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魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
第三章 闇夜に吹き抜ける風
53/242

3‐14 闇の中の疾走(1)

 * * *



 それは突然とも言える別れだった。

 目の前で血を流して倒れる母親を、当時十歳に満たないフリートは呆然と眺めているしかできなかった。



 その日は郊外で休日を過ごすために、家族四人で出かける予定だった。だが急に入った仕事の関係で、父ヘルギールとその手伝いをしていた兄ハームンドは遅れて来ることになった。

 そのためフリートと母シグニューは定期馬車によって先に王国を出て、郊外へ向かっていたが、その道中でモンスターと遭遇してしまったのだ。

 馬車はいとも簡単に壊され、乗っていた人々は我先にと逃げ始める。フリートも逃げようとしたが、目の前に現れたモンスターを見ると足が竦んでしまった。狙いを定められ、爪を振り上げられる。死を覚悟した中、シグニューが間に入り込み、その爪からフリートを守ってくれたのだ。

 フリートは無傷で済んだ。かわりに母の背中からは大量の血が流れ、そのまま地面に倒れ伏した。

 真っ青な顔で近づくと、か細い呼吸音が聞こえてくる。モンスターが近寄ってくる足音も耳に入ってきた。

 この幼い少年には、モンスターに対抗する術は持ち合わせていない。

 血を流しているシグニューのような末路を時間差で辿るのか――そう覚悟した矢先、近くを巡回していた騎士によって、すぐにモンスターは還されていった。

 安全が確保されると、意識が朦朧としているシグニューと共に、フリートは城の外壁内にあるシグムンド家へと運ばれた。しかし時既に遅く、大量出血や全身に回った爪の毒により、命が尽きるまで残り僅かな時間しかなかった。

 ベッドの上で横になっている母親の手をフリートは握って必死に呼びかける。だが、息も絶え絶えになっている状態では、反応することは難しい。喘ぐような声で漏らす言葉は、二人の息子と愛する夫の名前。最期まで夫の名前を呼び続けていた。

 そして彼が現れる前に、「――愛しています――ヘルギール」と言って、逝ってしまったのだ。

 それから、どれくらい経ったのだろうか。

 昼間の暖かい日差しが嘘のように寒々しい夜となっていた。深夜過ぎにヘルギールとハームンドがようやく屋敷に戻ってきた。

 ベッドの横にはフリートが一人、白い布で顔を覆われたシグニューを見下ろしている。

 ハームンドは入り口の前で立ちすくみ、ヘルギールはよろよろとした足取りで彼女へ近づいた。

「シグニュー、お前、どうしてそんなに早く――」

 恐る恐る布を外すと、穏やかな表情で瞳を閉じている、シグニューの顔があった。

「もう少し持ち堪えてくれれば、最期の――」

「ふざけんな!」

 叫ぶと同時に、椅子を激しく床に倒した。フリートは自分より背が高いヘルギールの胸倉を掴み、泣きながら真正面から睨みつける。

「親父がとっととくれば、母さんの最期の言葉くらい聞けただろう! 仕事ばっかりしているから、こんなことになったんだ!」

「……すまない。言伝では一日くらい保つ、もしくは持ち直すかもしれないと聞き、仕事を優先させていた」

「なんでこんな時に仕事しなくちゃいけねえんだ。死ぬ間際さえ会えればそれでいいのか!? もっと長い時間一緒にいたいとか、一緒に頑張りたいとか、そういう考えはなかったのか!? ――親父は母さんが苦しんでいる姿を見たくなかったから、逃げていただけだろう!」

 胸倉を掴む力が強くなる。ヘルギールは息子を見下ろし、口を開こうとしたがすぐに閉じた。

「いつもいつも帰りが遅くて、母さんに負担をかけさせているだけでなく、最期まで一人にしておいて……。なんでもっと母さんの傍にいてやらなかったんだよ。今日だって一緒に行けてれば、こんなことにならなかったかもしれないのに!」

「……シグニューには本当に悪かったと思っている」

「俺に謝らないで、母さんに謝ってくれ!」

 ぎりっと噛み締める。フリートの頭の中は二つの考えが拮抗し続け、混乱状態にあった。だが口から出てくる言葉は、その片方である、父親を責め立てるもののみ。

 本当はもう一つの考えと真正面から対峙しなければならない。にもかかわらず、フリートはそれから目を逸らし、溢れる言葉をすべて父親にぶつけていた。

「――母さんが死んだのは親父のせいだ! ……俺は親父みたいにはならない。誰を護れるかわからない仕事を優先させて、一番近い人の最期を見ない奴なんかに絶対にならない!」

