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魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
後日談 悠久なる恋情の果て
206/242

後日談‐12 愛する者を護る為に(1)

「すぐに見つかるでしょうか……」

「たとえ見つかったとしても、開始には間に合わないわ。今は貴女がやるべきことに集中しなさい」

 椅子に座っていたリディスは、メリッグに前髪を下ろされ、金色の髪を巻いてもらっていた。

 事前に借りていた屋敷の控え室で、リディスはバナル帝国の皇子に会うための準備をしている。ドアを開ければ、むすっとした表情のフリートが立っているだろう。

「羨ましいくらいに綺麗な色だし、いい髪質だわ。スピアなんか振らないで、澄まし顔で座っていればいいものの」

「それは無理ですよ。愛想を振りまいて、大人しく座り続けられる血筋ではありませんから」

「それはそうね。お母様もお姉様も本当に動きすぎよ」

 二人でささやかに声を出しながら笑った。少しだけ肩に入っていた力が緩む。

「緊張しているわね」

「……はい。今まで会った人とは格が違います。一歩間違えれば、これをきっかけに争いに発展するかもしれません。そのような可能性があるのに、団長さんは何を考えているのでしょうか……」

 肩をすくめて、リディスは鏡に映っている自分をじっと見つめた。メリッグはそっと肩に手を乗せてくる。

「貴女は町貴族の娘だけれども、王族の血縁者というのも事実よ。相手側は姫と会えるのを楽しみにしている。貴女も本来は姫なんだから、少しは自信を持ちなさい」

 軽く背中を叩かれる。立ち上がって振り返ると、笑みを浮かべているメリッグがいた。彼女は部屋の端に置かれているピンク色のドレスに視線を送る。

「では、リディスラシール姫、ドレスに袖を通しましょう」

「……調子狂うので、そういう言い方はやめてください、メリッグさん」

 はあっと息を吐いてから、背筋を伸ばした。そしてミディスラシールが着る予定だったドレスに寄り、それに手を付けた。



 部屋を出ると、腕を組んでいたフリートと視線があった。彼は目を大きく見開いている。その横で慣れない正装を着たトルが軽く口笛を吹いた。

「リディスなのか? 姫じゃないよな?」

 軽く咳払いをして、リディスは体の前で軽く両手を組んで微笑んだ。

(わたくし)はミディスラシール・ミスガルム・ディオーンの代理の者ですわ。リディスという娘はここにはいませんことよ」

 あえてお嬢様風の言葉使いをすると、フリートの表情が緩み、くすりと笑った。そして屈みながら左手を胸にあて、右手を前に差し出してきた。

「わかりました、お姫様。さあ、参りましょうか。私たちの戦場へと」

「きちんと護ってくださいませ、私の騎士よ」

 リディスはフリートの右手に左手を置き、彼に連れられながら歩き始めた。その二人の後をメリッグとトルがついていく。他にも護衛は騎士が数名いるが、ミディスラシールを捜しに行った部隊と比べて格段に少なかった。もしも何かあった場合、対処しきれるかどうか不安である。

 豪華なドレスの下に隠れている太股に、若草色の魔宝珠は括り付けられている。厚さがあるドレスを着ている際には、ここが一番不自然なく魔宝珠を置ける位置らしい。

 右手に汗が付いている。軽く握りしめたり開いたりしながら、汗を乾かそうとした。

「……無事に終わるかな、余計な乱入者が来ないで」

 思わず素の言葉でリディスは呟いた。

 バナル帝国の皇子と会うのもたしかに緊張する。だがそれ以上に危惧しているのは、第三者が乱入し、皇子に牙が向かれることだ。もし命を落とすような展開にでもなれば、帝国との関係は確実に悪化する。

 フリートは視線を宙に向けながら答えた。

「来たとしても、何とかして上手く終わらすんだよ。カトリ……だったか、あの祠で会ったモンスターと関係があるやつがいるとは正直言って驚いた。さっきお前を救出した時、いなかったのは幸運だったな」

「どうかしら。逆にあの場にいて、私たちが還していれば、ここまで不安な気持ちにならなかったかもしれない。……そのままどこかに消えてくれればいいけど、それは無理な話よね。あいつは私を殺したがっていたから、私の前にまた現れる。おそらくこの屋敷を狙ってくる可能性が高いと思う」

