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魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
第四章 緋色に染まる天地
76/242

4‐17 夢の終わり(2)――残酷な真実

 * * *



 ミディスラシールから受け取った魔宝珠の効果は絶大だった。芯から溶かしそうな勢いで燃えている黒い炎を、その魔宝珠を手にすることで、難なく通過できてしまったのだ。しかし通過した瞬間、魔宝珠は粉々に砕けてしまった。

 背後に包まれている炎の中には、フリートに想いを託した一国の姫、そして騎士や仲間たちが戦っている。彼女たちに感謝しながら、少しずつ速度を上げて走り出した。

 ミディスラシールから聞かされた真実に関しては、ほとんど飲み込めていない。

 だがその真実の中で、フリート自身が薄々勘付いていた内容もあった。

 ロカセナの心の奥底は、深い暗闇によって覆われているいうことが。

 頭の中は整理できていないが、今はミディスラシールに教えられた土の魔宝珠が隠されている地下へ急いだ。

 バスタードソードの召喚を解かずに、城内を駆け抜ける。リザードマンといったモンスターといつ遭遇するかわからない。通路で挟み撃ちをされる前に、即座に還す必要がある。

 だが拍子抜けするくらい、誰とも遭遇しなかった。

 城の入口から地下へ続く部屋まではいくらか距離がある。モンスターと交戦している場所があるだろうと思ったが、交戦している以前に、交戦跡すら見られなかった。

 地下へ続く道には、予めモンスターを配置していなかったと思ってしまうほど、それはとても不自然だった。

 疑問を抱きつつも、王族や地位の高い貴族たちが仕事をする部屋がある廊下に入り、さらに奥まったところにある部屋に直行する。

 指定された場所の前に着くと、フリートは眉間にしわを寄せた。僅かだが異様な臭いを感知するドアを開けると、部屋の奥にある隠し扉が開け放たれているのが見えた。そこから鼻につく、嗅ぎたくもない不快な臭いが漏れ出ている。

 臭いから察知し、これから見る光景に覚悟を決めた。フリートは剣を強く握り、逆側の手で光宝珠を握りしめて、階段を降りた。

 光宝珠は残酷な現実を少しずつフリートに教えてくれる。

 徐々に明らかになっていく光景と、耳に入ってくる喘ぎ声は、視界に入った瞬間、思わず目を背けてしまうほどだった。

 溜まっている赤い池の正体は、紛れもなく人の血。喘ぎ声は苦しみを表している声。

 光りが全体を照らし出すと、大量の血を流して喘ぎながら倒れている者と、少数ではあるがまったく動かない者がいた。動かない人間の中には、何度か手合わせをしたことがある騎士もいる。

 口を一文字にして血だまりの横を歩いていると、赤髪の女性が脇腹を抑えながら壁に寄りかかっているのが見えた。肩を上下させ、血の気が失せ始めている彼女に急いで駆け寄る。

「セリオーヌ副隊長!」

 彼女はフリートが寄ってくると、重い瞼をゆっくり開いた。

「……フリート……大丈夫だったの? バルコニーが崩壊したじゃない」

「大丈夫です。火にも囲まれましたが、姫のおかげで俺だけ脱出することができました。これはいったい……」

 剣を投げ出し、血を流して倒れている騎士たちをちらりと見る。

「姫に背中を押されたってことは、多少概要は聞いたわね。ロカセナが魔宝珠を狙っている側だと」

 セリオーヌの視線が奥に向けられる。そこには半分だけ開かれた大きな扉があった。

「あの先に土の魔宝珠がある。それがこの城を中心から護っていたのよ……。ロカセナはリディスの力を使って扉を通過し、欠片を手に入れた。そして同じ場所に封印していた風と火の魔宝珠の欠片も奪っていた。その後は外に出て、ある場所に向かったはずよ」

「この状況は全部あいつが作り出したんですか」

「……そう」

 重苦しい空気がさらにフリートの背中にのしかかる。言われるまで何かの間違いだと思いたかった。お互いに背中を護りあった期間も長かった。

 そんな彼が裏切り者だと思いたくない。

「リディスは特別な血を引いているため、すべての精霊と相性がいい。だからどの魔宝珠でも触れることができることを理由の一つとして、彼女をさらった。そして――」

 ポケットからセリオーヌは丸く透明な魔宝珠を取り出した。それをフリートに突き出す。目を凝らして中を見ると何かが動いていた。

「北のニルヘイム領にある、水の魔宝珠の欠片も奪われたと聞いた。すなわち敵側には四つの欠片が揃い、リディスも手中にある、最悪の状況になってしまった。すべてはロカセナの力を見誤っていたことが――原因ね」

