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魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
第二章 道と火を巡る夢現
29/242

2‐9 連鎖する事件(3)

 今回の話よりしばらく、若干流血描写が多めにあります。

 * * *



 単身密偵活動を行っていたレリィは、思った以上に素早く、なかなか追いつかなかった。

 彼女が屋敷から抜け出す際に脱ぎ去った侍女服の下は、最低限の露出のみの無駄のない素材でできた隠密活動に適した黒い服。だぼだぼの服を基本としているムスヘイム領ではあまり見ない服だ。だが、目立たない色であり彼女自身は小柄なため、人でごった返している町の中ではほんの少し油断をしたら見失ってしまいそうである。

 その上、彼女は町のど真ん中を走るものだから、追っている男たちの方が分は悪い。

「これじゃあ僕たちの方が悪者に見えるよ。あっちはこの領の女性、こっちは違う領の男。不利だなあ」

「そんな不満を漏らすのなら、無理して逃がさなくても良かっただろう」

「けどそうしたら、リディスちゃんがどこにいるか直接確かめられないだろう?」

 悪びれた風もなく答える姿に、フリートは心の中で嘆息を吐いた。

(まったくこいつはあの僅かな時間でどこまで先を見越して行動していたんだ)

 ロカセナの能力を考えれば、レリィを捕まえようと思えば捕まえられたはずだ。剣だけではフリートに劣るが、その他の能力を総合的に見れば、部隊の中でもかなり戦闘時に貢献している実力を持つ。その動きは時に俊敏であり、諜報員の女性の確保など容易にできただろう。

 しかし、ロカセナはあえてレリィを逃した。彼女が隠れ家まで逃げ帰る、もしくはその途中で仲間と合流するのではないかと判断したからだ。

 隠れ家だったら非常に都合が良かった。そこにリディスがいる可能性が高いため、勢いのまま救出すればいい。たとえ合流だとしても、レリィを含めた人間たちを捕まえて場所を聞き出せばいいし、もし聞き出せなくても捕虜にすることで交渉の際に使えるだろう。

 レリィがフリートに対して反撃し、大人しく従わない女性とわかってから、ロカセナは短時間でそのようなことを考えた結果、泳がしているのだ。

 敵にしたくない恐ろしい青年――こういう場になったときに、フリートがいつも思うことだった。

「ちょっと差が付けられ始めた。このままじゃ撒かれるよ」

 徐々にレリィとの間隔があいていく。道を歩く人の量はさらに増し、押し退けながら進んでいた。幸いなのが真っ昼間の買い物時ではないことだろう。その時間帯の人の多さでは進むのが困難なはずだ。

 町中は出店が多く立ち並び、たくさんの果物や加工品、手軽に食べられる食料が売られている。本来ならばリディスと一緒にここを歩いている予定だったが、思い通りにはいかないものだ。

「さてどうしよう。もっと寄るか、回り道するか。でもどこで回り道すればいいか、わからないよね……」

「それなら俺についてこい!」

 ロカセナ以外の声がフリートの耳に飛び込んでくる。振り返るとオレンジ色のバンダナを巻いた、褐色肌の青年トルが息を切らせながら駆け寄ってきた。

「お前たち、速過ぎるんだよ」

「スルト領主はどうした?」

「大丈夫、他の傭兵が守っている。加勢してこいって言われた。この領の地理に関しては、さすがに俺の方が詳しいから手助けするよ」

「……すまんな。無関係のお前に」

「いいってことよ。困ったときは人助けするのが普通だろう」

 トルが目を凝らして、レリィを見る。彼女の焦げ茶色の髪がどうにか垣間見えた。

「ギュルヴィ団の隠れ家はだいたい検討が付いている。ここから西だ。だから、このまま人通りの多い道を南に突っ切りつつ途中で方向を変えるのなら、あの女は四つ先にある角を右に曲がって、そこから直線に進んだところにある西門に出るはずだ。そこまでは裏路地を通れば回り込める」

