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魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
第三章 闇夜に吹き抜ける風
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3‐17 闇の中の疾走(4)

「スレイヤ姉さん、スレイヤ姉さん!」

 リディスは何度も呼んだが、目を閉じたスレイヤは反応しない。傍でずっと妹に寄り添っていたルーズニルを見ると、彼は顔を俯かせた。

「……リディスさんたちを居間で待っていたら、突然スレイヤが険しい顔つきで家から出ていったんだ。慌てて追いかけたら、ここに辿り着いて、魔宝珠の前でスレイヤが必死になって祈りを捧げ始めた。しばらく見守っていると、ここにいる僕でさえ感じる大量のモンスターの殺気を感じたんだ。何事かと思った瞬間、スレイヤは気を失ってしまった」

 きつく握りしめているスレイヤの右手に、ルーズニルは視線を向ける。

「おそらくスレイヤはモンスターがミーミル村に近づいてくるのを直前で察し、結界を強固なものにしようとして祈りを捧げていた。だがモンスターの力に耐えきれなくなり結界は崩壊、スレイヤもその衝撃で意識を失ってしまったと思う」

「では、もう一度結界を張り直すことはできないのですか!? それが可能なら村に侵入したモンスターを還すことができるって、メリッグさんが……」

 スレイヤの手から、薄く緑に色付いた石がこぼれ落ちる。それが音を立てて、石畳の上に転がった。

「結界を張るには体力だけでなく、精神力も必要だ。今のスレイヤにはこれ以上――無理だ」

「私たちが傍で支えたとしても、無理なんですか?」

 ルーズニルは寂しそうな顔をリディスに向けた。

「スレイヤはミーミル村に戻ってから、シュリッセル町で親しくなった少女のことを本当に良く話していた。妹にとってリディスさんはもちろん大切な人で、支えてくれるのは嬉しいことだと思う。けどね、それ以上に大切な人がいるんだ」

 数年前の記憶が唐突に浮かび上がってくる。

 リディスと出会った時に、一緒にいた青年と中年の男性。その青年とスレイヤはとても親しげに話をしていた。

「もしかして、一緒に旅に出た青年と恋人同士だったんですか?」

「将来すら誓いあった仲だった。だがスレイヤが魔宝珠の護り人に任命され、一緒に戻ってきてしばらくしてから、彼は一人で再び旅立ってしまったんだ。時折手紙をやりとりしていたが、ここ最近連絡が取れていない」

 村では皆が疑心暗鬼を生じながら過ごしている。それが嫌でスレイヤは村を飛び出した。だが村に縛り付けられる状況下に陥り、さらには婚約者とも連絡が取れなくなった。同じ立場だったら、リディスでも精神的に耐えきれる自信はない。

「スレイヤが護り人に決まった瞬間、僕もミーミル村に数年留まろうと思った。けど、『兄さんは私が動けない時はむしろ外で頑張って』と言われて……。ああ、こんなことになるくらいなら、そんな意見を()に受けず、一緒にいればよかった!」

 ルーズニルの声が震えている。後悔と自責の念が含まれたものだった。

 リディスは床の上で、両手で拳を作る。

 スレイヤの心は沈んだままなのか。

 そしてモンスターの侵入を許し、最悪の結末をミーミル村は迎えてしまうのか――?

『連絡が取れないのは、理由があったからではないでしょうか?』

 脳内に響く透き通るような少女の声。リディスは驚きつつ視線を前方に向けると、風の魔宝珠に寄り添っている、緑色の長い髪の少女がいた。あどけなさが顔に残るが、まとう雰囲気は温かな母のようなものだった。穏やかな表情でリディスたちを眺めている。

『初めまして、道を導く者。私はこの風の魔宝珠に仕える風の精霊(シルフ)――つまり風の女神です』

「風の女神様……?」

 無意識のうちに復唱する。ルーズニルをちらりと見るが、彼は視線をスレイヤに向けたまま動いていない。

『今は貴女だけに話かけています。彼は私の声を聞く余裕を持ち合わせていないですから。――いいですか、これから今の状況を変えるために、いくつか助言をします。ただしその後、ほんの少しでも貴女が判断を間違えれば失敗し、最悪の道へと歩むでしょう。ですから適切な行動をして下さい。まずは可哀想な護り人を支える一通の――』

