第十一話
「あいつら何処へ行きやがったっ?!」
農作業で使用するような桑を片手に男が怒鳴った。
その声に答えるかのように多くの罵声が飛び交い、手分けして探そうと声が交わる。
そうして、暫くもしない内に声は分散され、次第に聞こえなくなってしまった。
辺りを灯していた松明やカンテラの明かりも無くなり、教会周辺は怖いほどに静まり返る。燃やされた死体が物を言う筈もない。
その様子を一部始終、皸割れたガラスから覗いていた赤い瞳の少年は、途端に緊張の糸がほどけた如く安堵の溜め息を吐いた。
「はぁー……… やっと撒けたなぁ………」
ガシャリッ 砕けた硝子を踏み締める音が協会の中に響く。
それでも、追い回していた村人達は再び広場に集まり始めることはなく、既にこの場所に三人しか存在しない事が確証された。
それを期に、金色の瞳を細めてナナシは魔魅を冷ややかに見やり、口を開く。
「誤解招くから」
「ちょ、俺は何もしてねぇぞっ?!」
身ぶり手振りで全力否定するも、現状に至った経緯で信憑性は零だ。どう言い訳しようと少なからずの原因は魔魅に在る。
「それで、どうして追っ掛けられてたんだよ?」
「俺が原因前提で話を進めんな!」
ナウジーがさも当然のように話を進めようとするのを、魔魅はやはり全力で否定。しかし、ナナシとナウジーにしてみればそうとしか思えない。
先に教会前から去った魔魅を追いかけようとしていた矢先、突然その彼が敵意剥き出しの村人達に追われながら戻ってきたのだ。そして、成り行きで二人も巻き込まれ、説明もないままようやっと村人を撒いたのだから、魔魅が元凶だと考えるのが妥当な所。
「もう一回言うけど、俺じゃねぇよ」
魔魅は再三に否定する。
ならば、説明して。そんな表情で胡散臭そうに見てくる二人に、今度は呆れの溜め息を吐いて、魔魅は話し出た。
「俺が道を歩いてたら、あのシジィが騒ぎだしたんだよ」
「あのシジィって、商人の?」
ナウジーが訊くと、魔魅が不機嫌に肯定する。
「そーだよ。あのシジィ、いきなりこの騒ぎは俺が起こしたって言いやがったんだ」
忌々しそうに舌打ちをする魔魅。相当当てずっぽうな非難を言われたようだ。
その後の話によると、その男の煽りによって原因がナナシを含める二人だと思い込んだ村人が、襲い掛かってきたらしい。
「んで、腹立ったからシジィぶん殴って逃げてきた」
「半分マミが原因じゃんか!!!」
唖然となるナウジーが反射的に言うと、ナナシもそうだとばかりに頷く。 今の発言では弁解のしようがない。
魔魅もそんな反応をされる事は解っていたのか認めたくないのか、「あーあー! なっちゃったもんは仕方ねぇんだからもう良いだろ!!」と乱暴に曖昧とする。
納得いかない二人は、けれど意外に頑なな魔魅に負け、追求を止めた。そんなことをしている時間が余り無いと言った方が正しいかもしれない。
「とりあえず、どうやって村人に違うって伝えるか考えなきゃな」
ナウジーは何とかしようと発言してはみたが、それだけで心臓が掴まれているような感覚に陥る。
村人達が二人を事件の犯人だと思うのは、二人が今日訪ねたばかりの余所者だからだ。知らない相手は疑わしいに決まっている。
そんな彼らの身の潔白を証明するには、別に明らかな犯人がいることを明言しなければならない。
けれど、それは同時にフェバレーレが凶魔であることを公言する事と同等に値する。
まだ認めきれていないナウジーにとっては、どちらも庇いたいのが本音だ。
「伝えなくて良い」
だから、魔魅が言い出した言葉には絶句するしかなかった。
伝えなくて良いとは、この村の人々に悪だと言われたままになると言うことだ。
二人は優しいのに。
「絶対駄目に決まってるだろっ!?」
近くに誰かいれば見つかってしまうほどの大声でナウジーは拒否した。
二人は驚いて目をしばたかせる。大声ではなく、ナウジーが発した言葉に対して。
それはそうだ。いくら二人がやっていない、むしろ助けていたところを見ていた人物でも、少し前まで赤の他人だった相手を庇おうと、今まで親しくしていた人達の敵になるようなことを進んでやりたがるはずがない。