 フリートがリディスと離れてから、そこまで時間は経過していない。それにも関わらず、優れた技術を持っている者で構成された十人の精鋭部隊は、僅かな時間でほぼ全滅だ。

「その魔宝珠はリディスに渡した、もう一つの魔宝珠と呼応する。本当ならじっくり見れば、正確な場所もわかるけど、今は時間がない……。おそらくロカセナたちが向かっている場所は、かつてアスガルム領があった、レーラズの樹が存在していたと言われる、あのくぼんだ地形の真ん中にいると思う」

 セリオーヌは斬られた傷を必死に押さえて、前のりになってフリートを見た。

「今、動けるのはフリートだけ。そして状況を把握しているのも、貴方だけ。だからお願い――いえ、止めなさい、ロカセナ・ラズニールを。相棒の強行を止めなさい!」

「止めるって、どうやってですか! 副隊長たちを躊躇いもせず斬ったあいつを……」

「賢い貴方ならわかるでしょう。ロカセナを力ずくで止めにいったら、こんな状況になった。彼に声が届くとしたら、いつも一緒にいたフリートだけよ。――今からクラル隊長の所に行きなさい。素早く移動できる手段を提供してくれるから」

 一通り話し終ったセリオーヌは軽く目を伏せて、静かに呼吸をする。フリートはその様子を眺めて、受け取った魔宝珠を握りしめた。

 ロカセナがこれから行おうとしていることは、触り程度だがミディスラシールから聞いていた。それを実行したら、彼は戻れない道を走り出すことになる。そしてリディスの身にも、取り返しのつかないことが起こってしまう。

「……副隊長、俺がロカセナを止めなければならないんですよね。人を傷つけて、殺したロカセナが更なる罪を被る前に。そしてリディスを助けるために」

「その通りよ、フリート。あの子のためにも、お願い。――さあ土の精霊(ノーム)に挨拶をしてから、行きなさい。きっと力を貸してくれるでしょう」

 セリオーヌの視線が扉の奥に向いていた。あの先には土の魔宝珠があるようだ。彼女の声に押されて、フリートは仰向けになってか細い呼吸をしているカルロットの横を通って、足早に扉をくぐった。

 その中はまるで森のようだった。木々に覆われ、花や緑で溢れている中に湧き水が流れている。先ほどまで見ていた血みどろの光景を一瞬忘れるかのような、自然豊かな美しい場所だ。

 フリートは正面にある茶色の大きな石に向かって歩む。近づくにつれて、仄かに輝いていた光が激しくなる。その前で立ち止まると、立派な髭を生やし、緑色の帽子を被った小人――土の精霊が現れた。

『お主、あの男に挑むつもりか。心が真っ黒に染められている男に』

「挑むというよりも、止めたいです。あいつは俺にとって大切な相棒だから。そして彼女のこともどうしても助けたいんです」

 土の精霊はフリートの全身をじっくり見渡した。再び視線が顔に戻ってくる。

『止めるため、助けるために、剣を交じり合わせる可能性は高い。その時お主はどうするんじゃ?』

 ずっと味方だと思っていた相手が突然敵になる。

 そんな状況になると、誰がわかっていただろうか。

「……わかりません。その時になってみなければ」

 あの惨状を見ても、未だに迷いはあった。罪人に対して遠慮なく剣を向けるべきだとはわかっている。しかし、それを実行できる自信が、今のフリートにはなかった。

 土の精霊は肩をすくめつつも、微笑んだ表情で手を拱いた。

『正直でよろしい。迷うのも若者の特権じゃ。そんなお主に少しだけ力を貸そう。何かあった際にはわしを呼ぶがよい』

 魔宝珠に近づき触るよう促される。リディスが火の魔宝珠に触れた後のことが脳裏をよぎった。だが時間が惜しい。少しだけ躊躇ったが、口を一文字にして、指示に従って魔宝珠に手を触れた。

 心が穏やかになるような温もりがフリートの体内に入ってくる。時に冷たくなる時もあり、気分も悪くなったが、すぐに何も感じなくなった。手を離すと、土の魔宝珠の欠片が手のひらにのっていた。

『何かあったときは呼ぶのじゃ。――道を示す者よ』

 少しだけ気持ちが軽くなったフリートはしっかり頷き、精霊に背を向けて走り始めた。途中でセリオーヌに軽く礼をし、動かなくなった者や喘ぐ者の横を走りながら、出口へ向かう。

