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不死を象る世界は遊戯なれど  作者: 茜木
第壱章『偏狭に在りし教会を模す』
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第三話



馬の猛烈なスピードで当てられる空気に髪や衣服をなびかせられながら、車輪が残された道を魔獣へ向けて荷馬車は逆戻りする。数十秒もしない内に再び少女の姿と迫り来る魔の群れが徐々に大きくなる。

男が声を上げたのはその時だった。




「何だありゃあっ?!」




顔を驚愕一色に染め、裂ききれんばかりに目を見開く。

魔獣の数は先程の倍には増えており、やはり驚くべき事なのだが、男が開いた口が塞がらない程驚いたのはそこではない。

勿論、迫り来る魔獣を目前にして、細身の剣を地に突き刺し、祈るように手を合わせて棒立ちしている少女の危うさにでもない。

その少女を中心として展開される円陣の巨大さに対してだ。




「あんな巨大な聖陣なんぞ見たことが無い!!」




結構な距離がある荷馬車の直ぐ目の前までその陣は広がっている。余りにも大きすぎる聖法による陣。




「あれをたった一人でやっているのか?!」



「それ以外に何に見えんだよ?」




平然と肯定する少年は「それより」と担いでいた巨剣を下ろしながらに男に言う。




「三秒以内に馬止めねぇと、俺らも巻き添え喰らうけど」



「先に言えっ!!」




円陣が激しく輝きだしたのと男が手綱で馬の方向を変更したのは同時だった。

あまりの輝きから逃げるように、はたまた弾かれる如く勢いで荷台を派手に揺らし、荷馬車がほぼ百八十度回転する。

瞬間、激しい一瞬の発光に時間差で地響きが鼓膜を揺らした。まるで、大地が唸るように。

荷台が僅かに浮かび、地に着き直すと少々横滑り、当然のように少年と荷箱は揉みくちゃにされていた。




「んだぁあっ!! 何しやがんだじじぃ!!」




蜂蜜の甘ったるい木箱共に押し潰された少年は、怒り任せに箱を弾き飛ばし蹴飛ばし、馬を止めた男に掴みかかった。

しかし、男は少年に狼狽えるわけも逆ギレを起こすわけもなく、唯呆然と光の起こった方向へと向けられている。

怪訝に思った少年は、そのままの状態で男の見る先、彼の背後を振り返った。

そこには、変わりもしないだだっ広いだけの荒れ野原が広がっており、離れた場所に紫金(しこん)の髪をなびかせる少女が一人立っているだけで、何もない。




「何もない、だって………‥?」




男は驚愕に目を見張る。

先程まで空や大地を埋め尽くさんばかりに迫って来ていた魔獣がも霊気も、異常なモノが全て消えていた。




「数百は裕にいただろう………‥?」



「それに合わせて聖陣もでかかったろ」




さも当たり前の事のように口ぶる少年だが、詳しくない男でも尋常ではないのだけは理解(わか)る。

本来ならば、圧倒的な数を目前にして、それら全てを一掃したことに対して感動や感嘆をするだろう。が、感嘆を漏らすそうにも、理解を越えてしまった事柄をどう感嘆すれば良いのか。




「理解する時間は不必要」




いつの間にか歩み寄ってきた少女が、無表情に呟いた。




「理解出来ない事を理解しようとするだけ無意味」




使うことの無かった細身の剣を鞘に納めて留め具を付ける。羽織ったローブの下から覗ける衣服は亶儀(せぎ)の衣服や特別なものではない。何処の誰でもが着ていそうな女性服。

こんな少女の何処に、あのような莫大な力を使える要素があるのだろう。

起伏が殆ど無い無表情に、男の背を寒気が撫でた。




「んまぁ、一通り終わったみてぇだし、さっさと進もうぜ」




その事など一切知るわけも無い少年は、あっけらかんにそう言うと、掴んでいた男の襟から手を離し、荷台へと戻る。箱が散乱していて、何処からか漏れているのかツンと蜜の匂いが漂っているが、気にもせずその上にと乗った。