「その旨も言った上で、団長は判断を下したんだ。あまり気に病むなよ」

 階段を降りると、目の前に大きな扉が広がった。そこにリディスは一歩近づき、フリートは斜め後ろへ後退する。

 そして扉がゆっくり開かれると、堅かった表情を和らげて、リディスは笑顔でその扉の先にいる者を出迎えた。



 * * *



 ぽつりぽつりと降っていた雨は、いつしか本降りになっていた。

 ローブを羽織り、フードを被って雨風を防ごうとする。しかし馬を足早に走らせているため、ローブがはためいてしまい、ほとんど意味を為していなかった。少しでも速度を落とせば濡れにくくなるのだが、今のロカセナたちにはそのような考えを巡らす余裕はなかった。

 先頭をカルロットとスキールニルが、そのすぐ後ろをロカセナが、さらに後方には他の騎士たちが続いている。カルロット隊長と当然のように一緒にいるセリオーヌがいないのは、若干辛いところがあったが、今はとにかく進むしかなかった。

 声を大にして言っていないが、ミディスラシールが既に殺されている場合もあった。相手側が身代金などの要求をする気がなく、ただ混乱を生み出したいだけなら、いつまでも彼女を生かしておく必要はない。口封じのために即座に殺されてもおかしくなかった。

 だが毒蜂を召喚する男がリディス側におらず、ミディスラシール側にいるとわかると、彼女の死への猶予は多少あるように思われた。彼女を痛めつけ、迫り来る恐怖を与え、何かを吐き出させる条件が相手側には揃っているからだ。

 ただ殺すだけなら簡単である。いっそカトリでも宿に侵入させて、姫を含めたその場にいた人々の寝首を刎ねてしまえば早い。

 しかし今回はミディスラシールを誘拐するためにリディスまでも攫うといった、手の込んだことをしている。もしかしたら姫の命よりも、王国の基盤を揺るがす情報の方が欲しいのかもしれない。王国が利益を独占しているという勘違いをしているがゆえに。

 少しずつではあるが、樹がある前後とではミスガルム城を取り巻く状況が変わってきている。

 ミスガルム城とアスガルム領民との関係もその一つだ。

 現在、ミスガルム城はアスガルム領民を経由して、魔宝珠を受け取っている。樹がある前はそれが当然だったので、城側としては当たり前のように行っていた。だが過去を知らない者からは、その様子が恩恵を独占しているように見えていたらしい。身も蓋もない噂話がはやしたてられて、しばらく魔宝珠を受け取りにくくなったこともあった。

 一方、モンスターが少なくなり、それに関係する事件も格段に減少した影響で、人間同士のいざこざが表面上に出やすくなっていた。そのいざこざの相対的な数は昔と比べて変わっていないが、他の争いが減ったため、人々には増えたと感じているようだ。

 ミスガルム城の人間が樹を戻したから、争いが増えたんだ――という噂も流れている。

 それは間違いだと言っているが、受け入れてくれない人も未だにいるようだ。

 突然の変化に順応できず混乱し、たまたま目立っている相手に向かって、怒りの矛先を向ける。

 おそらく今回はその(たぐい)だ。そういう(やから)であるならば、さらに城を陥れるために何らかの情報を引き出したいはずである。しかし何を聞いても口を開かない姫だとわかれば、いつかは命を絶つ行為に及ぶだろう。

