2‐12 更なる襲撃(3)
小さくなるリディスの背中をフリートは呆然と眺めていた。まるで見えない壁に身体ともに跳ね返されたような気分である。相棒たちが駆け寄って話しかけてくるまで、フリートは突っ立っていた。
「フリート、大丈夫か!?」
物陰に息を潜めていたロカセナとトルは、周囲を警戒しながらフリートに近づいてきた。彼の声を聞くと意識が現実に戻り、左肩付近からくる激痛を感じて呻き声を上げる。その部分にロカセナは持っていた止血用の布を押し当てた。赤々とした血は広がるが、幸いにも地面に滴るほどの量ではない。すぐ横で深々と溜息を吐かれる。
「これくらいで済んだのが奇跡だ。何を考えているんだよ。死ぬ気か」
「悪い……。あいつがリディスに危害を加えるんじゃないかって思ってさ。俺たちはリディスの護衛だ。護衛対象に危害が加えられたら、存在する意味がない」
「けど、逆に護衛対象に護られたじゃないか。本末転倒だよ」
トルが紐をロカセナに差し出すと、彼は有り難く受け取り、フリートの肩に布を当てたまま紐を使って固定した。
「どうにかしたいっていう気持ちはわかる。でも気づいていただろう、明らかな実力差を」
フリートは口を一文字にして押し黙った。あの時は興奮していたため、冷静に判断する余裕はなかったが、今思えばなんと無謀なことをしたのだろうと思う。
しかし、時として果敢に立ち向かわなければ、事を為し遂げることはできない。
「……たとえ実力差があっても、リディスは必ず助け出す」
「もちろんだよ。――人質として捕えられたのなら、彼の目的が達成すれば解放してくれるかもしれない。けど、それはあくまで可能性の一つ。何を考えているかわからない奴は、いつ気が変わるかわからない。こちらから助け出すことを視野に入れる必要があるよね」
心の奥底を見透かすような薄茶色の瞳を向けられ、フリートは思わず視線を逸らす。一度目を伏せてから、ゆっくり立ち上がった。
「今はあいつの後を追うぞ。奴の話が本当なら、領主の元に向かっているはずだ」
「徒歩で? 絶対に追いつけないよ」
ロカセナの容赦のない指摘に、踏み出そうとした足を止める。
一方、トルは武器を手にして、周囲の警戒に当たっていた。残されたギュルヴィ団員たちは一瞬で心臓が止まってしまった団長の周りに集まり、沈痛な面持ちをしている。それに注視しつつ、トルがさりげなく囁く。
「なあ、面倒なことになる前に、ここから逃げるのが先じゃないか」
「トルの言うとおりだね。フリート、一人で走れる?」
フリートはこくりと頷いた。
「じゃあトル、先頭で進んで。僕が一番後ろに付くから」
「おうよ。しっかり付いて来いよ」
じりじり後ろに下がり、ギュルヴィ団員たちがこちら側の様子に気づいていないと判断すると、トルは彼らに背を向けて走り始めた。フリートたちもその後ろをすぐについていく。
しばらく茫然自失状態のギュルヴィ団員たちだったが、余所者が逃げ出したことに気づき、何人かが反射的に追いかけてきた。
トルが適当なところで路地裏に入って撒こうとするが、彼らの追跡はなかなか途絶えない。フリートとしてはあまり長時間走り続けるのは難しいと思っていた矢先、道端に突然一人の女性が現れた。トルは胡乱気な目でその人物を見たが、フリートとロカセナは彼女を見ると目を丸くした。女性の手には二本の手綱が握られており、その先には馬が繋がっている。
気にも留めずに彼女の横を素通りしようとしたトルをフリートは腕を掴んで無理矢理止めさせた。警戒しつつ、女性に話しかける。
「どうしてこんなところにいるんだ」
その場に合わないふんわりとしたスカートを着ている、紺色の髪の女性は目を細めて見返す。
「体力も精神力も削られている状態で召喚をしたあの子に興味があるだけよ。私の中での基準は達したわ」
彼女が言う、あの子とはリディスのことだろうか。
「何を企んでいる」
「安心しなさい。私はあなたたちの敵ではないわ。世界が変革するのが、果たして私が思い描いた予言通りなのか、知りたいだけよ」
「……予言者だったのか」
「そう言われることもあったわね」
リディスが探していた予言者の肩書きを持つ女。その中でも能力の差はあるが、直感的な判断からすると、おそらく彼女の能力はかなり高い。
