2‐19 予言と推測の狭間で(4)
城によく出入りをしている有名な魔宝珠の学者――ルーズニル・ヴァフス。思わぬ来客を前にして皆の表情は程度に差はあるが驚いていた。
しかし当の本人は至って楽しそうに部屋の中を眺めている。そして視線をメリッグに止めた。
「貴女が先ほどリディスさんに関しての推測や予言をされた方?」
「ええ、そうですわ。あら、立ち聞きしていらっしゃったんですか? あまりいいご趣味ではありませんよ」
「素敵な内容でしたので、つい聞き入ってしまいました。どうですか、その考えを城で広めませんか?」
「まあご冗談を。あのような頭のお堅いおじいさま方がいる場で、さっきのようなことを言いましたら怒られますわ」
「そうですね。そこまでご存じとは、なんとも聡明な方だ」
お互い笑って適度な間を保っていた。メリッグの棘のある言い方に、まったく動じないルーズニルの返し方。傍から見れば、仲が良さそうな会話をしている。だが初対面にも関わらず、本音は腹の探り合いだった。
張り詰めてくる空気に耐え切れなくなったフリートは、慌てて二人の会話に割り込んだ。
「それでルーズニルさん、その手紙は俺たち宛ですか?」
「そうだよ、フリート君。はい、どうぞ」
差し出された手紙を手に取り、封を開けて折り畳まれた羊皮紙を取り出し、内容を口にした。
「内容は――『ムスヘイム領に来ているリディス・ユングリガ、フリート・シグムンド、ロカセナ・ラズニールに新たな指示を出す。今後、新たにくるミスガルム城関係者と共に行動をすること。また傷が癒えるまでは無理はしないこと。以上』。差出人が……国王!?」
驚きのあまり、フリートの手から手紙が滑り落ちる。それを近くにいたメリッグが拾い、リディスも一緒に覗き込む。達筆な文章の下に、滑らかに書かれたミスルガム国王の直筆のサインがあった。
「城の関係者って、ルーズニルさんでいいんですか?」
「その通りだよ、リディスさん。本当は手紙の方が先に着く予定だったけど、僕も早々に城を出られることになったから、一緒に持ってきたんだ。……あ、そうだ。フリート君宛に、もう一通手紙を預かっているよ」
ルーズニルは高級そうな紙ではなく、一般的に使われている紙質の封筒を渡す。それを受け取ったフリートは中身を取り出して読むと、今度は顔を引きつらせた。
「な、なんでこの人はこっちの状況を知っているんだ。しかも、どうでもいいことまで手紙に書いて!」
「どうでもいいっていう言い方は失礼だと思うよ。素敵なパーティのご招待らしいじゃないか」
「俺、こういう場に出ても、たいてい彼女の愚痴を聞かされて終わりですよ。体の良い話し相手というか……。周辺を警備していた方がはっきり言って楽です……」
「一国のお姫様の話し相手なんて、羨ましい関係だね」
「ただ歳が近いだけの間柄です!」
慌てているフリートの手元から、メリッグは引っ手繰るようにして手紙を抜き取った。それをリディスに見せつつ、にやにやしながら読んでいく。
『親愛なる騎士 フリート・シグムンド様
お久しぶりです。
噂ですが、どうやらご無茶をしたらしいと聞きました。また遠征中に怪我を負ったと聞いたら、皆心配します。ロカセナも含めて、どうかあまりご無理はなさらないでください。
そうそう、貴方の部隊の隊長さんも、とても心配されていました。帰ってきたらもっと強くしてあげようと意気込んでいましたよ。
また戻ってきたらお話でもしましょうね。こちらが誘っても忙しいと言って断らないでくださいね。
次はいつ頃、お戻りになられますか? 私の誕生日が近いのは知っていますよね。ルーズニルから旅の計画を聞いていると、その日には間に合うように帰ってくるらしいです。当日、たくさんお話できることを楽しみにしています。ロカセナにもよろしく伝えておいてください。
では、お気をつけて。
必ず皆、無事に城まで戻られますように。
ミディスラシール・ミスガルム・ディオーンより』
リディスは目を丸くした。丁寧に書かれた大人びた文字はどこかで見た覚えもあるが、それよりも手紙を書いた人物と内容に驚いてしまう。
「フリート、本当にお姫様と親しいんだ……」
「以前も言ったが、話し相手だよ。歳が近いし、出自も俺ははっきりしている方だからな。あと姫が無茶しても止めに入ったり、モンスターが襲ってきても、それなりに対処できる力量は持っていると言われたから。……つまり有り難いことに、俺のことを信用して、力を買ってくれているんだよ」
「そこまで買われて、近衛騎士団に来ないかって言われないの?」
