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魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
第四章 緋色に染まる天地
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4‐18 夢の終わり(3)――裏切りの口づけ

 * * *



 二人と出会ってからの一番印象深い出来事は何だろうか。

 様々なモンスターを還し、事件にもたくさん巻き込まれたため、どれも決めにくい。

 だが、これだけははっきりと言えた。

 彼らとの出会いは、リディスの運命を変えたのだ――。

 シュリッセル町で還術ができる珍しい貴族の娘に、彼らはその娘に還術を用いて積極的に人を助けたいという想いを強くしてくれた。それが今もなお、リディスが前進する気持ちを後押ししてくれている。

 そんなきっかけを与えてくれた二人にも、良い道を歩んで欲しいというのは切なる願いだ。

 フリートが過去から脱却し、新しい道を歩もうとしているのは、目に見えてわかっていた。


 しかし、ロカセナはどうだろう。

 そもそも彼は何を考えて行動しているのだろうか。

 ごくたまに見せる陰り――その原因は何だろうか。

 傍にいることで、少しでも良い影響を与えられればいいなと思っていた。



 だが、所詮それは夢物語。

 すべて――夢だったのだ。



 * * *



 ひんやりとした冷たさが皮膚や服を通して感じてくる。意識を失っていたリディスはぼんやりと目を開いた。首に受けた衝撃は未だに抜けず、動かせば痛みがそこに走る。

 目の前に見えるのは、一面に広がる夜空と真っ赤な月だった。冷たい風が台の上で横になっているリディスに吹き付ける。起き上がろうとするが、全身が酷くだるくて動けない。両手首は縄で結びつけられており、それが胸の真ん中で収まっていた。

「これはいったい――」

「ああ、起こしちゃった? リディスちゃん」

 ロカセナがいつも見せる笑顔で上から覗き込んできた。今となってはわかる、それが何かを隠すための作り笑顔だったと。

「準備が終わったから、少しは話ができるよ」

「準備って何?」

 視線を右に向けると、ある石の欠片が、緑色の光を発して浮かんでいる。左に向ければ茶色の光が見えた。

「四大元素の魔宝珠の欠片を並べていたんだ。妨害もかなりあったし、無理かもって思ったけど、どうにかなるもんだね」

「ロカセナは欠片を狙っていた人なの……?」

「そうだよ。むしろ僕がそう動くよう、指示を出していた。火も風も未遂だったけど、あの行為はただのついでだから問題ではない。――なぜこんなことをっていう顔をしているね。欠片が必要だったからさ、扉を開けるために。そして今回の動きで、ようやくすべて回収できたよ」

「扉?」

 抵抗する気力も起きないほど、体はぐったりとしている。薬でも飲まされたのだろうか、それとも覚めて見ていた夢が崩壊しているのを、リディスが目の当たりにできていないだけだろうか。

 ロカセナはリディスの左頬を右手でそっと触った。その手はとても冷たかった。

「モンスターが還された後に、一度行く場所へ続く扉だよ」

 手を離し、いよいよ皆既になった月を見上げた。

「その扉は厳重に封印が施されている。だからそれを解き放とうと思う」

「ちょっと待って。在るべき処にわざわざ還しているのに、どうしてそんなことをするの?」

「――その言い伝えられている在るべき処が、人間がいる場所とは違う所とでも本当に思っているの?」

 冷たい視線で見下ろされる。今、持っている知識を集めれば、間違ったことは言っていないはずだ。モンスターと人間は相容れない存在。だから住んでいる場所も違うと言われていた。