是非とも話を聞きたいと思いつつも、フリートは相手の口車に乗らないよう平静を装う。
「それで予言者が何のようだ。俺たちは急いでいるんだ」
「今さっき、連れ去られたあの子のもとに行きたい。私の予言が正しければ、これから何かが起こるはずだから。けれど残念ながら、私は乗馬ができないのよ」
「つまり相乗りをお願いしているわけか。しかしその馬、どこで入手した?」
「そこら辺に大量に繋がれていた馬たちよ。どうせ所有者の半分以上はいなくなったんでしょう。乗っても問題ないわ」
意味を深く取ればさぞ恐ろしいことを、女性は淡々と言っていた。馬があれば移動速度は格段と上がるため、すぐにでも使いたい衝動に駆られる。だが、彼女に対して警戒心が解けきれない。
一人で悶々と悩んでいる中、ギュルヴィ団員の一人が「見つけた!」と叫ぶ声が聞こえた。
銀髪の相棒と視線を合わせると、固い表情だったが頷かれる。
もはや考える時間はない。
「――いいだろう、その要求を呑もう。だがその前に名前くらい教えろ」
女性はにやりと口元に笑みを浮かべた。
「話が早くて助かるわ、フリート・シグムンド。私はメリッグ・グナー。この貸しは船上でモンスターを追い払ったものとの相殺というところでよろしいかしら」
「いいだろう。貸し借りはこれでなしだ」
妖艶な笑みを作り出すメリッグは、紺色の髪を揺らしながら颯爽と近づき、手綱をフリートとロカセナに手渡した。
四人はそそくさと乗り込み、二頭の馬は勢いよく集落から飛び出した。メリッグは馬に乗り慣れていないのか、危なっかしく横向きに座る彼女を抱える形でフリートは馬を走らせている。前にはロカセナとトルが先陣を切って道を導いてくれた。あまりに勢いが良すぎて転びそうになるのを必死に耐えながら、馬を懸命に進める。
「さすが慣れているわね、王国の騎士さんは」
「当たり前だ。有事の際には必要となる技術だ」
「彼女にもやってあげたのかしら? ……いえ、銀髪の彼が彼女を支えたようね」
すべてを見ていたような言い方をされ、フリートは微笑んでいるメリッグを怪訝な表情で見る。
「メリッグはいつから俺たちのことを尾行していたんだ」
「あら、今の内容は推論を言っただけよ」
「なっ……!」
「私を支える手、慣れていないわ。女性に対して上手く接することができていない証拠よ」
「そんなことを言われる筋合いはない!」
フリートは口を尖らせつつ、若干速度を上げて距離が開いたロカセナたちの馬に近づく。メリッグはくすくす笑っていた。
「わかりやすい人ね。騎士の道に進んで正解だったんじゃない? 文官ならすぐに他の貴族に弱みを握られて終わりね」
その言葉を聞き、フリートは警戒心をあからさまに露わにした。
「……どこまで知っている」
「だから言ったでしょう、少しばかり今時の情勢に詳しい予言者よ。別に驚くことはないでしょう、城内では周知の事実なんですから」
その話題について出されると、苦い思い出が蘇ってくる。城内ではこの事実を知っている者は多く、騎士見習いになると決めた直後に口止めをしてもらったが、すでに噂は広まっていた。特に文官側の噂の広がり方は異常なくらい早く、もはや誰かが意図的に広めたとしか思えなかった。
「元々剣術の才能はあったから、騎士になったのはそこまで不思議なことではなかったと思うけれど、その道に進んだきっかけは何だったのかしら?」
「話す必要のないことは言わない。あまりお喋りをし過ぎると馬から降ろすぞ」
今まで避けられ何も語らなかった相手が、掌を返したように質問攻めにしてくる。気分のいいものではなかった。
メリッグは視線を合わせようとしなくなったフリートを見て、またもくすりと笑いながら、ようやく進行方向に顔を向けた。
(調子が狂う。簡単に話術に乗せられて)
肩をすくめながら思ったことは、メリッグと接した際の率直な感想であった。
* * *
背筋がぞっとするぐらい恐ろしい剣術を使う男に無理矢理連れられて、リディスは度々消えゆく意識を呼び起こしながら、彼の様子を見ようとした。
ぼさぼさの髪は鳶色、ローブの隙間から見え隠れする服は軽装で、これを脱げば日焼けした引き締まった筋肉質の肌が露わになると考えられる。防御は考慮していない、攻撃重視の非常に動きやすい服装――と言ったところか。
