表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
後日談 悠久なる恋情の果て
201/242

後日談‐7 嘘と真の間の言葉(4)

 * * *



 その日は月が雲に隠れゆく夜だった。

 会合に向けて一日中籠もっていたミディスラシールが、ようやく自由な時間を得られたのは、会合の五日前。国王と打ち合わせをする予定だったが、あちらが急に都合が付かなくなり、唐突に時間が空いたのだ。

 城の裏口でフリートはスキールニルからミディスラシールを託され、フードをすっぽり被った彼女を連れて、城からシグムンド家の屋敷へ移動する算段になっている。

 ミディスラシールが部屋を空けている間、スキールニルは姫の部屋の前に待機し、彼女を訪ねてきた者をやんわりと引き返してもらう役割を請け負ってくれた。

 リディスは城から来るフリートとミディスラシールを出迎えるために、お茶と茶菓子の用意をしていた。居間ではヘルギールが優雅に紅茶をすすっており、ロカセナは緊張した面もちでカップに口を付けている。

 屋敷に来てから今日まで、彼はずっとバナル帝国のことについて調べていた。シグムンド家の屋敷は蔵書が豊富にあったため、フリートに頼まずとも、屋敷内の情報で完結できたようだ。特に政治関係のものはかなり多かったという。ヘルギールの勉強熱心さが伺うことができた。

「私は挨拶をしたら部屋に戻るから、ゆっくり四人で話をしていなさい。皆で顔を合わすのは久々だろう?」

 書類を片手に持っているヘルギールが優しい口調で問いかけてくる。

「そうですね。三年前の戦い以来ですから……」

 屋敷の入り口の扉が開く音がした。ロカセナがわかりやすいくらいにびくりと反応する。

 リディスは居間のドアに駆け寄ると、廊下にはフリートとミディスラシールが立っていた。彼に促されて部屋の中に入った姫は、茶色のローブについているフードを取り外した。そこから金色の髪がこぼれ落ちる。

「ふう、これでようやく満足して呼吸ができるわ」

 ミディスラシールは居間全体を見渡すと、ある一点で止まった。立ち上がろうとしていた青年と視線が合う。

「ミディスラシール……姫……」

 ロカセナが途切れ途切れに呼びかけると、ミディスラシールは表情を緩ませた。

「お久しぶり、ロカセナ。昔会った頃より痩せたんじゃない? もっと食べなさいよ」

 まるで子供を宥めるかのような口調をされたロカセナは、呆然としていた。ミディスラシールは彼の横を通り過ぎて、屋敷の主に向けて頭を下げる。

「この度は私たちの我が儘を聞いて場所を提供してくださり、ありがとうございます」

「いえ、こうして姫と間近でお会いできて、私としては非常に光栄です」

「ヘルギール・シグムンド様のお話はよく耳にしています。今後とも王国の発展のために、ご尽力をお願い致します」

「もちろん、引き続き私ができる範囲で頑張らせていただきます。美しく気高い姫のためにも」

 ヘルギールは深々と一礼をすると、カップをリディスに手渡し、書類を持って居間を後にした。階段を上る音を聞き終えると、フリートは僅かに開いていたドアをしっかり閉めた。

 居間の中に沈黙が訪れそうになったので、リディスはわざと音を立てながらお茶を用意し始めた。

「ミディラルさん、座ってください。フリートも。一息ついてからお話しませんか?」

「そうね。さも当然のように台所で作業しているリディスを眺めながら、にやけるとするわ」

 リディスは笑って適当に受け流した。

 ミディスラシールはロカセナの斜め前に座り、フリートはロカセナの横に腰を下ろした。必然的にリディスはロカセナの目の前に座ることになる。思い詰めている彼の前に座るのは若干気が引けたが、焚きつけたのは自分なのだからしょうがなかった。