「人なんて憎しみで覆われた存在。一歩間違えれば殺人を繰り返す。そんなのモンスターと同じだ」

「そうかもしれないけど……」

「リディスちゃんの脳内に流れた悲鳴や惨劇、あれは人間による醜い争いの果てにあるものだっただろう?」

 ごくりと唾を飲み込んだ。どうしてここでその話題を出すのか。たしかにあの映像は吐きたくなり、動けなくなるほど、凄惨な人と人との行為だった。

「あれを直視できなかったはずだ。モンスターは人間とは裏表の存在。だからそれらを一緒にして何が悪い」

「そんなことをしたら、人間たちがモンスターに……」

「人間がモンスターに殺されるのは駄目だけど、人間が人間に殺されるのはいいのかい?」

「違う、そういう意味じゃない! わざわざモンスターをこっちに連れ込まなくてもいいじゃない! ……ねえ、どうしたの、ロカセナ。さっきから変だよ?」

 喋り続けていたからか、霞がかっていた脳内が徐々に開けてくる。動けないのなら口だけでも動かして、何かをしようとしているロカセナを止めなければ。そんな想いとは裏腹に、彼に肩をすくめられた。

「それよりもさ、自分の置かれている立場がわかっていないの?」

 そう言われて、リディスは改めて自分が奇妙な状態になっていることに気づく。

 なぜ全身はだるく、外で台座の上で横になっているのか。まるでその場に張り付けられたかのようだ。

「それと還した直後に脳内に流れる異常な映像が、最近途切れ途切れになっているの妙だなって思わないの?」

 その言葉を受けて、セリオーヌのある叫び声が脳内に流れる。

『相手の脳内に、映像や音を無理矢理召喚させる。ロカセナ、あんたはどの程度まで召喚ができるんだい?』

 召喚をする時は、通常召喚者が傍にいなければならない。仮に離れたところで行えば、召喚者に対して大きな負担がかかることになる。

「ねえ、僕と一緒に行動していない時、どうして還そうと思ったの? 危ないんだから、駄目だよ」

 その笑顔ほど、嘘らしいものはなかった。

「教えてあげるよ、真実を。ミーミル村でヴォル様が仮説を立てた一つのとおり、リディスちゃんの脳内に流れていた異常な光景は、第三者が召喚したことによるものだよ」

 次の言葉ほど、聞きたいものはなかった。


「――ずっと僕がやっていたんだ。君と出会い、オルテガさんの屋敷の裏で還した時から」


 自然と一筋の涙が頬を伝った。静かに落ちていく。その涙をロカセナは拭った。

「なぜならリディスちゃんを、この場に連れてきたかったから。――還術に対して執着をもっており、その上自分より他人を優先させる人間。そんな人が他人を守るための還術を取り上げられたら、どうするだろう。僕は思ったよ――きっと原因を探すはずだって」

 ロカセナの言うとおりだ。事実、そのためにシュリッセル町を飛び出した。

「ねえ、リディスちゃん、そもそも自分が何者であるか知らないの? シュリッセル町のオルテガさんの娘だと思っているの? 本当は特別な存在だって知らないの?」

「な、何が言いたいの……」

 何も心当たりがない。ふるふると首を横に振ると、ロカセナは薄ら笑みを浮かべた。


「君はね、本当はお姫様だったんだ。だけど特別な力を持っているがために、城から離れさせられた」


 衝撃から困惑へと移っていく。

 姫ということは、ミディスラシールと姉妹なのか。確かに髪や瞳の色は同じ、誕生日も同じだが――。

「世の中にはね、双子ではあるけれど、そこまで似ていない双子が存在するんだ。それが君たちに当てはまるわけだよ」

「仮に双子だとしても……、私は特別な力なんて持っていない」

「本当? なら、なぜ自分の出身領以外の四大元素の源の魔宝珠に触れることができたんだい?」

「それは偶然じゃないのかしら……」

 リディスも疑問に思っていることを突かれて、返答に戸惑ってしまう。

「ちなみにリディスちゃんが眠っている時に、土の魔宝珠に触れさせたけど、何も拒絶反応はなかったよ。つまり最低三種類の精霊と心を通わせることができた。しかし、一般的に三種類以上扱える人は実在しないと言われている。なぜなら、お互いに反発し合う精霊を持つことはできないから」