「……手紙」

 リディスはスレイヤをルーズニルに任せ、立ち上がった。突然の行動に驚く彼の視線を背中で受けながら、警戒を続けるフリートの傍に駆け寄る。もう少しで声をかけられるというところで、足が竦むような殺気がリディスたちを襲う。フリートのバスタードソードを持つ手も震えていた。

 階段を誰かが降りてくる。リディスはショートスピアをぎゅっと持った。

 だが次の瞬間、黒い物体が目の前に現れ、フリートと一緒に弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

「おやおや、用心も兼ねて、先にデーモンを行かせて良かった」

 快活な老人の声が聞こえてくる。薄ら目を開けると、髭を生やし、眼鏡をかけた老人が一匹のデーモンの後ろに立っていた。彼は目を細めてリディスたちを眺める。そして風の魔宝珠を見ると、目を大きく見開いた。

「おお、そこにありましたか、魔宝珠よ」

 歩を進めたが、ある程度進んだところで立ち止まる。床に視線を落とすと、数本切られて落ちた髭があった。

「二重の結界ですか。これではあそこまで近づくのに多少労力が必要ですね。まずは元凶を断ちましょう」

 老人の鋭い視線がスレイヤに向けられる。ルーズニルは反射的に彼女の上に覆い被さった。

「そういえば十五年前に護り人を殺したら、簡単に村を壊すことができたんですよね。いやあ、あそこまで醜い出来事もなかなかお目にかかれないものだ。ああ、いい思い出だった」

 老人は声をたてて笑った。その表情を見て、リディスは背筋が凍りついた。

 何が楽しくて笑っているのだろうか。

 人の死をなぜ喜ぶことができるのだろうか。

 彼が直接手をかけたのは一人かもしれない。

 しかしその後に広がった、この村での地獄絵も含むと、相当な人数を死に追いやったことになる。

 衝撃の事実を聞いたルーズニルも愕然とした表情をしていた。通常時の冷静な彼なら、妹を守る為に自分の風の精霊を召喚して立ち向かうはずだが、今はその場で硬直している。

 黒い笑みを浮かべた老人が、ヴァフス兄妹を舐めるように見ながら、手をかける方法を考えている。

 リディスは手のひらを床に付けて上半身を起こした。その手の上に傷だらけの青年の手が乗せられる。

「――リディスはここにいろ。俺があいつらをどうにかする」

 そう言って立ち上がろうとするフリートの袖を、とっさに掴んだ。

「ちょっと待って。お願い、まず手紙を私に預けて」

 視線を老人から逸らさず、フリートはポケットを探り、しわが入った手紙をリディスに押しつける。それをしっかり握りしめた。

「そしてフリート、私のわがままを見過ごしてくれる?」

「またとんでもないことをするつもりか。俺がやめろと言っても、どうせやるんだろう、お前は。だから無事に事が為せるよう、俺がお前を護ってやるよ」

 力強い言葉に、リディスの胸の中が思わず熱くなった。

「ありがとう。――風の魔宝珠に触れて、周囲に軽く結界を張ってから、スレイヤ姉さんに手紙を渡す」

「結界なんて、お前張れるのか」

「ええ、たぶんできる」

 風の魔宝珠の後ろで、緑色の髪の少女が微笑んでいる。

 結宝珠に頼らない結界など一度も張ったことはない。だが彼女の力を借りれば、簡易的なものならできるはずだ。

 あとはタイミングだけ。

 フリートと呼吸を合わせる。背中に負った痛みにより、ショートスピアの召喚が自然と解けていた。これで召喚を解くという時間を省略して、すぐに走り出せる。

 デーモンの視線が一瞬老人に向いた。その瞬間、フリートはデーモンに、リディスは光が弱くなっている風の魔宝珠に向かって走り始める。

「今更何をするというのですか、低能な人間たち」

 正面にいたデーモンが消え、フリートの真横に現れる。横から殴りつけられる前に、彼は寸前のところでかわす。デーモンの意識はフリートのみに向けられる。

「私がモンスター召喚のみの人間だと思っているのですか?」

 老人の手のひらの上に黒い炎が現れる。それを魔宝珠のもとへ走るリディスの背中に向かって投げつけた。

(かわす、止まる、対峙する? いえ――進む!)