 ロカセナの冷めた紅茶が入ったカップを引き取って、温かい紅茶が入ったポットと四人分のカップ、そしてクッキーが乗った皿をお盆に乗せて持ってくる。その間、誰も口を開こうとしない。リディスはフリートに視線を送るが、眉間にしわを寄せて返された。

 紅茶を注いだカップを三人の前に置くと、リディスは無難な内容で沈黙を打ち破った。

「どれくらいここにはいられるのですか?」

「いないことがわかって騒ぎになられたくないから、あまり遅い時間まではいられないわ。まあ、お茶くらいはできるでしょう」

 カップを口に付けながら、ミディスラシールは横目でリディスのことをじっと見つめた。

「……リディスはフリートと話できているの?」

「えっと、それはどういう意味で……」

 どもりながら返すと、彼女はカップを置いて、今度はフリートのことを見据えた。

「フリートもまだ白黒はっきりさせていないみたいね。セリオーヌに聞いてみたら、細かく教えてくれたわよ、貴方が置かれている立場について」

「副隊長、余計なことを……!」

 軽く舌打ちをしながら、フリートは言葉を漏らす。

 ミディスラシールは立ち上がり、リディスとフリートを交互に指した。

「二人とも、他人の心配をする前に、自分たちのことをはっきりさせなさい! まずはフリート!」

「は、はい!」

「事実だけでいいから言いなさい。今後どうしようとか、そういう話はあとでゆっくり話し合えばいいから」

 ミディスラシールに押されて、フリートは躊躇いながらもリディスの緑色の瞳を見た。

「俺は今、港町ラルカ町にいる貿易商の父を持つヒルダさんから、身に覚えのない約束を盾にされて迫られている。……俺としては機会を見て、はっきり断るつもりだ」

 決して視線を逸らさずにフリートは言い切った。リディスは思わず溜まっていたものが目から流れそうになったが、どうにか耐える。

「ちなみにフリート、いつ言うつもり?」

 ミディスラシールが容赦のない質問を投げかける。

「いつだろう……色々と落ち着いてから……」

「そんな悠長なこと言っていると、外堀から埋められるわよ。貴方が望む望まないに関わらず、話が進むわ」

 目を見開いているフリートを余所に、ミディスラシールは言葉を続けていく。

「世の中そんなものよ。周りが得られる利益が大きいほど、その傾向は強いわ。前から言っているけれど、そろそろ自分の立場を自覚しなさい。その優柔不断さも時として命取りになるわ。――さあ、次はリディス。もし気に差し支えるようなら、私とロカセナは席を外すわよ?」

