番外編四 交差した道のその先は(3)
* * *
カルロットとルドリの今の関係は隊長と団長であり、部下と上司だ。口調こそ軽いが、それなりに敬意は払っているし、命令には従っている。
だが二人が同じ平騎士の時は、距離などまったくなかった。模擬戦をしても、たまにカルロットが勝っていた時代でもあった。今のように勝つ術がまったく思いつかない相手ではなかったのだ。
カルロットがぎりぎりで勝てば、ルドリはその夜は酒を飲みまくり、ルドリがあっさり勝てば、カルロットはやけ酒をする。なんだかんだ言いつつも、お互い切磋琢磨に鍛えあっていたのだ。
よき同期から、よき好敵手へ。自然と二人の距離は近くなっていた。
大きな転機がきたのは、騎士になってから十年たった頃、お互い部隊の班長格に昇進していた時だった。
目つきこそ鋭いが、背が高く、引き締まった体を持つルドリは、非常につりあいのとれた体となっていた。そのため言い寄ってくる男たちも少なくなかった。
連日うるさい男たちを一蹴しては、夜、この酒場でカルロットに愚痴を零していた。
「なぜ男どもは私を騎士として見ていないのか。さんざん潰しても寄ってくる。本当に目障りだ」
「はっきり言われて却って清々しいんじゃないか。お前もいい歳なんだから、少しくらい男と付き合ってみればどうだ? ちはほやされるなんて、人生でも一瞬のことらしいぞ」
「そんなちゃらちゃらしたことは嫌いだ!」
ルドリは持っていたジョッキで机の上を強く叩いた。酒場の店主や周りにいた人たちは、ぎょっとしてこちらに視線を向けてくる。カルロットは苦笑いをしながら、その人たちのルドリへの視線をどうにか遮った。
頬を赤くしているルドリと視線があうと、彼女は目を閉じて、机の上にぐったりと潰れてしまった。軽く揺するが、起きる気配はない。今日はやけにグラスを空けるのが速かった。酒は飲める方だが、まさか酔いつぶれるまで飲むとは予想外だった。
「坊主、ルーちゃんを店の奥にでも連れて行くか?」
店主がちらりと店の奥に視線を向ける。カルロットは彼女の腕を手に取って、首を横に振った。
「大丈夫です。明日も朝から鍛錬があるので、部屋で寝させておきます」
ルドリを背負ったカルロットは、代金を払って店から出た。
風が冷たく、ひんやりとする。今晩も冷えるなと思いつつ歩いていると、背負っていた人物が身じろいだ。
「カルロット……?」
目覚めたルドリに軽く声をかける。
「酔いつぶれたんだよ。さすがに飲み過ぎだ。部屋の近くまで送っていくから、あとは自分の足で歩け」
「……なら、部屋まで来てくれないか」
「歩けないのか?」
「来てくれないか?」
顔を後ろに向けると、漆黒色の瞳の女性を見る形となる。彼女の表情はいつになく真剣だった。
「……いいのか、俺が行っても」
「お前ならいい。私の悪い性格まで知っているから、安心して身を委ねられる」
ルドリは口元に笑みを浮かべる。カルロットは数瞬間を置いてから、真顔で頷いた。
そしてカルロットはルドリを部屋まで送り届けると、そこで一晩を過ごした。
同期であり、心を許した男女としての関係を保ちながら、二年がたった。自分の年齢を見て、そろそろ決断しなければならないと思った矢先、ある任務が二人のもとに入った。
別々の部隊であった二人の隊が合同して行く、モンスター掃討だ。
山の奥まったところに、モンスターの巣はあった。最近そこから少し離れたところにある街道にモンスターが出てきているという目撃情報が入ったのだ。その道は王都へ続く重要な道の一つ。早々に還さなければ、いずれ多くの人が危険に晒される――そう判断しての掃討だった。
出動し、始めに何度かモンスターと遭遇した時は、たいした量ではなかった。毛色の違う二部隊が出る必要もない量である。
だが命令を下した当時の団長および国王は、見事なまでに先を見ていた。
こちらが攻撃を休めている間に、左右から違う種類のモンスターたちが襲ってきたのだ。
カルロットは多少傷を負いながらも、奇襲を受け流して反撃をする。召喚したクレイモアを振り回して、モンスターをなぎ倒していった。