 振り返りもせず、真っ直ぐ走る。リディスの全身は細かな風の刃でいくつも怪我を負っていた。だがその傷を目視で確認することなく進む。

 もう少しで魔宝珠に触れられるところで、背後で小さな爆発音がし、爆風の衝撃で前に押し出された。

 あの炎がリディスの体に触れた感覚はなかった。リディスに触れる前に、この地に吹く風が炎を霧散させたのかもしれない。

 リディスのすぐ目の前にはあの魔宝珠があった。手を伸ばすと腕は傷だらけになっていく。下手をしたら切断しかねない状況だ。しかし、リディスは勇気を振り絞って、風の魔宝珠に触れた。

 そして――、小部屋の中を緑色の光が覆った。

 光が発し始めた瞬間、フリートと対峙していたデーモンは急激に動きが鈍くなる。その間に手早く攻撃するとすぐに怯み、あっという間に還していた。

 老人が手で目を覆いながら少しずつ後退している。

「まさかあの娘が――!? なるほど……だからじっと経過を見守っていたのですね」

 光が弱くなり、リディスは魔宝珠から手を離すと、傷だらけの状態でスレイヤへ近寄った。あまりの光の強さに反応したのか、彼女は意識を取り戻して薄ら目を開けている。

「リディス……」

「スレイヤさん、これを読んで!」

 リディスは血だらけの手で握っている手紙をスレイヤに渡す。彼女はそれを受け取り、中を開くと、目を見張った。魔宝珠から発せられる緑色の光が、再び少しずつ強くなり始めている。

「ああ、ああ……、フェル、フェル……」

 涙が混ざった声を漏らす。そして手紙を両手でぎゅっと抱きしめた。

「その一言が欲しかったのに、どうして今まで連絡しなかったのよ……!」

 止めどなくスレイヤの目から涙が流れ落ちる。光は徐々に強くなっているが、まだ結界を再構築するまでには至っていない。

「ああ、厄介ですねえ、人の心っていうものは。護り人が完全に復活する前に、息の根を止めてしまいましょう。――漆黒なる炎の嵐よ!」

 苦しそうな表情で階段まで下がった老人が言葉を発するなり、彼の左右に黒々とした小さな炎の竜巻が作り出される。彼が両腕を広げると、さらに竜巻は大きくなった。

「いくら加護があるとはいえ、これを防ぐことはできるかな? 試させてもらいます、大樹に宿りし加護の力を。余計な死人が出たら、それまでだったってことですよ。私を悪く思わないでください」

 竜巻が次第に大きくなっていく。すぐにでもあの竜巻を消滅させなければ。

 だが炎により空気が薄くなっているためか、ルーズニルやスレイヤはまともな風を起こせなかった。あの老人を叩かなければ、たとえデーモンをすべて還したとしても状況は変わらない。リディスは若草色の魔宝珠に手を触れて、召喚の言葉を口にしようとした。

 しかし黒髪の青年が老人のもとへ飛び出したのを見て、魔宝珠から手を離す。老人は虫でも見るかのような目つきで、フリートに向けて竜巻の一つを放った。

「フリート!」

 リディスはフリートに向けて手を伸ばす。竜巻が彼のすぐ目の前にきていた。

 険しい表情をしたフリートは逃げもせず、真正面から立ち向かおうとしていた。

 リディスの目から一筋の涙が零れ落ちそうになった瞬間――聞こえたのだ、美しくも力強い旋律が。

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