傍でその方をお守りするのなら、王族相手であれば近衛騎士が適任である。並の騎士では外に出てしまうことが多いからだ。それに給料や優遇される面を見ても、近衛騎士の方が上と言われている。
その問いに対して、フリートは惜しげもなく、さらりと答えた。
「誘われたよ、入らないかって」
「え、なら……!」
「断った。俺が護りたいのは、王族も含めた人間だ。だから王族や貴族だけといった縛りをいれたくない」
どこか陰りが入った横顔を見て、リディスは口を閉じた。何かが彼の過去を蝕んでいる。それは騎士の道を選んだ理由の根本かもしれない。
すぐにその憂いの表情はなくなり、フリートはルーズニルに視線を向けた。
「手紙は確かに受け取りました。王が動かれているとなれば、俺たちが断れるはずがありません。傷が癒え次第、ルーズニルさんに同行しましょう。……しかし、どうして町中で聞き込みをしても、有益な情報は得られないと言い切れるんですか?」
「フリート君は気づいていないの? てっきりわかっているかと思った、この領とミスガルム領の違いを」
「それはモンスターの有無ですか?」
「その通り。モンスターがいないところに、還す能力は発達しない。だから還術に関する情報も少ないと思う。それにまた治安が悪くなったようだから、無理して出歩かないことをお勧めする」
「治安が悪くなった?」
フリートは壁に寄りかかって、腕を組んでいるトルを見た。話を振られた彼は軽く目を伏せて口を開く。
「……ヘイム町で悪事の頂点にいたギュルヴィ団が事実上崩壊したおかげで、他の団が躍起になって色々とやり始めているって聞いた。特に増えたのが宝石とか高そうな物の盗み。まだ数日しか経っていないが、金持ちの屋敷で既に何件か被害にあっているらしい。傭兵もだいぶ駆り出されているみたいだ……。こうも簡単に均衡が崩れるとは思っていなかったな」
あの事件をきっかけとして、町に何らかの影響が出るだろうと推測していたが、まさかすぐに悪影響が出るとは――。リディスはぎゅっと唇を結んで俯く。
今は物の盗みが中心と言っているが、時が経てば人にまで手をかけた強盗が現れる可能性がある。生理的に受け付けない人間だったが、ギュルヴィ団長が目の前で無惨に殺されたことが悔やまれた。
「リディス、大丈夫か?」
隣から心配そうな声を漏らす黒髪の青年がいる。無理に笑みを作り、首を横に振った。
「大丈夫よ。ただ少し驚いただけだから」
「そうか……。今回の件はお前も俺らも同じ立場だからな。一人で責任を感じる必要はない」
間接的にでも諫めてくれることが有り難かった。
「ルーズニルさん、モンスターがこの領に少ないのは何かの偶然ですか?」
フリートは知識が豊富なルーズニルに意見を求めるが、難しい表情をされるだけだった。
「残念ながらわからないね。地形や気候上の問題って言われているけど、どこまで信用してもいいことやら。とにかく今はこの地でモンスターが見つからないのは事実だよ」
「それを知っていて、俺たちをこの地に導いたんですか?」
「行きたかったのは君たちでしょう? 結果的に少しは面白いことがわかったと思う」
その言葉は、この場にいるほとんどの人が理解できなかった。ただ一人の女性を除いては。
「そうね、だいぶ面白いことがわかったわ。もう少し情報が欲しいから、違う種類の宝珠がある隣の地にも行ければと思ったくらいよ」
「さすがに鋭いね。さすがグナー一族で最も有望視されていた予言者さんだ」
今まで笑みや冷めた表情しかしなかったメリッグの表情が固まる。そして容赦のない射抜くような視線をルーズニルに突き刺した。
「貴方、何者?」
「知識に飢えている学者。魔宝珠について色々調べ歩いている、ただの若者だよ。歴史の話は結構好きだね」
「魔宝珠についての歴史を色々と……ね。それなら私のことを知っていても、おかしくはなさそうね。まあ貴方は賢そうだから、無闇に他人のことを周囲にひけらかさないでしょう」
「お褒めの言葉として受け取らせて頂きます」
「まったく……いつもにこにこしている人って、何を考えているかわからなくて、嫌だわ」
「出会ったばかりなのにはっきり言う人ですね。自分で言うのもおかしい話ですが、裏はない方ですよ」
きつい視線を向けるメリッグに対して、ルーズニルは微笑んで受け返している。絶妙な間合いでの二人のやりとりを聞いていると、リディスは頭が痛くなりそうだ。トルはやりとりの裏に隠された内容がわかっていないのか首を傾げており、フリートすらも苦笑いをして聞いていた。
ふと今までの会話の中で、一言も発していない人物に向かってリディスは振り返る。
