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魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
第五章 水に漂う記憶の欠片
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5‐1 遠い夜明け(1)

 第五章 水に漂う記憶の欠片 連載開始

 ――心の奥底に呼びかければ、果たして応えてくれるのだろうか。






 ウェーブがかった金色の髪の女性は、かつて城の入口だった場所――しかし今では見るも無残にぼろぼろになった場所から、曇天の空を眺めていた。空は重苦しい雰囲気を醸し出し、まるで絶望の淵へと導いているかのようである。

 それが一日ならまだいい。もう既に何日も続いていた。

 人々は家に閉じこもり、街道には人気が無くなりつつある。いつ訪れるかわからない終わりに対して目を背け、僅かな時間であっても無意識のうちに現実から逃れようとしているようだ。

 この日の夕方は、久々に雲の合間から陽を視界にいれることができた。陽の光を見るとほっとする。しかし、大地に降り注ぐ赤く染められた光景を見ると、あの時の惨状を思い出してしまいそうだ。彼女は凝視することなく、目を逸らした。

「ミディスラシール姫、このようなところにいては危険です。中にお入り下さい」

 惨状の血溜まりの中にいた一人の女性――セリオーヌが松葉杖を突きながら歩いてきた。ミディスラシールは怪我が完治していない彼女のもとに駆け寄り、近くにあった段差に座らせようとする。当初は抵抗したが、すぐにセリオーヌは折れ、感謝の言葉を発してから腰を下ろした。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。私の傍にはスキールニルがいるのだから」

 ミディスラシールの専属騎士である薄灰色の髪のスキールニルは、二人の女性からほんの少し離れたところで静かに佇んでいた。

 万が一の場合には、彼は即座に剣を抜き、おおいに活躍してくれるだろう。

「貴女こそ怪我が治っていないのに、無闇に歩き回らないで。用があるなら言付けを。私から聞きに行きます」

「姫にそのようなことは……」

「今、騎士団の第三部隊をまとめるのは、誰の仕事になるの?」

 ミディスラシールはセリオーヌがもっとも突かれたくないことを言うと、彼女は唇をぎゅっと閉じた。

「隊長が意識不明の重体、隊員の数名が死亡、ほとんどが重軽傷、そして行方不明者が二人――。部隊がまともに機能できない、苦しい状況なのはわかっている。けれど私たちは現実を受け止めて、前に進まなければならないのよ。だから一刻も早く怪我を――」

「わかっています。ですが、どうしても姫の様子が気になりまして」

「私の?」

「ほとんど寝ていないと聞いています。彼ら、彼女らが心配なのはわかりますが、お願いですから体を休ませてください」

 ミディスラシールはセリオーヌに背を向け、目を細めて曇り空を眺めた。

「……今回の件に関しては私の責任だわ。人を信じ過ぎたがために起こってしまった出来事。だから自分でどうにかしなければならない」

「責任感が強いのはいいことです。けれども、もし姫が倒れてしまったら、この城と城下町の結界の存続が危ぶまれます。貴女が最後の要です、それを忘れないで下さい」

「最後の砦――ね。所詮はミスガルム王国のみのことだけれども」

 自虐的に呟くと、セリオーヌはまたしても腰を浮かせようとした。だがそれを止めたのは、意外にも静観していたスキールニルだった。止められたセリオーヌは渋々と立ち上がるのをやめる。

「セリオーヌを止めてくれてありがとう、スキールニル」

「いえ、これしきのことは。……ただ、少しだけ言わせてください」

 スキールニルは一呼吸置いてから、言葉を続けた。

「姫、先程のような弱気な発言は極力避けていただきたい。非常に辛い立場ではあります。しかし、貴女は間違いなく今後起こる戦争で、ミスガルム王国を護る一人となるでしょう。誰かを護るのに、大きいも小さいもありません」

 こうもはっきり意見を言われると、姫としての立場が危うくなりそうだ。ミディスラシールは苦笑しながら、二人に詫びをいれる。

「ごめんなさい。今後は気を付けるわ」

 視線はだんだんと暗くなっていく空に向けられる。

(この空をあの人たちは見ることができているのかしら)