「それなら二手に分かれられそうだね。フリート、トルと一緒に回り込んで。僕はそのまま追いかける。万が一、見失ったらあとはそっちに任す」

 ロカセナの指示を聞いたフリートは軽く笑った。

「お前が見失うことはないだろう。むしろ俺たちが一緒にいたら邪魔か?」

「大勢の人間で女性を追いかけたくないだけだよ」

 当たり障りのない言葉を返したロカセナはレリィの背中をじっと見つつ、速度を上げて単独で追い始めた。

 ロカセナの様子を見て、トルは目を丸くしていた。

「なあ、さっきから思っていたけど、あいつって見た目の優男以上に、結構なやり手なのか?」

「無駄口を叩く暇があったら、さっさと抜け道に案内しろ」

「わかったよ」

 膨れっ面をしつつも、トルはすぐ傍にある裏路地を目で示すなり、そこに入り込んだ。

 全体的に建物が低く、陽の光が隙間から射し込んでくるため、暗いという印象は受けない。様々な物が地面に散らばっているので、足下に気をつけながら走った。ごみだけでなく、腐敗が進んでいる動物の死骸などもたまに見かける。衛生的には良くない環境だ。

 裏路地の住人たちは、フリートたちのことを見ると不思議そうな顔をしている人や、にやけながら見ている人など、二種類に分かれていた。どちらの視線も気が散る要素なため、今はトルの背中に集中する。

 瓶などを蹴りつつも軽やかに障害物を越えていくトルは、さすがに場馴れをしている雰囲気を醸し出していた。普段の傭兵の仕事でもこういう風に人間だけでなく、モンスター相手に駆けずり回っているのだろうか。

「傭兵になんて、どうしてなったんだ?」

 少し速度が落ちたところで何気なく聞いた。トルは突然の質問に、目を瞬かせつつも平然と答えてくれた。

「実は俺、小さい頃に家に強盗が入られて、親を殺されたんだ。その後、数年は爺さんのところに世話になっていたんだが、最期に俺用の魔宝珠を押し付けて爺さんは病気で死んだ。それからどうにかして食いぶちを確保しなければならねえと思っている時に、引っ手繰り犯を捕まえて、スルト領主に会ったんだ。『強く生きていきたいのなら、傭兵にでもなったらどうだ?』ってな」

 それは実際の年月にしたら、かなり昔の出来事だろう。しかし、彼にとってはつい最近のことを思い出すような口振りだった。

「もともと体力には自信があったし、傭兵といってもギュルヴィ団とかのたいそうな団体をぶっ潰そうとかしなければ、比較的安定した職業だからな。二言目には領主に志願したよ」

「モンスター狩りとかはないのか?」

「モンスター? 何を言っているんだ。この領じゃ滅多に出ないぜ。たとえ出たとしても、その時は傭兵でも還術ができる奴らに案件が回ってくる」

 軽く流した言葉だったが、フリートが当たり前と思っている考えを一瞬で崩すには充分だった。

「モンスターが……いないのか」

「そう言っただろう。ヘイム町の周辺で見かけたなんて聞いたことがない。そっちの領だとモンスターから身を守る魔宝珠があるらしいが、そんなのこっちでは見たことないぜ」

(これは地理的条件が作用しているのか? それとも他の何かが要因として――)

 トルから出てくる言葉に驚きつつ、一瞬考えも巡らしたが、今、追求しなければならない内容ではない。思考を目の前のことに集中し直すと、表通りからの喧噪がはっきり聞こえてきた。

 表通りに出る前に、二人は一度立ち止まった。ちらりと左側の様子を見ると、目の前にあのレリィが険しい表情で通り過ぎていったのだ。それを見るとフリートたちは飛び出し、人々をかき分けながら、再び彼女の背中を追いかける。レリィはよほど余裕がないらしく、フリートたちのことを見向きもしなかった。

 人通りも少なくなったところで、西門が見えてきた。開けっ放しの門であるため、彼女はすんなりと通過し、速度を落とさず町から飛び出ていく。フリートたちもそれに続いて門を抜け、森の中に足を踏み入れた。

 ヘイム町の周辺は森で囲まれておりその先は草原なため、雲隠れをするのなら、ここが最後の機会である。見失わないよう、目を細めて彼女の背中を見続けた。

 いつの間にかフリートたちに追いついたロカセナは、依然として眉間にしわを寄せっぱなしだった。非常に不機嫌そうであり、言葉をかけるのも躊躇わせる雰囲気を発している。

 しばらく森の中を進んだところでレリィが急に立ち止まると、鋭い目つきで睨み返してきた。その周りから物騒な剣を持った三人の男が出てくる。

「私が何も考えずに逃げていたと思ったか!」

 はっきり言い切る姿は、柔らかな物腰の侍女の雰囲気を微塵も感じさせないものだった。まったく別の性格の人物になりきることができる――潜入調査用に鍛えられた女性だと改めて実感する。