 火の精霊(サラマンダー)水の精霊(ウンディーネ)は反発するため、この二種類を扱うことはできない。風の精霊(シルフ)土の精霊(ノーム)も同様のことが言われている。実際、様々な史実を読んでも三種類以上の精霊を扱う者の存在など、見聞きしたことがなかった。

 反論することができない。ならば例外を仮定するまでだ。

「……私が何らかの特別な理由で全精霊と相性が良く、魔宝珠に触れることができると仮定する。けど、だからってどうしたいの? その力を使って、モンスターと共にこの大地を滅ぼせとでも言いたいの? ……そんなことしないわ。それくらい自分の意志で決められる」

「そういう利用の仕方もあるだろうね。でももっと大きな役割があるんだ」

 ロカセナは顔を上げ、目を細めて赤い月を見た。


「――遠い、遠い、昔から――世界創世の時代から存在し、人々に恩恵を与えている樹があった。しかしある日突然、人々の前からその樹は消えてしまった――」


 唐突に語り始めたのは、レーラズの樹を語る際によく使われる冒頭文。だが気になる点があった。

 なぜ“レーラズの樹”ではなく、“その樹”と指示語を当てはめているのだろうか。

 ロカセナは視線を下げ、腕を大きく広げる。

「その樹はリディスちゃんや僕が今いる、このくぼんだ地形の中心にあった。つまり、五十年前まではここに緑で覆い茂った樹があったんだよ。その樹はレーラズの樹と言われているけど、魔宝珠を生み出す樹という意味で、“魔宝樹(まほうじゅ)”という本当の名があるんだ」

「魔宝樹……」

「真の名を知っているのは、かつてアスガルム領で魔宝樹を見守ってきた人たちと、その人たちと交流があった者だけ」

 語られる内容を飲み込みつつ、リディスは哀愁漂わせた表情をしているロカセナを盗み見ていた。彼が何者であるかということに、薄々勘付く。

「ロカセナはアスガルム領民の生き残り……?」

「そうだよ。ミスガルム領や他の領を守るために、魔宝樹ごとアスガルム領を扉の向こう側にやったおかげで、人は少なくなってしまったけど」

「守る為に……? 五十年前に何があったの? 突然樹が消えたんじゃないの?」

「世間的にはそう言われているね。当時の真実を知っているのは、ミスガルム城の王族やその側近、ニルヘイム領にいる予言者の一部、そして当時のヨトンルム領主やミーミル村にいる風の魔宝珠の護り人くらいだから。今、生き残っている人物で知っているのは、ミスガルム城の人間くらいかな。ミスガルム国王やミディスラシール姫、あと予言者のアルヴィースは知っているだろう……」

 ロカセナが語る様子は、初めは淡々としていたが、少しずつ熱を帯びていき、今は鬼気迫る表情で唇を噛みしめていた。


 これが本当のロカセナ・ラズニール。

 アスガルム領民の血を引く者。


「――五十年前、モンスターの大量発生や様々な出来事が重なり、別の世界へ樹ごと封印しようという動きがあった。扉を作ることはどうにかできたけど、閉めるには多大な力が必要とされた。そこで選ばれたのが当時の女王――リディスちゃんのお婆さんだった。実は彼女はアスガルム領民で、当時の王に見惚れられて、結婚した女性だった。力もあったため、魔宝樹を扉の向こう側に送って鍵で閉めるのに、時間はかからなかったらしい。だけど向こう側からの圧力が強かったから、その後も定期的にこの場で祈りに来て、扉が開くのを防ぐ必要があった」