 大声で言い放ち、胸倉を粗っぽく放す。そしてフリートの一方的なやりとりを呆然と見ていたハームンドの脇を通り抜けて、家から飛び出した。

 ヘルギールから視線を逸らした直前、酷く傷ついた顔をしていたのに気付きながら。



 シグニューの死から三ヶ月後、フリートは騎士見習いの寮に入っていた。

 葬儀など、家族で行動する機会は多々あったが、フリートはヘルギールとほとんど口をきいていない。むしろ口を開いてしまったら、また怒濤のように責め立てる言葉を並べそうで怖かったため、辛うじて残っていた理性で抑え込んでいたのだ。

 ハームンドは二人の仲を取り持とうとしていたが、結局は仕事の上司になるだろうヘルギールに肩を持つことが多くなる。その様子がフリートにとって、さらにシグムンド家へ不満が募る要素の一つとなっていた。

 一緒にいても苛立つだけ。ならばいっそのこと外に出てしまう方が楽ではないかと思った時に、騎士団の話を聞いたのだ。

 見習い期間は全寮制であり、騎士になった後も特別な希望がない限りは寮住まい。

 幼小期は周りからもよく心配されるほど体も弱かったが、今では人並みの体力はあった。騎士になれるかどうかは不明だが、見習いのままであっても、この屋敷から離れられる。それらを理由の一つとして、フリートは騎士見習いになろうと決めたのだ。

 しかしそれにになるには、保証人の承諾書が必要とされていた。ヘルギールが屋敷に帰った時に手早く頼もうと思ったが、ちょうど仕事が忙しく、彼がしばらく帰ってこられない日々が続いていた時だった。気は進まないが、フリートは仕方なく仕事場に出向くことにする。

 父親が文官であるとはいえ、十歳の少年が一人で城の中に入るのは珍しい。好奇な視線を向けられながらも、部屋へ急いだ。

 大量の書類が詰まれ部屋に、疲れきった顔でヘルギールはフリートを出迎えてくれた。フリートは無言で騎士見習いになるための承諾書を差し出す。それをヘルギールは受け取り、紙をじっと見る。

「……これはフリート自身で決めたことなのか?」

「サインだけしてくれ。用はそれだけだ」

「騎士になるのなら、戦闘に関する知識を蓄え、業績を上げれば、文官からでもなれることだぞ? 戦いの指揮官という形や後ろで支援する立場が主となるが……。なぜ危険な前線に出る、騎士になりたい?」

「親父には関係ないだろう。俺は親父みたいにはならない」

「……そうだった、私には何も言う資格はないな。お前の決めたことだから、大丈夫だろう」

 寂しそうな顔つきで、慣れた手つきでサインをし、フリートに返した。

「いつから入寮するんだ?」

「手続きを済ませたら、すぐに出る。安心してくれ、親父が屋敷に戻ってくる頃には、煩わしい次男は屋敷にはいないから。これからは兄貴と二人で仲良くやってくれ」

「そうか、寂しくなるな……。無理しすぎず、頑張れよ」

 フリートなりに皮肉をたっぷり込めた言葉を出した。そしてぽつりと呟いたヘルギールの顔を見ることなく、部屋を後にした。



 その後、文官貴族の中でも業績を上げている男性の息子が、騎士見習いになったという話題が城の中でしばらく漂っていた。

 騎士見習いの鍛錬場は城の関係者も出入りしている場所だったため、見習い期間中のフリートたちの耳にも嫌々ながら話が入ってきた。それに関してからかわれ、妬まれもしたが、常に強気の姿勢であり続け、周りにも注意して行動をしていたことで、そこまで酷い虐めの対象とならずに日々過ごせていた。

 むしろ頭の回転が速く、座学、剣術共に飲み込みが早かったため、学科では常に上位を保ち、剣術でも見る見るうちに他を圧倒することができた。

 ただがむしゃらに、ひたすら頑張って、目標の一つである騎士を目指していた。

 やがて見習い期間を経て、騎士になる試験を合格した十八歳の時に、フリートは銀髪の少年と出会った。



 * * *



 ハームンドをミーミル村で初めて見かけた翌朝、フリートが僅かな睡眠の間に見た夢は、騎士になる前の過去の出来事の断片だった。

 母親の死、父親を怒鳴り散らしたことなど、苦い過去の数々を垣間見たため、非常に目覚めが悪い。

 さらに当時感じていたもう一つの想いも思い出してしまい、やるせない感情が胸の中で溢れていた。

 あの時、父親に対して言ったことは、心の底で思っていたことなのか。

 それとも何かを隠したいがために、上辺だけの感情を言ってしまったことなのか――。

 ハームンドと再会したことで、心の中が乱れもしたが、今はそのようなことを気にかけている場合ではない。

 金色の髪の少女が必死に後ろを付いてくることを確認しつつ、フリートは家と家の間を通り抜け、走り続けていた。外の異常事態に気づいた人が家から出てくるが、その人たちの顔を目にすることなく通り過ぎる。