 ミディスラシールの脳内に浮かぶのは、一人の娘と二人の青年。

 しっかり者で正義感が強い、まるで自分を見ているかのような金髪の娘。頑固で意地っ張りで、口は悪いが根は優しい黒髪の青年。そして優しさと冷徹さを兼ね備えた銀髪の青年。

 誰もがミディスラシールにとって大切な存在であり、一人でもいなくなってしまえば、深い悲しみの中に浸るのは目に見えている。

「樹がある世界と、この世界を繋ぐ扉は依然として半開きになったまま。それから推測すると、鍵であるあの子は生きているはず。けど、どうしようもなく不安なのはどうしてかしら……」

 胸の辺りを押さえて二人の騎士を見る。二人に目で訴えても、その質問の答えは返ってこなかった。

 しばらくの沈黙の後、息を吐き出した。いつまでも一国の姫がここで油を売っているわけにはいかない。

 セリオーヌを部屋に帰してから、スキールニルと共に部屋に戻ろうとした。その矢先、壊れたバルコニーの向こう側から、赤茶色の髪の上をバンダナで縛った、見たことのない顔の青年が荷袋を背負って現れた。すぐさま専属騎士は護衛対象の前に立ち、剣の柄に手を添える。ミディスラシールは青年をじっと見て、精霊の加護が付いていることに気付いた。しかも土の精霊(ノーム)ではない。

 青年は壊れた城を眺めながら、驚きの声を漏らす。

「ここがミスガルム城か? かなり激しく壊されているな」

「貴様、何者だ。城門には門番がいたはずだが、そこを通らなかったのか」

 スキールニルは長身であるが、バンダナの青年も長身であったため、見下すのではなく、真っ直ぐ視線を貫いた状態になっている。

「門番にこれを見せたら、通してくれたぜ」

 彼が荷袋の中から取り出したのは、折れ曲がり、汚れているが、ムスヘイム領主のサインが入った、ミスガルム城までの通行証だった。

「領主と知り合いだと!? ……そういえばムスヘイム領では、素性もはっきりしない者を傭兵として雇う風習があったな。貴様もその(たぐい)か」

「そういうこと。途中でモンスターに襲われたりもしたから、ここに来るのにだいぶ時間がかかっちまった」

 バンダナの青年はスキールニルの辛辣な言葉を気にもせず、話を続けていく。

「俺はちょっと知り合いに会いに――もしかして、後ろにいるのはリディスか!?」

 嬉しそうな声で呼びかけられたが、ミディスラシールは複雑な表情になる。今にも剣を抜きそうなスキールニルを手で制して前に出ると、彼の表情は一転した。

「貴方、リディスとお知り合いなのかしら?」

「よく見ればリディス……じゃない。あいつはこんなに胸は出ていなかった。雰囲気が似ているし、金髪だから、つい……」

「……その言葉をあの子が聞いたら、さぞ怒るでしょうね」

 ミディスラシールは深々と息を吐く。そして長い金色の髪を軽く後ろに払った。

「それで貴方はリディスとどういう関係?」

「そういうあんたは?」

「質問に答えたら、教えてあげるわ」

「わかったよ。俺はトル・ヨルズ。ムスヘイム領主に雇われている傭兵で、リディスとは領主の屋敷まで案内する時に知り合った仲。その後も一緒にミーミル村に行って、風の魔宝珠を手に入れるために奮闘したぜ」

 ミディスラシールはその話を聞きながら、リディスから聞いた旅の報告を思い出す。その中にトルという青年の名前が話題に出ていた。またフリートやロカセナ、そしてルーズニルの報告書にも彼の名前が載っていた。