しかし全員が全員、奇襲に対応できたわけではない。何人かは深い傷を負い、動けなくなった。それを見たカルロットは、彼らの前に立って、襲ってくるモンスターの攻撃を跳ね返し始めた。
今回の襲撃はモンスター掃討が第一の目的であり、部隊の構成は志願者で成り立っていた。自分の身は自分で守ると宣言して、部隊に加わった騎士である。そんな彼らが怪我を負ってしまった。目的だけを見れば、彼らを護る必要などない。殺されても――誰も何も言わないだろう。
だがカルロットは彼らを見捨てることはできなかった。
かばいながら攻撃をしていると、不意を突かれて攻撃を受けてしまい、近くの木に叩きつけられてしまった。
モンスターは地面に横たわっている騎士たちを蹴り飛ばしながら、カルロットに寄ってきた。体勢を整えて立ち向かおうとする。
しかしその前に、寄っていたモンスターの後頭部に炎の矢が突き刺さった。炎は体に燃え移り、モンスターは呻き声を上げて、黒い霧となって還っていく。
その後ろから刃が波形のフランベルジェを手にした女性が悠々と歩いてきた。持っていた弓矢は肩で背負い直している。体を身じろいでいる騎士たちを彼女は一瞥してから、カルロットに寄ってきた。
淡々と歩いてくる彼女に対し、モンスターたちは次々と襲ってくるが、まったく動じることなくすべて還していった。ある一定の距離まで近づくと、立ち上がっていたカルロットと視線があった。
彼女の表情を見て、息をのむ。まったく表情がなかった。
「無事か、カルロット」
「あ、ああ。ありがとな」
かけられた言葉は、抑揚がなかった。
カルロットは彼女の変貌を目の当たりにして、呆然としていた。そのため彼女の背後にモンスターが寄っているのに、気付くのが遅れた。
彼女は気配を察すると、反転し、後ろにいた獣型のモンスターを易々と両断した。それから血が吹き出て、ルドリの頬につく。彼女は拭いもせずに、続々と現れるモンスターの集団に向かって突っ込んでいった。
すさまじい強さだった。
容赦なくモンスターの急所を抉っていく。囲まれてもすべて攻撃をかわして、蹴散らしていった。
フランベルジェに炎が纏われれば、巨体であってもあっさり切断される。切断されたそれらは黒い霧となって還っていった。
その光景を見て、いつだか言っていた当時の団長の言葉を思い出していた。
『あの女は戦いを好いている。まるで戦うために生まれた、戦鬼神のようだ。だがそこに優しさなどはない。物事を合理的に考えて、大勢の人間が生き残るために最善だと思うことを行っていく。おそらく少数派の意見は切り捨てるだろう。それは一見して厳しい態度にも見える。だが未来を生きる大勢の人々にとっては、上に立つ者に対して最も望んでいる行動なのだ』
カルロットはモンスターに蹴散らされた騎士の傍に寄る。息はしているが、蹴られた衝撃で肋骨が折れたらしく、さらに苦しそうな声を上げていた。
簡単に止血をし、彼を担ぎ上げた時には、周囲にモンスターの姿はなく、大量に現れた黒い霧が消えていくところだった。
その中心で漆黒の長い髪を一本にまとめた女性が立っている。彼女はカルロットたちを見向きもせずに、戦場を駆けていった。
それからカルロットはルドリを意図的に避けるようになった。彼女もそれを察してから、自ら近づこうとはしなかった。
彼女のことは尊敬しているし、認めている。鍛えあって、お互いに高め合ってもいた。それが十年以上続いていた。
だが根本的な考えの違いまでは、変えることはできなかった。
付き合おうと言って二人の関係が始まったわけではなかったので、関係を終わらすために別れようとすら言わなかった。ただ何となく二人の間が離れていったのだ。
やがてルドリは次々と出世し、三十代半ばで団長に駆け上がった。
初の女性団長、異例の出世、と世間ははやし立てたが、彼女の功績を見れば当然のことだった。
年々モンスターが荒れ狂い始めているにも関わらず、ミスガルム領内でのモンスターに関する死傷者は横ばいか減る一方。それはルドリが隊ごとにきちんとした教育を促し、巡回を強化させ、危機をいち早く察知して素早く出陣できるよう、指示していたためだった。過去に騎士団にいた人間に聞けば、近年の行動には無駄がないとはっきり言うだろう。
