後日談‐13 愛する者を護る為に(2)
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昼の食事会は驚くくらいに和やかに進んでいた。時に笑いも含んだりして、穏やかな時を過ごしている。縦長の机に片側にはミスガルム城側、もう片側にはバナル帝国の者たちが並んでいた。
ミスガルム城側にはリディス、フリート、そして若手貴族が二人並んでいる。幸いリディスも話をしたことがある貴族たちだったため、諸事情を話したら代理の件は承諾してくれた。「よく似ていますね」と言われた時は、適当に言って、受け流しておいた。
正装したフリートは若手貴族と違和感がないくらい、型にはまっていた。護衛の任務だけならば椅子に座る必要性はないが、今回はリディスの助言者としても参加している。彼は城の内情にも詳しいので、リディスが返答に困ったときは、さりげなく手助けしてもらっていた。本当に頼れる騎士である。
リディスはちらりと目の前にいる着飾った青年を見た。
出された食事がバナル帝国のアーヴル皇子の口にあったのか、口に入れるたびに笑顔が絶えなかった。やや明るい灰色の髪の青年で、歳は二十五と、男としても魅力的な年頃だった。帝国では第五皇子という王位継承権から離れた位置にいるため、年齢を重ねるにつれて皇子としてではなく、一人の人間として帝国を支えようという動きをし始めたらしい。
「今回のミスガルム領行きですが、私も含めて幾人かの有識者がまとまって提案し、決定したことなのです。近年、バナル帝国だけの発展には限界を感じておりました。ならば外に目を向けて、他の領の方とも深い交流をすればいいのではないかと思ったのです」
「まあご立派な考えだと思いますわ。いつまでも距離を置いていても、双方ともに何も利益がありませんから」
「過去の出来事とはいえ、そちら側には大変なご迷惑をかけたと思っています。それを無かったことにはできませんが、これからの未来のために共に歩んでいければと思うのです」
「それに関しては後ほどお話しいたしましょう。早くしないとスープが冷めてしまいますよ?」
リディスは微笑みながらさりげなく話を逸らした。
事前にルドリから指示されたことはいくつかある。その一つが決断などの意思表示は絶対にするなというものだった。ミディスラシールやミスガルム国王としては、今回の会合では友好を深めあった、という程度で留めたいそうだ。それを考慮して、必要以上に踏み込んでくる相手側の言葉をかわさなければならなかった。
主食を終え、デザートを手に付けて、飲み物を頂きながら話を続けていく。
アーヴルはリディスに向かって、にこりと笑みを送った。
「ミディスラシール姫はさぞお綺麗ですから、多くの人から縁談話がきているのでしょう。羨ましい限りです」
「いえ、意外と多くないですわ。ちょっと気が強すぎるからでしょう」
「そうでしょうか。ミディスラシール姫は高嶺の花ですから、お近づきになりにくいのでは?」
「嬉しいお言葉をありがとうございます」
口元に手を当てながら、くすくすとリディスは笑う。それにつられてアーヴルも笑った。場が仄かに和んだ。
ケーキを一口サイズに切り分けて、口に運びながら、進んでいく針をリディスは横目で見た。そろそろ昼食会を終えて、机を向き合っての話をしなければ。できればその前に姫と合流したかったが、致し方ないだろう。
ケーキが乗っていた皿を空にし、紅茶を最後まで飲み干す。カップを置くと、アーヴルが真っ直ぐ瞳を向けていることに気づいた。
「どうかなされましたか?」
「いえ、会合に入る前に、お聞きしたいことがあります」
「何でしょう?」
「これは私的な質問です。――ミディスラシール姫には特別な異性はいらっしゃるのですか?」
あまりに直球過ぎる聞き方に、リディスは一瞬ぽかんとした。その場にいた誰もが、皇子の発言に呆気に取られている。
「ミディスラシール姫?」
「は、はい! その件に関しては――」
顔を赤らめつつ、リディスはどうにか誤魔化そうと言葉を選び始めた。リディスの立場ではいると言っても嘘ではないが、姫の立場を考えると、どちらの言葉も出しにくい。適当にはぐらかすのが最善だろう。
口を開こうとした瞬間、突然屋敷の中に激しい爆音と衝撃が走った。
表情を引き締めたリディスは、フリートと目配せをし、愛想のいい表情をアーヴルに向けた。
「すみませんが、これから会合に向けて準備をしたいので、一度席を外していただけますか?」
「ミディスラシール姫、今の音はただ事ではありませんよ」
硬質なものが交じり合う音が、微かに聞こえてくる。相手は誰だろうか。先ほどの男たちの仲間か、それともリディスの命を狙うカトリか。
これから起こる事を考慮して、アーヴルに向かってにこりと微笑んだ。