 報告によれば、ムスヘイム領主からの依頼が無事終わったため、本来の持ち場に戻ったはずだが――。

「俺は名乗ったぜ。そちらさんは?」

「――私はミディスラシール・ミスガルム・ディオーン。この王国の姫であり、あの子とは姉の関係よ」

「へえ、姫で、姉で……え?」

 復唱するなり、トルの表情が凍りついた。ようやく彼は話している相手が、自分とはまったく違う身分の者だと気付いたらしい。

「お……お姫様?」

「そう。私が一声かければ、貴方の人生は終わりよ」

 涼しい声で言い放つと、トルは後ずさり、膝を折る。そして慌てて土下座をした。

「す、す、す、すみませぬ! まったく知らずに話をしてしまいました。謝りますので、お許しを……!」

「私の機嫌をどれだけ損ねたと思っているのかしら。何もされずに帰れると思っているの?」

「どうか、どうか、命だけは……!」

 ミディスラシールは笑みを浮かべ、両手を腰に当てながら、トルを見下ろす。らしくもない態度をとっていると、セリオーヌがぷっと吹き出し、くすくすと笑い始めた。

「姫、そこら辺でおやめ下さい。彼はリディスたちの旅を知る貴重な存在ですよ。それに……ロカセナの動きに関しても、何か知っている可能性があります」

 急に真顔になったセリオーヌの発言に、ミディスラシールは固い表情で頷き返す。

「トル・ヨルズ、頭を上げて。むしろ貴方には私が頭を下げてでも聞きたいことがあるわ」

 おそるおそる顔を上げたトルは困惑した表情をしていた。

「俺が話せることなら何でも……。……ちょっと待てよ。リディスの姉って事は、リディスは姫なのか? あいつは自分のことを、町長の娘って言っていたぜ。なあ、あいつらはどこにいるんだ? 俺、リディスたちに会いに来たんだが……」

「リディスたちなら――」

 ミディスラシールが躊躇いながらも口を開こうとする前に、騎士団第二部隊の者が血相を変えて寄ってきた。只ならぬ雰囲気が伝わり、一瞬で張り詰めた空気になる。

「姫! 先ほどルーズニル・ヴァフスから姫宛への手紙が伝書鳩を通して届けられました。先にクラル隊長が中身を確認したのですが……」

 傍に来るとミディスラシールは引っ手繰るようにして手紙を取り上げた。その手紙は丁寧な文字で、今まであったことと現状を簡潔に書いてあった。

 読み進めるうちに、ミディスラシールの表情が強ばっていく。

「ルーズニルからの手紙? 何が書いてあるんだ?」

 何も知らないトルは興味本位で手紙を覗こうとした。覗く前に、ミディスラシールの目から一筋の涙がこぼれる。

「そ、そんな……」

 隣に移動しようとしたトルは思わず動きを止めた。

「な、何かあったのか、あいつらに!? まさか死んで――」

「生きてはいる。ただ……」

「ただ?」


「リディスが……」


 とめどなく溢れ出てくる涙を抑えつつ、トルに手紙を渡す。読んだ瞬間、彼の目は大きく見開いていた。

 リディスと離れているミディスラシールにとって、今の彼女に対して直接何かをしてあげることはできない。

 せいぜいできることと言えば、祈り、願うことくらいだ。

 ミディスラシールは空を見上げ、両手を握りしめて目を伏せた。


 笑顔で再会できることを――願って。



 * * *


 

 酷く気分の悪い夢を今日も見ていた。金髪の娘と銀髪の青年が二人揃ってどこかに行ってしまう夢を――。

 フリートはゆっくり目を開け、自分の体に巻き付けられた包帯を眺めていた。意識不明の状態まで陥ったが、奇跡的に助かったらしい。今は古びた家の一室で、一人ベッドの上で横になっていた。小鳥のさえずりは聞こえず、静寂の時が過ぎていく。

