5‐19 光の道を導く鍵(2)
* * *
フリートはガルームに一死報いるため、自分の命と引き換えに土の精霊にすべての力を託そうとしていた。だが、いつまでたっても死を予感するようなことは起きていない。
激しい光によって瞼を閉じていたが、徐々に収まりを見せ始めたため、瞼を開けようとした。その瞬間、甲高い音がすぐ傍で鳴り響く。
即座に開くと、正面に広がる光景を見て、目を大きく見開いた。
「お前……」
目に入ったのは、風によってなびいている鮮やかな金色の髪。そして水色を基調とした長めの上着。いつも護っている娘が、ショートスピアをガルームの口元に押しつけて、その脅威からフリートを護っていた。
彼女のスピアの先端がいつもと違っているのに気付く。天を貫くかのように差し込まれている見慣れた切っ先だけでなく、左右に二個ずつ、先端が尖った石が周囲に浮かんでいた。その石は赤、青、緑、茶色と四大元素を思い出させるような色合いである。
突然の登場に呆然としていたが、リディスの左腕に巻きつけられている真っ赤な布と、後ろに押されているのを見て、フリートは我に戻った。
「リディス!」
彼女は瞬間的に力を緩ませて、スピアを自分の体に引き寄せた。突進をスピアで受け流しながら、ガルームの牙をかわす。すれ違い際に右の顔の目をスピアで一線切った。
けたたましい雄叫び声がする頃には、リディスはガルームの間合いの外にまで下がっていた。
フリートは重い体を持ち上げる。ガルームが怯んでいる隙に、そこに刺さっていたバスタードソードの召喚を解き、自らの胸元にある宝珠に戻してからその場を離れた。
リディスは肩で呼吸をしながら、ガルームをじっと見ていた。
今の交戦はガルームからフリートを離れさせることが目的だ。そのためフリートが立ち去ったことを横目で確認できると、胸を撫で下ろした。
祠の中の光が消え、この大地上に戻ってきた頃には、リディスは記憶を完全に取り戻していた。手にはリディスの召喚物であるショートスピアを握りしめており、切っ先の根本を中心として、四大元素の尖った石が浮遊していた。
さらに土の精霊から誰かが死ぬ覚悟で精霊を召喚するという情報も得て、風の精霊の力を借り、まるで空を走り抜けるかのような感覚でこの地に駆けつけたのだ。
激しい光の中心に行くと、ガルームが今まさにフリートに牙を向けようとした瞬間だった。
ぎりぎり間に合ったリディスはガルームにスピアを使って防御をし、その攻撃を跳ね除ける。モンスターの意識をフリートから離すために、あえて挑発するかのように攻撃を加えもした。
そのおかげか相手はフリートが移動したことに気付かず、リディスだけを見ていた。
呼吸が速くなる。肩が激しく上下していた。
久々の戦闘であるため、ほんの僅かな立ち会いだけでも、疲れが出てきたようだ。左腕の怪我のせいもあるだろう。決して無視できない痛みである。徐々に体力が奪われていくが、今ここでスピアを置くことは許されなかった。
戦場にいれば、体の状態など考慮はされない。
ここでは生きるか、死ぬか――ただそれだけだ。
意識を前方にいるガルームのみに向けていたが、すぐ後ろから別の殺気も感じられた。背中越しから後ろを見ると、獣型のモンスターたちがリディスに狙いを定めている。
リディスが育った故郷の町付近にもよく見られる種類のモンスター、それほど危険な存在ではない。しかし数が多すぎるため、まともに相手をしたらかなりの時間を要するはずだ。
深呼吸をし、リディスは頭の中に自然と流れ込んでくる言葉を声に出した。
「――大地を守り、司る精霊――土の精霊よ。道を進むために、力をお貸しくださいませ!」
スピアの下部を地面に力強く叩きつけた。リディスを中心として、同心円上に砂埃が発生していく。それに触れたガルーム以外のモンスターたちは、たちまち動きを止めていった。
「――モンスターたちよ、在るべき処に……還れ!」
もう一度地面に叩きつけると、動きを止めたモンスターたちは次々と黒い霧となって消えていった。
ほんの少しだけ表情を緩める。今行ったのはミディスラシールが月食時にしたものを真似したものだ。リディスにとっては初めての大規模還術だったため、内心冷や冷やしながらおこなっていた。
今後はより精進しなければならないと思いつつ、ふらつきそうになる体を気力だけで持ち直す。
人間たちによって傷つけられた目を持つ三つの頭は、今は静かな唸り声を発してリディスを見下ろしていた。視界がよく見えない状況にも慣れたのだろう、リディスだけに意識が向いている。こちらの様子を伺っているようだ。
鼓動を抑え、リディスもスピアを持ち上げて、切っ先をガルームに向けた。