 皆の想いと期待を一身に背負い込み、フリートは決して振り返らずにその場から出て行った。



 会議で決められた騎士たちの配置を思い出しながら、フリートはクラルのもとへ急ぐ。事前に記した配置図によれば裏口近くに彼はいるはずだ。先ほどよりもさらに速度を上げて、城の中を突っ切る。

 モンスターとは数匹接触したが、ほぼ瞬殺で還していた。

 空を見上げると、月が見る見るうちに細くなっている。皆既月食まで、もはや時間がない。

 裏口近くの廊下に出ると、十人くらいの騎士たちが結界を張り、モンスターが城内に侵入するのを防いでいる光景が視界に飛び込んできた。その後ろから精霊を召喚して攻撃をし、モンスターを還している。

 それらの攻防を一番後ろで薄茶色の男性は険しい顔で眺めていた。

「クラル隊長!」

 クラルは振り返り、フリートの顔を見ると、さらに顔を険しくした。

「君が来たってことは、彼女は……やはり連れて行かれたのか」

「……はい。すみません、俺が目を離した隙に……」

「謝る必要はない。敵は予想以上に強い。君が大きな怪我をしなかっただけ充分さ。――レーラズの樹の跡地に行きたいんだよね」

「そうです。ですが皆既月食が始まるまで、もう時間が……」

 フリートは歯噛みをし、己の無力さに苛立った。

 何もできない、剣が使わない状況では何も――。

 クラルはその場の指揮権を他の人に預けると、フリートを連れて階段を上り始める。理由を問わずに黙々と上ると、羽を生やしたモンスターが屋上をたむろっていた。獲物を見つけるなり、勢いよく突っ込んでくるが、クラルが召喚した風の精霊(シルフ)の攻撃ですぐに還される。そして彼は魔宝珠の一つを取り出した。

「今からあるものを召喚するから、もしモンスターが近づいてきたら、還してくれ」

「わかりました」

 フリートは剣を中段に掲げ、いつ、どこからでも来てもいいように、神経を研ぎ済ませた。クラルはその様子を横目で確認してから腕を広げ、持っていた魔宝珠を大きく投げ上げた。

「おおいなる羽を我らにお与え下さい。――召喚、フギン!」

 魔宝珠が輝き、その中から鋭い爪が見えるなり、目を開けるのが困難なほど膨大な光が辺りを包み込んだ。

 すぐに光は収まると、クラルの前には鋭い嘴と爪を持ち合わせた、巨大な茶色の鷹が出現していた。彼が首元をくすぐると嬉しそうな顔をする。撫でながらフリートに向けてフギンの顔を動かす。

「フギンに乗って跡地へ急いで。この子なら人を二、三人乗せるのは造作もないから」

「俺だけで乗るんですか?」

「きちんとしつけてあるから、心配しなくていい。目的の場所を教えれば、そこまで乗せていってくれる」

 クラルはフリートの背中を二、三回叩き、フギンに乗るよう促した。目の前にいる鷲に向かって、フリートは無意識のうちに頭を下げていた。

 大人しい鷹の背中に乗り込むと、ふわふわとした羽毛がフリートを包む。クラルを見下ろす位置にいたため、彼の緊張気味な表情がよく見えた。

「こっちのことは大丈夫だから。今は自分がすべきことをして」

「ありがとうございます。では、行ってきます。――フギン、頼むぞ」

 フギンに声をかけると、大きく羽ばたかせ始めた。徐々に足が地面から離れていく。下の惨状がありありと見せつけられる。感情の爆発を抑えるために、手をぎゅっと握りしめた。

 フリートは視線を前に向け、かつてレーラズの樹があったところを見据える。そしてフギンと共に、赤い月が輝く夜空の中を飛んで行った。



 ミディスラシールは肩で呼吸をしながら、空を見ていた。ちょうどフリートがフギンに乗って、飛び立つところが目に入る。それを見て唇を噛みしめた。

(フリートが東に向かっている。セリオーヌ副隊長たちは止められなかったのね)

 ドレスはもはや原型を留めておらず、下に着ていた薄手の防御服が露わになっている。外見は酷いありさまだが、ミディスラシールの体はほとんど傷ついていない。入念に見繕って作ってもらった防御服が効力を発揮するなど、皮肉なものである。

 何度も炎を吐き出しているニーズホッグの火力は衰えず、戦闘が加速するにつれて、むしろ増していた。体力が減少しているこちら側には、当初はやや分があった戦闘だが、次第に不利な状況になっている。

