2‐3 船上での邂逅(3)
立ち尽くしている三人に女性は涼しい顔を向け、小馬鹿にしたような笑いをする。
「これくらいの相手も還せないの。先行きが不安ね」
「貴女は、還術士……?」
硬直状態がとけたリディスがようやく言葉を発する。女性は前に垂れていた髪を払って、一歩近づいた。
「還術士ではないわ。ただ水の精霊を召喚する者よ。還すのは私の主目的ではない。――初めまして、道を切り開く者たちよ」
意味深な言い方に対し、フリートは口を開こうとする。だが、隣で崩れ落ちそうになるリディスを見て、慌てて彼女を支えた。顔色が悪い。目の前の女性から発せられる、独特の雰囲気に呑み込まれたのだろう。
フリートも態度には出さないだけで立ち続けているのは辛い。しかし見ず知らずの女に雰囲気だけで負けるのは、騎士として鍛えられた意地が許さなかった。平静を装いながら睨み付ける。
「お前は何者だ?」
「それを知るのはもう少し先よ、フリート・シグムンド。果たして私に構っている暇なんて今あるのかしら?」
「はあ?」
今こそ色々と問いつめるべきだろう、そう意気込んだ矢先、激しい足音が聞こえた。振り向くと船長を含めて六人の男が近づいてくる。彼ららは安堵の表情を浮かべ、一定の距離を置いて立ち止まった。
「今のはお前たちがやったのか、城の騎士さんたちよ」
「モンスターですか? いえ、俺たちではなく――」
フリートは視線を女性がいた方に向けたが、そこに彼女の姿はなかった。意識が逸れていた隙にいなくなってしまったのだ。
「なあ、お前たちなのか? あんな絶望的な状況を一瞬で」
「それは先ほどそこにいた女性が――」
「どうやったらあんなに神懸かり的なことができるんだ。俺たちにもできるのか!?」
「いや、ですから、あれは俺たちでは――」
詰め寄ってくる船長に弁解しようとしたが、聞く耳を持たない。だがいい頃合いどころで助太刀が入った。
「船長さん、今は詮索よりも、一刻も早く船を陸地に着けることが先ではないですか? 結宝珠が割れた今、もたもたしている暇はありません。他のモンスターが襲ってくる可能性がありますよ」
ロカセナが困り果てたフリートと追及してくる船長の間に割って入ってくれた。その言葉を聞いた船長は目の色を変え、慌てて持ち場に戻った。この地から全速力で離れるために、船員たちも急いで帆を張り直す。ロカセナのおかげで、フリートたちを取り囲んでいた人々はいなくなった。
「助かった、ロカセナ」
冷静に指摘をしてくれる相棒がいると心強い。ほっと一息つくと、肩に重荷が伸し掛かってきたような感覚に襲われる。その瞬間を見ていたロカセナはフリートの肩を軽く叩いた。
「フリートも疲れているみたいだよ、彼女にやられた?」
「多少は。お前は大丈夫なんだな」
「いや、きつかったけど、少し離れていたからそこまで影響はない。彼女が特に意識をして見ていたのは二人だったから、というのもある」
「俺たち二人……?」
すぐ傍にいたリディスと目を合わす。途端リディスは頬を赤らめて、フリートの腕の中から飛び出した。女性がいなくなってから立つのに支障はなかったはずだが、つい離れるのを忘れてしまったらしい。その様子をロカセナは若干にやけながら見ていた。
「とりあえずあの女性からもっと話を聞きたいね。探してこようか」
「そうだな。おそらく面倒事を避けるために、混乱に乗じて去ったんだろう。まずは船室に行くぞ」
慌ただしく動き回る船員たちを横目で見つつ、三人は船室の入口に移動する。早く移動しろという怒号が飛び交う中、半分涙目になりながら船員たちは準備をしていた。
たしかにこの船を守る結宝珠がないのは、傍から見れば致命的である。しかしフリートとしてはおそらくもうこの船にモンスターは寄ってこないだろうと思っていた。
仮にモンスターが知能を持っているとするのならば、五匹もの相手を一瞬で還した船を再度襲うには危険だと考えるはず。それでも襲うのならば、多少時間を要してでも仲間を集めるはずだ。また、知能を持っていなくても、五匹ものモンスターを還した残り香を纏っている船に、進んで近づくのは少ないだろう。