まだ相手の動向がよくわからない。少し距離を置いて、じっくり経過を見るのが無難だ。
ガルームが前足を踏み出すと、次の瞬間、すぐ傍にまで寄ってきた。
予想以上の速さに驚嘆しつつも、すぐにスピアに火の精霊の加護をまとわせ、風の精霊の加護を用いて、突っ込んできたガルームがリディスを突き飛ばす直前に軽やかに宙を舞う。ガルームのすぐ後ろに降り立つと、振り返られる前に、スピアで尻尾を切り落とした。切っ先は熱を帯びていたため、焦げた臭いがリディスの鼻孔に入ってくる。顔をしかめつつも、意識は逸らさない。
ガルームは唸り声を上げ、すぐさま反撃をしてくる。真ん中の頭は両目が健在だったため、その目を軸として牙を向けてきた。
リディスは攻撃を受け止め、スピアを振り回して牽制する。突破口を開くには純粋な槍術だけでは難しい。
時折地面に手をかざして大地を揺らし、ガルームの足下に亀裂を入れさせた。体勢を崩したところで、左の頭にスピアを下から上へ突き上げる。顎から血が吹き出した。
左の頭はリディスに苦悶の表情を向けつつも、怯むことなく大きな口を開いた。リディスは水の魔宝珠に願いを捧げて氷柱を召喚し、その口の中に入れ込んだ。
甲高い悲鳴を上げながら、左の頭の目は徐々に閉じていく。いくらモンスターといえども、体内から攻撃を受ければ、結果は自ずとわかる。
リディスは後ろに下がり様子を伺った。間もなくして左の頭は首からがっくりと垂れ下がった状態になる。
躊躇いがなかったわけではない。
今までも還術をするにあたって、多くのモンスターを傷つけ、急所を狙った。だが、どんな時でも何かを傷つけるという行為は、あまり気持ちのいいものではなかった。
しかし戦闘時は殺らなければ、殺られるという状況。判断の誤りが戦況を一瞬で変えるだろう。
もし還術士の職で稼いでいくのならば、感情はいれずに、淡々とモンスターを処理する必要があるのかもしれない。
動ける頭が二つになったガルームは、リディスに激しい憎悪を含んだ視線を送っていた。
瞬間、ガルームがその場から消える。神経を集中して位置を把握しようとしたが、後ろからも別の細かな殺気が迫っていることに気付いた。
雑魚は一掃したと思い込んでいたため、それらが再びリディスを取り囲んでいたのは誤算だった。
後ろに気を取られていると、ガルームが目の前に現れ、牙を向けてくる。
(殺られる!)
スピアを握りしめていると、リディスは右側から何者かによって押されて、左へと弾き出された。体勢を崩しながら腰を低く屈めて着地をする。
リディスがいた場所では、黒髪の青年が険しい表情でバスタードソードを使って牙を受け止めていた。フリートはリディスにあらん限りの声で一喝をする。
「何度言ったらわかる! 戦場で隙を見せるな!」
彼と出会ったきっかけともなった出来事が思い出される。子供の獣は還したが、その後から来る親の存在をすっかり忘れており、隙だらけだった状態のリディスを叱咤しながら、フリートが還した出来事だ。
変わっていない自分を疎ましく思いつつも、リディスは立ち上がり、後ろから襲ってくる多数のモンスターたちに向けて手を大きく広げた。
「水の精霊、すべてを凍り付くせ!」
放射線状に魔法は放たれ、そこにいたモンスターたちはすべて氷付けになる。リディスが手を叩くと氷は砕け、一瞬で還っていった。
視線をガルームと硬直状態が続いているフリートに戻す。彼の足下には僅かだが血が滴っていた。
リディスはスピアを振りかざし、目が健在である右側から奇襲をかけた。中央にある頭はフリートに向かれたままだが、右側のはリディスに気が逸れたため、必然的にガルーム全体のバランスが崩れる。
フリートはその隙を突いて、押し返し、後退した。それと入れ替わるかのように、リディスはガルームへ突っ込み、幾度となく突いていく。
ガルームの意識は再びリディスに戻る。反撃してくる牙をかわし、リディスは目を貫こうとした。
だが突然、ガルームは雄叫び声を上げた。動きが鈍くなり、リディスに牙を向けることなく下がっていく。
視野を広げると、フリートがガルームの左後ろ足の腱を斬り裂いていた。おびただしい量の血が流れていく。
臨戦態勢を崩さず、ガルームの様子を見ていると、フリートが駆け寄ってきた。顔色は非常に悪い。腹の辺りは赤黒く染まっている。リディスはそれを見ると、さらに眉間にしわを寄せた。
「リディス……記憶が……。それよりもお前、精霊召喚をできるようになったのか?」
「……記憶は戻った。詳しいことは後で話す。それよりも今はあれを還そう。フリートだってそう何度も剣を振れないんでしょう」