「ねえ、ロカセナ、今までの話、どう思う?」
「え、今までの?」
何かを考え込んでいた彼は、リディスの呼びかけに驚いていた。その様子を見て少し変だなと感じる。いつもなら冷静に話を聞いて、即座に意見を言ってくれた。そんな彼が意識を別の方向に向けているなど、珍しい。
「メリッグさんの予言の内容と、ルーズニルさんがこの領で聞き込みに回っても危ないし、無駄足を踏むだけだってこと」
「ああ、それね……。彼女の予言は置いといて、僕もルーズニルさんの意見には賛成かな。ちょっと昨日とか出歩いてみたけど、特に有益な情報は手に入らなかったし」
「……え、町に出たの!?」
驚きのあまり大きな声を出してしまう。
「うん、少しだけ、リディスちゃんが昼に寝ている間にね。基本は屋敷の中での傭兵や侍女からの聞き込み、あとは出入りしている関係者に話を聞いてみたよ」
「そうだったの……、言ってくれれば手伝ったのに」
「まだご飯もまともに食べられない人が、何を言っているんだよ。自由に出歩けるようになってから、そういうのは言ってね」
「わかりましたよ……」
もっともなことを言われて、リディスは仕方なく頷いた。
しかし頭を整理すると、彼の言葉に若干違和感がした。昨日リディスは昼に眠った記憶はあまりない。話や食事の合間に少し眠っただけである。ロカセナが長時間に渡って部屋を開けていた覚えがない。
果たして本当に昼間に外に出たのだろうか。
もしかしたら夜に眠っている間に、こっそり出たのではないだろうか――。
「それより僕が気になるのは、ルーズニルさんがここに来たことです。これから何をするんですか?」
「ある物を受け取って、それを運ぶ係。僕も多少自衛はできるけど、今回は一人じゃ重荷かなと思って」
「それでなぜ僕たちを?」
「一番大きいのは、君たちがここにいること。そしてある物の存在について知ったから」
「領に加護を与えている火の魔宝珠の存在ですね。ちなみに土の魔宝珠は城内にあるのですか?」
「それは知らないよ、機密事項らしいから。火の魔宝珠だって、一般人は知らなかっただろう? 知らないことを無理して知る必要はない」
ルーズニルはさらりと受け流しつつ、柔和な微笑みを浮かべた。
「君たちに一緒に来てもらいたい理由としては、もう一つあって、還術についての情報が得られるかもしれない場所に行くからだよ。普通なら行くのは難しい場所だけど、僕と一緒なら大丈夫だと思う」
それを聞いたリディスは身を乗り出した。還術についての情報、それは喉から手が出るほど欲しい。
「いい表情をしているね。そういう真っ直ぐに何かを求める姿はいいと思うよ」
「ありがとうございます。それでどこで得られるかもしれないんですか?」
「“知識人の村”って呼ばれている村を知っている?」
「まさか、ミーミル村ですか!?」
ルーズニルは嬉しそうに頷いた。その言葉にぴんときたトル以外の人間は、感心したような表情をする。
「ミーミル村ですって、面白いところに行くのね。私も行ったことがないわ、余所者を受け付けない村だから」
「頭の堅い爺さんしかいないっていう、あの村か」
「話しか聞いたことがないけど、とても気難しい場所だって聞いたことがあるね」
「なあ、どこで、なんなんだよ、その村!」
メリッグ、フリート、ロカセナ、トルが村に対して感じている思い思いのことを述べていった。ルーズニルは首を傾げているトルを見て、簡潔に説明していく。
「ミーミル村っていうのはね、ヨトンルム領にある、学者や知識人たちが集まっている村なんだ。静かで農耕も比較的しやすくて、引き籠るには最適の場所。そのため他の村人との接触が少なくてね、村の関係者じゃないと入りにくいんだ」
「つまりあんたは村の関係者だから、入れるってことか」
「そうそう。きっとあそこは埋もれた知識がたくさんあるから、何かが見えてくるはずだよ」
トルに対して優しく諭すように説明をする姿は、先生にも見える。きっと彼が先生なら教室内は争いもなく、穏やかな雰囲気が伝わるような場所だろうと、勝手に想像してしまった。
やがてルーズニルはリディス、フリート、ロカセナの顔を順々に見ながら問いかける。
「さて、またしばらく城に帰れなくなるけど、僕と一緒に付いてきてくれるかい?」
否定するまもなく、三人はしっかり頷いた。
ある者は目を輝かせながら、ある者は誰かの顔を横目で見ながら、そしてある者は深く何かを考え込みながら――再び三人は新たな地へと赴くことになる、それぞれの目的のために。
第二章 夢と現の間での予言 了