その上、ナウジーは二人の事を殆ど何も知らないはずだ。少なくとも、魔魅は自分の体以外の事は何も話していない。
ならばと、魔魅は驚いた顔でナナシに向いた。
「お前、何か言ったのか?」
「何も」
淡々と応えるナナシの答は淀みがない。
不思議がる魔魅に、ナウジーは「何だって良いんだよ!」と顔を下から覗く。体勢が体制だけに、魔魅が思わず身を反らせるが構いはしない。
「二人は悪かない。なのに悪く言われるのは納得いかねぇ」
誰かに押し付けて全てを解決しようなんて思うほど、ナウジーは御都合主義じゃない。納得いかないことは、納得いくまでやり続ける。
真っ直ぐな、真っ直ぐ過ぎるその主張に、魔魅は戸惑いながらも返事をする。
「だ、だからって、友達のせいにはしたくないんだろ?」
その一言で、気丈を振る舞っていたナウジーの表情が凍った。
他に術が無いのならば、そうなってしまう。
ナウジーは、心の何処かでは否定していたのかも知れない。違うのかもしれない、何かの間違いなのではと。
けれど、ここまで言われてしまえば、けじめも覚悟も付いた。
「あれは、フェバレーレが悪い」
ナウジーは、はっきりと断言した。
「家を壊したのも、広場を滅茶苦茶にしたのも、…………人を殺したのも」
驚く魔魅に、ナウジーはじっと瞳を見て宣言する。
「たから、皆に言って、しっかり反省して貰わないと」
その後に、しっかりと謝罪言葉を言わないと。
ナウジーのその考えは、子供じみていて現実味がない。
唯でさえ魔獣が恐れられている世界で、凶魔を恐れない人間はいないだろう。何より、凶魔がここで行った事を誤りだと認識するかどうかさえ定かではない。
それでも、ナウジーはその凶魔を友達としてあぐねようとは思わなかった。
「本気でそう思ってるのか?」
普通にじゃれて会話していた時とは一変、睨むにも近い眼力で見て返してくる魔魅に、ナウジーは迷いなく頷く。
「姉義ちゃんが義妹を説得するもんだろ」
確信は無いだろうに、ナウジーは余裕の笑みを浮かべた。
フェバレーレとナウジーの間に築かれた関係がどんなものなのか、魔魅とナナシに測る事はできない。本当はナウジーの思っていたものと違う可能性もある。
しかし、どれ程否定的になっても何も成し得ないではないか。
途端、魔魅が満面の笑顔を見せた。
「いいぜ、その考え方。気に入った!!」
わしゃわしゃッ 乱雑にボサボサのナウジーの髪を撫で回す。
「や、やめろよっ!」
ナウジーは、若干嫌がるようにも見える抵抗をしながらも、はっきりと払い除けようとはしない。照れているようにも見えた。
魔魅は更に顔を綻ばせると、立ち上がって無遠慮にナウジーの小柄な体を片手で抱え上げる。
「な、何だよっ?!」
「保留だ」
「は?」
呆気に取られる子供に、魔魅はあっけらかんと「だから保留だよ」。
「俺らの誤解を解いてその子に反省させるかどうか……今考えたって、そのフェバレーレに会うことが出来なければ実行すら出来ないだろ?」
「だ、だからって…………っ!?」
見上げる形で反論しようとするナウジーを抱えたまま、お構い無しに魔魅は駆け出す。そのすぐ後を、ナナシが着いてきた。
唯らなぬ嫌な予感が脳を掠め、ナウジーは思わず嫌な顔をする。
「マミ!! 何する気だよっ?!」
「俺らの本来の目的を先に済ませんぞ!!」
「目的ぃっ?!」
すっとんきょうに叫ぶナウジーだが、直ぐに納得した。
荒野の周辺と言うことで、滅多に人が来ない村にわざわざやって来るのだから、それなりに理由が在るのだろう。
だが、
「だからって、何で教壇にまっしぐらに走ってる訳ッ?!」
「目的地がこっちに在るからなッ!!」
魔魅はそう言うが、走る直線上に突き当たるのは、二人の女神と聖母に挟まれた教壇のみ。目的らしき物に見覚えはない。
何だって教壇に向かっているのか、問う時間もなく教壇に正面衝突間近となった瞬間。
「ぉん……どりぃやぁぁあああああッ!!」
魔魅が、地面に固定されている筈の教壇を蹴散らした。
当然、木製の卓上が木っ端微塵にならないわけが無かった。