「修理屋さんですわ。この屋敷を借りる時に、ちょうど修理をする日と被ってしまうと言われたのです。ですからお気になさらず、お部屋にお戻り下さい。――案内をお願いします」
リディスは貴族たちに呼びかけると、彼らは足早にアーヴルに近づき、笑顔を作りながら部屋の奥にあるドアへと促していった。その後ろにミスガルム城の騎士たちと、アーヴルの護衛が数名続いていく。
だが移動し始めた矢先に、入り口のドアが荒々しく開かれた。
「――見つけた、鍵」
リディスが振り返った先には、右腕を鋭く尖らせた長い髪の女が部屋の中に踏み込んでいた。その先端からは赤黒い血が滴っている。にやにやしながら、部屋を悠々と歩いてきた。
「ちょっと目を離した隙にいなくなっちゃうんだもの。探しちゃったわ」
「私としてはもう少し後に会いたかった」
歯を噛みしめながら、思わず本音を漏らす。リディスの傍にはバスタードソードを召喚したフリートが、カトリの様子を伺っている。部屋の隅で待機していたメリッグとトルも、険しい表情でカトリを見据えていた。
「元気そうなら良かった。これで楽しく殺せるわ」
笑いながらカトリが間合いを詰めてきた。リディスの前にフリートが迎え撃つ。カトリが向けてきた腕を剣で受け止めると、それを皮切りに腕と剣を交じり合わせ始めた。小気味のいい音が鳴り響いていく。
「ミディスラシール姫! 貴女も早く避難を!」
ドア付近に移動していたアーヴルは、焦った表情で声をかけてきた。ただ事ではない事態を察し、気を使って声をかけてくれたのだろう。昼食時の話の節々でも気づいていたが、他人想いの優しい人である。
リディスは澄ました顔でアーヴルを見た。
「お先に避難して下さい。準備ができましたら、お伝え申し上げますので」
「何を言っているのですか、準備とかそういう問題ではないでしょう! 危ないことは騎士に任せて――」
リディスは微笑みながら、若草色の魔宝珠に手を触れた。
「魔宝珠よ、我が想いに応えよ」
瞬間的にショートスピアが召喚される。表情を崩さずに、凛とした口調で言い放った。
「このものを対処するのが準備ですわ。私は姫でありますが、同時に国を護る者です。平和をかき乱すものには、全力で止めなければなりません」
「姫……」
「アーヴル皇子をこのような事態に巻き込んでしまい、大変申し訳ありません。――どうかご理解下さい。魔宝樹に恩恵を与えてもらっている五つの領は、実は紙一重で危険をも背負っているということを」
背を向けると、さらに大きな声で名を叫ばれる。それを背中で受け止めつつ、抵抗したアーヴルが騎士に押されながら部屋から出ていくのを聞きとっていた。
アーヴルに伝えた言葉は嘘ではない。
かつて負の感情が増えて、世界が混乱した時代があった。それを見た魔宝樹が、争いを少しでも減らすために負の感情をモンスターに変えた。そうすることで人間同士の争いは減り、怒りの矛先はモンスターへと向けられるようになった。
三年前、新たな大樹となり、負の感情を浄化する能力も向上し、モンスターの絶対数は減ったが、決していなくなりはしなかった。
おそらく今後もモンスターの数は減るだろうが、消えることはないと思われる。なぜなら生まれたモンスターを還し、浄化するという行為が、大樹の中で循環の一つとして確立されてしまったからだ。
だからこの地にいる限り、モンスターの問題は一生付きまとうことになる。
カトリは三年前に扉が開いた際の、負の残滓とも言える。そのものに対してリディスができることは、スピアを突いて還すこと。
ここでアーヴルと共に逃げれば、彼にも危害が加わる。だから相手に稀有で奇妙な姫だと思われようが、ここでスピアを向ける必要があった。ここにミディスラシールがいたとしても、同じ事をするはずだ。
カトリがフリートの攻撃をかわして、リディスのもとに飛び込んでくる。伸びてきた腕に向かって、リディスは狙いを定めて正確に弾き飛ばした。
* * *
『幸せだと感じるほど、罪を犯したことを後悔するでしょう。それを一生感じながら苦しみの中で生きるのです』
その言葉を聞いて、ロカセナは矛盾していると思った。幸せになればなるほど、過去に犯したことを後悔するなど有り得ない。
ただ悶々と日々を過ごしている方が苦しいだろうと思っていた。だが何もせずに淡々と生きていれば、犯した罪を後悔するどころか、忘れる可能性があった。その点を失念していたのだ。
ある日幸せそうな人々と触れ合っている際、こちらまでその幸せが伝わってきたことがあった。
その時ふと思ったのだ。この幸せを感じずに逝ってしまった人たちが存在する。そのような人がいるにも関わらず、自分も穏やかな日々を過ごしていいのだろうかと。
毎日幸せを感じる環境に身を置いたとしたら、その幸せを実感できなかった人たちのことを、いつまでも考え続けるのかもしれない。
これが矛盾した言葉の真の意味だった。