 祈りを送っていた――まるで風の魔宝珠の護り人みたいだ。そのような人がリディスの祖母だったなど、まったく身に覚えがない。

 リディスはシュリッセル町の貴族の娘として生まれ、育ってきたと思い込まされていた。

「彼女は子供を産んだ後も祈り続けていた。そして孫を見てから亡くなった。幸か不幸か、彼女の息子にはその能力は受け継がれなかった。だから、もう祈り続けるのは終わりだと思っていた。だけど、予言によってわかったんだ、息子ではなく双子の孫の一人に受け継がれていたことに」

 今のミスガルム国王は直系の王族の血を引いている。妻は有力貴族から(めと)ったという。

 つまり孫というのは、ミディスラシールと――。

「――リディスちゃんにその役割が受け継がれていたんだよ」

 目を大きく見開いた。この場に来てから、聞かされることはすべて衝撃的で傷つきもしたが、これはそういう次元ではない。自分の立場が、一人の人間としての立場が大きく覆された。

「だから本当なら君は城にいて、樹に向けて幼い頃からずっと祈り続けているべきだった。けれど、君の母親は幼い君にそのような運命を歩ませたくはなかった。祈りを送ることは大きな負担になるからね。同時に君という存在を危険視したんだ。扉を閉めることができる、逆を言えば開けることもできる存在。だから僕のような扉を開けたい者の手から遠ざけるために、養女としてオルテガさんに受け渡されたんだ」

 母親との思い出は一切ない。オルテガと話をしていて、何気なく母親のことを聞いてみても、すぐに口を濁されてしまう。もし養女であるのならば、そのような行動も納得がいった。

「ねえ、今、私の代わりに誰が扉を閉め続けるための祈りを送っているの?」

「君の母親が身を持って祈りを捧げていたはずだよ。そのおかげでどうにか今まで保つことができた。多少こぼれ出てしまっているけどね。そしてこれからは君が祈ることでモンスターの侵入を防ぐ予定だった。でもね、もうそれはしなくていいんだよ」

 ロカセナは顔をリディスに近づけた。口元に笑みを浮かべる。

「僕はその扉を完全に開けるための鍵をずっと探していた。そしてようやく出会ったんだ」

 嬉しそうに微笑む顔を見て、背筋がぞわっとした。右頬に手が添えられる。真っ直ぐ視線を突きつけられた。


「魔宝樹の鍵である、リディス・ユングリガ。僕の願いのために、その身を捧げてくれ」


 ロカセナの顔が一気にリディスの顔に寄せられる。

 かわすこともできず、呆然とした状態で唇を乗せられた。

 優しく、柔らかな感触。だが手と同様に触れている唇も、入ってくる息も、泣きたくなるくらい冷たかった。

 離れると再び涙が出てきてしまった。少しずつだが止めどなく流れてくる。

 五十年前に魔宝樹やアスガルム領が消えた事実や、リディスの過去も驚くべきことだったが――やはりロカセナによってすべて仕組まれ、利用されたことが一番衝撃だった。

 体が思うように動かなかったのは、ロカセナによって薬でも飲まされたのだろう。

 リディスは魔宝樹へ続く扉を開くための鍵――つまり生け贄。逃がすものかと思っている。

 だがリディスは、たとえ自由に動けたとしても抵抗する気力は起きなかったはずだ。

 ロカセナは背を向け、三歩進んだところで止まった。そんな彼に声をかける。

「ねえ、ロカセナ……」

「なんだい、リディスちゃん?」

「優しくしてくれたのは、今日のため? 助けてくれたのも、今日のため? 今、キスしたのは――どうして」

 背中越しからロカセナは憂いを含んだ笑みで返してきた。

「リディスちゃんのことは好きだったよ。でもね、きっとそれは恋愛感情ではない。キスはね、見せつけてあげたかったからかな――あいつに」

 その言葉で、誰かが土を踏み分けて近づいているのに気が付いた。

 いつも不機嫌そうな顔をしている黒髪の青年、だが今は目を大きく開けている――フリート・シグムンドがそこにいた。

 まもなく皆既月食が最も大きくなる時間帯を迎える。

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