 今日も何も進展せずに、体を横にしたまま体力の回復を待つのか――。一刻も早く剣を握りたい衝動に駆られるが、そこはぐっと我慢する。

 再び瞳を閉じようとしたが、誰かが廊下を走ってくる音が聞こえた。その音がすぐ近くで止まると、女性が慌てて部屋の中に入ってきた。

「シグムンドさん!」

「どうしました?」

「あの、お連れの方が目を――」

 最後まで聞く前に、フリートはベッドから降りた。そして壁をつたいながら、必死に進み始める。女性は止めるが、その言葉を振り切って進んでいく。

 傷口から血が吹き出してもいい。今はとにかく彼女の顔が見たかった。

 フリートは眠っていた部屋の二つ隣にある部屋に入ると、一つのベッドを数人で囲んでいるのが目に入った。

 少し長い亜麻色の髪を結った、眼鏡をかけた青年――ルーズニルがフリートの存在に気付くと目を見開く。

「フリート君、駄目だよ、安静にしていて!」

「今、リディスが目を覚ましたって!」

 ルーズニルはベッドの上で起き上がっている娘をちらりと見てから、フリートに近づいてきた。

「これから医者が容態を見にくる。邪魔になるから、僕たちは外に出ていよう。落ち着いてフリート君、彼女は生きている。それは確かだ」

「すぐに部屋は出る。ただ、お願いだから、少しでいいから話をさせてくれ!」

 動かない体を引きずり、フリートはルーズニルの制止を振り切って、ベッドの脇に来た。

 顔が整っている金色の髪の娘がぼんやりとした状態で起きている。怪我は負っていないのをざっと確認して、僅かに安堵の息を吐いた。

 しかし、ベッドを挟んで向かい側にいる、紺色の長い髪で切れ目の女性は眉間にしわを寄せていた。

「……フリート、悪いことは言わない。今は下がっていなさい」

「どうしてだ、メリッグ。待ちに待っていたことじゃないか!」

「頭に血が上りすぎよ。今の貴方では現実を受け止めきれない」

「何だと? 俺は冷静に物事を判断できるさ!」

「本当? 寝ている間に、あの人のことに関して唸っているのを聞くわよ。尾を引っ張った状態でよく言う」

 その台詞を受け、言葉を詰まらせた。たしかにいくつかの夢の中では、銀髪の青年が血溜まりの中を歩きながら剣を向けてくる夢もある。だがそれとこれは別だ。

 フリートはベッドに乗り出し、金髪の娘に声をかけた。

「リディス!」

 緑色の瞳がゆっくり向けられる。どことなく焦点が定まっていないのは、長い間眠り続けて目覚めた直後だからか。

「よかった、目を覚まして。お前いったい何日寝ていたと思う。……心配していたんだぞ」

 必死に語りかけるが、彼女の反応は非常に鈍い。ただフリートを眺めているだけだ。

「おい、リディス、どうした? どこか痛みでもあるのか?」

 端から見れば、怪我はなく見える。だが何かの衝撃で、視力などに問題が出た可能性もある。

 手を伸ばそうとした矢先、リディスの口がようやく開いた。

「――貴方は誰ですか?」

 数瞬、時が止まった。

 フリートは目を大きく見開く。メリッグとルーズニルは悔しそうな表情で、二人から視線を逸らした。

 次の瞬間、フリートはリディスの肩を掴み、自分の方へ近づけさせた。

「待て、俺だぞ、リディス。フリート・シグムンドだぞ!?」

 目の前に顔を寄せた娘の顔は酷く怯えていた。思わず手に力が入ると、リディスの目が伏せられ、か細い声が漏れ出た。

「や、やめてください……!」

 それが合図とばかりに、ルーズニルがフリートを後ろから抑え込み、メリッグがリディスのことを優しく抱きしめた。再びリディスに視線を向けるが、向こう側から合わせられることはなかった。

 フリートの心の中が急激に冷えていく。

「だから言ったでしょう。今の貴方では現実を受け止めきれないって」

 そしてメリッグは感情を抑えながら、はっきり言い切った。


「リディス・ユングリガは記憶を失っているわ」


 先日別れた、銀髪の青年の言葉が唐突に思い出される。


『何らかの負担はリディスちゃんに降り懸かるだろう。例えば――精神的なところとか』


 フリートの心の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。

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