ミディスラシール姫のことは、遠くから見守っているだけで幸せだった。彼女にも自分の業を背負わさなくても済むという思いもあったため、むしろ気楽だった。
だから縁談話を聞いたときは残念だと思いつつも、安堵した気持ちの方が割合的に大きかった。
幸せな彼女を死ぬまで遠くから見守れればそれでいい。
国が安泰するのならそれでいい。
だが――彼女の身に危険が迫っていると知った時は、そのような考えはすべて消え去っていた。
ただ助けたかった。ここで亡くなっていい人ではない。
たとえ自分の身が毒で犯されたり、その後極刑になったとしても、彼女だけは死んではならない。
自分にとって最も大切な人を護らなければ――。
そう思って優しく唇を付けた。
初めて彼女の唇に触れることができた幸せを感じつつ、逝ってしまった人への罪悪感も抱きながら。
目を開くと、辺りは薄暗かった。一定の間隔で振動が伝わってくる。途中で段差に差し掛かったのか、体が激しく跳ねた。すると体は大きな手によって押さえつけられた。
「お、起きたか」
ロカセナは首を動かして、大柄な男性を見上げた。どうやら荷馬車の上で横になっていたらしい。横には瞳を閉じているミディスラシールの姿があった。胸が規則正しく上下しているのを見て、ほっと胸をなで下ろす。
「気分はどうだ?」
「隊長……。まだ頭がぼうっとしています。姫様は大丈夫ですか?」
「二言目は姫の話題か。忠誠心なのか愛なのか、どちらにしても本当に頭が下がる。――見ての通り、姫は無事だ。さっきまで起きていたが、今は眠っている。あとからきた解毒剤のおかげだな」
「あとから……?」
「覚えていないのか? 自分はいいから姫にすべて飲ませろって言ったのはお前だろう。あの戦闘の後、ルーズニルが毒にきく薬を多種類持ってきたんだよ。そのうちの一つが同じ成分の解毒剤だったから、それを追加して姫に飲ませた。あとは医者に見せれば終わりってところだ」
「……しかしこの様子だと、町に戻ってはいませんよね?」
頭を上げて布の隙間から荷馬車の外を眺める。光がある町から遠ざかっていた。
「姫が聞かねえんだよ。モンスターが自分のもとにいなかったのなら、リディスの方に向かっているはずだ。アトリと同系統のモンスターならば、自分の力があれば動きは止められるはずだから……ってな」
「毒が回って動けなくなっていたのに、これから戦場に出る気ですか、この姫様は」
「どうにかしてくれよ、本当に。俺もそろそろ疲れてきたぜ。姫の暴走を止められる奴か、上手く護れる奴が傍にいて欲しいもんだ」
カルロットはやれやれと溜息を吐いていた。このような姿を見るのは非常に珍しい。彼自身は散々周囲を振り回しているが、逆に他者に振り回されるのには慣れていないようだ。
一度決めたら絶対に意見を曲げない女性を相手にするのは、誰でも骨が折れることであった。
「既にルーズニルも含めて何人か先に行かしている。俺も行きたかったが、姫に万が一のことがあったら困ると思って、この場にいるわけだ」
馬を走らせている中、カルロットは声を潜めてぼそっと呟いた。
「……ロカセナ、よく躊躇いもなく毒を吸い出したな。一歩間違えれば、お前も姫も死んでいたぞ」
「あの状況では毒を吸い出すしか思いつかなかっただけです」
「あの躊躇のなさは、さすがに皆驚いていたぜ。怖くなかったのか?」
「何もせずに姫様が死ぬほうが怖いです」
カルロットは口をあんぐり開けていた。そして頭を軽くかいた後に、真顔になった。
「――なあ、また騎士団に戻らないか?」
「え?」
「今日のことやレーラズの樹の復活時の成果を話せば、過去にしたことは帳消しにはならないが、それ以上に優れた功績を残した者として、再入団させることは不可能じゃねえ。お前が生死をかけた戦いをしていたのは、たくさんの人間が見ているからな。たとえ貴族たちが反対してきても、姫と国王の首を縦に振らせれば、復帰できる」
「それだと姫様や国王にご迷惑が……」
「人手不足もあってか、大なり小なり事件を起こしている奴が入団する場合も増えてきた。人を手にかけたことがあっても更正という意味合いがあれば、もしかしたら入団を許可してくれるかもしれん」
ロカセナはすぐに返答できなかった。戻りたいという想いと、戻ってはいけないという想いが相反している。
今まで頑なだった心を揺り動かすほど、魅力的過ぎる申し出だった。
「もしお前が過去と向き合い、その過去と共に未来へと歩む気力があるのなら、戻ってくるのを俺は薦める。お前がなぜ騎士団に入団したのか、それを考えてのことだ」
「入団した理由……」
城を見上げながら兄と話した記憶が呼び起こされる。
「それと本当に大切に想っているなら、見守るだけでなく直接護れ。見守ったままだといつか後悔するぞ、姫が死んだ時に。――それも踏まえて、急ぎはしねぇから返事を聞かせろ」
ロカセナたちが乗っている馬車に雨が降り注ぐ。
当初は激しかったが、少しずつ弱くなっているようにも感じられた。