ちらりとフリートの服に滲んでいる血に視線をやると、彼は苦虫を潰したような顔をした。
「いちいち見るんじゃねえ。気にするな、動けるんだから、たいして傷は開いてない」
「嘘! 本当は動いているのも辛いくせに!」
「俺が大丈夫だって言っているんだから、大丈夫なんだよ! お前だってどうなんだ、その左腕の傷。明らかに傷口が開いているじゃねえか!」
痛いところを突かれても、リディスは平静を装いながら言い返した。
「スピアを持つ分には影響はない。大丈夫!」
「お前はな、本当にいつも無理し過ぎなんだよ!」
ぴしゃりと言い放ってから、リディスの傍に寄ってくる。彼は視線を落とすと一瞬だけ表情を緩めた。そして剣を持っていない手で軽く頭を叩かれた。
「……ペンダント、首からかけてくれたんだな、ありがとよ」
その言葉がリディスの鼓動を一気に速くする。
フリートはそれ以上そのことに関しては触れず、背中をリディスの背中にくっつけた。
「……だから後ろががら空きだ。雑魚だが、まだ他のモンスターは残っているぞ」
背中越しから伝わってくる温もりを感じると、不思議と落ち着いた。
フリートの呼吸は速く、リディス以上に肩を激しく上下させている。これ以上傷ついている彼をガルームと対峙させるわけにはいかない。
「お前も息は上がっているが、大丈夫か?」
「ちょっと飛ばしすぎただけ。あと少しなら動ける」
怪我だけでなく、慣れない精霊召喚まで多用しているため、体力的にはかなり厳しくなっているが、まだ気力で賄えられる。
「……なあ、リディス……」
「何?」
後退していたガルームが、唸り声を上げてリディスを睨んでくる。身が竦むような恐怖を感じとり、心を乱しそうになったが、後ろにいる青年のおかげで我を保つことができていた。
「俺が護るって言ったはずなのに、早々にその約束を破ることになるが……」
背中越しから聞こえてくる言葉を待ちながら、リディスはごくりと唾を飲んだ。
「俺がお前の背中を護り抜く。だからガルームを還してくれないか?」
それを聞いたリディスはくすりと笑った。
「――初めからそのつもりよ。それに私の背中を護るんでしょう? 約束は破ってないわ」
彼の言葉が嬉しかった。
戦場において、対等な立場として接してくれることが――。
「私の背中、フリートに預けた」
ガルームがリディスたちに向かって駆け出した。それに合わせるかのように、リディスもガルームに向かう。
ショートスピアを握り、隙があれば一瞬で噛み砕こうと考えているガルームを見た。
おそらく相手はリディスと何度か攻防し、隙を作らせた後、止めと言わんばかりに牙や爪を容赦なく向けてくるだろう。もしかしたら体力の消耗戦に持っていくかもしれない。そうなったら不利なのは小柄で体力がないリディスである。
ガルームの厄介な点は瞬間移動とも言える、急速に上がる移動速度だ。牙と爪に関しては注意深く見ていれば、今のリディスなら対処できる自信はある。だが瞬間移動までは目が追い切れていない。
(次に交わる時に、勝負を決するしかない)
スピアの先端に意識を集中させる。
ガルームが目の前から消えた。次に現れるのは左か、右か、真正面か、それとも背中か――。
無限に溢れる可能性の中からリディスは即座に取捨選択をし、その方向へ風の精霊の力を使って跳躍した。同時にその場所を土の精霊の力によって、地面を柔らかくする。
予想は見事あたり、自分が立っていた右斜め前にガルームは現れた。
その様子を上から見下ろしていたリディスは表情を緩めずに、上昇中に巨大化させたスピアの先端をガルームの背中に向ける。火の精霊によって肉を簡単に貫けるようスピアに熱を帯びさせた。そして水の精霊の力を用いてガルームの足に氷柱を刺して、逃げられないようにした。
「魔宝珠は樹の元へ、魂は天の元へ――」
還術をするための詠唱文を口ずさんでいく。上昇が終わると、一気に加速しながら落下し始める。
「――生まれしすべてのものよ、在るべき処へ――」
ガルームの背中に突き刺さる瞬間、リディスは叫んだ。
「還れ!」
巨大化したスピアの先端は深々とガルームの背中に刺さり、貫通した。激しい光が発する中、呻き声を発しながらガルームはリディスに顔を向けようとする。だが体のあちこちが黒い霧となり、消失していくのが先だった。
その霧はいったいどこに消えていくのだろうか。
リディスはガルームの背中から降り、消えてく黒い霧を見上げる。どことなく物寂しい光景であり、その霧はまるで天にまで昇っていくようだった。
ふと目から涙がこぼれた。理由はわからないが、リディスの胸中は寂しい思いでいっぱいだった。