「大陸で一番強いっていうから、楽しみにしてきたのに、この程度なの?」

 にやにやしながら、ニルーフは話しかけてくる。余裕すら感じられるその表情が忌々しい。

 ロカセナの横暴が止まらず、フリートがレーラズの樹の跡地に向かって説得する状況になった。

 万が一、フリートが説得に失敗、もしくはどこかで命を落とせば、最悪の展開を迎えるだろう。

 ミディスラシールは脳内を急いで回転させ、今の状況から少しでもましな展開に進める方向を弾き出す。

 騎士たちに紛れるようにして少しだけ後退し、各々の精霊を召喚しているメリッグとルーズニルの元に駆け寄った。

「状況は最悪の道を辿っています。フリートがあの人を上手く説得できるか、もしくは捻じ伏せられるかの保証はどこにもありません。ですから、私が彼らを追い返したら、すぐにあの地へ向かってくれませんか? クラル隊長なら、もう一羽大鷹を召喚できますから」

「あの人に声をかけるなら、お姫様が行った方がいいんじゃないのかしら。私が見ている限り、貴女は彼のことをどうにかしたいと最も強く考えている人物なのだから」

 メリッグはさり気なく核心を突いた言葉を発してくる。頷けば認めることになるが、それは決してしなかった。今は一国の姫としての務めを果たさなければならない。

「今から少し大規模な魔法を使います。その後はおそらく動くのもままならい状態になるはずなので、この件に関してはあなたたちに頼みたいのです。止めて下さい――彼を。お願いします」

 ミディスラシールは感情を極力抑えて、二人の男女を見て軽く頭を下げた。その様子を見たルーズニルが口を開く前に、ミディスラシールは視線を移動し、再びニルーフを睨み付ける。

 赤毛の少年は依然としてにやついていた。

「何、こそこそ話しているの? 何がしたいのかわからないけど、僕のことを倒さない限り、ここから逃げられないよ」

「ええそうね。だから次で終わらせるわ。あまり見くびらないでちょうだい、ミスガルム城を治める者の血を」

 ミディスラシールはスキールニルの腰から短剣を抜き取り、躊躇いもせず左腕の表面を直線に切った。思ったよりも深く切ったのか、滲むだけでなく、血が滴っている。

 笑っていたニルーフの表情が徐々に眉をひそめていく。ミディスラシールは呼吸を落ち着かせて、目の前を見据えた。

「――土は浄化作用を持ち合わせ、すべてのものを還すことができるだろう。水はそこに潤いをもたらし、悪しきものを還すことができるだろう」

 ニルーフは大きく目を見開いた。慌ててニーズホッグに指示をする。

「急いであの女を殺せ。ここにいるすべての人間を焼き殺すんだ!」

 即座に頷き、ニーズホッグは大きく息を吸い込む。炎を吐き出そうとしたが、直前でその動きは止まった。ニルーフが胡乱げな目で見ると、ニーズホッグの羽根が先端から凍り始めていた。

 ミディスラシールの血が地面に滴り、そこから光が発せられる。血は意志を持っているかのように魔法陣を描き、複雑な模様を作り上げていた。

「私の血を捧げましょう。――すべてを在るべき処に還すために」

「ニーズホッグ!」

 ニルーフが血相を変えて再び叫んだが、すでに遅かった。

 完成した魔法陣はニーズホッグの足下に移動し、動きを著しく制限をする。声にもならない悲鳴を上げた。

「我が主戦精霊――土の精霊(ノーム)、そして第二の精霊――水の精霊(ウンディーネ)、力をお貸しくださいませ!」

 魔法陣から出現した氷柱が垂直に伸び、ニーズホッグの羽に突き刺さる。甲高い咆哮が響いた。羽に怪我を負った黒竜は飛ぶのに耐え切れず高度を下げる。今度は土の手が伸びてきて、足を握りしめられた。

 ニルーフは身動きが取れなくなったニーズホッグの背中を必死に揺する。

「魔宝珠は樹の元へ、魂は天の元へ」

 氷柱が突き刺さったところから体が凍り出し、土はさらに動きを封じ込めていく。

「生まれしすべてものよ、在るべき処へ」

 血を思った以上に流したためか、動悸が激しくなっているのを感じながらも、ミディスラシールは最後の一言を叫んだ。

「――還れ!」

 瞬間、激しい光と水がその場から発生する。

 水は黒い炎を難なく消していき、やがて光はその一帯を包み込んだ。

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