それらから結論を出すと、ムスヘイム領の港に着くまでは結宝珠が無くても、どうにかなるはずだ。
だから今はあの女性の行方を探す方が先である。
船の中央に位置する小さな船室に入ると、並べられている椅子に乗客が何人か座っているだけで、その中にあの女性の姿はなかった。ここにいないとすれば、甲板の物陰等に潜んでいる可能性がある。
「リディスはここにいてくれ。俺たちは外を見てくる」
「……わかった」
彼女の素直な返事に少しだけ面食らう。残すことに対して多少反発すると思っていた。顔色を伺うと元気がなさそうに見える。無理もない。鍛えているフリートでさえ、モンスターや女性の雰囲気に耐えるのが精一杯だった。一般人の少女に同等のことを為せというのは酷な話である。
外回りもすぐに終わるだろうと思いながら、リディスを置いてフリートとロカセナは外に出ていった。
フリートたちが出ていくのを見届けると、リディスは船室にいる人々の顔を確認しつつ、奥へと歩いていく。狭い船室を改めて見渡したが、どこにもあの女性はなかった。
モンスターは還され一難去ったが、何かが心に重くのしかかっており、それが憂鬱な気分に陥らせている。船室の奥まで行き、全員の顔をこの目でしっかり見たが成果はない。項垂れながら入り口に戻ろうとした矢先、ぽつりと呟かれた。
「――一人の還術士として、一人の戦闘ができる者として見られていなくて、悔しいのかしら?」
反射的に声がする方に振り返る。リディスの後ろにはあの女性がくすりと笑って立っていたのだ。三人の視線から避けるように移動し、この船室に入ってきたのだろう。
声をかけられるまで気配がまったくしなかった。身構えながらリディスは問いかける。
「私に何か用ですか?」
リディスの声が若干上擦っていた。鼓動が徐々に速くなっていく。
「貴女だけに伝えたいことがあってね、リディス・ユングリガ」
「……どうして名前を」
「他の人よりも私は情報を多く持っているのよ」
にやりと笑った女性はリディスを真っ直ぐ見据えた。
「今はただ後悔しないよう、思うがままに行動をすればいいわ。なぜなら貴女がどう動いても、最終的には決まっているから」
「何が決まっているのですか?」
「それ以上は言える範囲ではなくてよ。――もう少し心身共に強くなったら、ムスヘイム領で会いましょう」
立ち尽くしているリディスを気にも留めずに、女性は背中を向けて颯爽と船外に出て行った。
何の根拠もない、まるで予言めいた言葉を聞き、深く考え込んでしまう。
そう、予言――。
まさか――と思い、女性を追いかけるためにドアを開けようとしたが、その前に外から開かれた。きょとんとしているロカセナが立っている。
「リディスちゃん、どうしたの?」
「あの女性は? 今、外に出ていったの!」
「さっき? おかしいなあ、僕は見ていないよ」
「そんな……。あの人、もしかしたら予言者かもしれないのに……」
悔しそうな顔で俯く。あちらから接してきたが、こちらから深く接触する機会を手放してしまい、リディスは落胆を隠しきれない。ロカセナは困ったような表情で、フリートが戻ってくるまでただじっとリディスの近くに立っていた。程無くしてフリートも戻ってきたが、女性の姿は見当たらなかったと言われた。まるで相手はこちら側の動きを把握しているかのように姿を暗ます。
何者なのかという疑問が渦巻く中、船はゆっくり再び動き始めた。
その後、予定よりも若干遅れてようやくムスヘイム領に到着した。実際の時間にしてみればたいして遅れていないが、精神的に張りつめていた状態だったためか、移動時間が余計に長く感じられたようだ。
結局あの後はモンスターからの接触はなく、結宝珠がなくても無事に川を渡りきれた。
大蛇のモンスターの還し方について船長たちから散々尋ねられたが、水の精霊使いの女性がいない状態では、話題に挙げるのは憚られる。結宝珠の結界は若干残っており、その結界に当たった衝撃でモンスターは還されたのだろう、という苦しい理由をでっち上げるしかなかった。せめてもの救いは、魔宝珠についてはわからない部分も多々あるため、推測だけでも首を頷かせることはできたというところだろう。