「リディス、お前は無理するな。大人しく家に――」

「モンスターが大量に来ているのよ。いくら精霊を扱える人が多い村だからって、その人たちが即戦力になるわけじゃない。私だって逃げずに還す。だって私は還術士よ!?」

「だが……」

「何が言いたいか、わかるよ。さっき何も起きなかったのは偶然で、次に還したらまた辛い光景が脳裏をよぎるかもしれない。それで動けなくなったら邪魔だって言いたいんでしょう」

「邪魔というよりも危険過ぎる、戦闘中に動けなくなったら」

「それは私が一番わかっていることよ」

 リディスは緑色の瞳でフリートの黒色の瞳を真っ直ぐ捉えた。

「けど、いつまでもそれを理由にして、還すことから逃げちゃいけないのよ。もしかしたら一生付き合う羽目になるかもしれないんだから。――大丈夫よ、あの現象が起こっても、前みたいにまったく動けなくなることはないから、心配しないで」

 以前は脳内に入り込んだ映像の内容を、言葉にするのすらリディスは躊躇っていた。しかし、今は割り切って話題に出し、さらに先のことを見据えている。おそらく彼女の中できちんと整理され、還術を行うことを改めて決意したためだろう。その姿がフリートにとっては眩しく、羨ましかった。

 ミーミル村の中心にそびえ立つ塔が目前に迫る。あと少しで到着する前に、結界が音を立てて消え去った。フリートの耳にもしっかりと聞こえる音、そして家の中にいた人でさえも思わず外に出て確認するほど、はっきりとした音である。

 村の上空から侵入してきた羽を生やしたモンスターたちが、フリートたちの頭上を飛んでいく。

 その先にあるのは、ミーミル村だけでなくドラシル半島の知識が結集されている塔。

「モンスターの集団が迷いもせず塔に向かっている。人間たちには重要な塔だが、モンスターにとってあれを襲う理由はあるのか?」

 フリートの言葉を聞いたリディスが息を呑んだ。いつの間にか召喚していたショートスピアを握りしめて、唇を噛みしめる。

「――あるわ。あのモンスターたちが、誰かによって操られているとするのなら」

 フリートが少しだけ速度を落とすと、リディスが耳打ち際に言葉をかわす。

「あの塔の地下に四大元素の大元の一つである、風の魔宝珠がある」

「本当か?」

 リディスは固い表情でこくりと頷いた。

 ミーミル村に風の魔宝珠があるだけでなく、それが置かれている正確な場所まで今回の首謀者は知っている。誰かはわからないが、多数の情報を得ることができる、切れ者だと考えられた。

「リディス、奴らの狙いがそれなら、欠片を持っているお前は尚更危険だ。どこかに隠れていろ!」

「結界がまともに張られていない場所のどこで? 知っている? 攻撃は最大の防御ってよく言うのよ」

 適度に緊張した表情でありながも、リディスは少しだけ微笑んだ。一瞬目を丸くしたフリートだったが、すぐに視線を逸らしてぼそっと呟く。

「……無理するなよ」

「フリートもね。勝てない相手に考えもなしに挑んで、こっちに心配かけさせないでよ」

「うるせえ……」

 思わず悪態を吐いてしまう。ガルザと初めて対峙した時、実力差がある相手にも関わらず挑み、結果としてリディスが盾となって護ってくれた。その出来事はフリートにとっては汚点であり、忘れたい過去になっている。しかしそれを認めて肥やしにし、前に進まなければ、ただの苦い思い出として終わってしまう。

 密集する家屋の間をようやく抜けると、ヴァフス家のすぐ真横に出た。明かりが消された家の前には、トルが目を大きく見開き、ロカセナとメリッグが険しい表情をして立っていた。

「ロカセナ、トル、メリッグさん!」

 リディスが呼びかけると、安堵の表情を浮かべているロカセナたちが顔を向けた。

「リディスちゃん、フリート、無事で良かった……」

「……ねえ、ルーズニルさんとスレイヤ姉さんは!?」

 ロカセナの視線が塔へ向く。

「さっき突然血相を変えたスレイヤさんが家を出ていって、ルーズニルさんはここにいろって指示したまま、彼女を追いかけていった。それから間もなくして、モンスターが大群でやってきて、塔の周りに――」

 羽根を生やしたモンスターが多数飛んでおり、塔の窓を宥めるように見ている。どうやって中に入ろうかと考えているようだ。普段ならばこの時間帯でも明かりが灯っているところはあるはずだが、今はどの部屋も真っ暗である。急いで逃げたか、中に息を潜めて閉じこもっているのかもしれない。

「この量のモンスターを、この人数でまともに相手をするのは厳しい。今はスレイヤ姉さんたちと合流しよう。まずは入り口付近にいるモンスターをどうにかしないと……」

 リディスが少しだけ歩を進めると、彼女の存在に気づいたモンスターが一羽振り向き、飛んできた。

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