「大丈夫です。いつかはロカセナの耳に入ることですし……」

 話を振られたリディスは姿勢を正した。

「フリート、ごめん、ずっと言えなかったことがあるの」

 すぐに言えなかった後ろめたさもあり、視線を逸らしがちになるが、辛うじて彼の首元に焦点を合わせた。

「実は私にも縁談話がきているの」

「え……」

「相手は北にあるラウロー町の町長の息子さん。どうやら一目惚れされたらしくて、あちらもこちらもいい歳だからって話を持ち出してきたそうよ」

「リディスはそれを――」

「断るわ」

 間髪入れずに発言すると、フリートの緊迫した表情が緩んだ。

「見ず知らずの人との話なんて、そう簡単に受けないわよ。ただお父様がそれ相応の理由がないと断りにくいと言われたの。だから――」

 頬を赤らめながらフリートのことを見ると、ミディスラシールに軽く頭を撫でられた。

「それ以上先のことは二人でゆっくり話し合いなさいね。そんな大切な場に部外者は不必要ですから」

「大切なって……」

「とりあえず二人はお互いの現状を把握したのだから、早めに先のことを決めなさい。無理にでも背中を押してくれる人って世の中にはあまりいないものよ、感謝しなさい」

 その言葉を聞いて、リディスは急に不安になった。まるで自分には時間がないゆえに、リディスたちの関係を少しでも進めようとした風に聞こえる。

 不安げな表情を向けると、微笑み返された。数多の国民の気を引きつける、美しく凛々しい笑顔を向けられ、何も言葉を発せられなかった。

 ミディスラシールは紅茶を一口飲み、カップを置きながら再度口を開く。

「ロカセナ、手紙でも伝えたけど、私にも縁談話がきているのよ」

「存じています」

「しかも相手はあのバナル帝国の皇子様。初めてその話を聞いたときはびっくりしたわ。友好関係もできていないのに、そんな話を普通持ち出すかしら?」

 やや抑揚もつけて話すが、明らかに違和感があった。姫がロカセナと視線を合わせていないのだ。

「どう思う?」

「……僕はあちら側の人間ではないのでわかりませんが、失礼ながらあくまでも友好関係を結ぶ足がかりではないかと思っています。上が親しくなれば、必然的に下も従うことになるでしょうから」

「今度の会合についてはどう思う?」

「会合で良からぬことを起こすのは、ほとんどないかと思われます。人数的にもかなり差がありますし、遠く離れた地へ応援を寄越すことは難しいでしょうから。ただ純粋にミディスラシール姫と会って、お話をしたいのではないかと思っています。そしてあわよくば婚儀を結びたいといったところでしょうか」

「よくそこまで言えるわね」

「ミディスラシール姫はとてもお美しく、聡明なお方ですから、誰だって話をすれば心惹かれてしまいますよ」

「心惹かれなかった男が近くにいるけどね」

 くすっと笑いながら横目でフリートを見る。彼は軽く首を傾げていた。

 ミディスラシールは立ち上がると、ロカセナたちに背を向けて右手を腰に当てた。

「まあ政略結婚であれ、総合的に見て悪くない話よね。事前に頂いた皇子の絵もかっこよかったし、性格も穏やかでいい人だと聞いているわ」

「それはよかったです。姫様が幸せになれる保証があるのなら、僕は喜んでそれを祝いましょう」

 リディスは目を見開いてロカセナを見る。ミディスラシールは横顔を見せて、不敵な笑みを浮かべた。

「保障……か。そんなもの、どの恋愛を見てもあるわけないでしょう」

 そう言ってロカセナのすぐ横にまで歩み寄ると、彼女はピンク色の石が付いたペンダントを彼の前にある机の上に置いた。彼の瞳が僅かに揺れる。

「皇子と会って、余程悪い人であったり、性格的に合わない人でなかったら、この話は受けるわ。それがきっと――王国にとって一番幸せなことだから」

「……姫様の決断に、僕は何も口出しはしませんよ。姫と元騎士の関係ですからね」

「……昔はそんなことも気にせず、色々と言ってくれたのに」

 ぼそりと呟くと、ピンク色の石をロカセナの前に押し出した。そして彼と視線を合わせて、にこりと微笑む。


「私は貴方の幸せをいつまでも願っているわ。ここまで会いに来てくれてありがとう。――さようなら」


 そしてローブを羽織り、フードをしっかり被ると、放心しているロカセナの隣にいる、立ち上がった黒髪の青年に視線を送った。

「戻るわ。今日中に行わなければならないことを思い出したから。――じゃあリディス、またね」

 ミディスラシールの挨拶にリディスは返すと、彼女は颯爽と廊下に出て行った。フリートは動かないロカセナを一瞥してから、ミディスラシールの後を追った。

 外に通じる扉が閉まる音がする。リディスはそれを聞くと、再びソファーに座り込んだ。

「ロカセナ、これでいいの?」

 余計なことだと思いつつも尋ねていた。ロカセナは冷たくなった紅茶をすすって、精一杯の笑みを向ける。

「いいよ。最後にきちんと別れを言ってもらえて、すっきりした。でも……皇子側が何もしないと言いきれないから、会合当日はできれば少し離れたところで見守っていたい」

 たとえ結ばれないとわかっていても、まだミディスラシールのことを想うのか。

 忠誠心以上の感情を、リディスは心から感じ取っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