後日談‐9 過去から広がる波紋(2)
かつて死闘を共に戦い抜いた二人は、その後バルヘミア大陸を旅して回ると言い、フリートたちの前から去っていた。リディスが彼女と時折手紙を送りあっているのは知っていたが、まさか連絡もなしに戻ってくるとは。
「どうしてメリッグとトルがここに?」
「あなたたちに伝えたいことがあって、急いで戻ってきたのよ。もともと長くても三年程度で戻る予定だったから、いい機会だと思って。城に行ったら知っている顔がほとんど出払っていたわ。幸いクラル隊長とルーズニルと会えて、ここにいると知ったわけよ」
「何だか凄いことになっているじゃねえか。あっちのおう――」
トルが口を開く前に、メリッグは彼の鳩尾に拳を入れ込んだ。呻き声を上げながら、その場に屈み込む。
「おめえ……」
「少しは空気を読みなさい。それが無理なら非常時は黙っていなさい」
冷たい言葉を容赦なく言い、メリッグは何事もなかったかのようにフリートたちに意識を戻した。
「リディス、何者かによって連れ去られたわね」
「その通りだ。言い訳はしない。完全に平和な日常に慣れすぎていた」
メリッグは手を腰に当てて肩をすくめ、肩越しで通りに視線を送った。
「詳細はあとで聞くわ。追いかけもせずに立ち尽くしているのを見ると、大方リディスを殺すとでも脅されたんでしょう。それなら一度作戦を立てましょう。その前にあのおひ――ではなく、お嬢様とお話したい。居場所は知っているわよね?」
言い換えたのは、メリッグのとっさの判断だろう。的確な状況の読みとりは、依然として健在のようだ。
眉間にしわを寄せていたフリートは案内すると言って、メリッグたちの前に出て通りを歩き始めた。メリッグとトル、そしてその後ろにロカセナがついてくる。
「こっちだ。あの人も忙しいから段取りをつけるべきだが、その様子を見ると急ぐ必要があるんだろう?」
「ええ。緊急性を要する非常に重要な内容よ。トルが一緒にいなかったら、私はその内容を聞いた瞬間、殺されていたかもしれないほどの機密事項」
物騒な言葉を躊躇いもなく発せられ、フリートの眉はぴくりと動いた。
「私としたことが、話を聞くのに夢中になっていたの。後ろを注意してくれる人がいてよかったわ」
その言葉を聞いたトルは少しだけ表情を緩めていた。本当にメリッグは丸くなったなと思う瞬間でもある。
この三年間、二人は喧嘩も多数しただろうが、今でも関係が続いているのは、お互いに認め合い、頼りあっているからだと思う。
やがてミディスラシールたちが泊まっている宿が見えてきた。裏から回ってきたため、玄関は逆側にある。
顔を上げると、二階の窓が一つ全開なのが目に入った。そこから真っ黒なローブを羽織り、フードを被った者が現れる。その人は黒い布で包み込んだものを肩に担ぎながら、そこから飛び降りた。
男はものを持っているにも関わらず、膝を上手く使って軽やかにフリートたちの前に着地した。軽く一瞥してから、男は反対側を走り出す。
その時の風圧によって、黒い布が若干はだけた。そこから金色の髪が一房こぼれ落ちる。フリートが駆け出すよりも先に、鋭い目付きのロカセナが走り出していた。
「そこの貴様、待て!」
駆け出したロカセナは、少し進んだところで突然立ち止まった。歯を噛みしめながら前方を睨みつけている。その隙に男は大通りに出て、雑踏に紛れていった。
フリートはロカセナの傍に駆け寄ると、悪態を吐いて振り向いた彼と視線があった。表情が険しい。
「大丈夫か?」
「すまない。僕は大丈夫だ。……リディスちゃんが痙攣しながら倒れていた理由がよくわかったよ」
「何だと?」
ロカセナが踵を返して、メリッグとトルがいる方に歩いていく。すると突然宿の裏口が開かれ、殺気が滲み出ている、頬に傷が入っている見慣れた顔が現れた。
「フリート、そこにいるってことは、お前も黒づくめの野郎と――」
「僅かですが鉢合わせました、カルロット隊長。彼が追いかけようとしたのですが……」
「人を一瞬で戦闘不能にできる毒蜂に驚いている間に、逃げられました」
ロカセナが抑えた声で、フリートとカルロットの会話に割り込む。彼は視線を地面に向けていたが、やがて顔を上げて、姿勢を正して頭を下げた。
「ご無沙汰しています、カルロット第三部隊長。わけあって同部隊のフリート・シグムンドと――」
「挨拶はいいから中に入れ。お嬢様の捜索は他の者にやらせるから、お前は今出した言葉の意味を教えろ」