 ロカセナはカルロットに向かって馬を寄せた。

「隊長、僕を先に行かせていただけませんか?」

「しばらくまともに剣を交じり合わせていないんだろう。危険すぎる」

「素振りや足踏みとかは一人で毎日やっていましたし、少し剣が振れる人が来てくれたら、鍛錬に付き合ってもらいましたよ」

 カルロットは横目でじっとロカセナのことを見る。

「……お前、突撃なんて滅多にやらなかったのに、どうして志願する?」

「僕の服が一番普通の人っぽく見えるからですよ。一瞬でも相手が油断してくれれば、こちらとしては御の字でしょう?」

「冷静に物事を判断して、その場を捌けるか? お前の駆け引きによっては、姫の命がかかっているんだぞ」

「わかっています。僕が命を落とす状態になっても、彼女だけは助け出します」

 躊躇いもなく言うと、カルロットは虚をつかれたような表情をする。隊長は姫の護衛を務めているスキールニルにさりげなく意見を求めた。

「お前が行った方がいいんじゃないか?」

「どうしてですか。自分は護る側の人間です。初めから攻めるのは、あまり得意とはしていません」

「反撃体質なのはわかっているが、どっちかって言えば、冷静に対処できるのはロカセナよりお前だろう」

「……一つ言っておきますが、自分も毒蜂を使った相手に怒りは抱いていました。あの時人質をとられていなければ、理由も聞かずに殺しにかかっていたかもしれません」

 突き返すかのように言ったスキールニルは、ロカセナのことをちらりと見る。そしてふっと表情を緩めて、カルロットに視線を再度向けた。

「どうせ誰が行っても展開は変わりません。それならば志願している者の方がいいでしょう」

 カルロットは唸り声を上げていたが、間もなくして肩をすくめて大声で言った。

「わかったよ、お前がまず突っ走って正面から中に入れ。俺たちがその援護に回る。無理して一人で動くんじゃねえぞ」

「わかりました。我儘を聞いてくださり、ありがとうございます」

 ロカセナは軽く頭を下げて、礼を言った。

 やがて明かりが漏れ出ている屋敷が見えてきた。空を覆っている雲の影響で、昼にも関わらず周囲は暗い。

 扉の入り口には、ごろつき風情の男たちが二人待ち構えていた。カルロットたちを見ると、ゆらゆらと立ち上がった。わかりやすいお出向かえを見て、部隊長はにやりと口元を釣り上げる。

「当たりってところだな。――ロカセナ、俺があの二人を蹴散らすから先に中に入れ。スキールニルはこいつを援護しろ。すぐに俺たちも続く」

「了解です、隊長」

「承知しました、カルロット隊長」

 カルロットは黙々と馬を走らせ、ショートソードを抜いて、屋敷の前で馬から飛び降りた。ほとんど馬の速度を落とさずに、見事に着地をしている。

 男たちが唖然としている隙に、カルロットは容赦なく男たちに剣を振り上げ、彼らが持っていた剣や槍を弾き飛ばした。

 ロカセナは少し遅れて屋敷の前に着き、先に馬から降りていたスキールニルが開けた扉から、屋敷の中に踏み込んだ。サーベルを召喚して、息を潜めながら通路を進んでいく。歩く度に板が軋む。前方から明かりが見えるなり、意を決して駆けだした。

 明かりがついている部屋に入ると、そこに広がる光景を見て、思わず立ち尽くした。

「よう、遅かったな。まあ遅くても早くても、お前たちが絶望を見るのは変わらなかったがな」

 にやりと笑みを浮かべて毒蜂を手のひらに乗せている男性の下には、苦しそうに喘いでいる金色の髪の女性がいた。全身が小刻みに震えている。一目でわかった、かなりの猛毒が彼女の体内を巡り始めていると。

「いい表情だ! 俺は絶望的な表情を見るのが好きでね、だから毒蜂を召喚物にしたんだ。毒は人を苦しませる、絶好のものだからな。修得するまではかなりの年月を要したが、その分嬉しさも倍増さ」

 ロカセナがふらふらと前に進み出ると、部屋の中にいた他の男たちがハンマーや鎌などを手にして、毒蜂使いの男の壁になるよう立ちはだかった。

「情報を引き出せなかったのは残念だったが、お姫様の悲痛な表情を見られるのは嬉しいぜ。さあ、お前たちも絶望に打ちひしがれながら――死ね」

 その声と共に、ロカセナの一番近くにいた男性が短剣を振りかざした。彼の動きを見もせずに、ロカセナはサーベルでそれを弾いた。その反撃を皮切りに、他の男たちも迫ってくる。

 ロカセナは目をかっと見開いて、迫り来る男たちの攻撃を弾きながら、ミディスラシールのもとに駆け寄ろうとした。だが戦闘に手慣れしている人が多く、なかなか先に進めなかった。

 舌打ちをしていると、すぐ傍で別の斬撃が次々と響きわたった。

「後ろはこっちに任せて、お前は早く行け!」

 スキールニルではなく、かつて騎士団で共に剣を振っていた先輩騎士たちが援護に入る。彼はロカセナに対して嫌悪を向けていた一人だったはずだ。彼が援護している姿を見て、内心驚いていた。

 心の中で感謝の言葉を出しつつ、背後は騎士たちに任せて、中央を無理矢理突破する。

 男とミディスラシールがすぐ傍にいる位置まで来た。彼女の喘ぎ声が尋常ではなくなっている。

 目を細めて、サーベルの切っ先を男に向けた。

「お前たちはここで終わりだ。解毒剤を持っているだろう、寄こせ!」

「寄こせと言われて、誰がそう簡単に渡すか? それにここまで毒が回っていたら、解毒剤が効く前に死ぬ。すぐにでも毒を吸い出せばまた別だろうが、吸った本人は死ぬぞ。つまり一人以上は死ぬってわけだ」