リディスは目隠しをされていたため、彼の剣速がどれくらいのものか見れなかった。しかし、一瞬で周囲が血の臭いで充満したことを考えると、動きが相当速い手練れだと察せられる。
男は馬を荒っぽく走らせており、ロカセナと共に乗ったような爽快感はまったくなかった。むしろずり落ちないよう、馬にしがみ付いている必要がある。落とされたら命の危険さえ脅かされるほどの速さだった。
風景が徐々に変化していく。森を横目で見ながら草原を走っていると、次第に荒れていた家が視界に入ってきた。擦り切れた服を着た人たちが、視線を下に向けて歩いている。
その横を通過している時、男は歯をぎりっと噛み締めた。手綱を思い切って引っ叩くと、馬はさらに勢いを増して駆け抜けて行った。
やがて少し開けた場所に出ると、背の高い人間より大きい塀が目の前に現れる。それに向けて減速するどころか加速していく。ぶつかると思い、リディスはとっさに目を閉じて、馬を握りしめた。
次の瞬間、浮き上がったような感覚がした。薄ら目を開けると、馬が宙を浮いている。加速を付けて塀を飛び越えたのだ。その後は重力に従って衝撃と共に地面に降りた。
ある屋敷の敷地内に到着したらしく、綺麗に整えられた庭が視界に広がっていた。男はそれを見向きもせず躊躇いもなく踏み潰し、速度を落としつつ屋敷の裏側へと移動する。大きな窓が見えると、男はシミターを抜き、軽く手を動かした。
リディスが僅かに体を持ち上げたのと同時に、その窓は粉々に割れる。窓の奥には驚愕の顔をしたスルトや、警備をしていた傭兵たちが数名いた。馬に乗りながら、男は部屋の中に踏み入れた。
「よう、スルト領主」
「貴様、何者だ!」
厳つい顔をした傭兵が体格に見合う大剣を抜いて叫ぶ。
「用があるのは後ろにいる領主。ちょっと黙っていろ」
男が懐に手を入れ、手を前に突き出すと、しゃべっていた男が一瞬呻き声を上げて仰向けに倒れた。喉元には一本のナイフが深々と突き刺さっている。他の傭兵たちが息を呑むのが、空気からでも充分わかった。
緊張気味のスルトは傭兵たちを待機させて、少しだけ前に出る。
「私がスルトだ。何のようだ。今日は失礼な客が多いようだが」
「ああ、そういや、他の領の女を誘拐されたんだっけ? よくやるよな、そんな行為。……ちなみにその女、今、オレの人質」
馬にしがみついていたが、無理矢理上半身を起こされた。リディスを確認したスルトは困惑した表情を見せている。
そして人間たちを一瞬で葬り去ったナイフが、リディスの喉元に軽く触れた。鼓動が速くなる。
「まあオレもそいつらと同じ要求を、領主にしたいわけよ。詳しく知らないんだけどさ、普通の魔宝珠じゃない、領のための宝珠を持っているんだろう? それを奪ってくるよう頼まれている。なあ、それをオレにくれよ」
「誰に頼まれて、そんなことを……」
苦々しい顔でスルトは言い捨てる。
「そのうちわかることじゃねえか? とにかく教えろよ。この女の息の根を止めるなんて、造作もねえぞ」
男は唐突に低い声を出して、殺気を出す。リディスはすぐ傍から身もすくむような殺気を感じ取る。
「……魔宝珠を置いてある場所を教えたら、彼女を解放するのか?」
「今のところ解放するつもりだ。女を辱めたり、斬り裂く趣味はないからな」
「彼女が人質である理由がないのなら私と代われ。私を人質にしても、誰も貴様に攻撃を加えようとはしない」
「無駄に口が動く男なんて、いらねえよ。体力の極限まで削り取られた奴なら何もしねえから、人質にはちょうどいいんだ」
ナイフが動き、リディスの右肩の傷をえぐるように刺し込む。
「――ああっ!」
堪らずか細い喘ぎ声が漏れ出た。それを見たスルトが声を大にする。
「やめろ、彼女には手を出さないんだろう!?」
「気分が変わってきた。良くも悪くも女に興味がないからな。こいつの死体をミスガルム領に捨てるのも楽しそうだ」
ナイフを抜かれたが、未だに激痛が残っており、リディスはぐったりする。傷口を抉るようなことを何度もされたら、気が狂いそうだ。男は鋭い目つきでスルトに視線を突き刺した。
「さあ、どうする、領主?」
スルトは沈痛な表情のまま、歯をぐっと食い縛っていた。