「ではやはり黒い布に包まれていたのは……」
「俺たちが誰よりも護らなければならないお方だよ」
カルロットが吐き捨てていると、六人の騎士が裏口から出て、二人ずつに分かれて散開していた。そのうちの一人がロカセナのことを見るなり、表情を険しくしている。傍にいた者が肩を叩くと、舌打ちをしてから、走り去っていった。
「フリートとロカセナ、それと……おっ、予言者の姉ちゃんとトルじゃねえか。久しぶりだな。お前たち四人、中に入れ」
「カルロット隊長、僕は……」
「目撃者だ、来い。お前の余計な自尊心に構ってやれるほど、暇じゃねえ。あの人の未来を願うなら、何をするべきかわかるだろう」
フリートとメリッグ、トルは宿に入っていくカルロットについて行く。そして少し間を置いてから、銀髪の青年も中に入った。
宿の中でも比較的広い部屋に通された。ベッドが二つ並び、大きな丸テーブルが置かれている。
そこにあるベッドで横たわっている人物を見て、フリートは眉間にしわを寄せた。全身痙攣を起こしている一人の女性が、苦しそうに喘いでいる。脇ではスキールニルが険しい表情で脈を測っていた。
「セリオーヌ副隊長はどうしたんですか?」
「さっきの奴に襲われた。……おい、というかリディスは一緒じゃねえのか? 宿に一人か?」
「その質問にはあとで詳しくお答えします。結論からいえば、あいつもさっきの奴と同じような服装をした連中に連れ去られました」
部屋の中に残っていた他の騎士たちがざわめく。カルロットは声をさらに低くした。
「先にそっちの状況を教えろ」
こくりと頷いて、手短にフリートは話した。
通りを歩いている途中で不穏な気配を感じたこと、リディスが裏通りで痙攣を起こしながら意識を失ったこと、そしてフリートたちはリディスの命を盾にされて、そのまま連れ去られるのを眺めていたこと。
覚えている範囲で相手が述べた言葉を伝えると、腕を組んでいたカルロットの目元はぴくぴく動いていた。
「まるでリディスを餌にして誰かを釣ろうっていう内容だな」
「俺としてはお嬢様を誘き出すために、捕まえられたと思っています。『リディスを殺されたくなければ、大人しくしろ』と言うために」
「今、セリオーヌが話せたり、まともに反応できれば、実際にそれを出しにして連れ去られたかどうかを聞き出せたんだがな……」
カルロットが悔しそうな表情でセリオーヌを見下ろした。脈を計り終わったスキールニルは紙にメモをし、それを見ながら言葉を発した。
「僅かですが脈は正常値に近づいています。おそらく一過性の毒で、時間がたてば毒が抜けて動けるようになるでしょう」
「痙攣の原因はロカセナが言っていたが、毒蜂でいいのか?」
スキールニルはセリオーヌの首筋にかかっている髪をかきあげて、カルロットたちに視線を送った。彼の横にカルロットが移動したのに倣ってフリートたちも動き、そこを覗き見た。それを見たメリッグは眉をひそめて、口元に手を添える。
セリオーヌの左裏の首筋に、赤黒く変色している部分があるのだ。
「毒は抜いたのか?」
「応急処置程度には抜きました。今、町医者を呼んでもらっているので、その人に最終的な処置はお願いするつもりです。医者に見せた方が治りは早いという程度の毒だと思いますので、ご安心を」
「つまり命に別状はないってことか」
少しだけ安堵の空気が流れる。唸っていたセリオーヌは少しずつ落ち着きを見せ始めており、うっすらと目を開けていた。口元を動かしているのを見て、カルロットはセリオーヌの口元に耳を近づける。どうにか聞き取ると、ぶつぶつ呟きながらセリオーヌの頭を軽く撫でた。
「……馬鹿野郎。姫のことよりも自分のことを考えろ。お前にもしものことがあったら、がきんちょとクラルにどういう顔を向ければいいんだ」
誰かが廊下を走ってくる音が聞こえてくる。それが部屋の前で止まるとドアが開き、町医者が現れた。カルロットはフリートたちに隣の部屋に移るよう促す。部屋の中にスキールニルと数人の騎士を残して、移動した。
隣の部屋の間取りは先ほどと同様だが、かなり散らかっている。中にはカルロットとフリートたちの四人、そして十名程度の騎士たちが入り込んだ。
テーブルの上にラルカ町の地図を広げて、カルロットは腕を組んだ。
「さて、話を戻すぞ。リディスが連れ去られたのはここら辺だな?」
中程度の大きさの路地裏を指で示す。フリートは固い表情で頷く。
「そしてお嬢様が連れ去られた方向はこっちだな」