事情聴取が終わった時には、他の乗客たちは既におらず、リディスたちが最後に船を降りた。その船は三人を降ろした後に、新たに結宝珠を取り付けるために別の場所へ移動していった。
「あの女が降りたかどうか、確認できなかったな」
フリートが悔しそうに呟く。そして軽く汗を拭った。若干だが気温が高いようだ。ミスガルム領とは別の地に来ていると肌で感じ取る。リディスも持っていたハンカチで薄ら出ていた汗を拭いた。
視線を移動すると、ぼさぼさの赤茶色の髪の上にオレンジ色のバンダナで巻いた、褐色肌の青年が大きく手を振っているのが視界に入った。その手にはリディスたち三人の名前が書かれた紙を持っている。あまりに怪しすぎる立ち回りに片眉をぴくりと動かすと、青年は笑顔で駆け寄ってきた。
リディスはとっさにフリートの後ろに下げられる。彼は警戒を強めて青年を見据えた。その雰囲気に気づいた青年は、一定の距離を保ったところで立ち止まった。全体的に粗雑な服装で、上半身はよれたシャツを、下半身はだぼだぼのズボンをはいている。服の間からは鍛えられた筋肉が垣間見えた。
「どうも、ミスガルム城からの遣いの人! 待っていたぜ!」
「お前、俺たちのことを待っていたようだが、まずは先に名乗るのが礼儀じゃないのか?」
「おおっと、ごめんな、気が利かなくて。俺はトル・ヨルズ。ムスヘイム領主に雇われている傭兵だ。今回は領主に頼まれて、お前等の道案内をすることになった。よろしくな」
あっけらかんと言ったが、三人は言葉を失った。
(こんな風体の人が、領主に雇われている傭兵!?)
ムスヘイム領に住んでいる者は、土地の平均気温が高いため薄着だとは聞いている。だがここまで着崩した格好をしている者が傭兵に所属しているなど、いったいどんな領だろうかと疑ってしまう。
「ああ、お前らの考えていること、何となくわかるよ。俺、領主が雇っている傭兵に見えないってとこだろう」
「……そうだ。領のために働くのであれば――」
「それはミスガルム領での考えだろう。そして騎士という考え方」
トルは肩をすくめながら、言い倒そうとするフリートの言葉に割り込む。
「ムスヘイム領には色々な人がいる。そして人の流入が激しいのも特徴だ。そんな中である一定以上の能力を持った人間を常に傍に置くのは難しいのが現状さ。だから契約という形で集めた自由に動ける傭兵が、この領の治安維持の要というわけ。規律は特にない。動けるときに動いてくればそれでいい。そして強ければなおいい、それが傭兵のすべてだ」
ミスガルム領とはまったく違った考えを聞き、リディスの隣にいたフリートは絶句しているようだ。事細かに規律を守っている人間にとっては、受け入れられない内容なのだろう。
「ねえ、君がその傭兵っていう証拠はあるの?」
ロカセナが涼しい顔で聞いてきた。傍から見ればトルはただの町民だ。
トルは頭をかきながら、首から下がっている橙色の魔宝珠をロカセナに向かって投げつけた。それを受け取ると、彼は魔宝珠を陽に当ててみる。薄らとだが、中に何かが描かれていた。
「――炎の印。ムスヘイム領の象徴は火。なるほど、傭兵になった人はそれぞれの魔宝珠にこの印を押してもらうわけか」
「そういうこと。話が早くて助かるよ」
ロカセナは近づいてきたトルにその魔宝珠を返した。信用されたと認識したのか、満足そうな顔をしている。
「とりあえず自己紹介はここら辺でいいか? 時間もないし、そろそろ移動しよう。早くしないと中途半端なところで野宿行きだぜ」
怪訝な表情をしていたフリートだったが、ようやく渋々と頷いた。
南方から吹く風は生温く、いつもとは違う空気が漂っている。川を越えただけで、向こう岸とは別の文化が広がっていた。これから訪れるヘイム町には何が待ち受けているのだろうか。
トルに導かれるままに、リディスは意気揚々と踏み出した。