなのに、何もに言い返せなくさせている痺れが恨ましい。
見るだけの女の子の前で、ユメを見る女性はクイッ と顎を右に促した。
「食事の用意をしてなさい」
ユメは何も言わずに頷くと、形だけの恭しいお辞儀をして踵を返す。
「………!」
ビリッ 伸ばそうとした腕に走る痺感。
何も出来ないままで、ユメの姿は廊下の角で消えた。
見てるだけで。
また。
「で、何か用か?」
乾いた筈の頬を拭いながら、魔魅は残った二人に話の水を投げた。
話し相手の女性は、一秒程度の空白の後、靴裏を鳴らす。
「主人がお呼びです」
反射で魔魅を見上げられたのはきっと、彼が顔の水を拭ってくれていたからだ。
見上げた少年の表情は、企みでも生んだみたいな笑顔だった。
「要件はさっさと済ませたいっつー訳か」
話が洩れている。その可能性がある中で、相手があっさり口を割るのだろうか。
言った本人で解らない訳が無いのに、魔魅は「良いじゃんか」と喧嘩腰で返した。
「そっちがその気なら、行ってやろうじゃねぇか」
言いながら、腕で支えていたナウジーを隣で鞘走りそうなナナシに渡した。
一瞬、何故だろうと目を見開いた仲間二人に向けて、「任せた」
「大人しく待ってろよ?」
「!」
今度は、ナナシが大きく反発した。
ナウジーの肩を押さえる事も忘れなかったが、忘れかねない程の勢いでキッ と睨みつけた。
さっき迄とは全く異なる様子で
「意義あり」
「受け付けん!」
一蹴され更に眼光を強くする。が、少年が折れることは無い。
会った中で珍しく新たに言葉を続けようと開口したナナシだったが、女性の声に無理に閉じられる。
「彼だけ。と、言い遣わされていますので」
要するに、お前らは邪魔。と同意義である。
同時に、彼に何があっても、助けに行けないという事。
けれど、諦めまいと開きかけても言葉が出てこないらしく、ナナシは黙ってしまう。ナウジーは出したくても神経が馬鹿みたいに煩い。
物言いたげにジッと見つめられる魔魅は、笑顔を一瞬だけ引きつらせると、赤髪を掻く。
「なぁ、すぐ終わっか?」
「要件次第でしょう」
「だわな」
仕方ない。小さな、安堵にも似ている溜息で、少年は立ち上がった。
「なるたけ早めに終わらせっからな。ホント、大人しくしててくれよな?」
一番大人しくないだろう相手に二回も言われても説得力がない。それも、飲み下されてしまう。
「ご案内致します」
先行して歩き出す女性。魔魅はその後を頭の後ろで腕を組んで着いていく。
余裕をこく背中に、ナナシが追い掛けたそうに腰を浮かばせかけた。何とか駆け出しには至らなかったけども。
ユメ同様、角に姿が消える。
それを確認すると、何故か残ったもう一人の召使が軽口に扉を指した。
「んじゃ、女性方は部屋でお待ち下さい」
魔魅の事だから、何か要らぬ問題でも起こして意気揚々と戻ってくるのだろう。そう思いながら、ナウジーはナナシに抱えられる形で部屋に戻される。
割れたガラスが、目に悪い明滅に反射するのが、閉ざされる扉の奥でかすめた。