それらが徹底されたところで、彼女は調べたいことがあると言って、年に数ヶ月ほど遠征に出ていた。団長がいなくても部隊で完結できる状況だったので、特に滞りなく物事は進んでいた。
彼女が王国に戻ってきた時は、鍛錬に顔を出したりもするが、国王やお偉いさん方と話し合っていることが多かったため、以前よりも前に出ることは少なくなっていた。
どんどん先に行く彼女の背中を見ながら、カルロットも己の道を進んでいった。
おそらく隊長止まりだろう。部下たち全員を見るには、カルロットの能力からしてこの人数が限度。またこれ以上政治に関わりたくなかったので、ある意味ではその位なのが妥当だった。
ルドリとの関係もこのまま遠ざかったまま終わると思っていたが、大樹を巡る戦い以降、こうして酒を飲んだり、昼を一緒に食べる機会が再び出てきていた。バナル帝国の動向も大人しくなり、彼女の心の中も多少ゆとりを持てるようになったからかもしれない。
月日は確実に流れている。
笑っているルドリを見た若い騎士たちが、非常に驚いているほど、かつての彼女にはあり得ない変化が見られていた。
* * *
「そろそろ後任を探そうと思う」
ぽつりと呟いた女性に対し、目を丸くしてカルロットは見た。まだ彼女は三十代後半で、四十歳まで一年以上ある。現役で前線に出続けられる年齢だ。
「……顔に出すぎだ。第三部隊は感情的な奴が多すぎるな」
ルドリはくすりと笑う。カルロットは眉をひそませた。
「いいか、勘違いするな。後任にしてもいいと思った奴を選んで、鍛えさせるだけだ。それが一、二年ですむわけがない。だからまだ何年かはこの立場でいるし、よさそうな後任がいなければ、体のがたがくるまで続けてやるさ」
「そういや、お前も早くに目を付けられて、先代の隊長にあちこち連れて行かれたんだっけな。自由がきく、班長や副隊長格のときか」
「ああ。お前と顔を合わせずに済むと思ったから、有り難く連れて行ってもらったよ。いい経験だった」
「……それでお前は結婚し損ねたのか」
彼女は二十代後半をほとんど遠征に費やしていた。だからなのか、未だに独り身だ。
ルドリは怒りもせず、むしろ横目でカルロットを見て笑った。
「お前も独り身だろ」
「男が一人なのと女が一人なのは、意味合いが違うんだよ!」
「そうか? 私はたいして変わらないと思うが。私の仕事を尊重してくれる奴でなければ、一緒にいても面倒なだけだ。どこで殺されるかわからない立場だ。私を想ってくれる人間は少ない方がいい」
「お前……」
ルドリは出されたつまみを口にいれて、視線をさらに落として続けていく。
「ただな、歳をとって、一人で寝ている間に死んだら、遺体が腐ってしまう可能性がある。だから傍に誰かがいてくれると有り難いとは思っているんだ。――お前もそう思わないか?」
「ああ。誰にも看取られずに逝っちまう人生は嫌だな。……なあ、ルー」
久々に懐かしの愛称で呼ぶと、彼女は嫌がりもせずに視線を向けてくれた。
「もし二人とも退団するまで生きていたら、そのときは一緒――」
「はい、お待ち!」
店主が声と共に二人の前に出したのは、野菜がたくさん入っている熱々のスープだった。それを見たルドリはすぐさまスプーンを手にとり、店主に向けて頭を下げた。
「ありがとうございます。これを楽しみにしていたんですよ」
「嬉しいね、そう言ってくれると。作り甲斐があるというものだ」
そして彼女は頬を綻ばせて、スープを飲み始めた。カルロットも彼女から遅れて口を付ける。
飲むと温かさが全身に伝わっていく。お腹が空いたと喚いていたあの時と同じ味だ。ルドリと初めて夜を共にした時も飲んだものだった。
お互いに譲れない部分はある。何を目的として、どう歩んできたかも違う。
だが、どこかで人は他人と考えを交じり合うときがある。その交わりから人との関係は始まるのだ。
その交わりを強固なものにしたければ、共に歩む道を選ぶだろうし、その交わりを一つの通過点と見なせば、その場限りの関係となるだろう。
果たして今の交わりがどう続いていくだろうか。
わからないが、だからこそ人生というのは面白いのである。
番外編四 交差した道のその先は 了