 ロカセナは男に向けてサーベルを突きつつ、左右に振って、ミディスラシールから離れさせた。

 少し遅れて来たスキールニルが、その男を部屋の端に押し込む。男は毒蜂を召喚したが、男の周りの温度が著しく下がっていたため、蜂は飛ぶことなく、床へと落ちて行った。男の目が大きく見開く。

 突入部隊の一人に、水の精霊(ウンディーネ)使いを入れており、その者に温度を下げる召喚をするよう頼んだのだ。

 毒蜂使いの男をスキールニルに任せて、ロカセナはミディスラシールの傍に膝を付けた。

「姫!」

 呼びかけるが、意識は朦朧としているのか反応はほとんどない。

 歯を噛みしめつつ、毒蜂が刺した場所を探し出した。するといつも着ている上着がはがされていることに気づく。腕をざっと見渡したが異常なところはない。首下に目をやると、ひときわ腫れている部分があった。鳥肌が立つくらい黒ずんでいる。これでは解毒剤を飲ましても、到底間に合わない。

 ごくりと唾を飲みこみ、ミディスラシールの顔をちらりを見た。

「失礼します、姫。あとでどうぞ罵って下さい」

 ロカセナは一言断ってから、腫れている左側の首下に唇を当てた。患部に触れるなり唇に激痛が走るが、それをぐっと耐えて毒を吸い出す。

 ミディスラシールの喘ぎ声を聞きつつ、ロカセナは吸い出した毒を床に吐き出した。

 黒い。

 血も含まれているのに、異様なくらい黒かった。

 再び患部に唇を当てようとしたが、すぐに頭がくらくらし始めた。触れただけなのにこの毒の影響。それはミディスラシールの体への毒の周りの速さも物語っていた。

 周囲の喧噪を聞きながら、ロカセナは歯を食いしばって、再度患部から毒を吸い出し、吐いた。それを何度か続けていくと、自分自身の思考が回らなくなり始める。

 消えそうになる意識を、左腕にナイフを突き刺すことで、少しでも意識を取り戻した。

 その後はひたすら何度も何度も同じ行為を繰り返していく。

 毒が既に回っていたら無駄な行為である。ミディスラシールの生命力に賭けながら、ロカセナはひたすら毒を吸い出し続けた。

 やがてどれくらいたったのだろうか。部屋の中の喧噪が徐々に静まりだした頃、スキールニルがミディスラシールの傍で片膝を立てて、彼女の様子を伺っていた。

「ロカセナ、頑張ったな。毒はだいぶ外に出せた。姫の体調も最悪の状態よりも良くなっている」

「本当……か……?」

 意識が朦朧とし、視界がぼやけているため、ミディスラシールの様子がよくわからなかった。

 スキールニルは水が入った袋を差しだし、口の中に残っている毒を少しでも吐けと言う。それに大人しく従い、何度か水を口の中に含みつつ、吐き出す。水ですすぐ前よりも、少しは気分が楽になった気がした。

 そして紙に包まれた白い粉と、また別の水袋を差し出された。男から奪い取った解毒剤のようだ。

「これを姫の体内に流し込めるか? 俺がやってもいいが、毒が回り始めているお前のことを考えると、少しはこれをお前の口にも含んでもらった方がいい。そうすることで毒の周りを抑えられるからな」

「姫様の体の中に、俺の口の中に残っている毒が入るってことは?」

「お前は本当に姫のことを想っているんだな。安心しろ、その僅かな毒よりも解毒剤の効力の方が強い。それにこれは一種の保険だ。飲ませてやれば、より安心できるという程度だ。今の状態で医者に見せても、危機は脱したと言うだろう。ついでだと思って、薬を飲ましてやれ」

 ロカセナはスキールニルに促されるがままに、白い粉を口の中に入れ、水を含ませる。そしてミディスラシールの頭を優しく上げ、彼女の柔らかな唇に自分の唇を当てた。彼女の体温を直に感じながら、ゆっくりと時間をかけて口の中に解毒剤を入れ込んだ。

 屋根の上に雨が激しく降り注ぐ。屋敷の中の喧噪はいつしか消え、雨の音しか聞こえなくなっていた。

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