「行儀悪い」




少女が淡々とした口調で少年に言う。少しだけ目が細められた様に感じられ、睨み見ているようにも見えなくはない。人間らしさが僅かに見られる。

それでも沸いた不安が拭える筈もなく、男は恐る恐ると引き台に乗ろうとした。

その時。




「危ねぇッ!!!」




少年が叫び、少女が突き飛ばされる。

黒い蔭が刹那にフラッシュし、突然二人の前に飛び出してきた少年の体が一部欠けた。

男が確認できたのは、赤い花に似た血飛沫が派手に散るさまと、生々しい切断面を回転させながら飛んでいった肉塊が、鈍い音をさせて落ちる音。そして、入れ替わるように飛び込んだ少女が、陽炎の様に揺れる蔭に鞘から引き抜いた刀身をその動作の延長線で斬りつける姿だけだった。

剣が空を切る音が虚しく唸り、蔭は荒れた大地に吸い込まれる様に溶けて消えた。

少女は行く宛の無くなった切っ先を地面に突き刺し、辺りを見渡す。他に蔭らしきものは見当たらない。




「逃げられた」




淡白に呟くと剣を再び鞘に納める。同時に振り向き、俯せで倒れる少年に駆け寄った。

もう既に何を言うかも通り越して、思考不能状態に陥った男はその様子を見ているだけ。

倒れた少年は、人間に必要な部位を欠落させていた。切り口からは絶え間無くひっきりなしに鮮血が駄々漏れる。少し離れた場所でも、元は少年の肩と腕だった塊が小さな溜まり場を作っていた。

死んだ。男は直感した。否、直感なんて曖昧なものではなく、確立した厳然たる事実だ。誰が見ても致死の出血。一言所かピクリとも動かない。

何を思うのか、少女はぼんやりと抉れた箇所を見続ける。男にして見れば死体を凝視することなど毛頭出来ない、異様な光景だ。

助けてもらった節の様だが、息絶えた相手に謝礼も何もないだろう。せめてで少女を無事に町に連れていく事しか無い。不要の荷は運ぶ余裕はとうに潰えていた。

たっぷり数十秒に至ってようやく思考が動きだし、男は未だに少年を見る少女の肩に震える手を置く。




「ここは危険だ。早く通り過ぎよう」




労った比較的穏やかな口調で少女を立ち上がらせようとする。けれど、少女は一度男を振り向きはしたが、再び少年に目を向けるだけで動こうとしない。

気持ちは解らなくもないが、本当に解っているのかは謎だが、早く離れなければまた危険に襲われる事は確かだ。

ほんの僅かに男は躊躇ったが、素早く手を引っ込めて引き台に登り上がる。もたもたしていて襲われてしまえば、男に為す術等無い。

手綱を握り、鼻を鳴らす馬の体に打ち付けようと手を振り上げた。




「何やってんだよ、おっさん」




大きく男の肩が上下に躍動し、掲げた手が行き場を失う。

悲鳴にも聞こえるひきつった声を漏らして、男は声のした方へと振り返った。

あれは明らかに生きていられる量では無かった筈だ。切断もされていた。聖法を使ったとしても、間に合わなかっただろうし、そもそも誰とて使っていなかった。

なら何故




「ぎゃあぁぁああっ!?」




振り返った男は、余りの恐怖に怯えた叫びを上げ、引き台から落下した。




「………‥大丈夫か?」




心配と言うよりも呆れた調子で怪訝に顔をしかめる、血にまみれた少年。

男はその姿を改めて見ると、またまた悲鳴もしくは絶叫をあげておののく。




「な、なななな………っ!?」




ガタガタと震える四肢。逃げようにも逃げられない兎の如くその怯えかたに、少年は眉を潜めるとため息を吐いた。




「やっぱそうなるよなぁー」




言いながら、自身の右肩から右腕にかけてを見る。

そこには、鋭利な刃物か何かで切り取られたように途切れた衣服から、剥き出された腕が半分ほどまで生えていた。

正確には、気を付けなければ判らないほどの僅かな光を発光させながら徐々に腕が元通りに為っていっていたのだ。

普通の人間ならば、あり得ること等無い異常な光景。

それが何なのか、理解もなく男は恐怖で顔をぐちゃぐちゃにしながら叫ぶ。




「お、お前ぇ!! 凶魔(バケモノ)だったのかぁッ?!」




少年は肯定も否定もせず、唯諦めた様子で男の次の言葉を待つかのように元通りになった腕を動かして黙っている。

それを肯定と取った男は、うまく動こうとしない手足をばたつかせて、次に無表情な少女を指差す。




「おお、お前も化け物かっ!! そうだろっ!?」




少女も何も言わず、じっと男を見返すだけ。ただし、今しがたと打って変わって、少年が大声で「違ぇ!!」と怒鳴った。




「こいつは人間だ!! 俺と一緒にすんじゃねぇ!!」




それだけでも男は怯えて悲鳴を上げる。だらしなく鼻水を垂らし、必死に引き台に一目散にと何度かずり落ちながらに登り、席に着きもせずに馬の尻を目一杯に叩いた。痛がる馬が嘶き、荷馬車が重々しく走り出す。