ロカセナが頷いた。その先は町の北。リディスを連れ去った男も、最終的にはその方面に向かうだろう。
北の外れには、空き屋敷がたくさんある。好景気時にはそこに住んでいた人もいたが、三、四年前モンスターからの強襲が激しくなった関係で、多くの人がそれの脅威から逃れるために、町の中に移り住んでいた。結界の庇護下に入るには、町の外側よりも内側の方が有利であるからだ。
つまり町の外に向ければ、空き家が大量に並んでいるのである。
「ここら辺にあるどこかの空き屋敷にいる可能性が高いな」
「そのまま遠くに逃げちまうってことはないっすか?」
トルがカルロットに疑問を投げかける。もっともな意見だが、カルロットはすぐに首を横に振った。
「俺の直感としては、何かをするまであいつらはここから離れはしねえ」
「あいつらはリディスたちを手元に置いて、何をするつもりっすか?」
「トル、その問いは愚問すぎるわよ。お嬢様の身分を考えれば、容易に答えを導き出せるでしょう」
メリッグの突っ込みに、トルは「あっ」と言葉をこぼした。
「城を脅すための人質……?」
その言葉を聞いた騎士たちは誰もが渋い顔をした。フリートとロカセナも同様だ。護衛対象が連れ去られるなど、あってはならないことだった。
「しかも今回は会合のことがある。早々に取り返せねぇと、国同士の信用問題に発展するぞ」
「脅すよりもそちらの方に重点が置かれている気がします、隊長。ただ人質を取りたいのなら、騎士たちの護衛が密集しているこの宿に突入するよりも、もっと警備が薄い頃を選ぶはずです。一種の挑発のようなことをしたかったのではないでしょうか」
「早く探し出してみろ。そうでもしないと、大事になるってか」
カルロットは頭を激しくかいた。
「くそっ、面倒なことしやがって。そんなに王国が嫌いなんかよ。……犯人の狙いを考えても埒があかねぇ。今はこれからどうするか考えるぞ!」
「――その意気だ。いつまでも辛気くさい顔をしているのは、お前らしくない」
突然飛び込んできた第三者の声に、誰もが警戒心を持って入り口に振り向く。しかしその顔を見た瞬間、柄に添えようとしていた手を離した。ミスガルム王国の専属還術士兼剣の指導員ファヴニールと、顔が真っ青の第二部隊長のクラルが立っていたのだ。
「カルロット隊長、セリオーヌは!?」
「隣の部屋だ。今回はすまなかった、本当に……」
「いつも覚悟していることですから、気にしないでください」
ぴしゃりと言い放つと、クラルは足早に部屋を出て行った。
ファヴニールは堂々と中に入ってくる。カルロットと視線が合うと、にやりと笑いあった。
「おいおい、応援にしては早すぎねえか? さっき伝令を送ったばかりだ」
「悪いがお前からの伝令は聞いていない。メリッグさんの伝書鳩でいち早く危機を知って、クラルの鷲に乗ってきたんだ。話を聞いていると、リディスだけでなくお嬢様までさらわれたようだな」
カルロットが訝しげにメリッグのことを見る。
「予言者の姉ちゃん、何か見えてこいつらを呼んだのか?」
「予言なんてしていませんよ。リディスの消えた場所での召喚の残滓や周囲で感じた気配が気になり、還術の専門家に聞きたかっただけです」
「召喚の残滓だって?」
眉をひそめているカルロットにメリッグは明瞭な声を発した。
「残滓から察すると、おそらく毒蜂はモンスターに近い何かだと思います。またそれとは別のモンスターの気配がし……」
一般の騎士たちは目を大きく見開いた。町のど真ん中にモンスターが現れると予想していなかっただろう。
フリートはリディスをさらった男が言い放った言葉を復唱した。
「隊長、あいつはこう言っていました。『お前たちが三年前に行ったのはただのきっかけだ。そのきっかけが、周囲に波紋を呼ぶのは必然のこと』と。もしかしたら三年前に扉を閉めたり、樹を生み出したことに何か関係がある集団なのではないですか? ……たとえばモンスターとか」
「はあ? モンスターが絡んでいるって言うのか? 獣がどう絡む……って、獣だけじゃねえな」
何度目になるかわからない悪態を吐いた。
「かなり面倒なことになってきたぞ。ある程度理性が働いている人型のモンスターも動いている可能性がでてきた」
メリッグは間髪入れずに口を開いた。
「その可能性はおおいにあります。噂で聞いたのです、人型のモンスターが動いていると。それを聞いて私たちは急いでこちらに戻ってきたのです」
少しずつ止まっていた時間が動き出す。
平和な日々から、争いが渦巻く時へと――。