 相手側が堂々と迎え撃とうとしているため、もはや手加減などする必要はない。ロカセナは愛用のサーベルを、フリートもバスタードソードを召喚した。トルも慣れた手つきで武器――片方が斧状で逆側では突きもできるウォーハンマーを召喚し、険しい顔つきで握りしめる。

 お互いに睨み、隙を探り合う。ほんの少し右に動くと、相手も動いた方向に動く。一歩近づけば、一歩後退される。そんなさりげないやりとりの末、フリートは勢いを付けて正面から突っ込んだ。

 相手側が動かないのは、時間稼ぎを目的としているから。それならこちらが待つ理由など一切ない。

 突っ込んできたフリートに、二本の短剣を持った細身の男が前に構える。

 彼に向かって剣を振り下ろすと、二本を交差させられて止められた。反動で押し返され、若干たたらを踏みながらその場に留まる。息を吐かせる間もなく、こちら側から攻撃を開始した。

 その男はそれなりに戦闘慣れしており、フリートの剣を的確に受け止めている。だが双剣使いは、普段からもっと素早く攻撃を繰り出し、予測できない動きをする女性の上司を相手にしているため、男の剣筋は悪い意味で見えすぎていた。

 男の息が上がってきたところで、フリートは流れるように懐に入り込み、腹に蹴りを入れる。体を鍛えているのか、強い蹴りを入れられながらも男は持ち堪えていた。一蹴りで決まらず、フリートは若干悔しがる。

 今度は男からの攻撃を捌きつつ、隙を突いて軽々と反撃に転じると、見る見るうちに男の手際が悪くなった。

 人間相手には遠慮していた部分はあった。

 だが今は時間がない。躊躇っていては時間だけが過ぎ去っていく。

 男の後ろに回り込んで彼の意表を突き、表皮をかすめるようにして斜めに背中を斬る。痛みが全身に走った男は剣を片方落とす。

 フリートは落ちた剣を踏んで、まだ剣を持っていた右の甲を突き刺す。男は呻き声を発して、最後の武器も落とした。

 血の量は背中ほど多くはないが、もはや何かを持っている余裕は彼にない。フリートは最後に彼の鳩尾(みぞおち)に足の裏を勢いよく入れる。その衝撃で飛ばされ、木に当たると動かなくなった。

 そこで一息入れる。

 ロカセナやトルの状況を見ると、既に終わっており、彼らの傍の草木や地面には血が飛び散っていた。トルは苦々しい顔でウォーハンマーを握りしめ、両足から出血をしている男を見下ろしている。

 そしてフリートはごくりと唾を飲みながら、頬に血が付いたロカセナの顔を見た。

 無表情だった。

「大丈夫、殺してはいないよ。ただ、早く処置しないと、出血多量で死ぬのは目に見えているかな」

 ロカセナが相手をした男の右腕は真二つとはいかなくても半分近く斬られており、そこから血が大量に流れ出ていた。微かに全身は動いているため、生きてはいるだろう。

 ロカセナはフリートが相手をした気を失っている人間をちらりと眺める。

「彼、幸運だったね。モンスター相手なら鬼のように還しているけど、人間には甘い男が相手で」

 彼はフリートのことを見向きもせず、一瞬で終わった攻防を見て立ちすくんでいるレリィに向かって歩いていく。

 彼女は逃げようとしたが、ロカセナが投げたナイフが腿に刺さり、その衝撃で石に躓いて倒れた。

「ねえ、知っているかい? 世の中はもっとどろどろしているんだよ。モンスターだけがすべて悪いものというわけではない。そんな可愛い分類の仕方だけなら――世界はもっと穏やかなはずだ」

 ある程度レリィに近づいたところで、返り血を浴びたロカセナは冷たい表情でフリートに向けて振り返った。


「フリート、いつまで甘っちょろいことをしているの。敵だと思ったら()らなきゃ、()られるのはこっちだよ。そんなので誰かを護れると思っているの?」


 何も言い返せなかった。

 それはある意味正論であり、フリートが悩んでいる部分の一つであったから――。

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