「このしじぃっ! 訂正しやがれぇっ!!」




舞った砂埃の壁の向こうに逃げ去っていく荷馬車に少年は叫ぶ。したところで、今更意味がないのと等しいのだが、言わないと気が収まりやしない。




「もう良い」




そんな彼を腕を掴んで少女が止める。




「本当の事」




言葉数少なに言う。少女にしてみれば、普段と何も変わらない事だと。

しかし、少年は納得がいかないとばかりに少女に振り返った。




「良くねぇ! お前は凶魔でも化け物でも無い、普通の人間だろっ!? 言われて嫌じゃねぇのかよッ?!」



「其処じゃない」




少女は、少年の腕を離して背を向ける。




「化け物は一生化け物」




仕方が無い事。そう言って少女は、荷箱と共に放り出された自らの少ない荷を拾って歩き出す。

荒野はだだっ広くとも、歩いていく他ここを抜けることは出来ない。

てくてくと歩く少女の背中に、少年は投げやりに髪をぐしゃぐしゃッ と引っ掻く。そして、




「成りたくて成ってたんじゃねぇのにな」




小さく囁くき、放り出された巨剣を拾い上げて鞘に戻すと、顔を上げて少女を追いかけた。




「ぅおいっ! 置いてくなっつーの」


「時間の無駄」


「一言で言い切ったなおい!」


「夕方までに抜けないと襲撃に合う」


「………‥………‥まじ?」




少女の一言に、少年は冷や汗一つ。

世界最大級のルゼノア荒野を荷馬車で三時間ならば良い方、と言ったのはいつぞやの少女では無かっただろうか。その上、日は既に南中より傾きかけている。

物理的合理的楽観的に考えても、徒歩で荒野を夕方までに抜けるなんて不可能。それでもやるしかない事なのだが。

ならば。




「俺が運んでやろーか?」




楽しげな笑顔で少年が突拍子もないことを提案する。

ピタリと少女が歩みを止め、一瞬間程度の刹那にうんざりと言う表情を浮かべた。直ぐに無表情に戻るが、内心は収まってはいないだろう。




「何で」



「俺ナメんな!」




嫌そうに応える少女に、少年は有無を言わせないまま、彼女の足を掬い上げて体を持ち上げる。

そして、その状態で脚力に物言わせて人外の跳躍を行う。

空高く二人の体が飛び上がり、荒野の隅も見えるのではないかと思えるほどの景色を足元に置いた。

突然持ち上げられ、挙げ句上空に持ってこられた少女は、驚きと言うよりも呆れる。




「何でこうなる?」



「これなら早いだろ!」




確かに、少年の人から外れた身体能力で跳躍をしながらの移動は荷馬車より速い。

けれど、ひょんな不注意で落とされてしまわないとも限らない。




「危ない。落ちる」




少女は少ないながらの抵抗を見せるが、少年は全く気にしない。どころか、楽しんでいる。




平気平気(へーきへーき)! 前にもお前くらいの運んだ事あっから大丈夫だっての!」




少女が何を言っても、少年は離す気も止める気も無いようだ。有言実行はきちんとすると言うように、見事な着地、そこからの再跳躍も安定している。

少女は僅かな沈黙の後に、諦めたのか了承したのか、「任せた」と一言呟いた。

返事を聞いた少年は、今度は嬉しそうに笑って、流れる作業で着地跳躍を苦もなく繰り返す。





「んじゃまぁ、数十分位で着いて見せようか!!」





ほんの一瞬、少年の言葉の一単語を耳にした少女が手を上げようとしたが、途中で止め、抱えられるままに身を任せた。




そうして、暫くもしない内に、荒野の果てが見えた。






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